「カリスマ受け売り師・住吉史彦の生涯の半分くらい」六夜連続興業の大詰め=志を建てる 

  お届け致しておりますのは、題して、

  ブログ連続更新365日記念スペシャル

 「カリスマ受け売り師・住吉史彦の生涯の半分くらい」

  六夜連続興業の大詰め=志を建てる 

  平成17年(2005年)頃=弊店創業125周年の頃から、BSE問題も一段落したように思います。また小泉改革で、景気もやや上昇しました。この頃から、少し自分なりの活動ができるようになったと思います。

 この当時、すき焼きについてまとまった本がないことを残念に思っていた私が、どなたか高名な方が、すき焼きのことを書いて下さらないかなあ、と思っていたところ、それを聞いて下さったのが向笠千恵子先生でした。創業125周年記念で、向笠先生に書いていただくことにしました。

 その文が最初発表されたのは、雑誌「百味」の連載『すき焼き ものがたり』で、 さらに、この連載が、その後加筆・修整されて、平凡社新書『すき焼き通』としてまとめられました。それが、平成20年10月15日のことです。すき焼きについての、たぶん唯一の単行本が、この御本です。

 そしてさらにさらに、この御本の、出版のお祝いの会を私の店「ちんや」で開いたことが、すき焼き屋とすき焼き愛好家のグループ「すきや連」の発足へとつながっていきます。

  このお祝いの会の時、初めて全国からすき焼き屋さんが集結し、せっかく面識が出来たのだから、1回コッキリで終わらせるのは、mottai-nai。「すき焼きを味わいながら、日本の食文化を語り合う会をつくりたい」との話しが期せずして盛り上がり、「すきや連」が発足しました。

  その後「すきや連」の活動は順調以上で、毎回定員オーバーで現在に至っています。 以上が「すき焼き通」と「すきや連」の由来で、こうした活動のために、私はこの五年間を過ごしてきました。あっ、と言う間に過ぎたような気がします。世は不景気ですが、こうした活動で、すき焼き業界に少しでも良いことがあれば、と思っています。

 このように「すきや連」活動をしたことで、私には良い出会いがありました。「すきや連」には、すき焼き屋だけでなく、全国から向笠千恵子先生が認めた、素材や調味料の生産者の方が見えています。

 皆さん、志をもって、昔ながらの仕事・手間のかかる仕事・安全な食品づくりを守っておられる方々でした。そういう方々と直に接することができ、感心することが多く、本当に勉強になりました。それが、この時期の収穫でした。

 同じ頃、私は別の場所でも、志を持つことの大事さを教わりました。それは、二条彪先生の「台東区若手経営者サポートセミナー」です。

  二条先生は、ご自分が親から継いだ会社を破綻させた経験を踏まえ、悩める後継者社長を一人でも多く救おう、と熱い心で経営論を講じておられる方です。

  教わったことは、

  志=自分が社業を通じて、どのように世の中の御役にたつか、

  あるいは、どのようにお客様に喜んでいただくか、

を常に、全ての仕事の中心に置くように!ということでした。

  マーケテイングも人事も、その他のことも、何か判断する時は、その原点を忘れないように!と教わりました。利益を先んじて考えてはいけない。「三方良し」の精神を持て、とも教わりました。

  また同じセミナーに来ている、若い経営者の方々が、皆さん、立派にやっておられるのを見て、大変刺激を受けました。

  自分が、本当に、どのようにしたら、世の中の御役にたつか、ようやく、突っ込んで考えたのは、この時期だったと思います。全く、遅いですよね。でも、まあ手遅れとまではヒドくないと思いますけどね。

  さてさて、この稿は既にだいぶ長くなっていますが、今日中にこの話しを終わらせないといけないので、まだまだ続きます。

  そこで、飽きてしまった方のために、秀才君で趣味人の私から、知的なジョークを飛ばしておきましょう。

  JSバッハと言えば「音楽の父」ですが、そのバッハが笑いました・・・

  ばっはっは。

  もとい。

  今、私が是非社業すなわち、すき焼きを通じてやりたい、と念願していることは、

  すき焼きで、ニッポンのご家族の絆を深めること、です。

   すき焼きには必ずそれができる。そうした、ご家族の思い出の中で商売をさせていただけたら良いな、と考えています。

  過度期の私は「高級飲食店と言えば、やはり御接待だろう」「一流企業に使ってもらえるようにせねば・・・」などと考えていましたが、心底から、そう念願していたわけではないので、何をしてもイマイチでした。

