祝祭音楽劇!

台東区アートアドバイザーとして応援している演劇「おこめ」を観てきました。

演じるのは劇団「砂の上の企画」さん。これまでも通常の劇場では味わえない演劇体験にこだわってきた劇団です。

で、今回の会場は元々グランドキャバレーだった、根岸の「東京キネマ倶楽部」です。足を踏み入れますと、3階建ての客席から舞台を見下ろせる贅沢な空間。調度品も昭和ラグジュアリーっていう感じ。

そして、なんと、劇に食事がついています。開演1時間前から入場できて食事が食べられるのです。

作品からインスピレーションを受けて考案されたという特別メニューが用意されていて、食材は、齋藤農園さん・根岸の有名な豆腐料理店「笹乃雪」さん・「三種町森岳じゅんさいの里活性化協議会」さんが協賛していました。結構なことです。

酒も出ます。これまた実に結構。

え? そんなことより演劇の内容を書け って?

ああ、そうでした。

「おこめ」というのは、女の子の名前です。

秋田のコメ農家の娘として生まれ、様々な苦難に遭遇しながら昭和を走り抜けた「おこめ」の波乱万丈の人生が描かれます。

生バンドが昭和の名曲を演奏し、俳優も奏で・歌い・踊る祝祭音楽劇!

「おこめとぐ音、生きる音。あなたと食べたい、食卓のファンタジー!」という説明を読んで良く分からなければ、公演を是非ご覧ください。

本日8/31(日)まで。

パワーを貰えますよ。大道具はほぼ無しで、しかし小道具には懲りまくったところも面白いです。

追伸、

誠に勝手ながら、「ちんや」は9/1(月)~9/4(木)まで4連休をさせていただきます。ご諒承下さいませ。

このブログは予約投稿により、休まず更新して参ります。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.645日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: 浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

顔がいのち

「人形は顔がいのち」の「吉德」さんの、新本社屋が完成し、お披露目会がありましたので、出かけてまいりました。

「吉德」さんは1711年(正徳元年)のご創業、現在地から全く動くことなく商いを続けて来られたそうですが、建物はかわっています。

関東大震災と東京大空襲で二度焼失したのは「ちんや」と同じですが、その後1960年代にも隣家の火事が燃え移って建て替え。それが、これまでの店舗でした。

2011年の大震災の後、その建物の建て替えに着手、このたび竣工を迎えたそうです。目出度いです。

建物の構えは現代的であるものの、和風の要素を取り入れた感じ。売り場は広々。

また4階には、先々代が昭和初期から集めた「吉德これくしょん」の展示室が新設されました。

同業の「久月」さんと一緒に展示を拝見していたら学芸員さんを紹介して下さり、嬉しい解説付きの見物となりました。日本の人形って美しいもんです。せっかくの機会ですので、

日本の人形工芸の全盛期って、いつだと思われますか?

と質問いたしましたら、意外にも、

大正から昭和初期でしょう!

というご返事でした。

当時は職人の数も多くて、対する買い手も多く、技芸としても西洋文明の影響を採り入れて最高レベルにあった、と言えるのだそうです。

うーむ。

そう言えば、建築とか庭とかも、この時期のものに良いものがありますし、今に続く料亭さんにも、その頃創業したところが多いです。

大正から昭和って、日本人にモノを見る目があった時代なんですねえ。

勉強になりました。

なお一般公開は、9月15日(月) 9:30からです。

追伸、

誠に勝手ながら、「ちんや」は9/1(月)~9/4(木)まで4連休をさせていただきます。ご諒承下さいませ。

このブログは予約投稿により、休まず更新して参ります。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.644日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: 浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

続く えにし

秋の「ご縁づくりキャンペーン」のテーマを「続く えにし」にしました。

この期間(9/13~9/28)に「ちんやメンバーズカード」に入会し、なおかつ御自分の記念日として、故人の命日を登録なさった方は入会金が5円になるのです。通常は500円ですから95%引きです(笑い)

この企画を検討している時、不祝儀なネタで「キャンペーン」というのは、いかがなものか?

