新規事業

浅草の飲食店主の人達が、コロナ中にどう考え、行動したかを聞き取る事業をしています。

週に一人のペースでお目にかかり、毎回2時間ほどの聞き取りをさせていただいています。

当然コロナの間に、

テイクアウト

デリバリー

などの新規事業を始めたかをお尋ねしています。その結果、

ほとんどのお店さんが新規事業に取り組んでおられますが、収益を上げるまでには至らず、ではやって良かったと思っておられないかと言いますと、そうではなくて、やって良かったと回答されます。

その理由は、お店で食べたいが食べられない常連さん達との関係性を維持できた。その手段として、テイクアウトやデリバリーが機能したということでした。

この事業、基本的には、衛生面や資金繰りなどの苦労話なのですが、2時間も話していると、不思議なもので、いつの間にか「良い話し」「勉強になる話し」に変わっていることが多いです。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.576目の投稿でした。

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ネットでも「気」は伝わる

浅草の飲食店主の人達が、コロナ中にどう考え、行動したかを聞き取る事業をしています。

週に一人のペースでお目にかかり、毎回2時間ほどの聞き取りをさせていただいています。

基本的には、衛生面や資金繰りなどの苦労話なのですが、2時間も話していると、不思議なもので、いつの間にか「良い話し」「勉強になる話し」に変わっていることが多いです。

最近聞いた良き話しと言えば、

ネットでも「気」は伝わる

でした。逆に申しますと、

ネットは、映(ば)えなくても良い

ということでした。

コロナの緊急事態で始めたテイクアウトに関する話しの中で、この件は出ました。

思いおこしますと、2020年4月、日本人は初めて「緊急事態」というものを経験しました。

飲食店は、店内で料理を提供することが憚られるようになり、急にテイクアウトにシフトした店が多くありました。

急に取り組んだわけですので、用意できた製品は体裁の良くない=映えないものでした。

この時既に、ネット(特にSNS)=映えが至上命題

と皆が思っておりましたから、映えないテイクアウト製品をネットに投稿することを恥ずかしく思った店もありました。

でも、慣れないことに取り組んでいる、一生懸命やっていること自体が、実は大事で、それをネットで受け取ってくれるお客様もいらしたようです。

自然と拡散が始まり、浅草へテイクアウトを買いに来て下さる方もいらしたようです。それで助かったというお店がありましたから、

ネットは、映(ば)えなくても良い

ネットでも「気」は伝わる

良き話しと私は思いました。

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実際的

浅草の飲食店主の人達が、コロナ中にどう考え、行動したかを聞き取る事業をしています。

週に一人のペースでお目にかかり、毎回2時間ほどの聞き取りをさせていただいています。

基本的には、衛生面や資金繰りなどの苦労話なのですが、2時間も話していると、不思議なもので、いつの間にか「良い話し」「勉強になる話し」に変わっていることが多いです。

が、やはり、実際的な話題になって、一同、うーん・・・となることもあります。

例えば、人手不足。

飲食業の担い手がすぐ増えると思えませんから、少ない人数で店を運営しないといけません。

さしあたって思いつきますのは、デジタル技術を使った、オーダーエントリーシステムです。

テーブルごとに端末を置いて、お客様が自分で注文するように出来れば、係が注文を取りに行かなくて済んでしまいます。非接触ですから衛生的でもあります。

ファミレスや寿司チェーンなどでは既におなじみですね。

ここで問題になるのは、

それが浅草の雰囲気を損なうかもしれないこと。

店とお客様の関係が薄くなること。

新しい技術を、やがて取り入れることになるのは時代の趨勢です。そした今回はコロナがそれを加速させています。

年配者には一抹の寂しさが残りますけどね。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.562目の投稿でした。

客層

浅草の飲食店主の人達が、コロナ中にどう考え、行動したかを聞き取る事業をしています。

週に一人のペースでお目にかかり、毎回2時間ほどの聞き取りをさせていただいています。

基本的には、衛生面や資金繰りなどの苦労話なのですが、2時間も話していると、不思議なもので、いつの間にか「良い話し」「勉強になる話し」に変わっていることが多いです。