  でも今は、ここに書いた志に沿っていけば、仕事に方向性が出来るので、だいぶやりやすくなりました。

  その代表例が、昨年9月に開設した「ちんや」創業130年記念ホームページです。このサイト上で「世界に一つだけの すき焼き思い出ストーリー」の募集を始めました。多数のご投稿をいただきましたが、思った通り、ご家族の絆に関するお話しが、圧倒的に多かったですね。

  「ちんやメンバーズ・カード記念日割引」を導入したのも、当然同じ方向性です。「記念日割引」の対象になる記念日として、結婚記念日が多く登録されたのは嬉しいことでした。結婚は家族の原点ですから、そういう記念日に、今後も「ちんや」を是非お使いいただきたいものです。

  「食育」活動も進めていますが、「ちんや」の「食育」は他店と少し毛色が違います。

  親御さん、つまり大人を「食育」して、その親御さんが自分のお子さんに、その知識を「食育」する、というのが、「ちんや」の方向性です。店の人間が直にお子さんを教えることも致しますが、できれば、親⇒子が理想です。

  やはり、昨年スタートさせた「ちんや すき焼き通検定」に合格した大人の方が、後日お子さんを連れて、来店して下さっていますが、それもまた嬉しいことでした。

  「すき焼き通検定」の合格者は、自動的に「メンバーズ・カード」に入っていただくので、これにより自動的に「記念日割引」を登録することになります。ですから検定合格者の方は、自然と、そうしたご家族の記念日に「ちんや」へ来て下さいます。そして、店内で食事をしながら、お子さんにあれこれ、すき焼きのことを「食育」なさっています。

  検定に合格しているのですから、自信を持って「食育」できますよね。こうして味覚や食に関する知識が親から子へ継承されます。

  「前から ずっと食べてきた、

  そして孫にも食べさせたい、

  安心、うまい、もたれない、「ちんや」の御肉」

  これこそが、今私が考えている、理想形です。これを目指して邁進いたしますことを、あらためて、この場にてお誓い申します。

  さて、こうして六夜おつきあいいただくことで、ようやっと、今の私に辿り着いていただきました。

  え? 標題の「カリスマ受け売り師」の説明がないぞ って?

  そうでした!! でも、勘の良い方はわかっておいでですよね。

  「受け売り」っていうのは、このブログのことです。

  自分の理想・自分のやりたいことを、皆さんにお話しするべく、ちょうど1年前に、このブログをスタートさせました。

  ブログを書くためには、一部自分がこの眼で見ていないことも書くようになります。店を構えて営業していますので、普通の方と比べて、外出が自由ではなく、文字学問・耳学問を基に書くことになります。

  そうして書いた文であっても、願わくば、読者の皆さんの心に届いて欲しい、

  それが出来たら「カリスマ」だよね!

  そうです、ブロガーとして目指すところを、「カリスマ受け売り師」とさせていただくことに致した次第です。

  そうかい、わかったけど、長いぞ! 他のブログも読まなきゃいけないんだぞ って?

  そうでしたか。お後がよろしいようですので、それでは、これにて。

  皆様、にぎにぎしく御見物、誠に有り難う存じました。

追伸

 3/13(日)実施予定の、「ちんや すき焼き通検定」の、受験申込みの受付を、2/16より開始しました。詳しくは、こちらをご覧下さい。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて365日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 「ちんや」創業130年記念サイトは、こちらです。「すき焼き思い出ストーリー」の投稿を募集しています。

 Twitterもやってます。こちらでつぶやいています。

「カリスマ受け売り師・住吉史彦の生涯の半分くらい」六夜連続興業の内の第五夜=戦時下

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 「カリスマ受け売り師・住吉史彦の生涯の半分くらい」

 六夜連続興業の内の第五夜=戦時下

 私が「ちんや」の社長に就任しましたのは、平成13年(2001年)8月のことです。

 その翌月に、日本で初めて、BSEの問題が勃発しました。弊店の売上は半分に成りました。当時は景気も悪い頃でしたので、ヒジョーに辛い状況に、イキナリ突入しました。

 弊店の売上が減っただけでなく、突然「食の安全」がおびやさかれた結果、日本中が、軽いパニック状態になりました。その後、今日に至るまで、次々にいろいろな食品の安全性が問い正されるようになり、法律や制度、表示の仕方が次々に変わり続けてきました。そうした、食の世界の激動期の入り口が、この、平成13年のBSE問題でした。

