日日新聞

5月に開催しました、第29回「すきや連」の件が大阪日日新聞に載りましたので、以下に転載します。>
全国のすき焼きの名店や牛肉、野菜の生産者らが集まる「すきや連」(事務局・東京)の活動が今秋で結成から10周年を迎える。趣旨は食文化発信のための意見交換。このほど、例会が大阪ミナミで初めて開かれ、出席者らが「なにわのすき焼き」に舌鼓を打った。府内の生産者らが伝統食材を売り込み、大阪が優れた食の宝庫だということを伝えたいとアピールした。
会を主宰するのは、食文化研究家の向笠千恵子さん。向笠さんが各地の味や由来、作法を紹介した著書「すき焼き通」(平凡社新書)を出版したのを機に有志が集まったのが発足のきっかけだ。
例会では、年に3度のペースで仙台や米沢、松阪など和牛や野菜の産地を巡っており、5月下旬は大阪市中央区の老舗「はり重」道頓堀本店に関係者約60人が顔をそろえて、鍋をつついた。そこで、すき焼きに欠かせないネギを提供したのが大阪の生産者たちだ。
用意したのは、大阪・難波が原産地で、昨年4月に「なにわの伝統野菜」に認証された「難波葱」。広く流通する青ネギと形状は変わらないが、葉の組織は柔らかく、中から染み出す濃厚な甘みも特徴だ。
会合には、栽培の第一人者でもある上田隆祥さん(80)(住吉区)ら生産者が顔をそろえ、10年近く前から普及に取り組む市民団体「難波葱の会」の担当者は、かつては難波一帯がネギ畑だったことや九条ネギの原種であることなどを解説。泉州ナスはサンショウを提供した生産者もいた。
参加者の一人、肉料理店経営の女性(熊本市)は「土地によって具材や味付けも違い、刺激を受ける。青ネギを使うのは関西ならでは」と驚いていた。
各都市を巡る例会は今秋で30回目を迎える。向笠さんは「難波葱は白ネギとは違う独特の甘み、柔らかさがある。すき焼きのうまさはネギあってこそで、食材を通して地域のストーリーを感じるのが面白いし、和食文化の奥深さも味わえる。どっさりとお肉を入れるところは浪速のスピリットを象徴している」と総括していた。
<転載終わり。大阪でお世話になった、難波りんごさん、本当にありがとうございました。文中で「難波葱の会の担当者」となっているのが、りんごさん。「熊本市の肉料理店」となっているのは「加茂川」さんでした。それと、「すきや連」(事務局・東京)は私でした。悪しからず。>

追伸、夏季の「ちんや」の、臨時営業のご案内です。下記の日は火曜ですが、営業いたします。どうぞご利用下さいませ。
8月14日(火曜、お盆)
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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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順延

台風が来て花火が順延になった日のこと。
結構激しく降ったので、スタッフの帰路が心配だし、自分も今日はサボりたいし、よし、新規ご入店の受付は19:30で〆め切ろう!と思っていたら、その1分前にフリーで入って見えたお客様が。
んんんー!
そのタイミングで来るかあっ!
しかし聞けば、
花火を見ようと浅草へ来たが、延期となり、明日の夜まではいられないので、やむを得ず、何かうまいものを・・・
とウチへ入っていらしたらしい。
そうだったんですねえ。
んんんーと思ってスミマセンでした。

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8月14日(火曜、お盆)

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川の恵み

国際観光日本レストラン協会の例会が、天保8年ご創業の「福寿家」さんで開催されました。
「福寿家」さんが在るのは埼玉県吉川市。江戸川と中川に挟まれた地帯と言った方が分かり易いかもしれません。
徳川家康が江戸に来た頃、関東平野には未だ多数の湿地があり、川の流路も定まっていないところがあったようです。その関東平野を、徳川幕府は「改造」と言っても良いくらい治しました。
一番有名なのは「利根川の東遷」。利根川は、現在の茨城県に流れるようになりました。
「荒川の西遷」もやりました。荒川の治水が昭和までかかった件は最近、弊ブログの7月10日号に書きましたね。
「福寿家」さんが在るのは、その「西遷」する前の元荒川と中川が合流する地点のちょうど対岸。当日は川の向こうに沈み行く夕日が美しく、実に結構な思いをさせていただきました。
あ、そうそう、料理の件も書かないと。
・・・そういう次第で、この地は川魚料理が有名です。
特に吉川は鯰(ナマズ)が有名です。それを天婦羅にしたものと、薩摩揚げのように、挽肉にして揚げたものの両方をいただきました。
鯉の洗いは、酢味噌との相性がオツ。味博士に相性を測定してもらいたい感じです。
そしてそして、鰻。満腹。
先人の、血の滲む努力により関東では洪水に遭うことが少なくなり、現代人は川に関心を持たなくなりましたが、昨今の洪水をキッカケに川に関心を持ち、さらには川魚料理に関心を持てば・・・と私は思います。
そう、埼玉の食の名物と言えば、ガリガリ君ではなく、川魚なのです。
「福寿家」さん、御馳走様でした。

