スマフォ「ながら歩き」

 うーむ、世の中は、こういう状況になっているのか!

と感じる場面に遭遇しました。

 浅草の裏路地を急いでいると、若い女性4人が横一列に並んで歩きながら、全員がスマフォをいじっていたのです。広くはない路地なのに、横一列でゆるゆる進むので、邪魔なこと、この上ないです。

 私の方は、急いでいたので表通りを避けて、わざわざ裏通りを進んでいたわけで、通せんぼされては困ります。

 そこで彼女たちと塀の間の50㎝ほどの空間を、身を斜めにひねって追い抜き、追い抜きざまにチラリと視線を送ると、4人の内の1人は、なんとスマフォではなくて、i-Padでした。歩きながらi-Padを操作しているではありませんか。

 そう言えば先日テレビのニュース番組が、スマフォの「ながら歩き」が原因の衝突事故が増えている、と報じていました。

 スマフォは普通の携帯電話より重いため、それをいじりながら歩くと、どうしても視線が下を向きがちで、それで衝突事故を起すのだとか。

 これから行く店の地図なんか、家を出る前にプリントしてくれば良さそうなものを、スマフォ・ラバーズの皆さんは、そういうことはしないようです。あくまで便利なスマフォに依存して、それを頼りに歩くのが正しく、紙などというアナログなものに頼ったりはしないのです。

 ジョブズ、恐るべし!

 一方私は、以前このブログに書きました通り、「百viewは一見に如かず」と考えるアナログ主義者です。

 だから現在準備中の、経営者の大交流会「ニッポン全国彪友会―台東万博!」についても、人間が人間に出会うことの大事さを前面に出そうと思っています。この会では参加者のプロフィール・ブックを紙に印刷して当日会場で配る予定です。

 アナログでしょう!

 さて、この主義で大丈夫なのか・・・今の世の中で。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて607日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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人材育成入門Part3

 二条彪先生の「台東区若手経営者サポートセミナー」第四講を受けました。

 今回のテーマは「人材採用・人材育成入門Part3」で、内容は主に「突発退職などの退職事情を改善する」でした。

 突発退職が発生⇒手不足になる⇒緊急募集⇒良くない人材でも、やむなく採用してしまう⇒入社後に不始末をしでかす⇒懲戒突発退職が発生⇒手不足になる⇒・・・

が中小企業の、大きな課題であることは明らかです。

 講師の二条先生自身も、前職の社長時代には、この悪循環に陥っておられた、だからこそセミナー受講生には、このことで失敗してほしくない、という強い気持ちが伝わってくる講習でした。それだけにヒジョーに耳が痛いです。

 先生いわく、突発退職がまかり通るのは、そういう気風が、その会社に出来ているからで、その気風を造ったのは社長自身だ、ということです。「抜ければまた補充すればいいや」という社長の安易な発想が、全員に伝わってしまい、そういう気風になるのだ、と思うべきなのです。

 かなり、耳が痛いです。

 同じ飲食店でも、しっかりやっておられる所があります。「ちんや」の2軒隣りの「ときわ食堂」さんは、「通年いつでも採用」でなく「計画採用」です。

 辞めちまった!⇒補充!

ではなく、年に一度だけ新卒の新人を入れます。

 だから、その新人が定着しなかった場合、翌年まで補充は無し!です。だから辞めにくいです。

 大企業では、それが普通ですが、小規模の店の場合、この手不足はとても痛いと想像できます。それでも、この方式を続けておられます。

 片や、「ちんや」では、どうも皆が一年中、正月の手数の心配をしています。

 今の手数では正月を乗り切れない!

という心配を一年中心配していて⇒急いで補充せねば!という循環になっています。

 正月の忙しさなんて、たかだか1週間くらいのことなんですけどね、心配でしかたがないようです。この発想から抜けないと!

