住吉史彦の29大ニュース 2010-2019 その13

さて弊ブログは10周年までラスト一ヵ月に入りました。
ラスト一ヵ月はこの十年間を振り返る月にしよう、10大ニュース 2010-2019を選ぼうと思って、トライしてみましたら、29個も選んでしまいました(笑)
うーん、困ったな。
でも、これで行かせていただくことにしました。29はニ・クだし、今月はちょうど29日あるし。
と、いうことで、住吉史彦の29大ニュース2010-2019が始まりました。一か月間おつきあいいただいておりまして、本日は、その13です。

<29大ニュースその13>
2015年10月 慶應義塾の広報誌『三田評論』に出演させていただきました。

メデイア掲載を「29大」に入れるのは、これが2件目です。母校の広報誌に載るのが嬉しかったので、入れました。
『三田評論』には毎月「三人閑談」といって、三人の卒業生が対談するコーナーがあるのですが、今月のテーマが「和牛を食す」で、そこに入れていただいた次第です。光栄なことでした。
さて、私以外の二人の先輩は、
まず銀座の洋食店「つばめグリル」の石倉悠吉さん。石倉さんは「料飲三田会」で旧知です。
それから山形県で「蔵王牛」を生産なさっている髙橋勝幸さんでした。
石倉さんが高い視点から食のビジネスを捉えておいでなのにビックリ。
高橋さんからは生産者としての具体的ご苦労の話しをうかがいました。今肉の相場が高くて、本当に関係者は大変なんです。
私はと申しますと、和牛の特徴を挙げて、それが和食という環境の中でどのように出来上がって来たかの話しをさせていただきました。
それから福澤先生の肉食歴を少し紹介。先生の、あまり知られていない著作『肉食之説』(1870年)のことも話させていただきました。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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第89回

台東三田会の新年会が浅草の「三定」さんで開催され、伝統の天婦羅を美味しく頂戴しましたが、この日、慶應大ボート部の現役部員君がやって来て、春の「早慶レガッタ」の告知をしていました。
「早慶レガッタ」は、隅田川で行われる早慶二校ボート部の対抗レースで、1905年(明治38年)に第1回が開催されて以来100年を超える歴史があります。
今年は第89回が4月12日(日)に開催されます。
歴史が100年あるのに回数が89回なのは中断していた時期があるからで、戦争による中断と、戦後は河川の汚れで、他の場所で開催された時期がありました。
私個人の記憶でも隅田川の最初の記憶は、「臭い場所」でした。1965年はまだ日本の高度成長期で、環境よりも経済成長が優先される風潮でした。やがて隅田川浄化の努力が実を結び、1978年(昭和53年)にレガッタは隅田川に戻ってきました。だからレガッタの実の功労者は河川浄化に関わった人達だと言えます。
このレースは台東区内で行われる義塾の数少ない行事であり、河川を二校だけで使う点が、他に例がないところです。
早慶戦は野球やラグビーが有名でボートより人気がありますが、野球もラグビーも「六大学リーグ」「対抗戦グループ」といったリーグ戦の一環で行われるもので、会場も他の学校と変わりません。しかし「早慶レガッタ」は早慶二校で隅田川を使うという点がまったく違います。
隅田川は一級河川で、以前ほどでないとは言え、水上観光船や物資の往来もありますから簡単にそれを封鎖することは出来ず、「早慶」は100年の歴史があるため例外的に使わせてもらっているのです。
同窓の皆さん、4月12日(日)は春の風情も感じていただけることですし、是非隅田川へお出かけ下さい。また寄付のお志しがおありの方は、私がボート部へ取り次ぎますから、お申し出ください。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は3.621本目の投稿でした。3月1日まで無事連載が続けば10周年になる予定です。引き続きご愛読を。

