100年経営アカデミー⑮

100年経営研究機構さん、ハリウッド大学院大学さんが主催する、

「100年経営アカデミー」で、ゲスト講師として講演をさせていただきました。

「100年経営アカデミー」は“100年経営を科学する”をテーマに、長寿企業から長く続く経営の秘訣を体系的に学び、経営の中で実践していくことを目的とした、日本で初の講座です。

6/11から講演全文を公開しています。長いので16回に分けて少しずつUPしております。

<「100年経営アカデミー」住吉史彦講演(2017.6.10)>

 

100年経営論」「老舗論」を論ずるには、どうしても逆境を経験した時の、経営者の心を論ぜざるを得ない(つまり人間論=脳科学にまで行ってしまう)と私は思うのです。

例えば、震災、戦災のように人間が非常に悪い環境に直面した時に、利己的な行動をせず、逆に普段はしないような、とても善良な行動をする人います。

この傾向を指す学術用語はないそうですが、脳科学の知見では、大きな災害が起きた時など、危機が迫ったとき、脳で造られ、分泌されるホルモンの1種「オキシトシン」の感受性がどうやら変わると言われています。これは「絆ホルモン」とでもいうべきものです。関係性が濃くない他人をも深く信用するからです。

その「絆ホルモン」が人に利他的な行動をとらせて、個人が生き延びることより、集団が生き延びようとすることを優先させようとします。東北の地震の時、自分の会社が津波にやられたのに、高台の倉庫に残っていた備蓄を被災者に提供した社長さんがいました。誰それ、ということではなく、多くの方がそうしました。備蓄が残ったことを隠して、自分だけ生き残れば良いのに、そうはなさいませんでした。

脳が、共同体全体に奉仕せよと命じたからです。そして、共同体はその会社を忘れませんでした。会社と市民の絆は津波を経験して深まったのです。逆に、自分だけが生きようとした人はバッシングを受けました。バッシングもまた脳の命令だからです。

こうして組織が良く行きのびるのは、日本が災害大国だからなのです。それで日本に老舗が多い、というのが、私が今日ご提示する仮説です。

実はこれは、ごく最近私が、脳科学者で人気コメンテイターの中野信子先生とやりとりする中で盛り上がって来たネタなので、先生から「断定的な言い方はダメですよ」と釘をさされてはいるんですが、脳科学的に大間違いな話しではないと講演で言ってOKですよ!と言っていただております。

私自身の経験に照らしてもこの筋は納得的です。

2001年のBSE問題で売上が半分に成った時、まずストレスで金玉、いや精巣が縮みました=リアルに臓器の機能に影響が出ましたね。次に助けてくれる方や優しくしてくれる方に無常の愛を感じて、なんとかしてこの人達のお役にたちたいと思いました。本来自分の会社を守ることが優先の筈ですが、そんなことは後回しにしてもOKだと思いました。

これが私の利他主義の原点ですが、今思えば、ストレスに対抗しようとして、脳が絆ホルモンを出したからかな・・・と思えます。

ここでオキシトシンについて、もう少し説明しますと、このホルモンは「幸せホルモン」「愛情ホルモン」とも呼ばれ、ストレスを緩和し幸せな気分をもたらします。人に人を信用させるホルモンでもありまして、その効果のスゴさは実験でも確かめられています。

オキシトシンをヒトに投与する実験が行われたことがあるそうですが、鼻から吸引させますと、金銭取引において相手への信頼感が増すことが判明したそうです。相手が詐欺師で、その取引で損害を蒙ってもオキシトシンが再投与されると、なんと再び詐欺師を信頼し、不利な取引契約を締結してしまうのだそうです。「盲目的に信頼した」とも言えるレベルで、実に恐ろしいですが、実験で確かめられています。

また、このホルモンは、愛撫や抱擁などの皮膚接触による刺激によっても放出されるため、「抱擁ホルモン」と呼ばれることがあります。性行為では大幅に分泌が増加されオーガズムの瞬間には男女ともに分泌されます。

平たく申しますと、これは逝く時のホルモンです、はい。つまりですね、自分の会社が津波で被災しているのに、備蓄を被災者に放出した社長の脳の中は、逝ってしまってるんです。SEXしてないのに、です。じゃなければ、虎の子の備蓄を放出なんてしません。

それが脳にとっては気持ち良いんですし、このホルモンが出ないと人はストレスに負けてしまうのです。私も、BSEの時に「このままで推移した場合ウチはいつ頃行き詰るのか」という計算をしましたが、そんな計算からは出来れば逃れたいですね。そして、逃れさせてくれるのが、この絆ホルモンだったろうと思います。

とにかく、状況が津波でも戦争でもBSEでも経済合理的に対処していない、というところがポイントでして、それは社会科学的には説明しがたい現象ではないかと私は考えています。

さて、次に老舗の社訓を考えてみます。老舗の社訓に書いてある利他主義あるいは後利主義(ベンサムの功利主義じゃなくて後の利益の後利)の文言は、平時に読むと・・・

<今日の分は終わり。続きは明日の弊ブログにて>

追伸1

6/1発売の「婦人画報」7月号(創刊記念号)に載せていただきました。ありがとうございます。

今回の特集は、なんでも婦人画報社さんが「総力をあげた特集」だそうですが、題して、

「世界が恋するWASHOKU」。

旨味とか醗酵とかを採り上げた後、しんがりがWAGYUです。

 