という意見も出ましたが、私はそういう考え方をしません。

人の没後に、その方に御縁のあった方が会合する、というのは素晴らしいことだと思うからです。

そう、人と人は生きている間だけつきあうのではないのです。

故人から教わったことを守って行く、という生き方をする人がいなければ、所謂「老舗」店などはまず成り立ちません。

歌舞伎でも「追善興行」を頻繁にやっていますよね。不祝儀ネタで興業を打っているわけです。だから私も不祝儀を肯定的に考えたいのです。

故人は肉親に限りません。恩師や上司でもOKです。

現実に、「ちんや」では故・内山栄一台東区長を偲んで、かつての部下が集まる席があります。

内山元区長(1911年-2012年)は台東区では有名人なのですが、他区の方はご存知ないかもしれませんから、ご紹介しますと・・・

税理士・区議・都議を経て区長に当選、在任四期16年。業績としては、

東北・上越新幹線の上野延伸

「桜橋」架橋(X字型の、歩行者専用の橋)

隅田川花火大会の復活

浅草サンバカーニバルの創設

旧東京音楽学校奏楽堂の移設・保存

・・・などがあります。こうした積極政策・文化政策を推進する一方で、区役所の行政改革を断行した方でもありました。

区長選に出た時掲げたキャッチフレーズは「株式会社・台東区」でしたから、部下の皆さんには煙たかった筈ですが、結局庁内でも人気が出たところがスゴいことです。

違う種類の先生=学校の先生を偲ぶ会も、勿論承っています。

先生がすき焼きが好きだったので、その墓を拝んだ帰りに、というパターンです。

線香の香りは、どうしても抹香臭いですが、すき焼きの香りなら天まで届いて喜ばれると思います。

この店が、えにしを続けて行く場に成れば嬉しいです。

追伸、

誠に勝手ながら、「ちんや」は9/1(月)~9/4(木)まで4連休をさせていただきます。ご諒承下さいませ。

このブログは予約投稿により、休まず更新して参ります。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.643日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

大正浪漫の宿

下仁田町の「常盤館」さんをお訪ねしました。

今年秋に「すきや連」を開催する準備のためです。

下仁田は下仁田葱の産地として、あまりにも有名ですが、その下仁田で「全国ねぎサミット2014in ぐんま下仁田」というイベントが開催されるそうです。動員3万人の予定という大イベントなのだとか。

そして、その会期にあわせて「すきや連」と「すき焼きシンポジウム」も下仁田の地で開催されます。

「すきや連」は、これが第19回。「常盤館」さんで開催します。

さらに同じ日に「すき焼きシンポジウム」が群馬県庁の主催で開催されます。

このシンポジウムは、群馬県が県内ですき焼きの食材を全て揃えられる「すき焼き県」であることをPRするため公開イベントです。「すきや連」のメンバーも登壇する予定なので、そちらの会場の下見もしてきました。

さて「常盤館」さんは大正元年のご創業、往時の面影を残すお宿で、下仁田葱すき焼きを名物にしています。

創業当時、下仁田は木材や繭の取引で賑わっており、商人達の往来が盛んでした。その商人達のための宿として出発なさったと聞きます。

高崎から下仁田へ向かう上信電気鉄道は大正10年に全線電化。電化完成を街を挙げて祝った時の写真が宿の廊下に掛けられています。宿は多数の日章旗で飾られ、芸者衆も大勢、それは賑やかだったそうです。早くから産業化した土地だったことが分かります。

八王子のすき焼き屋「坂福」さんも、同じ頃やはり商人同士が会食する場としてスタートしていますから、事情が似ていますね。

下仁田は残念ながら花柳界は廃止になってしまいましたが、八王子は今も花柳界を残していますね。

「常盤館」さんはまた、竹久夢二の宿としても知られています。

夢二は晩年に「榛名山産業美術研究所建設についての趣意書」を発表したことから分かる通り、上毛の地を愛していて、下仁田へも足を延ばしたのだそうです。夢二の絵が館内のあちこちに架けられていて浪漫チックです。

絵を鑑賞した後は、勿論すき焼きです。「すきや連」群馬メンバーの皆さんも顔を出して下さり、小宴と言った感じ。

おや!と思いましたのは、すき焼きの手順です。「坂福」さんと同じではないですか!