 でも当時は、そこまでの事が起こるとは、まだ想像しておらず、なにしろ、売上が半分に成ったことで、弱ってしまいました。

 この同じ9月に、アメリカではアルカイーダの同時多発テロがありました。そう、9.11の事件です。

 この時ブッシュ大統領は声明を出し、

 ・これはテロリストとの戦争だ。

 ・テロリストを必ず捕らえて裁きに掛ける。

 ・テロリストとは交渉しない、と宣言しました。

 この内の、特に3番目はその後に外交上のネックとなり、アメリカが世界の中で、孤立する遠因になっていくわけですが、この当時、そんなことは思いません。むしろ大統領は支持率90%以上という、国民の強い支持を得ましたね。

 同じ頃、やはり戦時下のような、苦しい状況にあった私は、これを見て考えました。

 マネしよう! そこで店の連中を集めて宣言したのが、

 ・皆さんをクビにはしない。

 ・必要以上に「ウチの肉は安全です」「安全です」「安全です」と言うな。

 ・値下げはしないぞ。

 ・足元を見て、値下げを要求してきた客は殴れ。

 結果、私も戦時下大統領と成りました。ブッシュさんは、その後サンザンだったようですが、私はかなりスッキリしました。勿論、経済的には非常に苦労しましたが、気持ちが晴れました。

 その後、今日に至るまで、食の世界は激動の時代が続き、それにいちいち対応することに忙殺されてしまったのは、残念なことでした。

  BSE以外にも、いろいろありました。思いおこせば、O-157、強毒性鳥インフルエンザ、口蹄疫、中国製毒ギョーザ、事故米転用事件、食品添加物、個体識別、偽装表示・・・・・そんな話題ばかりでしたね。

 私の30歳代後半は、丁度そうした時期に当たりました。結果、しっかり後継者としての、地歩を固めることが、疎かだったと言えると思いますが、三途の河を見物できたのは、貴重な体験でした。

  明日は、いよいよ大詰め、少しは進歩します。

追伸

 3/13(日)実施予定の、「ちんや すき焼き通検定」の、受験申込みの受付を、2/16より開始しました。詳しくは、こちらをご覧下さい。

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「カリスマ受け売り師・住吉史彦の生涯の半分くらい」六夜連続興業の内の第四夜=過度期を渡る②

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「カリスマ受け売り師・住吉史彦の生涯の半分くらい」

 六夜連続興業の内の第四夜=過度期を渡る②

  30歳の時に、実家の「ちんや」へ入りました。

 髙島屋時代に、店舗の運営の様子は見聞きしましたので、カルチャーショック的なことはありませんでしたが、それでも人並みの「後継者の悩み」はありました。時代の変化にあわせて、いろいろなことを変えないといけないのに、後継者の社内的な位置は結局ハンパで、それを進めていくのが、いちいち簡単でありません。

 現在の、昭和50年竣工のビルが出来た時に決めたルールが、この時もまだ、だいぶ生きていました。そのビルを建てた父が社長ですし、店の人間は、ほぼ全員が年上でした。社長の息子が入ったから、といって簡単に仕事の仕方を変えたくないのは、当然ですよね。

 だから、当事は、新しく始める事業を中心に仕事をしていたと思います。例えば、ホームページを、創業120年の時、今から11年前に開設しました。単独の飲食店がホームページを持つのは、まだ珍しかったと思います。それだけで感心されたのですから、「今は昔」ですよね。勿論、SNSも無く、SEO対策すら始まっていない頃の話しです。

 店の調度品として開化絵を買ったのは、この頃です。また店で使う器も変えました。バブル時代に日本人は、趣味の良い器を使うことを覚えましたから、「ちんや」の器も変えないといけません。美術部時代に培った「見る眼」を活かして、器や調度品を趣味の良い物に変えてみたりしました。

 でも、せっかくの趣味の良い器も、古くからあるチープなものと混在すると素晴らしく見えません。統一感が無いからです。このように、以前からあるものを残しつつ、一部を変える、といのは成果が出にくいものです。お約束の、親子間の意見の不一致も少々ありました。