 「入社後に不始末」は、御蔭様で弊店の場合は、今のところ無いのですが、今の調子を続けていると、いずれ事件に遭わないともかぎりません。

 同席した受講生の皆さんの会社で、随分不祥事が起きているを知り、衝撃を受けました。弊店も気を引き締めないといけませんね。

 桑原、桑原。

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SPP

 今日は政治ネタです。

 ですので、そういうのがお嫌いな方は、すぐさま「戻る」ボタンをクリック願います。

 さて、政治ネタと申しましても「TPP」のことです。だから、政治というよりは経済ネタのはずです、本来は。しかし、どうも様子を拝見しておりますと、政治ネタとして扱われているようで、私はそのことに違和感があるのです。

 「TPP」は、純粋に経済問題として見た場合、あまりにも我が国に失うものが大きいと思います。私が食べ物関係だから農業のことだけを心配していると思った方もおいでと思いますが、違いますよ。

 金融とか保険とかも、日本の制度を改めて「自由な制度」に変えないといけないらしいですよ。皆さん、ご存じでしたか。

 先行して、同じような協定をアメリカと結んだ韓国では、農協の共済制度が解体させられるそうです。「自由な制度」でないと判断されるらしいのです。

 なんでこんなに不利で、ダメージを蒙りそうな話しなのに、導入に向けて進んでいるのは、何故なのか。

 我が政府を疑いたくはないですが、「普天間が進まないことの弁償」としか考えられません。ハトヤマさんの後始末ですよね、ハッキリ言って。

 他に理由があれば、お教え願いたいです。

 それから、ですよ。東北と関東の農業はゼッタイに保護しないといけません、ゼッタイです。アメリカの言うことを聞く必要があるのはわかりますが、それだけはダメです。

 関税は、下げるどころか上げた方がいいんじゃありませんか!

 東京から青森までの地域に、外から入ってくる農産物には、関税引き上げ!!!

 関税収入は、勿論、復興支援に投じます。

 これが「SPP」です。すなわち Sumiyoshi-Pacific Economic Partnership Agreement

 政治ネタを書いているとイラついてくるので、今日は短いですが、この辺で。

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観光より台東区の未来(あす)を考える

「観光」より台東区の未来(あす)を考えるシンポジウム

というシンポジウムが開催されました。

 主催者しましたのは、自称「したまち青年4団体」。

 すなわち浅草法人会青年部会・上野法人会青年部会・東京商工会議所台東支部青年部・東京青年会議所台東区委員会です。私もこの内の浅草法人会青年部会・東京商工会議所台東支部青年部に入っています。

 今回は、特に「食」を中心に議論をする、ということで私も幹事としてお手伝いをいたしました。

 震災後、観光客の数が激減し、いまだ回復に至っていません。

 そこで「したまち青年4団体」に何か出来ることはないか、特に「観光の中の食文化」に着目して、そこから台東区を元気にしたい、そういう趣旨のシンポジウムでした。

 出演者は、結構、オオモノです。

 第一部の基調講演は、日本政府観光庁長官・溝畑宏様。震災後の観光地の現状や、観光産業のトレンド・食文化観光の在り方などをご講演いただきました。

 この方は、旧自治省の官僚出身なのですが、サッカーの「大分トリニータ」の社長をされたりとユニークな経歴の方です。

 弁舌も熱血で、客を飽きさせない語り口は「超官僚級」です。今や講師として人気があるとか。この日も大きな拍手を受けていました。

 次に第二部パネルディスカッション。ご出演は評論家の山本益博さま、台東区役所文化観光産業部長の田辺英一さま、それからカリカチュア店の事業が好調な若手実業家の「カゲ様」の御三方でした。