葱を炒めて、その上に肉を載せ、その上から割り下を投入する方式です。

この方式は「ちんや」と同じでもあります。

旧くからの店や宿が商いを継承することで、土地の記憶や味の記憶も伝えられて行きますね。

「日本一揺れる」上信電鉄も愉快でした。

追伸、

誠に勝手ながら、「ちんや」は9/1(月)~9/4(木)まで4連休をさせていただきます。ご諒承下さいませ。

このブログは予約投稿により、休まず更新して参ります。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.642日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

自動削除

誠に勝手ながら、9/1(月)~9/4(木)まで4連休をさせていただきます。

旧盆の頃、浅草は忙しいので皆さんと逆に働かせていただきました。まあ、その代わりというわけです。

でも、困るのはメールです。

世間の皆さんは、9/1(月)~9/4(木)は働いておいでですから、こちらが休みでもメールが来ます。結局チェックするようになります。

ブログは予約投稿してから出かけるので、連続更新できるのですが、それを読んだ人は、住吉は休暇中もどこかで働いていると思うでしょうね。毎年メールが来ます。

違うんですよ、ブログは予約投稿なんです。メールをチェックしないといけないから困ります。

そんな中、休暇中の社員宛てに届くメールを自動削除するシステムを導入した会社があると言います。

それは、かの有名なダイムラー社。

報道によりますと・・・

「ドイツ自動車大手ダイムラーは、社員が仕事に関わる電子メールを気にせず休暇を過ごせるようにするため、休暇中の社員宛てに届くメールを自動削除するシステムを導入した。社員はバカンス中にスマートフォンなどでメールの確認や返信をせずに済むほか、休暇明けに膨大なメールをチェックする必要もなくなるという。」

ほおお。

「同社によると、このシステムはドイツ国内の社員約10万人が希望に応じて利用できる。送り手には、「休暇中で受け取れない」との説明とともに、緊急の用件に対応できる別の担当者の連絡先を知らせるメールが自動返信される。」

うーん、「対応できる別の担当者」ねえ。

クローン住吉史彦を造ってもらいましょうかね。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.641日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

鯨脂

<食育企画>おいしい夏休みを体験しよう!―「親子体験食味学習会」を開催しました。

お子さんに自分で肉をカットしてもらい(=精肉体験)、その肉を自分ですき焼きにして食べてもらいました。

そうしましたら、カットの場面で参加者の中の可愛いお嬢さんが、しきりと牛脂に興味を持ち、鯨の脂と比較して、ああだこうだと話していました。

このお嬢さん、小学校1年生と未だ小さいので、授業第一部=「ちんや六代目住吉史彦が語る、すき焼きの歴史」では、どうも話しが見えなかったらしく、むずがっていましたが、第二部の精肉体験に入ると俄然元気が出てきて、

冷蔵庫に入ってみたい!

脂に触ってみたい!

と積極的です。そして牛脂に触ってみた結果のコメントして、鯨脂との比較論が飛び出したのです。

何を隠そう、このお嬢さんは鯨を扱う料理屋さんの娘さんです。

小1なのに恐るべし、文明開化は分からなくても、脂の違いが分かるのです。子供の感覚って大したもんだなあ、と思う一方私は、鯨が関わった、幕末日本の歴史に想いを至しておりました。

そうだ、忘れてた、ペリーが日本に来た理由は鯨だった!

話しはここで、しばしペリー来航当時に飛びます。ウイキをコピペしますと・・・

「産業革命によってアメリカ国内の工場やオフィスは夜遅くまで稼動するようになり、その潤滑油やランプの灯火として、主にマッコウクジラの鯨油が使用されていた。この需要を満たすため、欧米の国々は日本沿岸を含み世界中の海で、捕鯨を盛んに行なっていた。」

「当時の捕鯨船は船上で鯨油の抽出を行ってたため、大量の薪・水が必要であり、長期航海用の食料も含め、太平洋での補給拠点が求められていたが、アメリカも例外ではなかった。」

これです、これです、鯨が必要だったので、アメリカは日本と国交を結ぼうとしたのです。

日本近海に鯨がいなければ、ペリーが日本に来ることもなく、日本の文明開化もなかったか、だいぶ遅れていたかもしれません。鯨がいなければ、日本人は今すき焼きなんぞ、食べていないかもしれませんね。

あのお嬢さんが鯨の話しをし出すまで、すっかり忘れていました。迂闊でした。

ついでに申しますと、この時日本の将軍家はペリーに狆(ちん)を贈っています。

ペリー=鯨=牛=狆=ちんや

なんか、面白い位に繋がっていますね。

私にとっても、おいしい夏休みでした。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.640日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

Filed under: 憧れの明治時代,食育ナウ — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

親子体験

(食育企画)おいしい夏休みを体験しよう!~親子体験食味学習会2014を開催しました。

<以下私の話しの原稿です。ご覧ください>

はい、それではおじさんが、すき焼きっていう料理を、何でみんなが食べるようになったか、いつから食べているか、お話ししますね。おじさんの話しは、それほど長くなくて、時間は10分くらいですから、学校の1時限よりずっと短いです。クイズをやりながら進めていきますから、そのクイズの問題と答えだけ覚えれば、後でお友達に自慢できるようにしてあげます。ちょっと我慢して聞いてて下さいね。

いきなりクイズです。日本人は何時代から、お肉を食べるようになったか、知っている人は手を挙げて下さい!

