高輪築堤

高輪ゲートウェイ駅開発にともなって「高輪築堤」が発掘されたそうです。

と書いても、?という方が多いと思いますので、以下にご説明致します。

1872年に新橋・横浜間に開業した「陸蒸気(おかじょうき)」が海上を走っている錦絵を見たことがある人はいませんか?

日本初の鉄道を通そうとした時、世間はそれに無理解ですから、用地買収が難航しました。

高輪の辺りはついに買収できず、海の浅瀬に「高輪築堤」を造って、その上に線路を通しました。それで海上を蒸気車が疾走する景色になったわけです。

大変新奇な風景だったので、当時多くの絵師が描き、多数の絵が残っています。(残念ながら「ちんや」の収蔵品には無いですが)

今回その堤の遺構が発掘されましたが、ゲートウェイ駅前は開発されますから、すぐに埋められてしまうでしょう。

時に、少し話題が逸れますが、今回築堤の絵のことを調べていて、この時代の錦絵を多数収蔵している博物館が在ることを知りました。

それは「物流博物館」。

日本通運が1958年に開設した「通運史料室」が源流で、今も日通グループが運営しています。物流に特化した展示のようですが、錦絵が豊富で実に面白いです。「高輪築堤」や新橋駅の絵もあります。

場所は高輪。

現在はリニューアル中でリアルに観に行けませんが、ネットで画像を観られます。お勧めです。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は3.975本目の投稿でした。

Filed under: 憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

ジャップ食堂

さてパールハーバーの日です。

今年の始めに『海を渡ったスキヤキ  アメリカを虜にした和食』(グレン・サリバン著)を、弊ブログに書いたのを思い出しました。書いたのは1月10日。まだコロナの気配は感じられませんでした。

1月10日に書いた時は、太平洋戦争中のマンハッタンの和食レストランについて、

「そうした店も移民排斥法、そして太平洋戦争で壊滅的ダメージを受けます」とだけ書きましたが、実はパールハーバーの後一年くらい続いていた店があったことも、この本には書かれていました。

それをレポートしたのは、マンハッタンの新聞記者で戦前から和食店に通っていたチャールズ・ドリスコールです。

「君、知らないのか、マンハッタンのジャップ食堂、まるで何もなかったのようなツラがまえで営業しているんだよ」

「嘘に決まっているさ。パールハーバーの夜に警察が全部閉店させたって新聞に書いてあったぜ」

「お前さんは、相変わらず世間知らずだね。証拠を見せてやろう。すき焼きを食べに行こう。僕のおごりだ」

→われわれは六番街のジャップ食堂「ダルマ」の階段をがたがた登り入店した。

「ダルマ」ですき焼きを食べながら僕は思索にふけった。この猿面のペテン師たちは僕たちアメリカ人についてどう思っているのだろうか。日本人の心は全く読み取れないものだ。(1942年5月7日)

この戦争は勿論アメリカの勝利に終わり、戦後日本に駐留したアメリカ人の間ですき焼きブームが起こりますが、そのベースには、こうした戦前からの「ジャップ食堂」があったのですね。

忘れたくない歴史です。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし本日は3.937本目の投稿でした。日頃のご愛読に心より御礼申し上げます。

今後は3.939本を目指して頑張って参ります(笑)

Filed under: すき焼きフル・トーク,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

天外者

俳優・三浦春馬さんが出演していて大変話題になっている「天外者(てんがらもん)」の完成披露試写会があったそうです。

で、その中に明治の元勲たちがすき焼きを食べるシーンがあるそうです。

この映画は、幕末から明治にかけて財界の大物だった五代友厚を描いた映画ですが、その五代(三浦春馬さん)、坂本龍馬(三浦翔平さん)、岩崎弥太郎(西川貴教さん)、伊藤博文(森永悠希さん)が鍋を囲むとか。

現実にはどうだったでしょうか。

このブログの2013年9月11日号に書きました通り、

伊藤博文は牛肉に縁が深いです。

「神戸ビーフ」が神戸居留地の外国人キルビーとハンターによって始められた頃、伊藤は兵庫県知事だったのです。神戸肉流通推進協議会のサイトにも、

「神戸港開港と同じ年に、かの伊藤博文が兵庫県初代知事に就任。英国留学帰りの国際派として鳴らした伊藤は、神戸の外国人居留地の整備に力を注いだ人物としても知られています。そんな彼が、神戸ビーフを好んで食べていたという逸話が残っています」と書かれています。

その他の人については、残念ながら確認できませんでした。

「五代友厚」「すき焼き」と検索すると、今回の映画のことばかりが出てきます(笑)

ならば、無理やりフェイクニュースを造ってしまいましょうか!

