ブランド
最近、ずーっと考えて来たことで、でも表明することを避けて来たことがありますが、突然、何の前置きもなく本日表明いたします。それは・・・
生き物を「ブランド」って言うのをやめませんか?!
地域を「ブランド」って言うのをやめませんか?!
ってことです。
「ブランド」って、鞄や靴に付けるものでしたよね。そのまま牛に付けても良いんでしょうか?考えてみませんか。
ここでまず、ウイキをコピペーしてみましょう。
「ブランド(英: brand)とは、ある財・サービスを、他の同カテゴリーの財やサービスと区別するためのあらゆる概念。」
「当該財サービス(中略)と消費者の接触点(タッチポイントまたはコンタクトポイント)で接する当該財サービスのあらゆる角度からの情報と、それらを伝達するメディア特性、消費者の経験、意思思想なども加味され、結果として消費者の中で当該財サービスに対して出来上がるイメージ総体」
ウイキは色んな人が書き込むので、どうしても、独特のなんだか良く分からん文章に成りがちですが、とりあえず、
有名なもの=ブランドではないことは分かります。
「ブランドを冠して財やサービスを提供する側の意思を端的に表現するものとして、文字や図形で具体的に表現された商標を使用することが多い」
要するに、ブランド提供者の意思思想~言い換えれば主の信念~が消費者の意思思想に届いて、それでイメージが形成されるということでして、当然そうまで成るには、充分なやりとりが必要です。
だから当然、有名=ブランドなどという簡単なものではないことが分かります。
しかし、今時は
ブランド=有名=高く売れる=儲かる
とだけ考える人があまりに多く、結果提供者の意志思想も、それに反応する消費者の意志思想も軽視されているように思えてなりません。
その原因は、提供側と消費側の両方に在ると思います。
そもそも意思思想などいうものに無塩な提供者が、いや、無縁な提供者が、目立つことだけを念じて「ゆるキャラ」などというものを創ったり、マーケテイングごっこに金銭を費やして、「ブランド化」「ブランドビジネス」に勤しんでいますが、それで何かが伝わる筈もありません。
仕様・スペックの過激化も感心しません。所謂「こだわり過ぎ」のことです。
必要なことよりも、かなり過剰なことを行って、それを、さも重大なことのようにPRして目立とうとする人がいますね。そんなに重大なことなら、御社だけでなくて、他社も以前から取り組んでいたはずだと思いますよ。
日本酒の原料の酒米の70%を削って捨てて、芯の30%だけで酒を造るとか、モッタイなさ過ぎですし、それに芯の純粋な部分だけで造っては、かえって造り手の個性が表現できないと思います。
一方、消費側も自分の舌というものを信用せず、マスメデイアやネットを盲信して従っているのだから、銭失いをしても文句は言えません。
今時はこんな在り様なので、可愛いそうなんですよ、ブランドにされる牛さんが。
だから生き物を「ブランド」って言うのをやめませんか?!
先日「特産松阪牛」の生産者にお目にかかった時ボヤいておられたのは、
共進会(=コンクールのこと)で高値がついたことばかり報道されて不本意だ。
共進会の値は「ご祝儀相場」なのであって、私達はいたずらに高く売ろうと目論んでいるわけではない。
私達が、どれだけ牛さんに愛情を注いでいるか、それを知っていただいて、平素の取引の中で、理解してくれる買い手の方に適切な価格で買って欲しい、そう思っているだけなんです・・・
こうして育てられた牛さんのことを「ブランド」という言葉では表現しにくいと思います。
「ブランド」「ブランド」と唱えているのは県庁の「ブランド推進部」とその下請けの広告会社です。とほほ。
ついでに地域を「ブランド」って言うのもやめませんか?!
地域というものは人様が生まれ・住んできた大切な場ですよね。
ブランドの本来の意味合いにしたがって、地域の人情が広く伝わるならまだしも、やっていることは「ゆるキャラ」づくりですよね。
あれで全体を代表されてしまって皆さん、OKなんでしょうか。
なんだかなあ、です。
追伸
一冊丸ごと「すき焼き大全」とも申すべき本が出ました。
タイトルは『日本のごちそう すき焼き』、平凡社より刊行されました。
この本は、
食文化研究家の向笠千恵子先生が、すき焼きという面白き食べ物について語り尽くした7章と、
全国の、有志のすき焼き店主31人が、自店のすき焼き自慢を3ページずつ書いた部分の二部で構成された本で、
この十年の「すきや連」活動の集大成とも言える本です。私も勿論執筆に加わっています。
是非是非お求めください。
弊店の店頭でも販売しますし、こちらからネットでも購入できます。
是非。
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