追伸2

拙著は好評(?)販売中です。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

題名:『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』

浅草の九人の旦那衆と私が、九軒のバーで語り合った対談集でして、「浅草ならではの商人論」を目指しています。

東京23区の、全ての区立図書館に収蔵されています。

四六判240頁

価格:本体1600円+税

978-4-7949-6920-0 C0095

2016年2月25日発売

株式会社晶文社 刊行

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.674日連続更新を達成しました。

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100年経営アカデミー⑭

100年経営研究機構さん、ハリウッド大学院大学さんが主催する、

「100年経営アカデミー」で、ゲスト講師として講演をさせていただきました。

「100年経営アカデミー」は“100年経営を科学する”をテーマに、長寿企業から長く続く経営の秘訣を体系的に学び、経営の中で実践していくことを目的とした、日本で初の講座です。

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<「100年経営アカデミー」住吉史彦講演(2017.6.10)>

このようにして、この本の皆さんは、元の位置に留まり続けました。

皆さんがそういう人生を選んだ理由は、やはり戦争という危機の記憶だと私は思います。人間の、へなちょこな合理性など吹っ飛ばしてしまう経験を経て、皆さんは自分の人生の目的として儲け以外のもの・非経済的なものを考えるようになったのだろうと私は想像しています。

以上浅草の話しをさせていただきましたが、さて、ここから今日の話しは、いささか踏み込んだ話しになります。

老舗の話し、特に老舗が危機を突破してきた話しに、これから脳科学を採り入れて論じようと思います。

実は、私としては、この発想で長年の疑問が氷解した感があり、実は内心自慢たらたらです(笑い)

さてその「疑問」とは勿論、なぜ災害の多い日本に老舗が多いのか、

なぜ老舗の社訓にはたいてい利他の精神が掲げられているのか、という件でして、私はずっと気になっていました。皆さんもそうだろうと思います。

そして、その疑問が、初めて脳内ホルモンであるオキシトシン(所謂「絆ホルモン」)で納得的に説明できるかもしれないのです。

後藤先生の事例集を眺めてみますると、100年経営を実現出来ている会社の中には、大災害で被災して、前より良い会社に成ったところがたくさんあります。所謂「ピンチをチャンスにした会社」です。

昭和の戦争で大空襲を経験した浅草の店も勿論そうです。だから「100年経営論」「老舗論」を論ずるには、どうしても逆境を経験した時の、経営者の心を論ぜざるを得ない(つまり人間論=脳科学にまで行ってしまう)と私は思うのです。

例えば、震災、戦災のように人間が非常に悪い環境に直面した時に、利己的な行動をせず、逆に普段はしないような、とても善良な行動をする人います。この傾向を指す学術用語はないそうですが、脳科学の知見では、大きな災害が起きた時など、危機が迫ったとき・・・

<今日の分は終わり。続きは明日の弊ブログにて>

追伸1

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今回の特集は、なんでも婦人画報社さんが「総力をあげた特集」だそうですが、題して、

「世界が恋するWASHOKU」。

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題名:『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』

浅草の九人の旦那衆と私が、九軒のバーで語り合った対談集でして、「浅草ならではの商人論」を目指しています。

東京23区の、全ての区立図書館に収蔵されています。

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978-4-7949-6920-0 C0095

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100年経営アカデミー⑬

100年経営研究機構さん、ハリウッド大学院大学さんが主催する、

「100年経営アカデミー」で、ゲスト講師として講演をさせていただきました。

「100年経営アカデミー」は“100年経営を科学する”をテーマに、長寿企業から長く続く経営の秘訣を体系的に学び、経営の中で実践していくことを目的とした、日本で初の講座です。

6/11から講演全文を公開しています。長いので16回に分けて少しずつUPしております。

<「100年経営アカデミー」住吉史彦講演(2017.6.10)>

この「木の発想」は、勿論浅草独自のものでも江戸独自のものでもなく、日本全体にありますね。なにしろ、この国は伊勢神宮を二十年に一度建て替える国です。

京都だって、昭和の戦争では焼けていないものの、幕末の戦いや応仁の乱では焼けていて、平安時代の建物は残っていません。しかし平安時代のイメージの街です。そういう国にこの発想はしっかりと根づき、それを基盤に日本の老舗は存続してきたのだろうと思われます。

戦争以前から地震・津波・噴火・台風と何でもござれの災害大国である日本が同時に世界一の老舗大国でもあるというパラドクスがハッキリと存在していて、本当に考えさせられます。そして浅草はその中でも典型的な例・典型的な土地柄だと言ったら良いのかもしれません。

ソフトウエア優先の発想=木の発想が元々ある所へ、関東大震災と昭和の戦争を経験し、特に街の中心である浅草寺と神輿が焼ける体験をしたことが、浅草を浅草たらしめたと私は考えています。

その後も和装業界、花柳界といった個別の業界でも浮き沈みがありました。神輿の業界のように高度成長した後に、祭りが省みられなくなって危機がやって来た業界もありましたし、どじょう屋さんは、1960年代からどじょう資源の枯渇に悩まされました。

ここで、どじょう屋さんのついて考えてみますと、そもそも商いというものは、原材料が豊富に獲れるから、という所からスタートする場合があります。かつてどじょうは日本中の田んぼにたくさん棲んでいましたので、どじょう料理屋さんは、気軽に安く栄養を摂るための便利な店=ファーストフード感覚の店でした。