 さて、この日の私の担当はと申しますと、パネラーの皆さんのお世話。

 つまりは出番までの間、控え室で茶飲み話しの御相手をし、出番になったらステージまでご案内する、というカンタンなものでした。

 メインの幹事の皆さん達は、忙しそうでしたが、私はのんびりするのが用事です。

 お酒も出せたら、なお良かったんですけどね、控え室で。

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浅草広小路

 『100年の味 店100選』なる御本が毎日新聞社から出るそうです。

 「ちんや」も、そこにお採り上げいただくことになり、取材のライターさんが見えました。

 そういう題の御本ですから、取材内容も昔の話しです。そこで明治末から大正の頃の、「ちんや」の写真をご覧にいれました。

 この写真は、元々モノクロで、その上に着色するという手法で加採した写真です。当時は、東京土産として売られていたようです。

 ご覧にいれて、ライターさんの目にとまったのは、その写真のタイトルです。

 「(帝都名所)浅草広小路雷門通り」

というのが、その写真のタイトルです。

 現在は、この、「ちんや」の前の広い通りは、「浅草雷門通り」と称していますから、ライターさんとしては、現在の通りとどこがどう違うのか、当然気になったご様子です。

 で、正解ですが・・・

 「浅草広小路」というのは、この通りの、江戸時代以来の古い名前で、その旧称と近代的な名前の「雷門通り」を合体させたのが、この写真のタイトルなのです。

 現在でも、「上野広小路」という古い名前が地下鉄の駅名として残っていますが、通りの名前は「中央通り」ですね。だから、この通りのことを「上野広小路中央通り」と呼べば、「浅草広小路雷門通り」と言うのと同じです。

 おそらく写真を撮った当時、新しい「浅草雷門通り」という名前がつけられたものの、古く慣れ親しんだ名前も捨てがたくて、合体させてしまったものと思われます。

 ちなみに「広小路」が、どの位古いかと申しますと、明暦(1657年)の大火の後に、幕府の防火政策の一環で出来たものです。

 この大火で、江戸の市街の大半は焼失し、10万人以上の死者を出したそうです。そこで幕府は広い通りを作り、火事が延焼するのを防ごうと考えました。それが「火除け地」としての「広小路」です。

 浅草、上野の他に両国にも作られ、この三箇所が「江戸三大広小路」と言われたそうで、その近辺は人の往来が増えて、盛り場となった次第です。結果的には、火事が町の発展に貢献しわけですから、皮肉なものです。

 私個人は、「浅草雷門通り」という名前は、なんとなく、普通っぽ過ぎて愛着がわいてきません。

 「浅草広小路」という言い方を復活させたら、粋で、なおかつ瞬時に歴史に思いをはせることができるように思います。

 「浅草広小路の ちんや」とか「浅草広小路の住吉史彦」とか名乗ろうかと思案しています。

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誕生日

 フェイスブックが「友達」の誕生日を通知してきます。

 ご丁寧に予告まであります。前の週に「来週誕生日を迎えるお友達は、○さんと×さんです」と通知してきます。

 うーん。

 どうしたら良いものか悩みますよね。

 当然、誕生会を企画してあげればベストですが、なかなかその時間もありません。都合よく、その近辺のタイミングでその方と飲む機会があればラッキーですが、そう上手くもいきませんね。

 そうする内に、当日になってしまい、今度は「何かコメントを書き込まねば・・・」とまた悩みます。人の誕生日を祝うのに、形式的な言葉になってはマズいですが、そうカンタンに気のきいた言葉なんて出てきません。

 うーん、です。

 それ以上に心配なのは、接近しつつある自分の誕生日です。

 お願いですので、コメントをして下さる場合は、

⇒なるべく形式的な言葉を、お書き込み下さい!!