そんな中で、

今年に入って、浅草の客層が随分変わったねえ。

という話しが出て来ます。それは、

若者が増えたということです。

今年というのは、つまりオミクロン株のことです。

若者はオミクロン株に感染しても死亡に至ることが少ないので、若者だけが来てくれています。

若い方は浅草のことをあまりご存じないので、浅草サイドから見ると「観光客」が増えたと見えます。昔から浅草のことを知っている年配の方つまり「常連さん」は、今も外出を控えているので、

若い観光客ばっかりになったねえ。

というのが今の実態です。

これに伴って時間帯も変わりました。

今の若い方は、あまりお酒を飲まれません。午前中にやって来て、夜は早く帰ってしまいます。

それからマナーも変わります。「歩き食い」は、私などから見るとマナーが悪くて、感染リスクもあると思ってしまうのですが、それは年配者の考えのようです。

同じ料理を提供していても、今の動向に合わせて行く必要はあるのだろうと思います。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.556目の投稿でした。

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うなぎ登り

浅草の飲食店主の人達が、コロナ中にどう考え、行動したかを聞き取る事業をしています。

週に一人のペースでお目にかかり、毎回2時間ほどの聞き取りをさせていただいています。

基本的には、衛生面や資金繰りなどの苦労話なのですが、2時間も話していると、不思議なもので、いつの間にか「良い話し」「勉強になる話し」に変わっていることが多いです。

そんな中で、新しい料理を開発なさった方は少数でした。

テイクアウト、デリバリー、通販など新業態を始めたり、ネットでの発信方法を工夫した方は大勢いましたが、料理そのものを考え直した方は少数でした。

その少数の一軒が、鰻と釜飯の「江戸定」さんで、その料理は、

『うなぎ登り釜飯』でした。

はい、勿論、鰻の蒲焼と釜飯の合体(!)ですね。鰻と釜飯の両方を得意にされてきた「江戸定」さんだからこそです。

商標も申請されたと言います。

そもそもですが、浅草にオリジナルメニューというものは甚だ少ないです。

食材は何も獲れませんし、新たな料理方法を開発した実績は、ほとんどないです。

鰻屋も、釜飯屋も、すき焼き屋も、日本中にたくさんあり、特別珍しくはないですね。

浅草の人間が新たに出来ることと言えば、

・組み合わせることと、

・ネーミングを考えること位です。

ネーミングなら「電気ブラン」とか「雷おこし」とか、有名なものもあります。

今回の「江戸定」さんは、そんな中で、組み合わせとネーミングの両方ですから、浅草流の本道かもしれません。

『うなぎ登り釜飯』

日本中に知れ渡れば面白いと思います。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.555目の投稿でした。

釣り

浅草の飲食店主の人達が、コロナ中にどう考え、行動したかを聞き取る事業をしています。

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基本的には、衛生面や資金繰りなどの苦労話なのですが、2時間も話していると、不思議なもので、いつの間にか「良い話し」「勉強になる話し」に変わっていることが多いです。

中には、面白い家訓の話しがありました。それは、

釣り、すべからず。

店の経営者が釣りをすることを禁ずる規定です。

解説しますると、これは店の仕入れの為に釣りをすることを禁じているわけではなく、レジャーで釣ることを言っています。

そのお店さんは、魚を主に扱う店なのですが、魚の命とは真剣に向き合うべきで、遊びで殺めるべきではないと言うのです。

御意。

私も仕事がら、牛さんの命を頂戴しておりますので、生き物の命をレジャーで扱う人に好感はもてません。アフリカに象さんを打ちに行き、戦果をネットに上げて喜ぶとか、止めてもらいたいものです。

命を頂戴したら、在り難く食べさせていただくべきですよね。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.493本目の投稿でした。