代々の中で一番ご苦労なさったという先代の渡辺繁三さんはご著書の中で自分が店を継いだ頃の客層について「気が荒くって、職人肌のお客が多かったように思います。」と書いています。戦前は朝7時から営業していて「朝は天秤かついだ人、薬売り、金魚売り、苗売り、それと近在の農家が市場に荷を運んだ帰りに寄って下さる・・・」という感じです。

しかし1960年代から農薬の影響で仕入れ難の時代になりました。どじょうが田んぼにいなくなったのです。結局、幾多の困難を乗り越えて、どじょうをわざわざ養殖し、お店もわざわざ文化体験として行くような店に仕立て直さねばなりませんでした。

今では「駒形どぜう」さんと言えば「江戸文化を食べる店」です。また当代の渡辺孝之さんと言えば江戸文化の伝道師です。「江戸文化道場」の継続的な開催が評価されて、2001年には「企業メセナアワード地域文化賞」を受賞されています。

もし1960年代にどじょうを諦めていたら、こうは成らなかったと思います。

このように簡素な物を文化にまで仕立て上げて、しかし過度に高級にはしない、それも「お客さまを巻き込んで面白可笑しく」という所に、私は浅草っ子の真骨頂を見る思いがします。

「駒形」さんのキャッチコピーの「お値打ち」とは、単に料理と価格の間の「コスパ」のことを言っているのではなく、江戸文化を満喫できるという価値をも含めた「値」だと考えないといけません。そういう感覚を持てる店を創り上げる為に渡辺さんが積み上げてきた努力の量は、本にあります通り、圧倒的と言う他ないものです。

「駒形」さんが企業メセナアワードが獲った時、同時に「メセナ大賞」を獲った会社の資本金は584億円強でした。対するに㈱駒形どぜうさんは 2.000万円。そう、文化を創り成すのに資本は2.000万円で充分なのです。この両社が今でも並んで掲載されていることが私は痛快でなりません。

このようにして、この本の皆さんは・・・

<今日の分は終わり。続きは明日の弊ブログにて>

追伸1

6/1発売の「婦人画報」7月号(創刊記念号)に載せていただきました。ありがとうございます。

今回の特集は、なんでも婦人画報社さんが「総力をあげた特集」だそうですが、題して、

「世界が恋するWASHOKU」。

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拙著は好評(?)販売中です。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

題名:『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』

浅草の九人の旦那衆と私が、九軒のバーで語り合った対談集でして、「浅草ならではの商人論」を目指しています。

東京23区の、全ての区立図書館に収蔵されています。

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2016年2月25日発売

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100年経営アカデミー⑫

100年経営研究機構さん、ハリウッド大学院大学さんが主催する、

「100年経営アカデミー」で、ゲスト講師として講演をさせていただきました。

「100年経営アカデミー」は“100年経営を科学する”をテーマに、長寿企業から長く続く経営の秘訣を体系的に学び、経営の中で実践していくことを目的とした、日本で初の講座です。

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<「100年経営アカデミー」住吉史彦講演(2017.6.10)>

このように伝統と申しますものは、ずっと連続して継承されるものではなく、時には失われて、しかし再建されて続いているものなのだというところが、浅草の話しのポイントです。

それが浅草の場合戦争であり、そのわずか二十二年前に起きた関東大震災でした。二十世紀の前半のごく短期間に焼け野原を二度体験したのが浅草なんです。

その状態から伝統を再建するという過酷な作業を経験する中で現代浅草が形成されたことは間違いなく、本を読んでいただけば、お分かりいただけると思うのですが、その記憶は今でもこの街の人々の間に保存されています。

戦争で浅草寺と神輿が焼けてしまったことは、やはり現代浅草に大きな大きな影響を与えていると思います。街の中心・心の拠り所が失われたことの喪失感は勿論大きく、しかし観音様ご本尊だけはなんとか焼失を免れたので、再度観音様を中心にお寺を再建することが出来ました。

信仰があればお寺が再建できたわけですが、商店も同じことです。

店舗は焼けてしまいましたが、人が逃げのびて、その人が信用や技術つまりソフトウエアを持っていれば商いは再建できたのです。心の拠り所が徹底的に破壊され、自分の店も跡形もなくなった時に、浅草の店主達は諦めませんでした。いや、再建をやり遂げねば悔しくて仕方がないというのが当時の浅草でした。

建物がなくなっても、自分達には腕がある、お客様もいる。きっと人の力で伝統を復活させてみせる。そうかたく心に誓ったのだと思います。

店にとっての本当の資産は土地でも建物ではない。本当の資産は目に見えないもので、財務諸表に載っていない~そう言われたりします。それと根本的には同じ内容なのですが、浅草の場合はその感覚がずっと深刻でした。

「おでん」の舩大工さんのお父様が言った「牛のよだれ」の決意が、その典型だと思います。本当の資産は腕とお客様だ~そう信じなければ立つ瀬がない。そんな状況を皆が通りぬけて来た、その経験が現代浅草の原点だということを、この対談で私は痛切に再認識したのでした。

本当の資産はソフトウエアだという発想は、「木の発想」と言い換えることが出来るかもしれません。リアルな資産はどれだけ堅牢に建てても燃えてしまうことがある、だからそういう場合に常日頃から備えておかねばならない、という発想です。

今回「駒形どぜう」さんと「宮本夘之助商店さん」で、戦争中木材を別の場所に用意して戦災に備えていた、という話を聞きました。敗戦を予測して準備していたのです。負けるだろうと公言すれば即逮捕ですが、密かに用意しておいででした。