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8月14日(火曜、お盆)

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芯の喜び

着物の「竺仙」のご主人の講演会がありましたので、聞いてきました。
その講演会は、神田の明神様が主催する「明神塾」という、神社主催のカルチャー教室のようなものでしたが、広い会場に100人近い人が聞きに来ていて大盛況でした。
さて「竺仙」さんと言えば、最高水準の江戸小紋の版を持っていることが有名ですね。
あまりに染めのドットが細かいので、遠目には無地にしか見えないのに、接近すると、版づくりの職人と染めの職人が最高の業で造ったものだと分かるというシロモノです。
現代では、その版を造れる人がもういないのに、「竺仙」さんには、まだ古い版のストックがあるのだそうです。流石という他言葉がありません。
一方私が「へええ!」と思ったのは、お客様(着物を買いに来る女性)とのやりとりです。
自分が着たいものを買いたい!
という方は、良い買い物を出来ないんだとか。それは私もなんとなく分かります。しかし店側からの、
これがお似合いです!
もダメなんだとか。
そんな時、ご主人は、お客様に尋ねるそうです。
人に、どんな風に見られたいですか? どんな人だと思われたいですか?
これが客の「芯の喜び」を引き出す言葉なんだとか。
「芯」と言うところが秀逸と存じます。
流石、初代が俳諧の人だというだけのことはありますね。
勉強になりました。

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8月14日(火曜、お盆)

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山廃仕込み

会津若松の方々が見えました。
このたび旧知の「末広酒造」新城さんが会津若松観光ビューローの理事長に就かれたのですが、新城さんは会津=浅草の観光ルートを創りたいと言います。会津鉄道・野岩鉄道・東武鉄道を経由して、会津と浅草が直結しているからです。
で、東武・浅草駅で観光キャンペーンをなさるとか。猛暑の最中でしたが、青年部の方も含めて15人ほどの、御一行様でした。
施主が酒蔵のご主人ですから、交流会は当然「酒盛り」となりました。すき焼きには「山廃仕込み」のお酒を燗するのが良いということをあらためて確認致しました。
さて、この「山廃(やまはい)」という言葉ですが、日本酒業界の分かり辛い言葉の代表例と申せましょう。頻繁に使われていますが、どういう味がするのか、どういう理屈でそういう味になるのか、ヒジョーに分かり辛い言葉だと思いますので、ここで何とか、分かり易くしてみたいと思います。
この醸造方法は、国立醸造試験所が明治42年(1909年)に開発しました。それ以前は、蒸した米・麹・水を混ぜ粥状になるまで人力ですりつぶす工程があり、その工程を通称「山卸(やまおろし)」と言っていましたが、それをなくすことに成功したので、「山廃」なのです。
明治以降、日本の醸造業も機械化が進み、精米を機械で行なえるようになったので、「山卸」をして、懸命に米と麹を混ぜ合わせなくても、麹の酵素が米の内部に入り込んで行けるようになりました。
で、醸造試験所が「山卸」した酒と「山廃」した酒の成分比較を行ったところ、大きな差がなく、それならこの工程を廃止しても良かろうという話しになりました。人力で「山卸」をすることは、非常につらい肉体労働だったので、止めましょう、ということになったのです。
その「山廃」という言葉を、現代の酒蔵さんが、自慢たらしくPRに使用しています。
ここが分かり辛い点です。工程を近代化して、伝統製法から離れたことを何故自慢するんでしょう?
蔵元さんは、その後に登場した「速醸」という方法に比べて、伝統的だということを言いたいのです。
「速醸」では工業的に造った、純度の高い乳酸を酒のもとに加えます。
そもそも酵母を増殖させる工程では、乳酸が必要です。乳酸で酒のもとを酸性にして、酵母以外の雑菌を死滅させないと、失敗醸造(「腐造」と言います)になってしまうからですね。
「山廃」は、その「速醸」はやっていないのです。「山卸」は止めましたが、乳酸菌を自分で育てて、その乳酸菌に乳酸を造らせている、という点では、「山廃」以前の伝統製法(=「きもと造り」)と同じなのです。
じゃあ、どういう味がするのか?
テクニカルなことが分かっても、味が分からないと意味がありませんよね。
「山廃」は一言で申しますと、複雑な味がします。
いきなり「人工乳酸」を使って、酵母以外の雑菌を死滅させて、酵母がすくすくと育つようにしますと、シンプルな風合いの日本酒になります。
逆に、自然に蔵の中にいる乳酸菌を培養して、それが雑菌とサバイバルを繰り広げるようにすると、複雑な酒になるのです。乳酸が雑菌を死滅させるまで時間もかかります。
「山廃」は「山卸」は止めていますが、この過程は廃止していないのです。
結果、「山廃」でも伝統製法のような、複雑で濃厚な味の酒ができます。
結局薬局、濃厚な味の料理、例えばすき焼きや乳製品に合わせると良いのですね。芽出度し、芽出度し。
それにしても、もう少し、なんか味をストレートに連想させるような言葉ってないんでしょうか、ね。