 自分の誕生日が「スルー」だったら、寂しい気がするだろうとは思うのですが、返信に悩んでしまうようなコメントは、困ってしまいますので、ご遠慮下さい。例えば・・・

 「とりあえずおめでとう」

(私が自分で)「いいね!」

 「一応おめでとう」

(私が自分で)「いいね!」

 「軽くおめでとう」

(私が自分で)「いいね!」

 「微妙におめでとう」

(私が自分で)「いいね!」

 こんな要領で、よろしくお願い申し上げます。

 12/3です。

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起業家ゼミナール

 「えどがわ起業家ゼミナール」の懇親会に参加させていただきました。

 「台東区若手経営者サポートセミナー」の講師をされている、二条彪先生がやはりこのゼミでも講師をされているのですが、熱心な方が多く参加されていて、また起業を志しておられる皆さんだとかで、「台東区のメンバーと交流したら、とても面白いに違いない」という話しになり、仲間の社長5人と一緒に訪ねました。

 この日は、ゼミの前半部分が終了した日の打ち上げとかで、50人ほどの方が参加されていました。台東セミナーは「若手」対象ですが、こちらは起業を考えておいでなら、年配の方も良いらしく、勿論若手もいらして多士済々です。

 現在は「お勤め」の立場の方も多いのですが、休日の時間を削って、このゼミに参加しておられます。大したものです。

 さて会議室での、缶ビールとポテチでの一次会は意外に早く終了。

 あれ?もう終わり?と思っていると、最初から二次会へ行くのが前提だったらしく、そそくさと移動。二条先生も、お忙しい中見えました。

 印象的だったのは、ご自分の起業プランを披露して、こちらの意見を求めてくる皆さんの御姿です。当然ではありますが、真剣そのもの。

 でもねえ。意見を欲しておいでなのは良くわかるのですが、私なんぞ、ヘビー素人級のフィードバックしかできないんですよね。

 未開拓市場の「大きさ」「将来性」なんて、すき焼き屋には「???」です。

 二条先生が日頃教えておいでの通り、試してみて⇒修正しかないのだと思います、無責任なようですが。

 酒が進む内、皆さんもその辺りのことは、だんだん分かって来られたようで、次第に違う方向の「質問タイム」へ。こちらのプライベート事情に関する御質問です。

 先代さんとの間に葛藤はないの?とか。

 奥様とは恋愛なの?とか。

 東京郊外の宅地にお住まいの方には、私のような人種は、モノ珍しいのかもしれませんね。

⇒普通ですよ、浅草の人間も。

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マミー之像

 先日「浅草雷門横丁」の皆さんと「一斉清掃」をしていた時、

 この猫ちゃんの像は何ですか?

と聞かれました。

 猫の像と言いましても、金属のプレートに浮き彫りにした像つまりレリーフなのですが、そのレリーフが「ちんや」ビルの、雷門横丁側の面に貼り付けてあるのです。

 「雷門横丁」は浅草のメイン通り「雷門通り」の一本北に平行して走る筋です。雷門広場の北西角の、「常盤堂」さんと「ホテル雷門」さんの間を、向かって左へ(=西へ)入っていただきますと、やがて「ちんや」の裏側へ回り込むことができ、レリーフは、そこに貼りつけてあります。

 さて、その猫は「マミー」と申しまして、私の生まれ代わりです。

 昭和26年に寿司屋さんに生まれて、「ちんや」へ貰われて来て、昭和40年に私が生まれる少し前に死にました。「マミー」というのは、アメリカのアイゼンハワー大統領の奥様の名前だそうで、超大国の令夫人の名をつけるとは、人を食ったことをしたものです。

 現在は、敷地いっぱいに「ちんや」の建物が立っていますが、その当時は、「雷門横丁」側に坪庭程度の庭があり、「マミー」が死んだ後、亡骸はそこに葬られました。

 その後、昭和50年に現在のビルを建てる時、敷地いっぱいに建物を建てることになり⇒結果、お墓も潰してしまうことになるので、猫の供養のために、私の父がレリーフを作りました。

 生前の「マミー」は寿司屋出身だけに、あなごが好物で、そのせいか元気が良かったらしく、生涯獲得鼠総数が325匹という偉大な記録を達成しました。その偉大な猫のお墓の上に、そのレリーフは貼ってあります。

 このレリーフのことは、「猫びより」という雑誌の取材を受けたこともあり、その記事を見た方が、すき焼きを食べに来店してくれたこともありました。死して尚、貢献してくれたわけですね。

 浅草へお越しの節は、是非「雷門横丁」へもお立ち寄り下さい。

 え? ネットで画像を見たいって?