これは喧嘩と並んで火事が「華」だった江戸の発想・江戸の知恵ですね。江戸時代の江戸の人口は世界一で、人がやたらと密集して、木の家に住んでいたので、こういう知恵が発達したのだと思いますが、それが昭和の戦争でも活きたというのは、ちょっとビックリでした。

そう言えば、「ちんや」の前の雷門通りが広いのは、元々「火よけ地」だったからです。火事の延焼を防ぐために道路を広くしたもので、以前は「浅草広小路」と言っていました。「木の発想」を忘れないために、「広小路」という名前も忘れたくないものだと思っています。

この「木の発想」は、勿論浅草独自のものでも江戸独自のものでもなく、日本全体にありますね。なにしろ・・・

<今日の分は終わり。続きは明日の弊ブログにて>

追伸1

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「世界が恋するWASHOKU」。

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拙著は好評(?)販売中です。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

題名:『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』

浅草の九人の旦那衆と私が、九軒のバーで語り合った対談集でして、「浅草ならではの商人論」を目指しています。

東京23区の、全ての区立図書館に収蔵されています。

四六判240頁

価格:本体1600円+税

978-4-7949-6920-0 C0095

2016年2月25日発売

株式会社晶文社 刊行

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100年経営アカデミー⑪

100年経営研究機構さん、ハリウッド大学院大学さんが主催する、

「100年経営アカデミー」で、ゲスト講師として講演をさせていただきました。

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次に、ここから浅草の先輩方の話しをしようと思います。どうも今日は、自分のことばかり話ししたことを今少し反省しております。

浅草人の共通体験は、関東大震災・太平洋戦争の大空襲・1970年代の衰退の三つですが、70年代の話しからしてみようと思います。当時の浅草をリアル覚えておいでの方は、今日ここにおいでの方の中でも少なかろうと思いますが、それはひどいものでした。

特に浅草六区一帯は、戦前から集積していた映画産業がテレビに敗北した影響で、廃墟のようでした。子供心に怖い感じすらしました。

そんな映画館の一つ・「電気館」の真裏に在った洋食の「ヨシカミ」さんは当然苦境に立たされました。興業街が衰退したのなら「では他の土地に移ろう!」そう考えてもおかしくはなかったと思います。そう考える方がむしろ自然と思います。

しかし、そうはなさいませんでした。そして、ここでラッキーなことに営業品目は洋食でした。それが幸いしたと私は思うのですが、その話を進める前に、ここで日本の洋食のことを一度思い起こしてみたいと思います。

現在「洋食」と言った場合、日本で独自に進化した西洋風の料理のことをさします。それは「進化した」とも言えますが、「以前の形態を保っている」とも言えます。

本家のフランス料理が1970年代にバターや伝統的なソースを使わない「ヌーベルキュイジーヌ」に転じたからです。ポール・ボキューズ、トロワグロ兄弟といった人達が、そのリーダーでした。

一方日本の街の洋食屋さんは、かつて導入したものを、ひたすら日本人の舌に合うように、ご飯や日本酒に合うようにと念じて改良し続けて来ました。そうこうしている間に洋食は日本人の口になじみ切ってしまい、今やカレーライスやトンカツを和食だと思っている人が増えました。

何故でしょう?懐かしいからではないでしょうか。東京に生まれ下町に生き、田舎を持たない都民二世や三世が懐かく思う料理と言ったら、洋食だったからです。そう、浅草の洋食って、近代東京そのものだと私は思います。それで興業街が衰退しても、洋食を食べようと繰り返し浅草に行く人はいたのです。

くわしくは本をお読みいただきたいのですが、ヨシカミさんではリピート来客を促す方策が成功したので、結局浅草の洋食は残りました。まず、すべてが手作りという努力。そしてご主人いわく「なんとかしなければだらしがない」という精神で生き残ったのです。

次に戦争の時どういうことがあったかを観てみましょう。

仲見世の江戸趣味小玩具の店「助六」さんの先代は、終戦後の闇市の時代、同業者が次々に生活に必要な物資を売る店へと転業する中で、玩具を置き続けました。

物資不足の時代ですから、物資を置けば飛ぶように売れるのですが、「助六」さんが売ったのは、江戸趣味小玩具。闇物資には目もくれず、この最悪の時代には玩具のことばかり考えていたのが「助六」さんの先代でした。

実は、江戸時代から仲見世には玩具の店が何軒もあり、その中で「助六」さんは幕末開業の後発組なのですが、この時期職人さんを手放さなかったことで、現在唯一仲見世に残る玩具店は「助六」さんです。今や完全にオンリーワンの存在と成りました。

その理由を、先代が「不器用で融通が利かなかった」からだと当代は私に語ってくれましたが、不器用もここまですごいと世の中に貢献できるという一つの事例だと思います。

「助六」さんが戦後営業を再開できたのは、もちろん昭和20310日の大空襲を生きのびたからです。東武浅草駅の地下に入って助かったと聞いています。

そして、その体験が「現代浅草の原点」と言えます。皆さんは浅草=江戸時代のイメージの街と思っていたでしょうから、戦争が原点と聞いて、いささか戸惑ったことと思いますが、実際そうなんです。