・五代友厚はすき焼きが好きだったらしい。

→五代の故郷・鹿児島は終焉の地・大阪で、五代ゆかりのすき焼きメニューを出す

→商店街や商工会も便乗する

→行政も便乗する

こういう展開は、これまでも多かったと思いますよ(笑)

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし本日は3.934本目の投稿でした。日頃のご愛読に心より御礼申し上げます。

今後は3.939本を目指して頑張って参ります(笑)

Filed under: すき焼きフル・トーク,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

エレベーターの日

11月10日は「エレベーターの日」だったそうです。

そして、その由来は浅草に関係がありました。

1890年11月10日に日本初の電動式エレベーターが浅草の「凌雲閣」に設置・公開されたことにちなんでいます。(一社)日本エレベーター協会が、そう制定したそうです。

「凌雲閣(りょううんかく)」は通称「十二階」。当時日本一の展望塔でした。ヒットアニメ「鬼滅の刃」の浅草のシーンにも出てきますね。関東大震災で倒壊するまで帝都随一の観光名所でした。

が、そのエレベーターの調子は良くなかったようです。

開業当日より故障が頻発。翌年には使用中止になり→訴訟沙汰となったようです。日本エレベーター協会のサイトには、その辺りは勿論詳しく書いてありませんが、有名な話しなので、浅草の人はかなりの確率で、この件を知っています。

この件が有名になったのは、日本初の美人コンテスト「東京百美人」が開催されるキッカケが、このエレベーターだったからです。

エレベーターがない中で十二階までお客さんに階段を上がっていただくのは大変です。そこで階段の壁面に美人達の写真を貼り付けることにしたわけです。それが「百美人」。 皆さん、エレベーターに乗ったら、美人コンテストを連想しましょう、是非。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし本日は3.913本目の投稿でした。日頃のご愛読に心より御礼申し上げます。

今後は3.939本を目指して頑張って参ります(笑)

Filed under: 憧れの明治時代,浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

まちの記憶

9日の朝日新聞夕刊「まちの記憶」のコーナーに、

茅ヶ崎市の旅館「茅ヶ崎館」さんとカレーすき焼きが出ていました。

茅ヶ崎は温暖なことから、明治時代後半に東海道線の駅が開業すると療養地・別荘地として栄えるようになりました。

そして松竹大船撮影所が1936年にできると映画関係者が茅ヶ崎を訪れるようになります。

「茅ヶ崎館」さんを定宿にしたのは映画監督の小津安二郎でした。

小津は「茅ヶ崎館」に数か月も逗留することがあり、その間にすき焼きを楽しむことがありました。小津流のすき焼きはカレー粉をふりかけること、そのカレーすき焼きが今でも「茅ヶ崎館」さんでは食べられます。

近場旅行が推奨される昨今、茅ヶ崎にGOTOしてみるのも悪くないと思います。

なお「ちんや」でもカレーすき焼きを提供しておりますが、そのやり方は小津流とは少しだけ違いまして、カレー粉をオイルで溶いてから卵に入れております。小津のように鍋の中の具に直にカレー粉をかけると、喉を通る時咽ることがありますので、改良しました。

どうぞ、ご賞味下さいませ。

追伸、

NHKBSプレミアム「新日本風土記」再放送に「ちんや」が登場します。ご覧くださいませ。

「鍋のしあわせ」 

NHKBSプレミアム・NHKBS4K同時】 

11月13日(金) 午後9:00~9:59

11月20日(金) 午前8:00~8:59

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし本日は3.911本目の投稿でした。日頃のご愛読に心より御礼申し上げます。

今後は3.939本を目指して頑張って参ります(笑)

Filed under: すき焼きフル・トーク,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

聖地巡礼

天性「天邪鬼」なものですから、世間で「流行っている、流行っている」と言われると逆に関心をなくすのが私です。

大ヒット作「鬼滅の刃」についても、

フジテレビが放送したものを、何故他局が「流行っている、流行っている」と言うのか?!プライドは無いのか?!

