記念写真コール

「あさくさ食たび」に出演させていただきました。

「あさくさ食たび」とは、浅草の料理人がオンライン講義で、全国の皆様に「浅草の食の道案内」をするというもので、浅草の店主たちが連続して出ています。

「食たび」の特徴は、もう一点あります。必要な経費をクラウドファンディングで調達した点です。コロナで苦戦する浅草の料理屋を救え!ということで、CFによる資金調達は好調だったと聞きます。在り難いことですね。

で、話した内容ですが、それは、まあ、いつもの私の話しです。

・「ちんや」の「ちん」って何?なぜ浅草にあるの?

・「適サシ肉」って、他の肉とどこがどう違うの?

・結局おいしい肉って、どういう肉?

といった辺りですから、弊ブログの読者の皆さんには新しい話しではないですが、こういう機会に新しい方とご縁が出来れば嬉しいことです。

最後は、パソコンのZOOMの画面で皆さんと記念写真。コールは、

しょ・く・た・び!

す・き・や・き!

にしたいところでしたが、今回は遠慮しました。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし本日は3.895目の投稿でした。引き続きご愛読を。

リハーサル

10月26日の「あさくさ食たび」に出演させていただくことになり、昨日はそのリハーサルの日でした。

「あさくさ食たび」とは、浅草の料理人がオンライン講義で、全国の皆様に「浅草の食の道案内」をするというもの。浅草の料理屋の店主が連続して出ています。

私の前の講師は「駒形どぜう」のご主人でしたが、いつも以上に絶好調のトーク。司会の「ゆいろ」ユリさんの相槌が上手いので実に滑らか。

滑らか過ぎて、聞き取れないのでは?と心配になるくらいでした。人がご機嫌に話している様を視るのは悪くないものです。

で、私の番ですが、肉の具体的な話しは、コ難しんですよね。滑らかというわけに行きません。

不飽和脂肪酸とか、脂の融点とか、個体識別番号とか、

私の場合は、相槌はむしろ、

ん、んん?

ええっと、ちょっと、わかんないんですけど・・・

といったリアクションを入れていただくことにしました。

内容がコ難しいのに、司会がサラサラと進んだら、視聴者の方は置いて行かれたと思ってしまいますからね。

さて、どうなりますやら。

視聴ご希望の方は、こちらです。

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新春

来年一月の「新春浅草歌舞伎」は中止になると松竹さんが発表しました。

歌舞伎座が公演できているので浅草も出来るのかなと、勝手に思っておりましただけに残念なことでした。

歌舞伎座は公演「できている」といいつつもかなり変則な形です。一日四公演に細かく分け、出演者も裏方も四つの別チームにして・・・と煩雑な体制を続けておられます。浅草まで手がまわらなかったかもしれませんね。

毎年一月の浅草歌舞伎は若手俳優の登竜門で、公演時間も短めなので、終演後に浅草で大勢のお客様が食事をしてくれました。

来年に期待します。

追伸、10月26日の「あさくさ食たび」に出演させていただくことになりました。「あさくさ食たび」とは、浅草の料理人がオンライン講義で、全国の皆様に「浅草の食の道案内」をするというもの。視聴ご希望の方は、こちらです。

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狆屋

そもそも、ですが、「ちんや」は何故浅草で商売をしているのでしょう。今日は、その話しです。

「ちんや」は漢字で書くと「狆屋」。明治維新まで狆という愛玩犬のブリーダーをしていました。

そのブリーダー直営ペットショップが浅草に在った背景には、江戸時代の人達がペットの品種改良が大好きだったということがあります。

典型的には金魚と朝顔。

品種改良をして珍しいものを作り、話題沸騰になると儲けがあったと聞きます。そして、その珍しいペットを繁華街に買いに出かけるという習慣がありました。

そんな中で、狆は徳川綱吉や吉原の大夫が愛玩したと言いますから、高級版のペットでした。良い血統を確保したブリーダーは儲かったのだろうと思います。何しろ狆は日本唯一の愛玩犬種で、改良が行われた唯一の品種でもありました。(逆に言えば他の犬種は番犬とか猟犬とかで、品種改良してまで飼うものではなかったようです)