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ニッポンチ!⑦

小学館の文芸雑誌「qui-la-la」(きらら)で河治和香先生の新連載「ニッポンチ!」が好調です。
和香先生が、「駒形どぜう」の三代目を主人公にした小説『どぜう屋助七』(2013年)にウチのご先祖を登場させて下さって以来、新しい連載が始まるのを楽しみにしておりますが、今回は明治の浮世絵師を主人公にした小説です。登場する絵師の作品がウチにあったりしますので、なおさら楽しみなことです。
登場するのは歌川国芳門下の絵師たち。国芳には歌川芳虎、芳艶、芳藤、落合芳幾、さらには月岡芳年、河鍋暁斎といった弟子がいましたが、国芳が幕府に逆らう位の人だったので、弟子達の性格も皆ユニークで。その人物描写もまた、この小説の面白いポイントだと思います。
連載7回目の2月号には圓朝が登場しました。
そう、落語の三遊亭圓朝です。
落語の世界で知らぬ人のいない圓朝が国芳に弟子入りしていたことを私は全く知らず、
そ、そうだっけ・・・とWikipediaを調べてみたら、たしかに、
嘉永4年(1851年):玄冶店の一勇斎歌川国芳の内弟子となり、画工奉公や商画奉公する。
と一行書かれていました。
そのころ圓朝の父が女と駆け落ちし行方知れずになったため、父の後ろ盾がないなら、落語のような浮き沈みのある世界より画工の方が確実だろうと入門したそうですが、やがて父は出戻り、画工修行期間は一年ほどであったと言います。
それでも徹底的に写実を重んじる国芳の流儀は圓朝にも伝わっていて、それが後の幽霊噺での描写力につながって行ったと小説では語られています。なるへそ。
本筋から少し逸れるのですが、今章で感心したのは、国芳の弟子に対する接し方、弟子の採用の仕方です。
国芳はあえて愚鈍な子を弟子にしたそうです。お遣いに行かせると道を間違うような子を入れて、面倒をみ続けたと言います。
おめえくらい役にたたない者はいないぞ。おめえのような愚図は世間に出てもやっていけないぞ。
と言いつつも、
しかし絵師なら、腕を磨きさえすればやっていけるぞ。一流になれば先生と言われるのも夢ではないぞ。と励ましたそうです。
お遣いに失敗して叱られると思った子は、励まされて驚き、泣いて感謝したとか。その代表が圓朝と仲良しだった芳年や芳藤です。
国芳門下が栄えた理由は、こういうところにあったのだなあ、という大変勉強になる一章でした。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は3.618本目の投稿でした。本年3月1日まで無事連載が続けば10周年になる予定です。引き続きご愛読を。

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海を渡ったスキヤキ②

『海を渡ったスキヤキ  アメリカを虜にした和食』(グレン・サリバン著)
という本がかなり面白かったので、昨日から書いています。
昨日はすき焼きの件にしぼって書きましたが、今日は日本人の洋食の件です。
明治時代、日本は未だ貧しく、一方アメリカ経済は黎明期でしたので、多くの日系移民が労働者としてアメリカへ渡ります。多くはひどい待遇で、特に鉄道建設の現場はド田舎だったので、食料が調達できません。
移民達は、ロクな食事を与えられないので自分で料理が出来るになり、その中からアメリカで料理店を開業する者が現れます。1909年の統計では381軒もの日本人オーナーの飲食店があったとか。日本人による和食店より日本人による洋食店の評判が良かったというから面白いです。
当時の雑誌は、日本人によるステーキ肉の柔らかさと焼き加減を褒め、日本人ウエイターが忙しく働く様子を「無限の力が感じられる」と称賛しました。
そして、日本人による洋食店の評判が良かったことが、なんと、日系移民排斥につながってしまうのです。
日本人の洋食店の客は白人でしたので、白人洋食店のオーナーは客を取られてしまいました。不満は溜まり、1909年に「ホースシューレストラン事件」という衝突が起きます。排斥同盟も出来てしまいます。
幸いなことに当時の大統領は親日家のセオドア・ルーズベルトで、この問題が大紛争にならないよう努力しますが、アメリカの日系人は長い苦難の時期に入って行きます。
今日本は豊かになり、移民を受け入れようかという状況ですが、日本人の料理が原因で、このようなことが起きていた歴史を、この本で知ることができました。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は3.605本目の投稿でした。本年3月1日まで無事連載が続けば10周年になる予定です。引き続きご愛読を。