 後に「国際後継者フォーラム」の二条彪先生のことを知り、先生の所に悩みを相談にきている、後継者の方々の話しをいろいろと聞かせていただきました。その事例に比べたら、ウチなどは可愛い口なのですが、やはり、気楽でないのが、この過度期の時期だったと思います。

 そんな調子で経営の腕前は、さほど向上しない中、息抜きの腕前だけは進歩しました。地元や業界の、各種の団体に顔を出すようになったからです。親子二世代で経営に当たっているわけですから、どちらかが店を抜け出すのが比較的容易です。いわゆる「おつきあい」が多くなりました。

 「おつきあい」はムダと言えばムダではありますが、後に自分が、いろいろと企画を立てた時には、参加・協力してくださる仲間になってくれました。また、この頃結婚などということをして披露宴なるものをした時も、参列者のメンツがそれなりに寂しくなかったのは、やはり「おつきあい」の成果です。

 また、冗談を連発できないと、こうした、つきあいの場が盛り上がりませんから、冗談メーキングのトレーニングになりました。もちろん、散財もいたしますから、「程度問題」ではありますが、「おつきあい」は必要悪と申せましょう。

 私の30歳代前半は、こんな調子で過ぎました。第四夜はこれにて。

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「カリスマ受け売り師・住吉史彦の生涯の半分くらい」六夜連続興業の内の第三夜=過度期を渡る①

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 六夜連続興業の内の第三夜=過度期を渡る①

 それなりに趣味を楽しみ、成績表にそれなりの数のAを並べ、白井厚先生に卒業論文も出し、大学をごく順当に卒業した私は、百貨店の株式会社高島屋に就職し、食料品売場に配属となりました。昭和の最後の年・63年のことです。

 バブルだったので、就活が楽だったのは良かったのですが、その中で働くとなると今度は大変です。当事大変景気が良かったので、利益を出した企業が、中元・歳暮の大量注文を出しました。予想を上まわる受注が来るのは、良いことではありますが、その商品を実際に梱包して配送するのは、人間の仕事ですから大変です。

 食料品のギフト担当だった私は、その梱包作業のため、中元・歳暮シーズン中は連日深夜まで、配送センターで働きました。体力勝負の現場でしたね。

 昨日までの、このブログを読まれた方は、こうした現場のガテン仕事を、秀才君で趣味人志願の、私が平気でこなしたことを不思議に思うかもしれません。でも、以外とできたのです、結果的には。

 現場に入ることの大事さ・汗を流すことの尊さについては、誰か特定の人や、特定の本に影響されたわけではありません。しかし、いつの間にか、それが当然と考えてたのですから、実は、イヤなヤツに見えて、まっとうな教育を受けていたのだと言えるかもしれません。

 この時期より前に、そういうことをしなかったのは、たまたま実行する機会が無かっただけかもしれません。だから、この時期に経験したことは、まわり道に見えて、意味はあったと思っています。

 このような、食料品の現場経験の後、同じ社内で5年間ほどですが、私の人生では間奏曲のような時間がありました。

 それは美術部勤務。高名な作家先生の、絵や工芸品を販売する仕事です。5年間の後半には、展覧会準備の段取りをまかせていただくこともありました。当事高島屋がニューヨークに開設していた、ギャラリーでの展覧会を準備するため、出張したことは良い思い出です。勤務以外の、空いた時間にも相当数の展覧会を観ました。

 でも、これは趣味人路線の復活ではありません。仕事として美術に取り組む作家さんや、同じく仕事として美術品の販売に取り組む人を、間近に見たことは有益でした。趣味人路線の復活どころか、ハンパな気持ちで、美術や音楽に接してはいけない、ということがわかったのは、良かったと、思っています。

 趣味人にならなかったことが、後の、受け売り活動では、ひとつのポイントになってきます。

 さて、この時点で私は、もう30歳になっていました。貴重な時間を過ごした、とは言うものの、あまり廻り道もしていられません。そろそろ「ちんや」が気になってきた所で、第三夜は終了です。

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「カリスマ受け売り師・住吉史彦の生涯の半分くらい」六夜連続興業の内の第二夜=趣味人志望

