10月31日

ハロウィーンって、なんか、若い衆が騒ぎを起こす日だよね、という程度に覚えていた方も、今年こそはハッキリ記憶したはずです、

ハロウィーン=10月31日と。

しかし、そんなことより、私が覚えておいた方が良いと思うのは

10月31日=「ガスの記念日」

1872年(明治5年)10月31日に、横浜の馬車道にガス燈が灯った日です。

今日までガスを使っている私達は、この日を覚えておきたいものです。

ハロウィーンの日付は、アイルランドの人達が覚えていれば、それで良いのでは、と思います。

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大隈侯

10月21日は早稲田大学の創立記念日と聞きました。卒業生の皆様、誠におめでとうございます。

そう言えば、大隈重信はすき焼きが好きだったのか?

調べたことがなかったな。これは迂闊だった。

と思って調べました、ら、

残念ながら、有力な情報はありませんでした。

佐賀市の「ふるさと納税」で「佐賀牛すき焼きセット」を買うと、その資金が大隈重信記念館の維持に充てられるという事実を発見しましたが、その位でした。

大隈は新しもの好きで知られていましたが、肉好きとは確認できませんでした。

詳しい方、情報提供願います。

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鉄道の日

10月14日は「鉄道の日」です。

明治5年に新橋駅・横浜駅間に日本初の鉄道が開通した日だからですね。

特に今年はそこから150年なので、各地で記念イベントが盛大に開催されたそうです。

この明治5年という年は、私の手元にある「明治事物起源事典」によりますと、富岡製糸場が出来たり、初めてガス灯がともったり、ビールの醸造が始まったりと、新しいことが次々に行われた年でした。「初めてラッシュ」と言って良いような年です。

最近では日本人=保守的と言われることが多いですが、この頃の日本人は目新しいものにどんどん手を出しており、別人種のようにすら見えます。

明治初期をたまに思い出すのは面白いことと思います。

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豪雨

今回の東北・北陸の豪雨では、いくつも橋、磐越西線や米坂線の鉄道の橋まで流出してしまい、本当にすごい雨だったのだなと感じます。

被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。

東京にいると橋が落ちるということは想像もできませんが、明治時代までは東京の橋もたまに落ちていまして、浅草の吾妻橋も明治18年(1885年)7月に流出しています。

その橋は、明治新政府が明治9年(1876年)に架けた洋式木橋で新しいものだったのですが、上流の千住大橋が落ちて流れてきて衝突、吾妻橋も倒壊してしまいました。

この後に建て替えられた橋は、初の鉄橋でした。

明治20年(1887)に完成しましたが、立派な橋であったため市中で話題になり、錦絵にもたくさん描かれました。

「ちんや」の客室にも、そうした錦絵の一枚を架けてあります。

その橋も、残念ながら関東大震災で破壊されてしまいました。橋の歴史とは災害との闘いの歴史ですね。

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明治天皇祭

7月30日は、

明治天皇祭

つまり明治天皇のご命日です。今年も天皇陛下が明治神宮に参拝されたと聞いております。

日本が近代化を成し遂げる間、ゆるぎなく君臨された陛下のお墓は、実は東京にはないです。

遺志によって京都桃山陵に埋葬されましたが、それでは寂しいという東京側の声を受けて、明治神宮が創建されたというのが経緯です。神社の創建の経緯としては異例ですね。

7月30日は明治時代を振り返る日です。

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「陸奥」のすき焼き

浅草の新仲見世を歩いていたら、「横須賀海軍カレー」と大書した幟が置いてありました。

なんと、浅草で横須賀のカレーの店をやるのか!と思いきや、さにあらず。その幟は、最近できたミリタリーショップで売っている商品、つまり幟自体が売り物でした。

で、今日は「海軍メシ」の件ですが、「海軍メシ」というジャンルが既にあるようです。

横須賀のカレーは既に有名ですし、西の軍港である呉にも「呉海軍グルメ研究会」というのがあるそうです。

そして、その「呉海軍グルメ研究会」が戦艦「陸奥」のすき焼きを紹介しています。

「陸奥」は就役当時「世界七大戦艦」の一観と言われた大戦艦ですが、「陸奥のすき焼き」の記録は艦内新聞です。昭和13年1月28日に昼食として出されたそうです。

レシピ(2人分)は、

・牛ロース肉(薄切り):150g ・玉ねぎ:2個 ・モヤシ:1袋 ・豆腐:1丁

・醤油:適量 ・砂糖(あるいはザラメ糖):適量 ・ごま油:適量

割り下を使わない「関西風」ですね。

煮るための水分を確保する具材としては白菜ではなく、海上で保存がきく玉ねぎが充てられています。そして艦内で生産できるモヤシを使っています。

海軍料理らしい工夫です。

胡麻油はとくに海軍が常用していた油で、肉ジャガも胡麻油で作っていたそうです。

そして、すき焼きの出る日は「すき焼き会」と称して、乗員が皆楽しみにしたとか。

海軍のすき焼きは、地方のすき焼きの変わり種の一種と言えるかもしれません。

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地下鉄

本日は「地下鉄記念日」です。

1927年の今日日本最初の地下鉄が開業したからでして、その区間は、浅草=上野間でした。

現在の東京メトロ銀座線ですね。

路線の名前が「銀座線」なのに、浅草=上野間しか開業しなかったのは、関東大震災のせいです。

元々は浅草から新橋までつなげることを目指していましたが、1923年の大震災による不況で全面開通できず、高収益が期待できる浅草=上野間だけを先行開業させたわけです。