お父さん、お母さんは知っていても手を挙げちゃだめですよ!(笑い)すごいね。たくさん手が挙がりましたね。たくさん、手を挙げてくれて、ありがとう。じゃあね、そこの元気のいい僕、大きい声で、皆さんに教えてあげようか。「明治時代です!」

はい、ありがとう。大正解ですね。皆さんわかりましたね。日本人が、牛肉を食べるようになったか、明治時代っていう時代からです。今日はまず、明治時代っていう、言葉を覚えて下さい。

はい、次のクイズです。その明治時代っていうのは、今から何年くらい前に始まった時代ですか? 正解は144年前に始まったんです。今、一番長生きしている、おばあちゃんが116歳だそうですから、そのおばあちゃんのお父さん・お母さんが生まれた頃に始まったのが、明治時代です。はい、どのくらい昔の話しか、わかりましたね。

では、なんでそれより前は、日本人がお肉を食べなかったか、わかりますか?それは、明治時代より前の時代に、政治家の人と、ある人達の仲が良かったからです。ここが3番目のクイズですが、その、政治家の人と仲が良かった人達っていうのは、誰ですか?はい、正解はお寺のお坊さんです。

明治時代の前は、江戸時代っていう時代でしたが、江戸時代には、政治家の人は、お坊さんの言うことを政治に採り入れていたんですね。

お坊さんは、生き物を殺して食べることを、「殺生」って言いますが、そういうことをしたら「ダメ」って、お坊さんはいつも教えていますから、それがそのまま日本の法律になって、全部の国民が牛肉を食べちゃダメっていうふうに決められていました。そういう風に決まっていたのが江戸時代っていう時代です。

さて、政治家の人とお寺のお坊さんの仲が良くて、政治家がお坊さんの言うことを良く聞くと、世の中が平和になりますよね。だから江戸時代はとっても平和な時代でした。

ところが、時代が変わって、明治時代になると、今度は政治家の人は、江戸時代の政治家と違って、たとえ、お坊さんの言うことを聞かずに、仲良くできなくなっても、日本人はお肉を食べた方が良い、って考えるようになったんですね。

そう考えたのは、なんででしょう?それは、その頃の日本人の体がとても小さかったからなんです。誰と比べて小さかったのか、はい、ここがクイズです。考えてみて下さい。

それは、西洋の人達です。江戸時代の最後の頃に、アメリカとかイギリスとかロシアとか、西洋の人達が、日本にやって来るようになったんですが、その人達とおつきあいするようになって、日本人は、西洋の人達はみんな体が大きい、っていうことに気がついたんですね。そして、これはどうもマズいって思ったんです。体が小さいとケンカをした時負けてしまいますね。

この頃、西洋の国は軍隊が凄く強くて、中国とか、ベトナムとか、シベリアとか、日本の隣の国を、どんどん征服してたんですね。だから、政治家の人は、日本も軍隊を強くしないといけない、そのために日本人の体を大きくしないといけないって思ったんです。

それで、なんで西洋の人は体が大きいんだろう、不思議だな、って思って調べてみたら、牛肉を食べているからだ、っていうことがわかったんです。お肉を食べないと、人間の体が成長しませんね。そういうわけで、明治時代に法律が変わって、日本人も牛肉を食べていいですよ、っていうことになりました。

そうすると、お坊さん達と仲良くできなくなりますけど、日本が征服されると、そっちの方が困りますから、しょうがなかったんですね。

さて、そういうわけで、牛肉を食べていいですよ、っていうことになったわけですが、ここで日本人が困ったのは、お肉をどういう味つけで食べるか、ということです。今までお肉を食べてなかったので、食べ方を発明しないといけなかったんです。

この時はちょっと困ったんですけど、うまいことに、この時代の人で、すごく発明の上手な人がいて、牛肉のおいしい食べ方、それも日本人がスゴクおいしい!って感じる食べ方を発明したんですね。誰が発明したか、というのは、実はよくわからないんですが、それがすごく良いやり方でした。

さて、ここで次のクイズですが、明治時代に発明された、お肉のおいしい食べ方っていうのは、次の内のどれでしょう? ステーキですか、しゃぶしゃぶですか、すき焼きですか?