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「カリスマ受け売り師・住吉史彦の生涯の半分くらい」

 六夜連続興業の内の第二夜=趣味人志望

 本稿は、おおよそ事実に基づいて再構成したものです。

 序夜の下克上活動の結果、私は慶應中等部に受かりました。この中学校の気風が、この時期の私に大きな影響を与えるようになっていきます。

 ご存じの方も多いと思いますが、慶應中等部に入りますと⇒慶應高校⇒慶應大学と進学することができます。いわゆるエスカレーター式ですね。だから、本業の勉強の他に、スポーツをしたり趣味を持つようになる子が多いです。

 特にスポーツつまり「体育会」は有名で、慶應でスポーツを経験した人が、日本の実業界で重要な地位を占めていることは良く知られていますね。

 私の場合、スポーツよりは趣味でした。先生方の中にも、本業の教職以外に、いろいろと幅広い活動をしている方がいらして、影響を受けました。

  こうした気風ですので、生徒の気ままな行動にも、自然と寛容だったように思います。当時の級友と集まれば、今でも、この頃の昔話し=たいていはイタズラをしたこと、ばかりを話します。ノンビリとしたもので、友達もできました。

 私は楽器を始める一方、今はもう使わなくなった、8mmフィルムで学校の行事を録画する部活をしていました。

 激しいスポーツは、どうしても体力を消耗しますので、体育会組は、授業中は、たいてい寝ていましたが、私は起きてノートと取っていたので、皆にコピーさせてあげました。

 基本が全員進学ですので、人を蹴落とす意味はありません。寛容にコピーさせてあげました。もちろん鉛筆バシン!作戦は無し、です。

 そういう時間が、高校・大学と続いていき、大学の時には、ウイーンの、かのムジークフェラインザールで、オーケストラの一員としてチェロを演奏する、という得がたい経験もしました。

 素人が天下のウイーン・フィルの本拠地で弾くなど、自らを省みない、不遜な話しですよね。でも、バブルだったせいもあり、実現してしまいました。

 バブルだったので、就活も、今とは比べ物にならない位、楽でした。

 結果当然生じてくる、自信過剰=本業と趣味は楽勝で両立できる!は後ほど修正されねばなりませんでした。

  随分、イヤな子が成長したものです。二夜お読みになって、吐きそうになった方がおいでかもしれませんね。

 私が、人格についてお褒めいただくようになるには、まだ先のことです。この365日記念スペシャルは、六夜続きますので、ご気分を直して、おつきあい願います。

 第二夜は、これにて。

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「カリスマ受け売り師・住吉史彦の生涯の半分くらい」六夜連続興業の内の序夜=秀才君の誕生

 日差しがなにやら春めいてきましたが、そんな中、弊ブログは連続更新365日へ向けてカウントダウンに入ります。

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「カリスマ受け売り師・住吉史彦の生涯の半分くらい」

 六夜連続興業の内の序夜=秀才君の誕生

 本稿は、おおよそ事実に基づいて再構成したものです。

 歌舞伎台本のように見えるかもしれませんが、違いますので、「成田屋!!」等の掛け声は、辞退させていただきます。さて、それでは序夜を開けさせていただきます・・・

  幼稚園から小学校低学年の、男子児童の社会は競争社会です。勢力のある子は上位のポジションを獲り、失敗した子は下位に甘んじないといけません。元気の良い子や声の大きな子が勢力を得て、上位グループを形成します。一方、その逆の子が下位となります。

 その下位グループに入りそうになったところから、私の人生が始まった、と言って良いと思います。うっかりするとイジメられていたかもしれません。

 そうならなかったのは、子供の気質が今ほど荒んでいなかったからかもしれませんし、あるいは、私の家が「ちんや」を経営している事を知った、上位児童の親御さんが、イジメを抑えこんでいたからかもしれません。

 でも、イジメられなくても、下位は下位です。そのことが悔しかった私は下克上活動を始めました。それは小学校1年には始まっていたと記憶しています。

 速く走ったり、遠くへボールを投げたりすることは不得意だった私ですが、別の体力=一晩中集中して勉強する体力がありました。また、もう一つの別の体力=全く風邪をひかない体力つまり抵抗力もありました。

 風邪をひいて学校を欠席すれば勉強が遅れてしまいますが、私は無遅刻無欠席だっただけではなく、厳寒の真冬でも半ズボンで登校し、それでも全く病気にかかりませんでした。これを、下克上に活かさない手はないですね。