 それでは、今日の午前10時半に、私のFacebookにupロードいたしましょう。

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回想600日

 おかげ様にて、本日弊ブログは、600日連続更新を達成しました。皆様のご愛読に心より感謝申し上げます。

 さて、この機会に100日の頃、200日の頃・・・を思い出してみようと思います。

 弊ブログは昨年の3/1にスタートしまして、100日目は6/8でした。

 始めた当初の目標は「連続100日更新」でした。当時続けられるかどうか、まったく分からなかったので、100日に達した時は、ただそれが嬉しく、100日になったこと自体が、この日のテーマでした。お恥ずかしいことです。

 その後、平野正敏さんのコンサートへの出演、第六回「すきや連=日本短角牛を食す会」、「おいしい夏休みー親子体験食味学習会」・・・と行事が多く、それがそのままネタになったので、どんどん書けました。

 200日目は9/16でした。この頃になると、かなりペースが掴めてきました。ちょうど、「ちんや」創業130年の年で、関連事業が続いていましたので、ネタに困ることはありませんでした。

 ブログ200日のすぐ前には、第一回「住吉史彦の会」を開催し、翌日には「すき焼き思い出ストーリー」のサイトを開設しました。色々なことが好調な時期だったと思います。

 好調は、年末にかけても続きました。第7回「すきや連」(@伊勢重さん)、「チャリテイー宮崎牛の会」などを開催したりして、その顛末のことなどを書きつつ、昨年の12/25に連続更新300日に達しました。

 そして、その日にあわせて新発表もしました。それは・・・

⇒「ちんや すき焼き通検定」という検定試験でした。

 この検定は、すき焼き業界初だったでしょう、たぶん。すき焼き通検定は、創業130年の記念事業の最後を飾るものとして、スタートさせました。当然、ブログのネタです。

 年始からも、順調に更新が続き、2月末には、更新365日記念スペシャル・六夜連続興業「カリスマ受け売り師・住吉史彦の生涯の半分くらい」を書きました。第8回「すきや連」も京都・三嶋亭さんで開催しましたので、これも当然、ブログのネタです。

  このブログが絶好調だったのは、この頃でしょうか。

 しかし、です。この後すぐに日本は大震災に襲われます。

 もう何を書いていいのか分からず、毎日が辛かったのを思い出します。

 しかし更新は続きました。震災不景気で店がヒマになり、時間ができてしまったのが理由です。でも理由はもう一つ。

 この大震災という状況を生きた、自分の記録をつけたかったのが理由でした。

 でも当時書けることと言えば、ぼやきばかりでした。それで連日ぼやきばかりを書いていますと、激励やら応援やらをいただけるようになりました。

 実は、以前の私は、そういうことをまず言わない男でした。そういう可愛くない自分を少し改造しようと思い、ブログを始めたおりに「ぼやき部屋」というカテゴリーを設けました。

 でも、こんなにボヤくことになるとは、この頃まで、勿論思ってもみませんでした。

 しかしボヤき出しましたら、有り難いことに、多数の皆さんが激励やら応援やらをして下さるようになりました。以前の私なら、

「頑張って!」とか「応援してるよ!」などと言われた時には、

「いやあ、ポチポチやって行きますよ!」とか

「まあ、潰れない程度に頑張りますよ!」とか返していました。可愛くなかったですよね。

 しかし、この頃になって、この年にして初めて、激励・応援に心から素直に御礼が言える自分を見つけた、それがブログ400日目の頃でした。

 その後、日本の食の状況は良くなっているとは言いがたいですね。

 放射能の問題があるからです。特に、ブログは500日の頃には、牛の汚染エサの問題が浮上し、畜産の世界は3月頃にもまして厳しい状況になりました。

 そんな中でも連続更新は続きました。

 ちょうど7/26に第9回「すきや連」を「銀座吉澤」さんで開催した時、出席者の皆さんは、最初は悲壮な表情でしたが、やがて宴会が進むと口々に「なんとか頑張りぬこうよ」と言い合うようになりました。だから、弊ブログもやめられませんでした。意地でも続行です。