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2020年お芽出とうございます。

皆様、新年お芽出とうございます。本年もお読み下さり、誠にありがとうございます。
さて年始からテレビ出演の告知でお恥ずかしいのですが、
本日夜放送の、
NHKスペシャル「東京ミラクル」第4集 老舗ワンダーランドー佐藤健・物々交換の旅
に出演させていただきます。
「東京ミラクル」は、2020オリンピックをひかえて東京の魅力を紹介するシリーズです。これまで「築地」「鉄道網」「アニメ」を特集してきましたが、今回は東京の老舗を紹介します。
東京は、関東大震災、東京大空襲で二度にわたり壊滅的な被害を受け、焼け野原となったにもかかわらず、世界最多の老舗店があります。
番組では、俳優・佐藤健さんが「長寿の秘訣の象徴」である老舗のとっておきの商品を、物々交換しながら訪ね歩き、伝統を受け継ぎながら進化を続ける常識外れの商売哲学を探って行きます。
最初に、この話しが来たのは、まだ昨年の早い時期だったと記憶しています。局の方が拙著『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』(2016年、晶文社)を読んで下さり、2020年に東京の老舗特集を放送したい、ということで在り難いことだと思いましたが、その後今年の秋までご連絡はなく、あの話しはなくなったのかなーと思っておりましたが、そうではありませんでした。
3度ほど聞き取りや打ち合わせがあり、撮影は5回ありました。
・佐藤健さんの物々交換の場面
・私のインタビュー
・料理撮影
・お客様が店内で召し上がる様子
・弊社員の賄いの様子
撮ったうちのどれだけが放送されるか分かりませんが、ご高覧いただけましたら幸いです。

*放送予定は以下の通りです。
<本放送>
1月1日(水)夜10:15〜11:04
<再放送>
1月2日(木)午前4:10〜4:59
<NHKオンデマンド>
本放送から1年間配信されます。
予告動画は、こちらです。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は3.595本目の投稿でした。本年3月1日まで無事連載が続けば10周年になる予定です。引き続きご愛読を。

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東京ミラクル

テレビ出演の告知でお恥ずかしいのですが、
2020年元日放送の、
NHKスペシャル「東京ミラクル」第4集 老舗ワンダーランドー佐藤健・物々交換の旅
に出演させていただきます。
「東京ミラクル」は、2020オリンピックをひかえて東京の魅力を紹介するシリーズです。これまで「築地」「鉄道網」「アニメ」を特集してきましたが、今回は東京の老舗を紹介します。
東京は、関東大震災、東京大空襲で二度にわたり壊滅的な被害を受け、焼け野原となったにもかかわらず、世界最多の老舗店があります。
番組では、俳優・佐藤健さんが「長寿の秘訣の象徴」である老舗のとっておきの商品を、物々交換しながら訪ね歩き、伝統を受け継ぎながら進化を続ける常識外れの商売哲学を探って行きます。
この話しが最初に私の所へ来たのは、まだ昨年の早い時期だったと思います。局の方が拙著『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』(2016年、晶文社)を読んで下さり、2020年に東京の老舗特集を放送したい、ということで在り難いことだと思いましたが、その後今年の秋までご連絡はなく、あの話しはなくなったのかなーと思っておりましたが、そうではありませんでした。
3度ほど聞き取りや打ち合わせがあり、撮影は5回ありました。
・佐藤健さんの物々交換の場面
・私のインタビュー
・料理撮影
・お客様が店内で召し上がる様子
・弊社員の賄いの様子
撮ったうちのどれだけが放送されるか分かりませんが、ご高覧いただけましたら幸いです。

*放送予定は以下の通りです。
<本放送>
1月1日(水)夜10:15〜11:04
<再放送>
1月2日(木)午前4:10〜4:59
<NHKオンデマンド>
本放送から1年間配信されます。
予告動画は、こちらです。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は3.589本目の投稿でした。