 当事、小学校2年か3年の頃には、既に勉強のできる子とできない子の差がついてきたと思います。今より勉強のペースが速かったからです。当然私はできる子グループ入りしました。

  しかし、できる子グループ入りしたことで満足する私ではありません。目的は下克上ですから、できない子をさらに蹴落とさないといけません。テストは100点を獲るだけでは勝利と言えないのです。

 そのために実行したのが、鉛筆バシン!作戦です。

 テスト開始と同時に、疾風のように回答を済ませ、見直しも済ませた私は、

勢い良く鉛筆をバシン!と机に打ち付け、そして、ふー!と大きな息をつくことにしました。そのバシン!と ふー!が教室中に響くのが恒例でした。

 住吉は、もうできたのか・・・

 これにより、できない子グループが総崩れになるのは勿論ですが、できる子でも、点数を落とした子がいただろうと思います。

 今思えば、申し訳ないことしたものです。

 勉強の結果、慶應中等部に受かったのに、ヒーローという感じではなく、今ひとつ人望が無かったのは、この鉛筆バシン!作戦のせいなのかなと思います。

  私の人生は、こういう状況からスタートしました。私が、人格についてお褒めいただくようになるには、相当先のことです。この365日記念スペシャルは、六夜続きますので、おヒマでしたら、おつきあい願います。

 序夜は、これにて。

追伸

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新鮮なのが、お好き

  1/30に実施した、第1回「ちんや すき焼き通検定」に合格した方から予約が入りました。ご結婚1周年で、両家のご両親と食事されるとか。

 有り難うございます!&おめでとうございます!さて、

 日本人は、なにしろ新鮮なものが好きだよね、という人がたまにいます。

 そうでしょうか?

 たしかに魚介類を生食するのが、日本の食文化の特徴ではあります。しかし醗酵させたり熟成させたりした食品も、もう一つの、日本の食文化であります。

 たとえば醤油・味噌・納豆・日本酒なども日本の食文化の代表ですが、新鮮さとは対極ですよね。寿司も、今現在は生魚を使う寿司が主流ですが、かつては醗酵食品でしたよね。

 醗酵以外にも、熟成の食文化もあります。有名なところでは、沖縄の泡盛の「しつぎ」があります。また超高級な料亭さんで、吸い物の出汁をひくために使う昆布も熟成させたものです。数年とかそれ以上の年月寝かせてから使うそうです。

 そうです。本来、日本人はなにしろ新鮮なものが好き、とは言いがたいのです。

 でも近年「醗酵・熟成」陣営の旗色があまり良くないのも事実です。

 なぜって、醗酵を簡略化させる技術が、どんどん出来ているからです。醤油も味噌も納豆も日本酒も酢も味醂も、速醸が可能になりました。経済的な利便性を追求した結果ですね。

 自然に醗酵をさせていないもの=速醸ものは、どうしてもやはり味が落ちるものですが、日本人は、それを受け入れてしまいました。結果、おいしくないのだから、「なにしろ醗酵食品が好き」という感情を持ちにくくなったのは当然です。

 かたや、冷蔵流通ルートが確立した結果、生魚は確実においしくなりました。一方はおいしくなり、一方はマズくなったわけです。私が「旗色があまり良くない」と申す理由は、そこです。

 「日本人は、なにしろ新鮮なものが好きだよね」と見えるのは、その結果なのかもしれません。日本人が、新鮮さ以外の価値観や味わいを重んじなくなって来ているように見えます。

 でも、ちゃんと時間をかけた食べ物はゼッタイにおいしいです。

 先日、つくば市の蔵元「浦里酒造」さんの三年古酒(=日本酒の古酒)を、弊店のすき焼きとあわせたところ・・・

 合いました!

