立派なビルが建っちゃって
先日、お取引先の紹介のお客様が見えたので、その部屋へ挨拶にうかがったら、年配の方でした。その方が、おっしゃったことは「いやあ、「ちんや」さん、こんな立派なビルが建っちゃって驚いたよ!」
こんな立派なビル?
最近、浅草界隈には、高層マンションがたて続けに建っているので、そういうビルの話しをなさっているのか、と思ったら、違うのです。どうも「ちんや」がビルになったことを言っておいでなのです。と、いうことは、昭和50年以前の(=先代の)建物と、今のビルを比較して「立派」とおっしゃっているわけです。
先代の建物は、先々代の建物が、太平洋戦争で焼けた後、終戦直後に建てられたもので、およそ30年間使われました。私はそこで生まれ育ったのですが、お世辞にも「立派」とは言い難いものでした。
昭和50年竣工の、今のビルと比較しても、戦争前の結構立派な先々代と比較しても、見劣りがします。だから、今のが「立派なビル」というのは間違いではないのですが、それにしても、今頃そう言っていただいてもねえ、という感じです。
現在のビルも、既に築35年が経過して老朽化し、実は、あちこちに不具合が出てきています。メンテナンスに毎年多額のお金を投じているのが実態ですから、今頃「建っちゃって」というのは、当事者としては、かなり違和感があります。
そう思っていたら、翌日も、店の玄関で、ほとんど同じ趣旨のことを、別のお客様から言われました。
「40年ぶりに、思い出の「ちんや」さんに来たんだけど、いやあ、この前と随分変わっちゃったねえ。」
実は、こういう話しは、結構頻繁に聞かされるのです。こちらとしては、「うーん」という感じですが、そういう感覚の方がたくさんおいでなのだと思います。
ご来店の頻度が、「数十年に一度」という極端に低い頻度でも、思い出の中の印象は、薄いわけではないらしく、良い印象であった場合は鮮明に覚えていただいているようです。その、思い出の中の「ちんや」と現物が違ってしまうと、残念に思って、「変わっちゃったねえ」という御発言につながるようです。現在が「立派」であっても、あまり嬉しくはないようです。
思いまするに、建物=半永久・人間=はかないもの、ではなく、その逆のようです。人の一生の間に、実際、先代の建物は築30年で取り壊しとなりましたし、築35年で、先代より長生きしている、現在のビルも、維持するのに難儀しています。
むしろ人間の思い出の中の、「ちんや」が半永久で、現物の「ちんや」の建物の方はと言うと、永久ではないのです。
先代の建物は取り壊されましたが、お客様の思い出の中に、半永久に生きていることを、つくづく有り難く思います。
それにしても、そういうお客様には、もう少し頻繁に来ていただけないもんでしょうかねえ。
毎月来て欲しいとは、申しませんから。
3年に1度くらいで結構ですから、なんとかひとつ、よろしくお願いします。
*太平洋戦争前の建物をご覧になりたい方は、いったんこちら(=「ちんや」サイト表紙)を開け、表紙>ちんやへのご案内>外観 の順で開けて下さい。