このように伝統と申しますものは、ずっと連続して継承されるものではなく・・・

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100年経営アカデミー⑩

100年経営研究機構さん、ハリウッド大学院大学さんが主催する、

「100年経営アカデミー」で、ゲスト講師として講演をさせていただきました。

「100年経営アカデミー」は“100年経営を科学する”をテーマに、長寿企業から長く続く経営の秘訣を体系的に学び、経営の中で実践していくことを目的とした、日本で初の講座です。

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サシを短期肥育で入れることは、サシ(脂肪)の質の劣化を招きます。質の劣化とは「霜降り」を食べるとモタレて気持ち悪くなってしまうことです。

実はサシについては、量が増えたこと以上に質が劣化したことが問題なのですが、それを説明したりメカニズムを解明したりするには、小難しい食品化学を持ち出さないといけないので、詳しいことは、「後で時間があったら」ということに致します。とにかく、お客様が「霜降り離れ」を起すほどに現代日本の牛肉の質は劣化しました。

若い方なら、なんとか、そういう脂も消化できるかもしれません。しかし手前どもは、お客様に、ご家族づれで、リピートしていただく、それも10年に30回、20年に60回、30年に90回といったペースでリピートをしていただく、ということを目指しておりますから、当然お爺様、お婆様が見えます。肉がモタレては絶対にダメです。

 

で、「適サシ肉」宣言だったのですが、その頃同時にここで観た通り肉の業界は、危機に対処する方法が適切でなかったために、さらなる危機を自ら招き寄せてしまいました。そういう失敗事例を研究することは、とても大事で、成功した人の話しなんかより余程大事だよねと私は思っています。

そして、ついでに申しますと、「伝統と革新」の「革新」って、店主が主体的に決められることではないような気がしています。それは客あるいは世間が決めるのだと思います。世間が、過剰な霜降りはもうたくさんだ!と考えているのなら、店主は、その頭の中を忖度して行動する他選択肢はないと思います。

28日の「適サシ」ブレーク以降、私は道端で大勢の人に声をかけられました。「適サシ宣言、良かったです! 私も以前から、絶対そうだと思ってたんです!」「俺も同じこと思ってたんだけど、自分の年のせいだと思ってたんだよね。でも、違ったんだね。肉が原因だって分かって良かったよ!」皆さん、目を輝かせてそう言いました。

そう、皆さん、内心、今の霜降りは行き過ぎて美味しくないと思っていたのに、言えなくて黙っていたのです。自分が少数派ではなく、多数派だと分かったことが嬉しくて仕方なくて私に声をかけてきたのです。

逆に申しますと、自分が少数だと思っている間は口に出さなかったのですから、結局、その心の内は、店主が忖度する他ないわけです。日本的ですけどね。

さて、一気に「適サシ宣言」まで話してしまいまして、私が宣言に踏み切ったキッカケを話し忘れました。「霜降り」というビッグワードを廃止することに決めたものの、実行できかねていた私に決断を促したのは、自分が出した2冊の本でした。

1冊は先ほど申しました『すき焼き思い出ストーリーの本』です。様々な約70本のストーリーを全部読み終えた時、私は気づきました、牛の産地が出てこない。等級も出てこない。そうか、それらは売り手側の都合だったんだ!

また「思い出ストーリー」の段階で、接待需要を捨てていたので、より決断し易くなりました。それが一つ目のキッカケです。

もう1冊が、『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』(2016年㈱晶文社刊行)です。戦争で丸焼けになり、その後1970年代に「イケていない街」と言われて没落した浅草で、生き残って来た先輩方の人生に迫った本でしたが、これらの対談で分かったことは、被災したりピンチを経験した時に小手先の対処をせず、商いの本質に迫って行った人だけが生き残っている、ということでした。

どんな寿司が美味しいのか、どんなおでんが美味しいのか、どんな洋食が美味しいのか、料亭とは、どうあるべきか、商いの本質に迫って行った人だけが生き残っていたのです。私も決断をしなければいけない局面で、浅草の先輩方に習うことにしました。これが「適サシ」決断までの流れです。

次に、ここから浅草の先輩方の話しをしようと思います。

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追伸2

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浅草の九人の旦那衆と私が、九軒のバーで語り合った対談集でして、「浅草ならではの商人論」を目指しています。

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100年経営アカデミー⑨

100年経営研究機構さん、ハリウッド大学院大学さんが主催する、

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「100年経営アカデミー」は“100年経営を科学する”をテーマに、長寿企業から長く続く経営の秘訣を体系的に学び、経営の中で実践していくことを目的とした、日本で初の講座です。

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<「100年経営アカデミー」住吉史彦講演(2017.6.10)>

「霜降り」というビッグワードを廃止するのですから、これはかなりのリスクでした。「霜降り」という言葉を廃止するしかない、と心に決めたものの、いつやるのか?失敗したら、どうなってしまうのか?そう簡単に決断できる筈もありません。

数年悩み、いたずらに日が過ぎて行きましたが、今年のはじめに敢行しました。

反響は、私の予想を遥かに超える、ものすごいものでした。

私が今回宣言した相手先は、手前どものお客様だけでした。お客様に向けて「適サシ肉だけを売ります」「過剰なサシを売りません」という「お約束」をしたのであって、それを私は「ちんや」というブランドの基盤にしたいと願っただけ、つまりミニ・コミュニケーションをしたかっただけなのですが、ある日それが、猛烈なマス・コミュニケーションになってしまいました。