当時浅草は日本一の繁華街で、しかも他に鉄道が乗り入れていなかったので、儲かる区間と見込まれたんですね。

開業日には10万人もの人が乗車したと伝えられています。

年末年始のご参詣には、どうぞ地下鉄をご利用下さいませ。

追伸、すき焼き「ちんや」再開のおしらせです。

2022年3月18日に、浅草花川戸「金泉ビル」(台東区花川戸2丁目16-1)で再開させていただきます。

すき焼き店のほか、精肉売店も併設致します。

「株式会社 WDI」さんとの御縁により、私の当初の見込みより早めに再開できることとなり、嬉しく思っております。

新店舗には旧店舗のスタッフも、私も従事致しますし、旧店舗の調度品を持ち込みますので、味や雰囲気を保てるものと考えております。

今後詳細が決まり次第順次こちらのサイトにて公開してまいります。ご期待いただけましたら幸いです。

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三百年祭

最近の大河ドラマで、「東京開市三百年祭」を渋沢栄一はじめ旧幕臣が中心になって祝った場面が放送されていました。

「東京開市三百年」とは、徳川家康が天正18年(1590年)に江戸に入ることになってから300年目が1890年だったというわけです。

しかし当時、明治政府に媚び憚って前政府の創業者・家康をうとんじる風があり、それで「江戸開府」ではなく「東京開市」になってしまったようです。

これについて福澤諭吉は「政権の新陳交代は政事の常」「徳川二百七十年の善政があったからこそ、明治新政わずか二十余年で国会開設が可能になった」と大いに批判しますが、名前は変えられなかったようです。

それはさておき、その式典のメイン会場は上野公園不忍池畔の競馬場でした。競馬場の様子は「ちんや」が収蔵する錦絵で見ることができます。

上野での三百年祭は「朝野新聞」によれば「非常の群集」で賑わったと伝えられています。

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立志と学問

さて12月となり、今年の顔である渋沢栄一の大河ドラマも残り少なくなりました。

そんなおり、久しぶりに「論語と算盤」を読んでおりましたら、

?!

と思う一節がありました。

第2章「立志と学問」で自身の前半生を「ムダ」と言っていたのです。

以前に読んだ時は読み飛ばしてしまったようですが、今回かなりハッキリ「ムダ」と言っていて少し驚きました。

渋沢は、はじめ尊王攘夷運動に関わり、やがて大きく方針転換して徳川慶喜の臣下となり、さらに転換して明治政府に入って、政府の近代化を進め、またさらに転換して、実業界に移ります。

実業界を盛り立てることが、結局自身の「立志」であって、それまでの、30歳くらいまでの活動は、

「青年時代の見当違いなやる気で、肝心の修養すべき時期を、まったく方向違いの仕事でムダに使ってしまった」と。

ムダという表現を?!と思ったのは、今年の大河ドラマで前半生の部分が長かったからかもしれません。

渋沢栄一って、明治時代の実業家と聞いていたのに、なんでずっと江戸時代の話しが続くんだ?と思った方も多かったと思います。ドラマとしては、そちらが面白いですからね。

しかし、ご本人はムダと言っておられましたよ、はい。

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フィクションドキュメンタリー

日本堤消防署さんの研修会で、

フィクションドキュメンタリー「荒川氾濫」

を視ました。

東京都北区のJR鉄道橋付近で堤防が決壊した場合と、東京都足立区の鉄道橋付近で堤防が決壊した場合を想定・作成された動画です。映画感覚の動画でした。

その設定では、浅草雷門は決壊から6時間で1メートル程度浸水すると放映されていました。

東京駅や銀座もやがて水没、東京の地下鉄は全部止まるという想定でした。

浅草は、実は1910年(明治43年)に水害に遭ったことがあります。

「明治43年の関東大水害」と言われるもので、死者769人・行方不明78人・家屋全壊2.121戸、家屋流出2.796戸にも上る大参事だったそうです。

これ以降浅草は水害に遭っていませんが、水害に遭わなくなったのは、1910年の大水害に危機感を覚えた当時の政府が荒川の流路掘削を決意したからです。

江戸時代、荒川と隅田川はつながっていて、水運の大動脈でした。荒川が隅田川へ流れこんでいるのですから、水量が多く、物資の輸送には便利でしたが、ひとたび水害が起きると惨事になったのです。

1910年の惨事を受けて、政府は「荒川放水路」を掘削することを決定します。1913年(大正2年)から1930年(昭和5年)まで、17年がかりの難工事の結果、荒川の水はかなり東方・現在の江東区・江戸川区の境へと流れることになりました。

この新しく太い流路が、やがて荒川の本流と認定され、江戸時代には荒川の本流であった現在の「隅田川」つまり岩淵水門より下流の部分が「隅田川」と呼ばれるようになったのでありました。

以来浅草は水害に遭っておりません。が、それから110年を経て、地球は温暖化し、放水路を掘削した今の荒川でも危なくなってきた、というのが、今回の研修です。

水害ばかりは、逃げるしかないですねえ。

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