というのが私の感想でしたが、「聖地巡礼」が既に始まっているとなると、無関心というわけにいかなくなってきました。

鬼滅の刃」第7話『誘惑の血の匂り』では、炭治郎が鬼舞辻無惨と東京府浅草で遭遇します。

なんと、浅草は「鬼滅」の聖地なんだそうです。

時代は大正時代で、描かれているのは浅草公園六区が多くて、あの辺りの町並みは随分変化しているので、浅草の歴史や当時の景観について、ある程度予備知識がないと「これが浅草?」という感じかもしれません。ネットでは、

「ふと思ったけど 鬼滅の刃で浅草出てくるやん あれどの辺なんだろ 雷門の辺りかなぁ」

とつぶやく方もいましたが、高い塔や池は雷門の辺りじゃないですよ。

当時の浅草のシンボルは雷門や仲見世より、六区の凌雲閣(=塔)と瓢箪池でした。隣接して立地していて、高層建築と都市公園という組み合わせが帝都で人気ナンバーワンの景観だったのです。

その凌雲閣は関東大震災で倒壊、瓢箪池は戦後1951年に戦災瓦礫で埋めたてられましたから、今はないです。瓢箪池をリアルに見た方はもう70歳代後半でしょう。

でも巡礼の人は、もう来ているようです。ツイッターでも

「鬼滅の刃の聖地巡礼で一番行きやすいのは浅草じゃねえか!実際、今日着物の人ばっかだった!確実に鬼滅の刃の影響」というツイートが。

すき焼き屋に恩恵あるかなあ・・・

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし本日は3.908本目の投稿でした。日頃のご愛読に心より御礼申し上げます。

今後は3.939本を目指して頑張って参ります(笑)

Filed under: 憧れの明治時代,浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

国芳一門明治浮世絵草紙

河治和香先生の『ニッポンチ!』が単行本になりました。

出版記念会が「駒形どぜう」さんで開催され、お招きいただいたので、参加させていただきました。

和香先生が、「駒形どぜう」の三代目を主人公にした小説『どぜう屋助七』(2013年)にウチのご先祖を登場させて下さって以来、新しい作品を楽しみにしておりますが、今回は明治の浮世絵師を主人公にした小説です。

これまで文芸雑誌「qui-la-la」(きらら)で連載されていて、登場する絵師の作品がウチにあったりしますので毎回楽しみにしておりましたが、それがついに単行本になりました。めでたいです。

登場するのは歌川国芳門下の絵師たちと娘の芳。国芳には歌川芳虎、芳艶、芳藤、落合芳幾、さらには月岡芳年、河鍋暁斎といった弟子がいましたが、国芳が幕府に逆らう位の人だったので、弟子達の性格も皆ユニークで。その人物描写もまた、この小説の面白いポイントですね。

皆様もご購読を。

『ニッポンチ! 国芳一門明治浮世絵草紙』

小学館刊行 ISBN9784093865968

追伸、11月3日は火曜日ですが、祝日に当たりましたので、「ちんや」は営業致します。どうぞ、ご利用下さいませ。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし本日は3.900本目の投稿でした。日頃のご愛読に心より御礼申し上げます。

Filed under: 憧れの明治時代,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

福澤諭吉のすすめ

『家庭画報』10月号が「福澤諭吉のすすめ」という特集を組んでいます。

雷門「三定」の女将さんが塾員なのですが、

私の知り合いが編集しているの! 住吉君も読んで!