そういう次第で、浅草にもペットの店がありました。小鳥なども人気だったそうです。

今では浅草にペットショップが多いとは言えませんが、江戸時代には盛んだったようです。

やがて明治維新が起こり、売れていた狆が売れなくなったので、「狆屋」は狆を止めて料理屋になりました。

狆屋という一般名詞を商標にしていたくらいですから、狆屋業界を代表する店だったのだろうと想像しますが、変わり身は意外に早かったようです。

今日は、そもそもの話しでした。

追伸

「和牛」のお二人とdancyu植野編集長のテレビ番組に出演させていただきます。

『和牛の町×ごはん』BS日テレ 10月13日(火曜)21時~

追伸

「和牛」のお二人とdancyu植野編集長のテレビ番組に出演させていただきます。

『和牛の町×ごはん』BS日テレ 10月13日(火曜)21時~

追伸

「和牛」のお二人とdancyu植野編集長のテレビ番組に出演させていただきます。

『和牛の町×ごはん』BS日テレ 10月13日(火曜)21時~

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浅草の魅力

コロナで浅草が危機だ!

ということで有志の若い方が浅草の魅力をネットなどで発信してくれようとしています。そういう方の中には私の所へ取材に見える方もいます。ありたいことです。

そんなタイミングで池袋暴走事故の裁判が始まりました。

あの事故ではドライバーが元高級官僚で「上級国民」であることがポイントになってしまい、「上級VS下級」の構図が作られようとしています。不幸なことですね。

が、上級と下級が接することは、対立だけを産み出すのではなく、面白いものを産み出すこともあります。それが浅草だと私は思っています。典型的には永井荷風や高見順の文学作品が挙げられます。

思い起こしますと、太古の時代東京湾の海岸線は今よりずっと手前にあり、浅草辺りが隅田川の河口でした。そこに水運の拠点ができ、お寺も建立されました。江戸が未だない時の話しです。

太田道灌が江戸城を築城したのは15世紀のことでしたが、この時点でもまだ江戸と浅草は別の町だったと思われます。

江戸が大きく変わったのは、家康が入って来たからです。家康が秀吉から江戸を与えられた時点でも、江戸城のすぐ先には入江や湿地帯があったと言いますが、家康は天下を獲ると、首都・江戸の建設に邁進します。

で、やがて浅草は膨張してきた江戸に吸収されるわけです。元々江戸にはあんまり関わりがなかったのに、急に日本の首都の一部・「首都の端っこ」に成ってしまったわけです。これが浅草の運命であり特徴です。

隅田川は水運の動脈だったので、その岸に米蔵が建設されました。浅草と江戸の間の蔵前の辺りです。米は武士の給料でしたから、経済を扱う一大拠点が浅草の、すぐ南に来たのです。

要するに、浅草の人達の主体性とはあんまり関係なく、浅草は政治権力や経済力の中枢の、すぐ隣になってしまい、影響されるようになったのです。

浅草北方に吉原遊郭や歌舞伎座が移転してきたのも江戸幕府の政策の結果です。

明治時代に浅草六区が歓楽街になったのも政府の政策の結果です。明治政府は徳川方だった浅草寺の土地を強引に取り上げて、それを民間人に貸し、地代を財政の足しにしました。明治・大正・昭和の浅草全盛時代に、浅草の中でも特に賑やかだったのは六区ですが、その土地は、そのように開発されたのです。

