回想600日

 おかげ様にて、本日弊ブログは、600日連続更新を達成しました。皆様のご愛読に心より感謝申し上げます。

 さて、この機会に100日の頃、200日の頃・・・を思い出してみようと思います。

 弊ブログは昨年の3/1にスタートしまして、100日目は6/8でした。

 始めた当初の目標は「連続100日更新」でした。当時続けられるかどうか、まったく分からなかったので、100日に達した時は、ただそれが嬉しく、100日になったこと自体が、この日のテーマでした。お恥ずかしいことです。

 その後、平野正敏さんのコンサートへの出演、第六回「すきや連=日本短角牛を食す会」、「おいしい夏休みー親子体験食味学習会」・・・と行事が多く、それがそのままネタになったので、どんどん書けました。

 200日目は9/16でした。この頃になると、かなりペースが掴めてきました。ちょうど、「ちんや」創業130年の年で、関連事業が続いていましたので、ネタに困ることはありませんでした。

 ブログ200日のすぐ前には、第一回「住吉史彦の会」を開催し、翌日には「すき焼き思い出ストーリー」のサイトを開設しました。色々なことが好調な時期だったと思います。

 好調は、年末にかけても続きました。第7回「すきや連」(@伊勢重さん)、「チャリテイー宮崎牛の会」などを開催したりして、その顛末のことなどを書きつつ、昨年の12/25に連続更新300日に達しました。

 そして、その日にあわせて新発表もしました。それは・・・

⇒「ちんや すき焼き通検定」という検定試験でした。

 この検定は、すき焼き業界初だったでしょう、たぶん。すき焼き通検定は、創業130年の記念事業の最後を飾るものとして、スタートさせました。当然、ブログのネタです。

 年始からも、順調に更新が続き、2月末には、更新365日記念スペシャル・六夜連続興業「カリスマ受け売り師・住吉史彦の生涯の半分くらい」を書きました。第8回「すきや連」も京都・三嶋亭さんで開催しましたので、これも当然、ブログのネタです。

  このブログが絶好調だったのは、この頃でしょうか。

 しかし、です。この後すぐに日本は大震災に襲われます。

 もう何を書いていいのか分からず、毎日が辛かったのを思い出します。

 しかし更新は続きました。震災不景気で店がヒマになり、時間ができてしまったのが理由です。でも理由はもう一つ。

 この大震災という状況を生きた、自分の記録をつけたかったのが理由でした。

 でも当時書けることと言えば、ぼやきばかりでした。それで連日ぼやきばかりを書いていますと、激励やら応援やらをいただけるようになりました。

 実は、以前の私は、そういうことをまず言わない男でした。そういう可愛くない自分を少し改造しようと思い、ブログを始めたおりに「ぼやき部屋」というカテゴリーを設けました。

 でも、こんなにボヤくことになるとは、この頃まで、勿論思ってもみませんでした。

 しかしボヤき出しましたら、有り難いことに、多数の皆さんが激励やら応援やらをして下さるようになりました。以前の私なら、

「頑張って!」とか「応援してるよ!」などと言われた時には、

「いやあ、ポチポチやって行きますよ!」とか

「まあ、潰れない程度に頑張りますよ!」とか返していました。可愛くなかったですよね。

 しかし、この頃になって、この年にして初めて、激励・応援に心から素直に御礼が言える自分を見つけた、それがブログ400日目の頃でした。

 その後、日本の食の状況は良くなっているとは言いがたいですね。

 放射能の問題があるからです。特に、ブログは500日の頃には、牛の汚染エサの問題が浮上し、畜産の世界は3月頃にもまして厳しい状況になりました。

 そんな中でも連続更新は続きました。

 ちょうど7/26に第9回「すきや連」を「銀座吉澤」さんで開催した時、出席者の皆さんは、最初は悲壮な表情でしたが、やがて宴会が進むと口々に「なんとか頑張りぬこうよ」と言い合うようになりました。だから、弊ブログもやめられませんでした。意地でも続行です。

 そうは言っても、気分は晴れません。またしても「食の安全」が、問題になったからです。牛は全頭検査をしない限り、売ることが難しくなり、それが実現したのは、9月になってからのことです。

 「全頭検査」っていう言葉は、ちょうど10年前のBSE問題の再来のようでした。対策が後手にまわって、マズいことになり、最後に打つ手は全頭検査しかない状態になった状況は、BSEの時と同じ展開に見えました。デジャブーのようでした。

 思えば、過去10年間、食をめぐるニュースは、なにかと暗いものばかりでした。BSE、O-157、強毒性鳥インフルエンザ、口蹄疫、中国製毒ギョーザ、事故米転用事件、食品添加物、偽装表示、そして極めつけの放射能・・・・・そんな話題ばかりでしたね。

 実は、初めてBSEが国内で見つかった平成13年9月の前の月=平成13年8月に、私は「ちんや」の六代目を継ぎ、今年の8月で10周年だったのですが、その後10年間、食をめぐるニュースは、なにかと暗いものばかりでした。楽しい時間は、あまりに少なかったように感じます。

 それで、この日、私は以前にも書いたことを、また繰り返して書いています、

・・・そういう10年が過ぎ去って、皆さん、そろそろ、気分を変えたくありませんか!

 食は、もっと楽しい気分で語られて良いものに決まっています。

 今年、日本のお笑いの聖地である浅草から、食と笑いを同時に発信したいと思っています。浅草の知人の中には、お笑いの仕事にかかわっている人もいます。最高の立ち位置ではありませんか・・・

 私は、今年はそういう仕事をしたいと願っていました。

 もちろん仕事ですから「食の安全」の方にも取り組みますが、それは仕事の目的というより前提の話しで、その前提の上で「食と笑い」「食の楽しさ」をやりたかったわけです。 

 でも、今は原発のせいで、また前提であるはずの「食の安全」に、フォーカスが当ってしまいました。残念です。

 だいたい「安全」関係の用事って楽しくないんです。しかし暗いムードを変えることを諦めはしませんよ・・・

 その後、川柳で日本の食卓に笑いを!ということで「すき焼き川柳onツイッター」などを実施しつつ、更新は続きました。

 そして、今日が600日目。

 これから、いったい、どうなるのでしょう。

 日本は。日本の食は。すき焼きは。そして私は。

 まったく見当つきません。

 でも「このブログを続けよう」という気持ちは、100日の時より強くなっているような気がします。

 もちろん、不測の事故があって止まることは、あり得ます。

 でも、今ここで終わりたくはありません。

 今の状況を見届けて、思ったことを駄文に綴り続けたいと思います。

 どうぞ、今後も、お見捨てなく。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて600日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 「ちんや」創業130年記念サイトは、こちらです。「すき焼き思い出ストーリー」の投稿を募集しています。

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