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ニッポンチ!⑥

小学館の文芸雑誌「qui-la-la」(きらら)で河治和香先生の新連載「ニッポンチ!」が好調です。
和香先生が、「駒形どぜう」の三代目を主人公にした小説『どぜう屋助七』(2013年)にウチのご先祖を登場させて下さって以来、新しい連載が始まるのを楽しみにしておりますが、今回は明治の浮世絵師を主人公にした小説です。登場する絵師の作品がウチにあったりしますので、なおさら楽しみなことです。
登場するのは歌川国芳門下の絵師たち。国芳には歌川芳虎、芳艶、芳藤、落合芳幾、さらには月岡芳年、河鍋暁斎といった弟子がいましたが、国芳が幕府に逆らう位の人だったので、弟子達の性格も皆ユニークで。その人物描写もまた、この小説の面白いポイントだと思います。
連載6回目の1月号には楊洲周延が登場しました。
この小説の登場人物は歌川派の絵師達つまり町人ですから、幕末維新の動乱期を生きたと言っても、戦に参加はしていません。
が、楊洲周延(ようしゅう・ちかのぶ)だけは珍しいことに武士の出身で、一度は国芳に入門したにも関わらず戦に行き、重傷もおっているという経歴の持ち主です。
周延は越後国高田藩・榊原家の下級藩士の子として天保9年(1838年)に生まれました。榊原家は「徳川四天王」の一角ですから、幕府が第二次長州征討を行った時、周延も従軍します。
ここまでは藩命にしたがっただけだから普通。しかし周延はさらに上野の彰義隊の戦いに高田藩士を率いて参戦、上野で敗北した後も北へと転戦を続けて、宮古沖海戦で大怪我をします。
この怪我が癒えた頃世は明治時代となり、周延は画業を再開、最初は西南戦争を描いたりしていましたが、やがて美人画で有名になります。「ちんや」が所蔵している、この絵も開化美人を描いています。
これまで私は周延の画風と戦歴が結びつかず不思議に思ってきましたが、この小説の中で和香先生は、一つの理由を示しています。それは周延が「人形好き」だったこと。この件は周延の普通の履歴に出て来ず、今回の小説で初めて知りました。なるほど!と思ってしまいました。
「ちんや」が所蔵している周延は、もう2点。こちらこちらでご覧いただけます。

追伸、テレビ出演の告知です。
2020年元日放送の、
NHKスペシャル「東京ミラクル」第4集 老舗ワンダーランドー佐藤健・物々交換の旅
に出演させていただきます。
「東京ミラクル」は、2020オリンピックをひかえて東京の魅力を紹介するシリーズですが、今回は東京の老舗を紹介します。
東京は、関東大震災、東京大空襲で二度にわたり壊滅的な被害を受け、焼け野原となったにもかかわらず、世界最多の老舗店があります。
番組では、俳優・佐藤健さんが「長寿の秘訣の象徴」である老舗のとっておきの商品を、物々交換しながら訪ね歩き、伝統を受け継ぎながら進化を続ける常識外れの商売哲学を探って行きます。
*放送予定は以下の通りです。
<本放送>
1月1日(水)夜10:15〜11:04
<再放送>
1月2日(木)午前4:10〜4:59
<NHKオンデマンド>
本放送から1年間配信されます。

予告動画は、こちらです。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は3.588本目の投稿でした。

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ニッポンチ!⑤

小学館の文芸雑誌「qui-la-la」(きらら)で河治和香先生の新連載「ニッポンチ!」が好調です。
和香先生が、「駒形どぜう」の三代目を主人公にした小説『どぜう屋助七』(2013年)にウチのご先祖を登場させて下さって以来、新しい連載が始まるのを楽しみにしておりますが、今回は明治の浮世絵師を主人公にした小説です。登場する絵師の作品がウチにあったりしますので、なおさら楽しみなことです。
登場するのは歌川国芳門下の絵師たち。国芳には歌川芳虎、芳艶、芳藤、落合芳幾、さらには月岡芳年、河鍋暁斎といった弟子がいましたが、国芳が幕府に逆らう位の人だったので、弟子達の性格も皆ユニークで。その人物描写もまた、この小説の面白いポイントだと思います。
連載5回目の12月号では国芳関係で一番出世した人物・竹内久一(1857年~1916年)が登場します。竹内は東京美術学校教授、帝室技芸員までになりますが、浅草の「田蝶」という提灯屋の息子でした。父親は提灯屋のかたわら国芳に絵を習っていて、竹内は、提灯屋の息子であることから国芳門下では「小ちん」と呼ばれていました。
「小ちん」は提灯屋も絵も継がず彫刻の道に進みますが、なかなか仕事がなく、その貧窮時代を門下の人達が支えました。
やがて、そんな「小ちん」にも運が向き、「虎屋」の看板用の虎の像でメジャー・デビューします。「虎屋」というのは両国の煎餅屋なのですが、その軒先の装飾の為に「小ちん」が彫った虎が大評判になり、東京帝室博物館館長の目にとまって出世して行くわけです。
それでも「小ちん」竹内は江戸時代の職人そのまんまの気質の人で、岡倉天心など美校関係者を心配させたそうです。
衣服にまったく気を遣わず、学校の用務員より貧相な格好で登校したため、制服を着せられてしまったそうです。技術はありながら、格好や生活態度が残念な教授は他にもいたため、天心は天平時代の官服を模した制服を制定して、学生だけではなく教授たちにも強要したとか。
しかし竹内は、その制服が大嫌い。制服で浅草を歩くと「天神様みたい」とからかわれるので、家を出る時はいつもの着物。上野に着いてから持参した制服に着替えたと伝えられています。
面白い話しですね。連載の続きが楽しみです。