それは28日のことでしたが、その日寝坊してモタモタしておりましたら、知人から次々にメールが着信して、YAHOOのヘッドラインにオタクのことが載っているよ!そう言われて初めて分かったんですが、本当に予想外でした。

「文春オンライン」の掲載日であることは分かっていましたが、「文春オンライン」は開設されたばかりのサイトで、読者もこれから増やしますという説明だったので、そんなに期待していませんでした。ところが、その記事がYAHOOのトップページにリンクされたから大変です。

店のサイトはダウンし、ブログに30倍のアクセスが来るほどの大反響となりました。コメント欄も凄くて、3.000件以上でした。

嬉しかったのは3.000件のコメントの内15対1で私の「適サシ肉」という考えに賛同する方が多数派でした。これは嬉しいことだと思いました。

それに続いて大小メデイアから取材の申し込みが殺到しました。 

日本テレビ「スッキリ!!」、

TBSテレビ「白熱ライブビビット」、

テレビ朝日「スーパーJチャンネル」、

産経新聞、東京新聞、婦人画報、日刊ゲンダイ、

テレビ朝日「週刊ニュースリーダー」、

TBSテレビ「ぴったんこカン☆カン」、

読売テレビ「そこまで言って委員会」、

TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」、

TBSラジオ「森本毅郎スタンバイ!」、

NHKテレビ「所さん!大変ですよ」とメジャーな番組ばかりです。

結局テレビ7回、ラジオ3回、新聞3回、雑誌3回、その他ネットメデイアもありました。

テレビに出たことで、ネットでの拡散にも拍車がかかったようでした。大変な事態でした。

ここで皆さんに考えていただきたいのは、同じ時期に同じ業界の中にいた人間が、かなり違う動きをしたということです。私は、記念写真の掛け声を「スキヤキ!」にして、記念日割引を始めて、思い出ストーリーの本を創り、あ、それからさっき言い忘れましたが、「すき焼き川柳包装紙」というのを創りました。

これはお客様から川柳を投句していただいて、入選作を「ちんや」の包装紙に刷り込んで、実際に店でそれを使う、という企画です。もちろん店の客の間の関係性を濃くすることを意図したものです。

私は、そういうことをしてきましたが、同じ時期に一部の産地の方や県庁の方が目指したのは、とにかくサシを入れること、そしてそれをブランド化することでした。さらには、そのサシを短期肥育で入れることを目指しました。

サシを短期肥育で入れることは、サシ(脂肪)の質の劣化を招きます。質の劣化とは「霜降り」を食べるとモタレて気持ち悪くなってしまうことです。実はサシについては、量が増えたこと以上に質が劣化したことが問題なのですが、それを説明したりメカニズムを解明したりするには、小難しい食品化学を持ち出さないといけないので、詳しいことは、「後で時間があったら」ということに致します。とにかく・・・

<今日の分は終わり。続きは明日の弊ブログにて>

追伸1

6/1発売の「婦人画報」7月号(創刊記念号)に載せていただきました。ありがとうございます。

今回の特集は、なんでも婦人画報社さんが「総力をあげた特集」だそうですが、題して、

「世界が恋するWASHOKU」。

旨味とか醗酵とかを採り上げた後、しんがりがWAGYUです。

 

追伸2

拙著は好評(?)販売中です。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

題名:『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』

浅草の九人の旦那衆と私が、九軒のバーで語り合った対談集でして、「浅草ならではの商人論」を目指しています。

東京23区の、全ての区立図書館に収蔵されています。

四六判240頁

価格:本体1600円+税

978-4-7949-6920-0 C0095

2016年2月25日発売

株式会社晶文社 刊行

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.668日連続更新を達成しました。

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100年経営アカデミー⑧

100年経営研究機構さん、ハリウッド大学院大学さんが主催する、

「100年経営アカデミー」で、ゲスト講師として講演をさせていただきました。

「100年経営アカデミー」は“100年経営を科学する”をテーマに、長寿企業から長く続く経営の秘訣を体系的に学び、経営の中で実践していくことを目的とした、日本で初の講座です。

6/11から講演全文を公開しています。長いので16回に分けて少しずつUPしております。

<「100年経営アカデミー」住吉史彦講演(2017.6.10)>

この時に「ブランド化=サシを入れること」と考えるのは単純過ぎやしないか?ひたすらサシが多い肉は本当にお客様に喜んでいただけるのか?脂肪の質も考慮しないといけないのではないか?といった問題提起が行われていれば、今日のような事態に至らずに済んだと思うのですが、なぜだか、問題提起は行われませんでした。業界に重くのし掛かった危機感が異論を封じ込めたのかもしれません。

同じ頃DNA鑑定やビタミンコントロールの技術が登場したことで、サシは行き過ぎてしまいました。やがて、お客様から嫌われる水準にまで過剰なサシが肉に入るようになったのです。

この残念なブランド化あるいは、残念なマーケテイングは「失敗学」の研究対象に成るのでは?そう私は考えています。

そもそもですが、ブランドの基礎はお客様への「お約束」であり、その裏返しとしての、お客様からの信用・信頼である筈です。で、私が今年の1月15日に宣言したのは「適サシ肉だけを売ります」「過剰なサシを売りません」という「適サシ肉宣言」だったのですが、これは「お約束」であって、それを私は「ちんや」というブランドの基盤にしたいと願っています。

しかし、××牛の産地の人達や県庁の人達は違いました。消費者向けには、青い空や生産者の純朴な笑顔を使ったCMを打っておいて、実際には脂の多い肉を売り込もうとしていました。あるいはロゴを創ったり・ゆるキャラを創ったりして、実際には脂の多い肉を売り込もうとしていました。

そのブランド化に無理はなかったのでしょうか?そのマーケテイングに無理はなかったのでしょうか?