はい、その食べ方がすき焼きなんです。どういう風に作るかって言うと、お肉と、醤油と砂糖を一緒にして、火にかけるっていうやり方です。そうするととてもおいしい料理になります。例えば、親子丼を好きな人はいますか!はい、親子丼も、鶏という動物の肉と味付けは醤油と砂糖ですね。だから、この味付けとすき焼はだいたい同じ食べ方です。

江戸時代に、牛肉は食べちゃダメ、っていうことになっていたんですが、鶏肉は食べても良かったんですね。だから日本人は鶏肉のおいしい食べ方を知っていて、その食べ方を大好きだったんですね。

だから、明治時代になって、牛肉を食べてよい、どんどん食べましょう、っていうことになった時に、日本人は、日本人が昔から好きだった料理の仕方を応用して、牛肉を食べるようになったわけです。食べ物以外のことでも、日本人は江戸時代から勉強家で、いろんな基礎の勉強ができていましたから、明治時代になって、西洋の人から新しく、知らなかったことを教えてもらった時に、それと組み合わせることができたんですね。つまり、応用問題もできたんです。スゴいでしょう?

これが日本人の偉いところです。

ステーキは西洋人と同じ食べ方ですが、最初日本人はあまり好きでなくて、すき焼きの方が好きだったようです。しゃぶしゃぶは、ずっと後になって始まった食べ方です。その前に日本人は、昔からやっていた、料理方法の応用問題で、すき焼っていう食べ方を発明したんですね。ここが、今日のポイントですから、覚えて帰りましょう。

日本人は、明治時代になって、昔から知っていたことや知っていたことやり方と、新しく西洋人から習ったこととを結びつけました。これがスゴクうまくいったんです。いろいろな分野でそういうことがありましたが、一つの見本がすき焼き、っていう料理の発明でした。覚えましたか、ここが日本人の偉かったところです。

今、おじさんがお話ししたことは、クラスのみんなは、たぶん知らないでしょうし、大人でも知らない人がいっぱいいると思います。みんなは、せっかく覚えましたから、夏休みが終わって、学校が始まったら、このこともクラスのみんなに、どんどん教えてあげましょうね。きっと「もの知りだねー」って褒めてもらえます。

これからも、学校の勉強以外にも、どんどんいろんなことを習って、もの知りになって下さい。おじさんの話しはこれで終わります。

聞いてくれて、どうもありがとう。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.639日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

Filed under: 食育ナウ — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

じゅんじゅん

例によって、Twitterに「すき焼き」と入れて検索していて、発見しました・・・

「【じゅんじゅん】じゅんじゅんと煮込む琵琶湖の恵み 上品な味わいのすき焼き風鍋」

ツイ主は、滋賀県ご当地グルメ(@shiga_gtabi)さん。

「滋賀県のご当地グルメなら、ぐるたびにおまかせ! 話題のB級グルメや名物料理、おみやげ、スイーツ、ドリンクまで、色々つぶやきます☆地元の方もこれから旅する方もぜひご覧ください!フォローしてくれた方はフォローバックいたします!」

という方のようです。

「じゅんじゅん」というのが料理の名前で、滋賀県湖東地方の郷土料理です。

材料は琵琶湖の幸。漁師の家では魚と野菜を鍋に入れ、醤油味でさっと煮ます。鰻も入れるそうです。

琵琶湖で鴨が獲れた時は鴨が入れることもあったそうです。

桜鍋、猪鍋もすき焼きの仲間ですが、「じゅんじゅん」もかなり仲間に近いと思っています。

基本的には家庭料理なので、料理屋さんではあまり提供してはいないようですが、民宿や「道の駅」のレストランで出している所もあるようですね。

近江の名物として、もう少し知られても良いのかな、と思います。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.638日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: 色んな食べ物 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

恐怖時代

歌舞伎座に行って鰻を食べて来ました。

我が家は「歌舞伎=食事は鰻」と決まっているのです。

ところが現在の歌舞伎座の新開場当時、

な、無いぞ・・・

鰻が無い・・・

ということになり、近所の「竹葉亭」さんで弁当にしていただいて持ち込んだりしておりましたが、久しぶりに歌舞伎座の公式サイトを確認しましたら、

在るではありませんか!