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没後60年

今年は永井荷風の生誕140年・没後60年の年だそうで、再評価をする動きがあるようです。
12日の読売新聞にもそういう記事が出ていて、その中で早稲田大学の中島国彦名誉教授が、
「若いころはパリなどに外遊し、晩年は踊り子たちに囲まれるなど、荷風の自由に生きた側面がこれまで注目されてきた。没後60年という節目の今、様々な人々との交流を通して、荷風の残した文章に回帰し、再読する時期を迎えるのではないか」と語っています。
たしかに、特に浅草の人達は荷風の浅草放浪ばかりを採り上げる傾向がありますね。フランス座の楽屋に日々入り浸っていたとか、どうしても文学以外のつきあいが強調されます。
私は違いますよ!
弊ブログの2010年9月2日号で、荷風と谷崎潤一郎の交流の件を書いています。谷崎は荷風が生涯交友をもった作家ですが、二人は終戦前日の1945年8月14日、一緒にすき焼きを食べているのです。
場所は東京ではなく岡山県。二人とも戦争中は岡山県に疎開していたのです。すき焼きは、その疎開先での出来事でした。
荷風とすき焼きが再評価されたら嬉しいですね。
あ、それも文学以外か・・・

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
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肉業界の恩人

今月の「三田評論」に、日本の肉業界の恩人とも言うべき人の評伝が載っていました。
それは米国人医師デュアン・B・シモンズ。
安政6年(1859年)に来日して以来、明治22年(1889年)日本で客死するまで日本の医療界に貢献した人です。
シモンズは福澤諭吉の恩人でもあります。
福澤先生は明治3年に発疹チフスにかかり、18日間意識不明という重体に陥ります。その時治療に当たったのがシモンズでした。シモンズの指示で薬と栄養を与えられた福澤先生は、ようやく快方に向かいました。「栄養」とだけ「三田評論」には書いてありますが、それは牛肉や牛乳で、それで福澤先生は肉の大切さを痛感します。
この時牛肉や牛乳を提供したのは、設立されたばかり「築地牛馬会社」でした。なんと、築地で牛を飼って、牛肉や牛乳を生産していたのです。
病から回復した福澤先生は、この会社の事業を応援するため、『肉食之説(にくじきのせつ)』という宣伝文を書いて牛馬会社に与えます。曰く、
「我日本国は(中略)肉食を穢たるものの如く言ひなし、妄に之を嫌ふ者多し。畢竟人の天性を知らず人身の窮理を弁へざる無学文盲の空論なり。」
肉が穢れているなんて「無学文盲」だと言うのだから痛快ですが、この文はシモンズの栄養指導の賜物でした。
シモンズが福澤先生の恩人で、日本の肉業界の恩人だと言う所以です。
その後も福澤先生とシモンズは生涯交友を続け、シモンズが亡くなった時の追悼会では福澤先生が弔辞を読んだと伝えられています。亡くなった場所も慶應義塾構内の住居だったとか。
シモンズは現代においては知名度があまりないですから、読み飛ばしてしまいそうな一文ですが、肉に関係ある皆さんは、どうぞ、ご一読を。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
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