と言うので、私も拝読しました。

・福澤先生の生涯の概説

・先生所縁の地を訪ねる旅

・各界著名人が、自分が大切にしている先生の言葉を挙げるコーナー

などが載っていました。

言葉は「独立自尊」を筆頭に「一身独立して一国独立す」「気品の泉源智徳の模範たれ」などあらためて読んでも素晴らしい教えが多いと思うと同時に、自分が全くそうなっていないことに呆れるばかりです。

私が好きなのは、先生の毒舌なんですよね。

「赤穂不義士論」(明治7年)はつとに有名ですが、

弊ブログの8月19日号でも紹介しました通り、先生は肉食を擁護するあまり、他の食べ物について毒舌を吐いています。

「日本橋の蒲鉾は溺死人を喰ひし鱶の肉にて製したるなり」

「春の青菜香しといえども、一昨日かけし小便は深く其葉に浸込たらん」

「先祖伝來の糠味噌樽へ螂蛆うじと一処にかきまぜたる茄子大根の新漬は如何」(明治3年)

今回『家庭画報』だけに、先生が『女大学』(貝原益軒)を批判した『女大学評論』も採り上げられていますが、その論法は、

『女大学』が「七去」と指弾する「子なき女」「淫乱な女」「嫉妬深き女」の「女」を「男」に入れ替えたらどうなるだろう。女だけが責められるのはおかしいじゃないか。

悪人はむしろ男に多く「男大学」を書いた方が良いくらいだ。ここも毒舌系ですねえ。

私が、この特集を編集するとしたら、

「福翁毒舌ベストテン」ですかねえ。「先祖伝来の糠味噌」は是非そこに入れたいです(笑)

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし本日は3.845目の投稿でした。引き続きご愛読を。

Filed under: すき焼きフル・トーク,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

福澤先生と肉食③

タイトルは「福澤先生と肉食」ですが、今日は肉の話しは出ませんで、その余談です。

昨今話題の嗅覚障害に福澤先生もなっていた!という件です。

先生が明治3年にチフスにかかって、18日間人事不省という重態となり、病後の栄養補給に牛乳を飲んだ件は昨日の弊ブログに書きました。

そのくだりを『福翁自伝』で確認しようと読んでみましたら、以下のように書かれていました。

「慶應義塾が芝の新銭座を去って三田のただ今の処に移ったのは明治四年、是れも塾の一大改革ですから一通り語りましょう。その前年五月私が酷い熱病にかかり、病後神経が過敏になったせいか、新銭座の地所が何か臭いように鼻に感じる。また事実湿地でもあるからどこかに引き移りたいと思い・・・」

残念ながら牛乳の件は書かれていないのですが、久しぶりに読み返して「!」と思いました。チフスで嗅覚が変わり、転居したくなったと言うのです。

芝の新銭座(しんせんざ)というのは、現在の浜離宮庭園の近く。海っぺりの湿地だった所に銭の鋳造所が出来て、後に町屋になったところですが、そこを先生は臭いと思うようになってしまったとか。

福澤塾が「慶應義塾」と命名されたのは、新銭座にあった時代なんですけどね。

「地所が何か臭いように鼻に感じる」という所を私は以前スルーしていました。転居の理由としては何だか変だなあ・・・くらいに思っておりましたが、コロナの時代に読み返して、そういうことか!と思った次第です。

以来義塾は現在地の三田山上にあります。

山の上に移ったのは低地がイヤだったから。授業に遅刻しそうな時に教室まで駆け上がるのは私も苦痛でしたが、学生がそういうハメになったのは、そういうわけです。

その発端はチフスで嗅覚が変わったから。

チフスがキッカケで先生は牛肉・牛乳を推奨する文を書き、義塾は現在地に移転した。

塾員の皆さん、ご存知でしたか?