私は、かなりの無理筋だったと思います。その無理筋の作戦を、こんなにも長期間、皆がなぜ平押しに押し続けてしまったのか?「失敗学」の教材として良いのではないでしょうか?

思えばですね、話しが膨らむのが私の悪い癖ですが、昭和の戦争がなぜ起きたかを考えますると、関東大震災に辿り着きます。サシの過剰化の「そもそも」も辿っていけば、この17年間に業界が被ったダメージに行き着きます。

昭和の戦争を、サシの過剰化を、なぜ誰も止められなかったのか、面白い研究テーマだと思いますし、また、皆さんが自分のお店のブランドを育てて行く時には、決して、絶対にマネてはならない事例だと思います。

話しを戻しますが、こうして、この17年で「霜降り」はネガテイブ・イメージの言葉に成っていきました。一番高いメニューが売れないのではビジネスとして本当に困ります。事此処に至って、「霜降り」という言葉を廃止するしかない、私はそう思い至ったのでした。

それが「適サシ肉宣言」です。

「適サシ肉」とは言うまでもなく、適度な霜降肉のことで、サシの入り方が過剰でないことを意味する、私の造語で、ただ今商標出願中です。

具体的には脂肪の量が4等級である牛を使います。高級肉の代名詞だったA5等級は今は使っておりません。4等級は、それなりにサシが入っている肉ですが、「霜降り」という言葉にはネガテイブ・イメージがこびりついてしまったので、この際思い切って、使わないことにしました。

「霜降り」というビッグワードを廃止するのですから、これはかなりのリスクでした。

「霜降り」という言葉を廃止するしかない、と心に決めたものの、いつやるのか?失敗したら、どうなってしまうのか?そう簡単に決断できる筈もありません。数年悩み、いたずらに日が過ぎて行きましたが、今年のはじめに敢行しました。

反響は・・・

<今日の分は終わり。続きは明日の弊ブログにて>

追伸1

6/1発売の「婦人画報」7月号(創刊記念号)に載せていただきました。ありがとうございます。

今回の特集は、なんでも婦人画報社さんが「総力をあげた特集」だそうですが、題して、

「世界が恋するWASHOKU」。

旨味とか醗酵とかを採り上げた後、しんがりがWAGYUです。

 

追伸2

拙著は好評(?)販売中です。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

題名:『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』

浅草の九人の旦那衆と私が、九軒のバーで語り合った対談集でして、「浅草ならではの商人論」を目指しています。

東京23区の、全ての区立図書館に収蔵されています。

四六判240頁

価格:本体1600円+税

978-4-7949-6920-0 C0095

2016年2月25日発売

株式会社晶文社 刊行

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.667日連続更新を達成しました。

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100年経営アカデミー⑦

100年経営研究機構さん、ハリウッド大学院大学さんが主催する、

「100年経営アカデミー」で、ゲスト講師として講演をさせていただきました。

「100年経営アカデミー」は“100年経営を科学する”をテーマに、長寿企業から長く続く経営の秘訣を体系的に学び、経営の中で実践していくことを目的とした、日本で初の講座です。

6/11から講演全文を公開しています。長いので16回に分けて少しずつUPしております。

<「100年経営アカデミー」住吉史彦講演(2017.6.10)>

そして、「商品としてのすき焼き」をもう一度考えてみますと、すき焼きという商品は売り易くない、しかしすき焼きの思い出という商品は結構、売り易い、そう言えるのではないかと思います。

だいだい、そうでなくては所謂「老舗」の存在意義なんてものはありません。

そして、さらにもう少し申せば、家族を統一するのは味覚だとも、私は思っています。そうしたご家族の平凡な幸せに貢献すること・平凡な思い出づくりのお手伝いをさせていただく、それが私と「ちんや」の役割・私と「ちんや」のミッションだと、現在は確信しております。

以上ここまでの話しを纏めますと、経営は人間的なもの、普遍的に人の心に訴える価値を創り出さねばならない、その考え方に沿って、弊店は「思い出を創る」店だ、そう決めさせていただいた。

私にそうさせたのは、2001年のBSE問題から、2011年に至るまでの一連の肉の業界の危機的状況だった、とうことです。

えー、ここまで大丈夫ですか、ちょって背伸びしますかね、本当は自分がしたいんですけど、両手を握ってひっくり返して、左、右、左、右と曲げますね。いいですか?掛け声はここでもス・キ・ヤ・キですからね、はい、ス・キ・ヤ・キ。

はい、ありがとうございます。先に行きましょう。

先ほどは、BSE問題、口蹄疫問題、東北の震災を経験して、私の考えと行動がどうなったかを、お話ししましたが、ここからは同じ時期に肉の業界にどういう動きがあったかをお話ししたいと思います。

その動きは、サシの過剰化・霜降の付け過ぎという実に良くない動きで、その結果、ごく最近手前どものような店も、それに対応すること・決断することを強いられましたので、ここでお話ししたいと思います。

さて、先ほど申しましたように牛の業界が深いダメージを蒙った結果、打開策として、各県は牛の「ブランド化」を進め始めます。1980年代から、アメリカの牛と競争する為、日本の畜産業界は肉にサシを入れる努力を続けて来ましたが、この頃から、その傾向がエスカレートするようになったと記憶しています。