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会津と郡山

会津若松の方々が見えました。
このたび旧知の「末広酒造」新城さんが会津若松観光ビューローの理事長に就かれたのですが、新城さんは会津=浅草の観光ルートを創りたいと言います。会津鉄道・野岩鉄道・東武鉄道を経由して、会津と浅草が直結しているからです。
で、東武・浅草駅で観光キャンペーンをなさるとか。猛暑の最中でしたが、青年部の方も含めて15人ほどの、御一行様でした。
さて、施主が酒蔵のご主人ですから、交流会は当然「酒盛り」となりました。すき焼きには「山廃仕込み」のお酒を燗するのが良いということをあらためて確認致しました。
そのお酒のことも当然書きたいのですが、それはややテクニカルな話しになるので、後日にまわすことにしまして、今日は二次会で話題になった、会津と郡山の食文化の違いについてです。
もんじゃ焼きの「おすぎ」さんが週末の夜中にバーをやっているので、会津の方々と行ったのですが、その時、
会津は牛をあまり食べない、豚が中心。郡山の方が牛を食べる。
という話しが出ました。
そうですね、私もそう思っていました。
福島県、新潟県、北関東3県は「豚食い文化圏」でして、すき焼きも豚でする人が多いのですが、そんな中でも郡山だけは牛を食べます。「京香」さんという、明治17年(1884年)ご創業のすき焼き店もあります。
食が違うのは歴史が違うからです。
会津若松の歴史は14世紀まで遡れるのに対して、郡山は明治時代に発展した街です。
明治11年(1878年)安積疏水を掘削するために人が集められて街が出来、やがて疎水の水で水力発電が始まって工業化が進み、さらに鉄道がひかれた時に郡山が分岐点になって発展。郡山は県庁所在地でないのに県内最大の都市になって行きます。
一方の会津は朝敵だったこともあり、大きく発展することはなく今日に至っています。
さてポイントなのは、疏水を掘削するために、どういう人が集まったか、です。
疏水掘削と安積原野開拓は、「士族授産」事業でした。明治9年(1876年)の「秩禄処分」により禄がなくなった士族に仕事を与えるための事業だったのです。
だから、全国の色んな地方から人がやって来たのです。今回の二次会で、未確認情報ですが、久留米から来た人が多かったと聞きました。
この時代の福島は新時代と旧時代が同居していたとも言えます。
そういう次第ですから、郡山には新しい食も入ってきました。
牛鍋もその一つで、「京香」さんのご先祖が、郡山における「食の開化」の担い手でした。
明治150年。街に歴史あり。食文化あり。

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バターチキンカレー

旧知のメタ・バラツさんが、テレビ「食彩の王国」に出るとFBに出ていたので、視ておりますと、
登場しました。本当に。
で、バラッツさん、イキナリ大きなバターの塊をフライパンに投入しました。
これはバターチキンカレーをつくる場面なのですが、そんなに大量に入れるのですねえ。なんでも、バラツさんの故国インドはバター使用量世界一なのだそうです。
さてバターを溶かしたら、続いてシナモン、カルダモンを投入、そして今度はトマトを加えて煮込みます。
これだけでも旨味と辛味と酸味がテンコ盛りなのに、さらにさらにレッドペッパーとパプリカパウダーも加えます。
本体の鶏肉は別に仕込んでおきます。
鶏肉をヨーグルト、おろしにんにく、おろし生姜、レモン果汁にスパイス(ターメリック、レッドペッパー、コリアンダー、ガラムマサラ、塩)を入れて、マリネしておくのです。
このマリネ済みの鶏肉を先ほどのソースと共に煮て、それをまた仕上げ直前に濃厚にします。カシューナッツをミキサーでペーストにしておいて、それを入れるのです。
いや、旨辛酸で病みつきになりそうな食べ物です。
インドおそるべし。