 そうは言っても、気分は晴れません。またしても「食の安全」が、問題になったからです。牛は全頭検査をしない限り、売ることが難しくなり、それが実現したのは、9月になってからのことです。

 「全頭検査」っていう言葉は、ちょうど10年前のBSE問題の再来のようでした。対策が後手にまわって、マズいことになり、最後に打つ手は全頭検査しかない状態になった状況は、BSEの時と同じ展開に見えました。デジャブーのようでした。

 思えば、過去10年間、食をめぐるニュースは、なにかと暗いものばかりでした。BSE、O-157、強毒性鳥インフルエンザ、口蹄疫、中国製毒ギョーザ、事故米転用事件、食品添加物、偽装表示、そして極めつけの放射能・・・・・そんな話題ばかりでしたね。

 実は、初めてBSEが国内で見つかった平成13年9月の前の月=平成13年8月に、私は「ちんや」の六代目を継ぎ、今年の8月で10周年だったのですが、その後10年間、食をめぐるニュースは、なにかと暗いものばかりでした。楽しい時間は、あまりに少なかったように感じます。

 それで、この日、私は以前にも書いたことを、また繰り返して書いています、

・・・そういう10年が過ぎ去って、皆さん、そろそろ、気分を変えたくありませんか!

 食は、もっと楽しい気分で語られて良いものに決まっています。

 今年、日本のお笑いの聖地である浅草から、食と笑いを同時に発信したいと思っています。浅草の知人の中には、お笑いの仕事にかかわっている人もいます。最高の立ち位置ではありませんか・・・

 私は、今年はそういう仕事をしたいと願っていました。

 もちろん仕事ですから「食の安全」の方にも取り組みますが、それは仕事の目的というより前提の話しで、その前提の上で「食と笑い」「食の楽しさ」をやりたかったわけです。 

 でも、今は原発のせいで、また前提であるはずの「食の安全」に、フォーカスが当ってしまいました。残念です。

 だいたい「安全」関係の用事って楽しくないんです。しかし暗いムードを変えることを諦めはしませんよ・・・

 その後、川柳で日本の食卓に笑いを!ということで「すき焼き川柳onツイッター」などを実施しつつ、更新は続きました。

 そして、今日が600日目。

 これから、いったい、どうなるのでしょう。

 日本は。日本の食は。すき焼きは。そして私は。

 まったく見当つきません。

 でも「このブログを続けよう」という気持ちは、100日の時より強くなっているような気がします。

 もちろん、不測の事故があって止まることは、あり得ます。

 でも、今ここで終わりたくはありません。

 今の状況を見届けて、思ったことを駄文に綴り続けたいと思います。

 どうぞ、今後も、お見捨てなく。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて600日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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お持ち込み

 突然ですが、お酒を、お客さまが「ちんや」へ持ち込んでいただけるようにしました。

 この所、いろいろ御酒のことを調べるにつけ、全国の素晴らしい地酒、世界のワインを「ちんや」で飲んでいただけないのは残念、と思うようになりました。

かと言って、全てを仕入れておくのは、実際問題として不可能です。

と、なるとお客さまに持ち込んでいただくのが実際的ですね。

 それにですよ、「持ち込み」が出来ると、お客さまがご自分で「もてなし」をすることが出来るようになります。

 ここで「もてなし」と申しますのは、お客様Aが、別のお客様Bを酒でもてなすことを言っています。ビジネスの御接待の場合は、当然A→Bの「もてなし」ですし、旦那様が奥様に、日頃の感謝を込めて外食へ連れていくのも、立派な「もてなし」と思います。