このように、浅草は江戸の政治権力・経済力のすぐ傍に在ったので、歴史上常に権力サイドに左右されてきました。

そして権力サイド(「上級国民」)の中の酔狂な人が浅草へ入り込んできて、面白いことをしてくれました。

上級側には文化があるが、バイタリティーがない

下級側には文化はないが、バイタリティーがある

先に例として挙げた荷風や高見順の親は内務官僚でした。二人とも高学歴でしたが、官界からはスピンアウト。六区の踊り子のバイタリティーに惹きつけられて通って来ました。

川端康成も大の浅草ファンだった時期があり、「浅草紅団」という作品があります。(その後偉くなり過ぎて、浅草所縁というイメージではなくなりましたが)

戦後日本のバイタリティーを体現する人物と言えば松竹映画「寅さん」ですが、その寅さんこと渥美清は浅草芸人でした。そして寅さんが恋に落ちる「マドンナ」は、しばしば上級側の娘でした。学者志望の大学院生、画学生、殿様の末裔の娘・・・二人がデートする喫茶店にはクラシック音楽が流れていたります。

さてさて、浅草はこれからどういう町になって行くでしょうが。

「いかにもインバウンド狙い」の町にして良いわけもありませんが、別の方向が見えて来ているわけでもなく、試行錯誤が続きましょう。

追伸

「和牛」のお二人とdancyu植野編集長のテレビ番組に出演させていただきます。

『和牛の町×ごはん』BS日テレ 10月13日(火曜)21時~

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自分ごと

昨日の弊ブログでご紹介した「あさくさ食たび」は活動資金をクラウドファンディングで集めたことでも知られています。

最近浅草に拠点をかまえたWebデザイナー岩瀬友理さんという方が、コロナで苦境にある浅草の料理屋を支援したいという志を持って下さり→その資金集めをCFで行ったところ、見事50万円をゲット。それで実現に至ったというわけです。

で、私などの料理店主がオンラインで出演して、全国の皆様にアピールするわけですが、その編集方針も「観光するだけではない自分ごととしての食の旅」を感じられるように、ということで、結構なことだと思っています。

たしかにZOOM講演は、ずーっと対面しっ放し、顔が見えっ放し

なのがリアルとまったく違うところです。リアルに店に来ていただいた場合、ずーっと面と向かい合うことはないです。しかも、

・住吉さん自身の話し(15分)

も話せと仰います。その分お客様に覚えていただける反面、悪いことができないなあ・・・というのもありますね(笑)

ともあれ、結構な企画と思いますので、是非御視聴下さいませ。

詳細は、こちらです。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし本日は3.858目の投稿でした。引き続きご愛読を。

あさくさ食たび

10月26日の「あさくさ食たび」に出演させていただくことになりました。

「あさくさ食たび」とは、浅草の料理人がオンライン講義で、全国の皆様に「浅草の食の道案内」をするというもの。

浅草の飲食店の人間と直接つながれる、というのが「売り」だそうです。

ああ、ZOOMで2時間肉の話しを喋り倒せば良いのね、お易い御用ですとお引き受けしましたが、企画書の読んだら、

・住吉さん自身の話し(15分)

という謎の時間もあるようです。そんなの興味無いですよねえ(笑)

視聴ご希望の方は、こちらです。

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弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし本日は3.857目の投稿でした。引き続きご愛読を。

ミズマチ

最近開業した「ミズマチ」に行ってみました。

浅草からスカイツリーに向かう東武鉄道の高架下に出来た商業施設です。カフェやビアレストラン、物販店などが入っています。

6月18日にオープンしていたのですが、当時はまだ緊急事態が明けたばかり。その後は梅雨、猛暑、感染再拡大とせわしなかったので行けずにいました。

高架のすぐ脇には北十間川が流れていて、ネットで画像を視たら、川に面してテラス席があるようです。ようやく秋の気配がしてきたので、行ってみることにしました。

浅草からは、隅田川を渡る東武鉄橋の横に最近架けられた歩道を通ります。造作がシンプルで風もびゅうびゅう通るので高所が苦手な方は、このルートではなくスカイツリー側からアクセスした方が良いかもですね。