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冷房

お暑うございます。
歴史的猛暑とかで冷房のお世話になる他ありませんが、私はどうも苦手です。
私は冷房があまり好きでなくて、特にキンキンに冷えた電車が苦手です。電車に乗り込む時の、35℃→20℃という温度変化に喉が対応できないのです。
電車に強力な冷房が要る理由はわかっています。長時間走行して、ドアが頻繁に開閉するのですから、よほど高性能の冷房でないと、室内を涼しく保てません。
その強力な冷房に、どうも私の喉が対応できないので、「弱冷房車」を探して乗るのですが、あれって、今度はどうも暑いですよねえ。塩梅良いのはないんでしょうか。
あ、そうそう、ここでお詫びですが、弊店には、そこまで高性能の冷房がないため、真夏に大勢様で宴会をすると、暑い場合がございます。あらかじめ、お詫び申し上げます。

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答申

新発田の「八木」さんが文化財に成るという報せが届きました。芽出たいです。
「八木」さんは、2013年にお訪ねして以来大変ご無沙汰しておりますが、新潟県新発田市の「新道」という繁華街にある、すき焼き屋さんです。
「新道」一帯には、昭和の木造建築が残っていて、「八木」さんも、その一軒です。その多くは昭和10年の「新発田の大火」の後に建てられた建物で、太平洋戦争の戦火は逃れました。それが今回指定されるのです。
県庁が公表したデータによりますと、
「すき焼き八木店舗(すきやきやぎてんぽ)」
・所在地=新潟県新発田市中央町三丁目甲1316-1他
・建設年代=昭和10年(1935年)頃/昭和15年(1940年)増築、昭和49年(1974年)、平成18年(2006年)改修
「平成30年7月20日(金)に、国の文化審議会(会長:佐藤信)が開催され、県内に所在する8件の建造物を登録有形文化財に登録するよう、文部科学大臣に答申されました。登録は答申後に行われる官報告示をもって正式決定となりますが、これにより本県に所在する登録有形文化財(建造物)は477件となる予定です。」
「予定です」というのだから、ほぼ確定なのでしょう。
誠にお芽出とうございます。
が、きっと店としては諸々制約を受けることになるのでしょうね。「使いながら保存」が上手く行くと良いと思います。

追伸、夏季の「ちんや」の、臨時営業のご案内です。下記の日は火曜ですが、営業いたします。どうぞご利用下さいませ。
8月14日(火曜、お盆)

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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ファンづくり

東京商工会議所が主催している「勇気ある経営大賞」の、平成27年の受賞企業に「北星鉛筆株式会社」さんという会社さんがあります。
業種は「鉛筆製造と製造時に排出される廃棄物・おが屑の再商品化事業」
本業の鉛筆と並列で「と製造時に排出される廃棄物・おが屑の再商品化事業」と記載されているところが味噌です。
それが受賞理由になっているのですが、それは、
○鉛筆製造時に排出される約40%の「おが屑」の再利用により、木の粘土、木の絵の具、着火用薪などの製品開発に成功。子供から大人まで楽しめる製品として商品化し、「循環型鉛筆産業システム」を構築したこと。
です。なるほど。
そして、私が感心したのは、もう1点の授賞理由です。
○平成元年の工場建て替えを機に、子供向けの工場見学をスタート。平成22年には、「東京ペンシルラボ」という子供向けの学習施設を開設し、子供の教育面に貢献していること。
会議所の方から聞いたところでは、工場見学は毎日3回転で、予約が結構先まで入っているのだとか。また子供限定ではなく、大人でも見学できるとか。
思いまするに、まず「ファンづくり」をしないとモノは売れません。
そしてファンに成っていただくには、来ていただくのが最善です。
これは「究極のリアル」な商法と言っても良いでしょう。
しかし、今どきはネットの発達に目を奪われて、知りもしない相手にWEBマーケティングを仕掛けようとする会社さんが多いです。先方はファンじゃないのにね。
牛肉の「ふるさと納税」が、残念ながらそれになってしまっています。
来ていただく→ファンに成っていただく→結果として売れる
という順番を無視してはいけないと私は思います。
そして「来ていただく」の鍵は「学び」「きづき」だとも思います。学ぶところがあるから、人は来て下さるのです。
「ちんや」が精肉売店の「在り方」を考える際にも参考にしたいと思っています。
勉強になりました。

追伸、夏季の「ちんや」の、臨時営業のご案内です。下記の日は火曜ですが、営業いたします。どうぞご利用下さいませ。
8月14日(火曜、お盆)

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.067日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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