 私は従来、すき焼きと最も合う酒は、日本酒の古酒ではないかと考えています。熟成肉と熟成酒だから、当然かもしれません。

 今、私は、日本の飲食の場面で「熟成」がもっと重視されるようにしたいと考えております。

 「年代物の古酒と、すき焼き」なんていうイベントも考えていきたいと夢想しています。

 さんざん酔っぱらっても、この組み合わせの妙は、堪能できると思いますよ。

 すごく、私向きかと・・・

追伸

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夫婦で旅を

  先週末、高額のメニューを召し上がった女性が「ちんやメンバーズカード」に入会されました。申込書を拝見すると、「記念日割引」の対象になる記念日は創立記念日。肩書はと言うと・・・

 おお、女社長様。創立記念日に全社員で、すき焼き宴会なんて最高ですよね。今後もご散財をお願い申し上げます。さて、

 3月に京都「三嶋亭」さんで、第八回「すきや連」を開催します。これまでの七回は東京と横浜で開催してまいりまして、今回が初の京都進出です。

  そういうことで、初の遠征ですので、

 関東の人がどのくらい参加してくれるだろう、

 「三嶋亭」さんには50人収容の大きい宴会場があるのに、参加者が20人とか25人とかだったら、カッコ悪いなあ、そうなったら「三嶋亭」のM社長に対して面目ないなあ、と思っておりましたが、結果は・・・

  定員オーバー!!

  2/21の締め切り日を待たずに、大広間はいっぱいとなり、今後、出遅れたお申し込みが来た場合、旗振り役兼事務局長の私は、それを断らないといけません。嬉しい悲鳴です。

  で、遠征にも関わらず、定員オーバーと成った理由ですが、それは、夫婦お揃いでのご参加が何組かあったからです。

  これまで「ちんや」を含めた、関東の店で開催した時は、そういう例はありませんでした。現社長のお父上と後継者のご子息が二人で、つまり男二人で参加なさる、というケースはありましたが、夫婦二人で、というのはありませんでした。

  それが「京都で」となった途端、私の所へ、遠慮がちな電話がかかってくるようになりました、

 「混んでいるようなら諦めますけど、ヨメを連れて行っても構わないでしょうか?」

 「ウチのワイフが、連れて行けって申しますんですけど、大丈夫でしょうか?」

  やはり京都という磁場が旅情を誘うんですねえ。

  浅草で開催した時は、そういうことがゼンゼン無かったのが、かなり悔しいです。浅草も国際観光地であって、「来街者数で京都をぬくぞ!!」と、この辺りの皆さんは鼻息が荒いのですが、「夫婦度」という点では完敗していることが分かりました。

  今後は、そういう観点で、浅草の街のことを考えてみないといけないかもしれません。幸い、「ちんやメンバーズ・カード」に「記念日」として、ご結婚記念日を登録されている会員さんが増えてきました。

  夫婦の記念日に、二人で浅草へ!となったら良いですね。

  それで、住吉はどうするんだって?

  そりゃあ、ウチのヨメは断りましたよ。だって定員オーバーですから。

  何の問題も在りませんよ、言うまでも無く、勿論、全く。

追伸

 3/13(日)実施予定の、「ちんや すき焼き通検定」の、受験申込みの受付を、2/16より開始しました。詳しくは、こちらをご覧下さい。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて358日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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Filed under: すきや連,ぼやき部屋,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

地場産業

 先日、小学校のPTAの方が「ちんやメンバーズカード」に入会されました。記念日は「子供の入学式の日」。ほお、そういう記念日がありましたか。

 記念日割引を使って、PTAと先生方の歓送迎会を「ちんや」でして下さるとか。有り難いですね。さて、

 2/17に東京商工会議所台東支部の評議員会に出席しました。

 商議所ですから、いろいろな業種の社長さん達が一同に会しておられましたが、歴然としていたことがあります。それは、

・観光関係の社長さん達の、鼻息の荒さ

⇒スカイツリーとパンダで、イヤでも客が来るぞ、どうしよう!!

・一方、地場産業関係の社長さん達の、景気の悪さ

⇒市場規模がピーク時の3分の1になった・・・

 廃業が多く、企業数がピーク時の6割になった・・・

 生産現場が丸ごと中国に移転して、国内は空洞化したが、そうしたら今度はインドやベトナムに追い上げられはじめた・・・とか。3番目は景気と言うよりは、経済構造の変化ですが、いやはや、大変なことです。

 弊社は観光業界に身を置いていますので、当然、鼻息の荒い方に入るのが普通かもしれませんが、私個人の気分は、どうも違います。

 そもそも私は、地域の方々にすき焼きを召し上がっていただきたいと思っています。それも、できれば親子・孫・曾孫と代々、ご家族お揃いで、お越しいただきたいと思っています。