家訓

浅草の飲食店主の人達が、コロナ中にどう考え、行動したかを聞き取る事業をしています。

週に一人のペースでお目にかかり、毎回2時間ほどの聞き取りをさせていただいています。

基本的には、衛生面や資金繰りなどの苦労話なのですが、2時間も話していると、不思議なもので、いつの間にか「良い話し」「勉強になる話し」に変わっていることが多いです。

中には、新たな経営理念を創りつつある若旦那がいました。

その方曰く、コロナで出来た時間(店がヒマな時間)に、店の昔の資料を調べたのだけど、家訓のようなものは発見できず、むしろ、自分の頭でどういう店にしたいかを考えるようになったとか。

そして、

店のスタッフが、自ら「お客様のために」行動するような店にしたい

そういうスタッフが大勢いる店にしたい

と考えるに至ったとか。

素晴らしい。

「お客様のために」とガミガミ説教する経営者は世に多いですけどね。

日本の経営史を振り返ると、家訓や経営理念は、必ずしも創業者が作ったものばかりではありません。

例えば宝永年間は家訓が多く作られた時代ですが、その時代は南海トラフが巨大地震を起こし、富士山爆発もあった時(1707年)で、経営環境が大変悪い時代だったので、その時代を生きた経営者が家訓を遺したのです。

宝永の家訓も、今回のコロナの教訓も、禍の中に次世代への芽が生える例かと思います。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.493本目の投稿でした。

Filed under: 浅草インサイダー情報,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

住吉史彦の十大ニュース2021

大晦日は例年「住吉史彦の十大ニュース」の日です。

2021年は大変動の年でした。以下ご覧くださいませ。

1月 以前に出演させていただいた「新日本紀行 鍋のしあわせ」が英語版になり、NHKワールドで放送されました。

4月 TBSラジオ『伊集院光とらじおと』に出演させていただきました。

「食のプロがお金を出してでも食べたいプロの味」を桐畑トールさんが探して、その味を試食。さらに、そのお店の人がプライベートで通うプロのお店を数珠繋ぎに教えてもらう、というコーナーでした。

5月 今行きづらい「ちんや」へ「行った気になる画像集」を撮影し、冊子にしました。

お客様が浅草へ見えてから、食事を終えるまでをスライドショーのように撮ってありまして、閉店直前の、良い記念になりました。

5月 二期4年間務めました、慶應義塾「料飲三田会」の会長職を退任致しました。

その間ご尽力・ご協力いただいた役員の皆様、会員の皆様、関係者の皆様に心より御礼申し上げます。また会務で自分の店を留守にする間「ちんや」を滞りなく運営してくれた店のスタッフにも感謝致します。ありがとうございました。

6月「ちんや」 閉店・長期休業を公表しました。

7月 休業の件はYAHOO!のヘッドラインに載り、大勢のお客様にお越しいただきました。あまりに数が多く、ご予約のご要望に全てお応えできず、恐縮に存じております。

8月 弊ブログは続行することにしました。本日まで続いております。ご愛読に感謝致します。

8月「ちんや」事業の「株式会社WDI」さんへ移譲することにより、最短時間での再開業と、旧スタッフの維持を目指すことになりました。

12月「ちんや」再開業の時期と場所が決まりました。休業中はご心配・ご不便をおかけしましたが、最短時間で再開できると嬉しく思います。

12月 テレビ東京の「出没!アド街ック天国」に出演させていただきました。「ちんや」の移転、再開、事業承継の件も放送されました。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。

店が閉まっておりますのに、大勢の方が引き続きブログをお読み下さり、本当に在り難く存じます。来年も、よろしくお願いいたします。

近江牛の歴史

近江八幡のすき焼き店「毛利志満」(もりしま)の若旦那・森嶋利成さんが「ネノネ」というユニークな広報誌を作っておられて、毎号送って下さいます。

「文化広報誌」と銘打っていて、「ルーツ=根」から辿られる歴史の歩みを縦糸に、いま現在の「つながり=根」を横糸にして糸を紡ぐようにして編む、という大変結構なものです。