 こういう場合、お客様Aが、お忙しい中すき焼きの準備をするのはタイヘンなので、すき焼きは「ちんや」が代わりに用意して差し上げます。一方お客様A自身は、酒を用意してお客様Bをもてなすわけです。

 例えばビジネスの御接待の場合に、先方様の出身地の酒を用意して⇒「もてなし」をなされば、大変喜ばれることと思いますよ。

 「参加型」で、なかなか良いと思いませんか?!

 つまりですね、こうしてお客様自身が「もてなし」を実行した「達成感」を感じていただく(=そういう体験をしていただくこと)⇒そのことをご自分の思い出にしていただくこと、それがこの話しの主眼になるわけです。

 これによって「ちんや」の飲み物代の売上は、当然減るわけですが、損ばかりではありません。利益もありまして、それはお客さまの「リピート」です。

 酒好きなお客様は、たくさんの種類の酒を、あれこれ試してみたいもの。

 「今回は、この酒ですき焼きを」「次回は、また別の酒ですき焼きを」という具合に、リピートして来店していただけること、間違いありません。

 そこは期待してます、正直申して。

 では、実行してみたいと思う方は、恐縮ですが、少しのチャージはさせていただきますので、以下の規定を、ご覧下さい。

 それから食品衛生のことが「大丈夫なの?」と気になる方がおいでかもしれません。しかし、新品の、一定度数以上のアルコールが入っている酒なら、その中では食中毒菌は生きられませんので、大きなリスクはありません。ご安心下さい。それ以外の「問題在り」の酒は、お持ち込みいただけないので、そのことは以下に載せてあります。あわせてご覧下さい。

 (以下は「お持ち込み」の規定です。)

<料金>

・お持ち込み料 : 10mlにつき10円(空き瓶廃棄料を含む) 

 *持込みされても開栓しなかった瓶については、廃棄料はいただきません。

・グラス使用料 : 1個につき50円

・お燗手数料  : 1回300mlにつき50円

 

<持ち込み容量を制限させていただきます>

・お1人様当たり 750mlまでに限らせていただきます。

・一組で5本以上の酒を持ち込まれる場合は、グラス準備の都合上事前にお電話下さい。

・お飲み残しの「キープ」はいたしておりません。ご諒承下さい。

<持ち込めるのは、酒だけに限らせていただきます>

・アルコール度数が4%以下の酒、ソフトドリンク(水・茶・果汁など)、食べ物は、衛生上の理由で持ち込むことはできません。

<持ち込める酒の酒類を限らせていただきます>

・酒造免許を持つメーカーが醸造したものに限らせていただきます。個人醸造酒、密造酒を持ち込むことはできません。

・瓶が開栓されていないものに限らせていただきます。

<持ち込む方を限らせていただきます>

・酒を持ち込めるのは、お客様ご本人様または指定納品業者に限らせいただきます。

・指定納品業者で、事前に酒をご購入いただき、納品を代行させることができます。

 指定納品業者=㈱相模屋本店 電話03-3844-4195

   台東区浅草1-8-2(浅草雷門通り)(定休日:毎週水曜日

   http://www.sagamiya-honten.jp/

・指定納品業者へのご注文は、お食事予定日の前々日までにご用命下さい。

・代金の決済は、済ませていただいてから、「ちんや」へご来店下さい。

*指定納品業者によるサービス=すき焼きとお酒の、組み合わせ方について、アドバイスをさせていただきます。

<炭酸水の販売> 炭酸水(300ml):200円(税込)  

 蒸留酒を割るのにお使い下さい。(水・氷は無料です)

<お料理>すき焼きまたはしゃぶしゃぶ一人前を、必ずご注文願います。

(以上)

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて599連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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