「うな重(肝吸い・お新香付)」!!!

そう言えば、新開場当時は鰻の値段が馬鹿高かったですからねえ。

ただし、今もフリーに食べられるわけではなく、「※20食限定」となっていますので事前にメール予約しないといけません。

勿論予約して3階食事どころ「花篭」でいただいて参りました。

新しい「花篭」は新ビルの昭和通り側。通りが見渡せて眺望は大変結構なのですが、1階の東側の席(花道の反対側の席)からだと少し移動に時間がかかりますね。

幕間は30分だけで、5分前にはブザーが鳴るので、実質25分です。急がねばならないのに、エスカレーターが1車線。ちょっとイラつきますね。

3階へ上がると、通路に面して物販のブースがズラっと並んでおり、人の流れが滞っています。ちょっとイラつきますね。天下の「吉兆」さんまでワゴンに「水羊羹」を並べ、売り子さんが声を枯らしています。

ですので皆さん、歌舞伎座3階の「花篭」で食事する場合は、まず1階で西側に移動してしまって、それから上階へ登ることをお勧めします。

え? そんなどうでも良い情報より何を観たのか って?!

あ、谷崎潤一郎の『恐怖時代』の歌舞伎版でした。

33年ぶりの上演だそうです。扇雀さんが昔の台本を調べていて演ってみたくなったとかですが、谷崎風の残虐な御家騒動ものがたりです。

出演者は中村屋の実力者ばかり。「気持ち悪かった」と言う人もいるようですが、私には新鮮でした。

家中で殺し合い、茶坊主だけが生き残るのですが、死んだふりをしていた茶坊主の勘九郎さんがムクっと起き上がるシーンは最高でした。

肝を冷やしたい方は是非お出かけ下さい。27日までです。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.637日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

Filed under: 色んな食べ物 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

花崗岩

広島の花崗岩と言いますと、水や酒造りに詳しい人なら、すぐ、

軟水が湧き出る所⇒「女酒」が出来る所

と思い浮かべることと思いますが、今後当分は酒のことなどより「土砂災害の危険地帯」と考えないといけないようです。

まずもって今回の水害に遭われた広島の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

さて今日は水の話しですが「ヨーロッパの水は硬水、日本の水は軟水」とよく言います。そうなる理由に花崗岩が関係あるのです。

ヨーロッパは石灰岩が多い地質ですが、石灰岩は水が浸透するのに時間がかかります。水がゆっくりと石灰層を通るので、その間にミネラル成分がたっぷり水に溶け込みます。これにより硬水に成るのです。

地形的にもヨーロッパは山から海まで傾斜のゆるやかな地形が広がっていますから、水がゆっくりと進みます。

「エビアン」(硬度304)を飲んで、おなかを壊した経験がある人は、そういう外国の水が合わない体質の人なのです。

さて対するに日本は花崗岩で、花崗岩は水の浸透が早いですので、ミネラル成分が水に溶ける時間がないです。結果軟水に成ります。

そして、もう1点、重要なことに日本は山から海までの傾斜がきつく、起伏の激しい地形です。そのせいで山から海まで水が流下する速度が早いので軟水になるのです。

軟水の話しを続けます。この軟水の地・広島で、明治30年(1897)、日本の醸造業を大進歩させる「軟水醸造法」が誕生しました。

軟水はミネラルが不足しているせいで醗酵が早く進まず、江戸時代には酒造りをする人達は硬水を探し求めていました。

しかし逆に考えますと、時間をかけて丁寧にゆっくり醸し出す方法なら適していると言えます。

その、ゆっくり醸し出す「軟水醸造法」が、安芸津町出身の広島杜氏・三浦仙三郎によって開発されたことにより、日本の酒造りは、柔らかさ・芳醇さ・旨味を重視する方向に大転換を遂げた、という次第です。

今でも独立行政法人・酒類総合研究所は広島県東広島市に在ります。

この、山から海までの傾斜がきつく、花崗岩で出来た広島、土砂災害の危険な広島、その地で酒造りが進歩したという歴史は、全ての日本人が知っておきたい歴史だと私は思います。

起伏が激しいのは広島だけではありませんね。日本全体がそうです。

この住みづらい国に於いて、むしろ住みづらい国だからこそ、文物が発展してきた、人の業が発展してきた、と言えないでしょうか。

八百万の神々は、どうも、意地が悪い奴らなのだと思うのです。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.636日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: 色んな食べ物 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)