今回が3号目なのですが、ようやく「毛利志満ができるまで」という、店とご先祖の歴史を回顧する一文が載せられていて、それがそのまま近江牛の歴史になっているので、ご紹介してみようと思います。

さて、現代人は和牛肉というものは「近江」「松阪」「米沢」といった産地で、交配され生まれて育てられ、解体され肉になって、消費地へ冷蔵で送られてくるものと思っていると思います。

が、それは昭和30年代以降の話しなのです。

明治初期、森嶋さんのご先祖が肉を扱い始めた時、食べるために飼われている牛はいませんでした。そして森嶋さん自身は牛を飼ってはいませんでした。

牛を飼っていたのは稲作農家さんでした。牛は田圃で使役するために飼われていましたので、森嶋さんはその牛を買い取って、東京や横浜へ連れて行って売却したのです。

つまり最初の仕事は、近江から東京へ牛を連れて行く、ということだったのです。しかも鉄道も自動車もないので、陸路「歩き」で連れて行きました。現代の流通と全然違うことが分かりますね。

この流れがなくなったのは昭和30年代のことでした。トラクターが開発されて田圃で使われるようになったので、役牛は要らなくなりました。

この変化は、森嶋さんにとっては、上手く回っていた従来のやり方が出来なくなったわけで、大変な困った変化でした。

「毛利志満ができるまで」の中では、この転換期の様子は「艱難辛苦」と書かれています。「艱難辛苦」と言うくらい牛の流通の仕方が劇的に変わったということなのです。

この時森嶋さんは、自社牧場を建設します。そしてさらに、そこで育てた肉を消費する店としてすき焼き店「毛利志満」を、地元に開業したのでした。それが「毛利志満ができるまで」です。

近江牛は、明治時代から現代まで一貫して有名ですが、流通形態が大きく変わったこと、それに連動して事業者の形態も大きく変わったことは、ご存じの方が少ないので、ここでご紹介してみました。

面白いのは、そんな歴史を通じて、好まれる牛の血統が変わっていないことです。

明治初期に東京で好まれたのは、但馬から近江に導入されていた血統で、それは田圃で使役するのに向いていた血統だったのですが、それが食べても旨いということで、現代まで好まれ続けています。

ここが和牛の歴史の面白い点です。

追伸、

「ちんや」のご予約の方は、おかげ様にて殆どの時間帯がうまり、ただ今は当方の空いている時間に合わせていただいております。誠に恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

追伸②

酷暑のシーズンとなり、食中毒が心配なので、「うし重」テイクアウトは終了いたしました。ご容赦下さいませ。(店内イートインは、地下一階「ちんや亭」でご用意できます)

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.183本目の投稿でした。

退任

昨日慶應義塾「料飲三田会」の総会が、オンラインで開催され、私は二期4年間務めた会長職を退任致しました。

その間ご尽力・ご協力いただいた役員の皆様、会員の皆様、関係者の皆様に心より御礼申し上げます。また会務で自分の店を留守にする間「ちんや」を滞りなく運営してくれた店のスタッフにも感謝致します。ありがとうございました。

最後の1年間の活動はコロナに大きく制約されました。

同窓の会は、そもそも集まって懇親を深め、情報交換するためのものですから、それが不可能となると、他の形態を見出すのが簡単ではなく往生しました。

思案の挙句、唯一の方策として「GOTO料飲三田会」をやりました。

まったく、政府のパクりです(笑)

会で独自に食事券を作って、会員が他の会員の店へ食べに行けるようにしました。全体で集まることはできないので、個別に少人数で行こうという趣旨ですね。

先輩方のおかげで会に蓄えがあり、その資金をこの機会に「GOTO」に振り向けられたのは幸いでした。

後任は、「愛宕小西」の小西恭子さんが引き受けて下さいました。会としては初の女性会長です。時節に叶った承継が出来て、我ながらナイスと自負しております。

私同様新会長にご高配を賜りたく、お願い申し上げる次第です。よろしくお願いいたします。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.098本目の投稿でした。

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