 正月・お彼岸・花見・祭り・花火・お盆・そしてまた秋のお彼岸。お孫さんの誕生日。お爺ちゃんの還暦。そういうご家族の思い出の中で商売をさせていただくのが、私の理想形です。

 そういう風に使って下さる方々と言えば、地域の地場産業の方々ですよね。

 だから、どうも私の気分は、景気の悪い皆さんの気分に添ってしまいます。

 ご観光の方も、勿論大事ですが、そういう方は今時たいていネット経由です。浅草へ行った経験のない中で店を探すわけですから、ネットのランキングなどを調べて見えているのだと思います。

 味を表現できない、ネット情報に基づいて行動しておいでの方には、ご満足いただけない場合が当然あります。その点が、お爺ちゃんが「ちんや」が好きで、自分も2才の時から来ている、という方とは、どうしても違います。

 だから、私は地場産業の再興を心より祈念しております。

 あ、でも、ネットはネットでも、このブログを読んで見えた方は別ですよ。

 ブログ読んで来ました!とか、できれば、

 毎日読んでます!とかいう方に来ていただくのは、それはそれで、私の理想形の商売です、ハイ。

 そういう方、是非是非お声かけ下さい。

追伸

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Filed under: ぼやき部屋,浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

熊しゃぶ②

 2/18は浅草雷門横丁一斉清掃の日なので出動しました。気温はわりあい高いものの、おりからの強風が体感温度を下げてくれました。

 寒いのは着込めば何とかなりますが、こういう時、下手に力を入れて掃除すると筋肉がツるのが困ります。

 え?夏場でも筋肉がツるって、このブログに書いてあったぞって?

 ああ、そう言えば、そうでした。

 さて、少し前の話しになりますが、国際観光日本レストラン協会の例会で「比良山荘」に行きました。

「比良山荘」は、京都駅から車で約1時間、京都郊外の山中なのですが、雪が積もっていて、山里の澄んだ空気が最高でした。

 その件は、このブログの2/10号に書きましたが、書きもらしたことが一つ。それは御料理(=熊しゃぶでした。)の配膳の仕方です。

 配膳の仕方は、今時珍しい箱膳でした。人間の膝の高さ位の、背丈の低い箱膳を畳の上に置いて、それを机として使います。

 人の座り方は、座椅子と座布団です。この日の同行者は12人でしたが、中には年配の方もおいでで、座ると御み足が痛むとかで、腰掛を注文していました。

 腰掛を使えば、足が痛むことはないのですが、上体の位置が、元々低い箱膳からさらに上へと離れてしまい、食べにくいです。

 同席した横浜の「九つ井」のS社長も、

「ここは山中だから、これはこれで風情があってOKだけど、場所がウチだったら苦情言われちゃうかもなあ。最近は座れないお客様が多いから、リクエストされるのは、ウチの場合、イス席ばっかりですよ。」

 そうなんです。「ちんや」でもリクエストされるのは、イス席ばっかりです。気持ちとしては、伝統的な日本式の風情を保ちたいのですが、高齢化という現実との調和に苦しみますね。

 それで「ちんや」の対応としては、元々和室だったところに、絨毯を敷き、その上にイスとテーブルを載せています。和洋式と申しますか、風情だけは残して洋式にしています。(純和室も、まだありますが)

 宴会だけは、和式=畳の方がダンゼン盛り上がると思います。イスに座っていたのでは「お食事会」という感じで「ニッポンの宴会」という感じがしませんからね。だから宴会場は依然、和式でして、その場所を入れ込み営業にも使います。(その場合は「大広間」と称しています)

 また靴を脱ぐ、という方式は「ちんや」の場合、どうしても残していきたいところです。なんと言っても、その方が寛げますのでね。

 でも趨勢としては、洋式化でしょう。ただ洋の道具を使うにしても、和の風情は残し、素材選びやデザインの美意識は、日本人の感性から外れないようにしたいところです。

 そういう観点で、状況に応じて、歴代の店主が判断して改装していくよりないでしょうが、その為には、判断する当人の眼が大事ですね。

 そう、大事なのは眼の保養です。

 ヘンなこと想像しないで下さいよ。絵とか、工芸品とか、そういうのを観るってことです。あと、綺麗なお着物も。

 こら!やっぱりヘンなことじゃなかって?

追伸

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