*追伸、「ちんや」が使っている千住葱の動画がNHKアーカイブスのサイトで見られるようになっています。この動画は、今年3月にNHK-BSで放送された「新日本風土記」を再編集した動画です。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし本日は3.827目の投稿でした。引き続きご愛読を。

Filed under: すき焼きフル・トーク,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:00 PM  Comments (0)

福澤先生と肉食②

今日の話しは昨日の弊ブログから続いています。昨日は「適塾」時代の福澤諭吉先生が牛鍋屋に行っていた件でした。

牛鍋屋は悪所にある下等な店でしたが、安かったので、飲みたい願望・食への好奇心が強かった当時の先生はかまわず行っていました。「不潔に頓着せず」だったのです。

その後先生は江戸へ出て蘭学塾を開きます。咸臨丸で渡米、文久遣欧使節に同行して渡欧、海外の見聞を広めます。

塾もだんだんに発展しますが、そんなおり、明治3年に先生はチフスにかかります。人事不省の状態が18日間に及んだというから、大変でした。

その時に栄養補給に重宝したのが、「築地牛馬会社」から手にいれた牛乳でした。

「築地牛馬会社」は御一新後に官営で設立された会社です。築地にリアルに牛がいて、乳をしぼったり、屠畜をしていたのだから驚きです。

先生は、その牛馬会社に助けられたので、肉食や牛乳、バターなどを推奨する一文を書きました。それが『肉食之説』(明治3年)です。

文の調子は、けっこう激烈です。

日本には、みだりに肉を嫌う者が多いが、それは、

人の天性を知らず人身の理をわきまえない「無学文盲の空論なり」と切り捨てています。

このころの先生は旧習に対する批判精神が高揚していた時期でした。四年後の『学問のすすめ』第六編「国法の貴きを論ず」では有名な「赤穂不義士論」を出します。

歌舞伎や講談で有名な赤穂義士の死に方は無益な死で、お使いの金を落として首をつった手代の権助(ごんすけ)と、無益という意味では変わらないと論じたのですから、大炎上しました。

ここに先生の、もう一つの気質が現れていますね。「炎上に頓着せず」です。昨日は「不潔に」でしたが、今日は「炎上に」です(笑)

法を施行できるのは政府のみで赤穂義士の敵討は私裁だと批判するのは議論として分かりますが、そこに権助を持ち出すのは、言い過ぎ感があります。それでも先生は権助を持ち出して世論を刺激しました。

『肉食之説』でも先生は結構刺激的なことを言っています。

当時世間には、肉はきたないものだと思う人が多かったのですが、その人達がありがたがって食べている食品を先生はコキ下ろします。

「日本橋の蒲鉾は溺死人を喰ひし鱶の肉にて製したるなり」

「春の青菜香しといえども、一昨日かけし小便は深く其葉に浸込たらん」

「先祖傳來の糠味噌樽へ螂蛆うじと一処にかきまぜたる茄子大根の新漬は如何」

うじ虫が漬物の糠床に入り込んで死んだ場合、糠床にいる微生物がそれを分解してしまうので、人体に影響は少ないです。うじ虫に腐敗菌が付いていたとしても糠床の中では常在の乳酸菌の勢力が圧倒的で、腐敗菌は駆逐されるのです。

が、気分として不潔感はどうしても、ありますね。そういう漬物を喜んで食べているのだから、諸君は肉だって食えるはずだというわけです。

肉は滋養や体力向上に良いのだから、是非食べるべきだと言うだけで済ませず、他の食品をあれこれ批判しているのは、これも言い過ぎ感がありますが、私は個人的には好きです。

旧習を止めさせ、肉食を普及させたいという情熱が、炎上しそうな表現に向かわせたのでしょうから、私は好ましく感じますが、蒲鉾屋さんや漬物屋さんは、さぞ不愉快だったでしょう。

このくだりが個人的にかなり好きなので、赤穂義士が炎上したのに、肉食がさほど炎上した形跡がなく見えるのは、私としてはむしろ不満に思っています。

(『肉食之説』が炎上していないかは、突き詰めて確認したわけではないです。今後どなたか史料にあたって確認して欲しいです) 以上、昨日・今日と福澤先生を肉食推奨に向かわせた、二つのエピソードをご紹介しました。暴論・雑感ですから、どなた様も真面目に読まないようにお願い申し上げます。

*追伸、「ちんや」が使っている千住葱の動画がNHKアーカイブスのサイトで見られるようになっています。この動画は、今年3月にNHK-BSで放送された「新日本風土記」を再編集した動画です。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。
弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし本日は3.826目の投稿でした。引き続きご愛読を。

Filed under: すき焼きフル・トーク,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)