さて、着いてみますると、皆考えることは同じ、か。

せっかくテラス席があってコロナ的に良いとは言っても、猛暑の間は行く気になれません。涼しくなったから・・・という私と全く同じ考えで皆さんやって来たようでした。

混んでいるので、イタリアンのランチセットをサクっといただいて退散しました。

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台東館

最近毎週土曜日にBSテレビで「寅さんシリーズ」をやっているので視ていましたら、懐かしい浅草の場面がありました。寅さんが浅草六区の一角でテキ屋の営業をする場面なのですが、その前に浅草全体を俯瞰する映像が流れました。

その回はシリーズ第23作「翔んでる寅次郎」。

「マドンナ」が桃井かおりさん、恋敵が布施明さんで、1979年の作品なのですが、俯瞰の場面で浅草寺の向こうに産業貿易センターが大きく写っていました。

おや、産業貿易センターって、79年にもう出来ていたんだっけ?

と思って調べようとして、ネットで面白い記事をみつけました。

東京都立産業貿易センター台東館の公式ページに、「浅草と共に歩んで半世紀」と題して台東館の設立ヒストリーが連載されているのです。「秘話をまじえて」連載するとか。

8月19日にその①が公開されていますが、

「戦国の覇者、徳川家康が江戸幕府を開くはるか以前から、武蔵の国の浅草は、浅草台地(微高台)に築かれた浅草寺を中心に賑わいを見せていたようです。」

「浅草寺は『浅草寺縁起』等にみえる伝承によると628年の推古天皇36年に、2人の漁師の網にかかった聖観音像を地元の名士、土師中知(はじの なかとも)が自宅で本尊として祀ったのが始まりといわれています。この聖観音像は、2寸(約6㎝)にも満たない白黄色の像であるといわれていて、実物は、歴代ご住職も見たことがない秘仏中の秘仏。今も本堂の奥の厨子の中で神秘のベールに包まれて安置されています。すべての願いを叶えてくださるお寺として多くの参拝客を集め、現在では国内外から例年約3,000万人が訪れています。」

そ、そこまで遡らなくても・・・

①に「秘話」は無いような・・・

次回掲載は9月10日の予定で、「台東館の建設前の様子をお伝えします」と書いてありますので、楽しみにしましょう。

あ、「秘話」は未だでも開館した年は分かりました。

1969年に「東京都立産業会館台東館」という名称で開館、当時は日本最大の展示会場だったそうです。

私は1965年生まれで今年55歳ですが、同世代だったのですね。老朽化が心配です(笑)

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防災の日

例によって「浅草」といれてリアルタイム検索していたら、「防災の日」に関東大震災に関するツイートがちらほら見つかりました。

世間の話題は、コロナや総裁選ばかりかと思いきや昔のことに関心を寄せている人もいるのだなあと思いました。

浅草では9月1日は「十二階」が大破した日として記憶されています。

浅草2丁目にあった、通称「十二階」、正式には「凌雲閣(りょううんかく)」は当時最高の展望塔でした。今のスカイツリーのような観光名所ですね。それが地震で大破しました。

この時浅草寺は焼けなかったので、「十二階」の方が記憶に残ったのでした。(浅草寺が焼けたのは太平洋戦争の空襲です)

「十二階」が出来たのは、明治時代の東京でコレラが蔓延していたからです。

コレラを抑えるには、欧米の都市のように上下水道を整備しなければ・・・と考えた政府が衛生工学の技師として招聘したイギリス人のバルトンが「十二階」も設計したのです。

だからバルトンにとっては「十二階」の件は余技で、経歴を調べても「十二階」の件はわずかにしか触れられていないのですが、浅草の人達はバルトンと言えば「十二階」と記憶しています。

さらに申せば、バルトンを招聘した内務省の官僚・永井久一郎は、浅草放浪で有名だった作家・永井荷風の父です。ますます御縁があるので、バルトン=「十二階」=浅草と言いたいところですが、あくまでバルトンは水道をひくのが本業でした。

昨今のコロナ問題でも、何か「十二階」のような副産物がうまれたら面白いですね。

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