この時に「ブランド化=サシを入れること」と考えるのは単純過ぎやしないか?ひたすらサシが多い肉は本当にお客様に喜んでいただけるのか?脂肪の質も考慮しないといけないのではないか?といった問題提起が行われていれば、今日のような事態に至らずに済んだと思うのですが、なぜだか、問題提起は行われませんでした。業界に重くのし掛かった危機感が異論を封じ込めたのかもしれません。

同じ頃DNA鑑定やビタミンコントロールの技術が登場したことで、サシは行き過ぎてしまいました。やがて、お客様から嫌われる水準にまで過剰なサシが肉に入るようになったのです。

この残念なブランド化あるいは、残念なマーケテイングは・・・

<今日の分は終わり。続きは明日の弊ブログにて>

追伸1

6/1発売の「婦人画報」7月号(創刊記念号)に載せていただきました。ありがとうございます。

今回の特集は、なんでも婦人画報社さんが「総力をあげた特集」だそうですが、題して、

「世界が恋するWASHOKU」。

旨味とか醗酵とかを採り上げた後、しんがりがWAGYUです。

 

追伸2

拙著は好評(?)販売中です。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

題名:『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』

浅草の九人の旦那衆と私が、九軒のバーで語り合った対談集でして、「浅草ならではの商人論」を目指しています。

東京23区の、全ての区立図書館に収蔵されています。

四六判240頁

価格:本体1600円+税

978-4-7949-6920-0 C0095

2016年2月25日発売

株式会社晶文社 刊行

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.666日連続更新を達成しました。

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100年経営アカデミー⑥

100年経営研究機構さん、ハリウッド大学院大学さんが主催する、

「100年経営アカデミー」で、ゲスト講師として講演をさせていただきました。

「100年経営アカデミー」は“100年経営を科学する”をテーマに、長寿企業から長く続く経営の秘訣を体系的に学び、経営の中で実践していくことを目的とした、日本で初の講座です。

6/11から講演全文を公開しています。長いので16回に分けて少しずつUPしております。

<「100年経営アカデミー」住吉史彦講演(2017.6.10)>

実際の課題としては、お客様にリピートしていただく、それも10年に30回、20年に60回、30年に90回といったペースでリピートをしていただく、ということを目指しております。浅草はそれが可能なんです。

実は浅草と上野の間には寺町があってお墓があります。そこへ正月、春のお彼岸、お盆、秋のお彼岸と多くのご家族が通って来ます。春には墨堤の桜が咲きます。是非ともそういう機会にリピートをしていただきたいと思っています。

30年の間にはお爺さんが亡くなるかもしれません。しかしリピートは終わりません。30年の間に、お孫さんが成長して結婚して⇒そこにお子さんが生まれて、つまりかつてのお父さんがお爺さんの位置に上がりまして、新たな3世代が揃って「ちんや」へ来て下さいます。

ですから「ちんや」メンバーズカードの会員さんが亡くなった時、遺族の方がそのまま権利を継承できるようにしております。ご遺族の方は、たいてい「父が亡くなりましたので削除して下さい」と連絡して来ますが、そこで「はい」と言って削除してはダメなんです。

人間の個体の単位で考えれば、お爺さんは死んじゃったんですから二度とリピートできませんが、家族単位ではリピートできるんです。

生まれたお子さんにモノ心がついたら、今度のお爺さんつまりかつてのお父さんから聞かされるでしょう、オマエの曾爺さんの代から、ウチの家族はこの店に来てるんだぞ!って。

それが弊店の理想形であります。若年層対策にもなりますのでね、お孫さんは20年経てば成人して彼女と来てくれますから。

その理想形は、実際実現しています。

そして、私はそれをある方法で確認しました。『すき焼き思い出ストーリーの本』という本を出した時確認できました。この本は、創業135年を記念して、2015年に刊行しましたが、ここに掲載されているストーリーは、一般の皆様から投稿していただいたものです。

思い起こしますと、すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。料理は他にいくつもありますが、人々の思い出と一番つながっている料理はすき焼きではないかと私は考えています。でも残念ながら、そうした思い出話しを纏めて保存したことはなかったように思います。そこで私は皆様にストーリーを投稿していただこうと、2010年に思いたち、それを2015年に本に纏めました。

ストーリーを読みますと、感動して落涙を禁じ得ないものから、クスっと笑ってしまうものまで、様々なものが集まりました。

時代背景も、激動の昭和を色濃く映したものから、現代の世相を映したものまで。様々とり揃えることが出来まして、企画者としてこんなに嬉しいことはありませんでした。今後この本を、店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存したいと思っています。これが現物です。内容はですね、

(1章)主の六代 客の六代

私が思いまするに、主の六代はそんなに自慢できることでもないです。しかしお客様に六代続いた方がいるのであれば、それは少し自慢させていただいも良いように思います。

(2章)昭和に生きて

(3章)オラがすき焼き

これは、無意味な競争をやめよう、数字を追うのは止めようという意味です。

(4章)おご馳走

これは、すき焼きが一番人の心に訴える食べ物だという自慢です。

(5章)浅草じゃなくちゃ!

この本はスタッフの教育用にもなります。そして、私としては、この本を創ったことで、弊店が何をするべきか、しなくて良いのは何か、が完全にハッキリしました。

そして、「商品としてのすき焼き」をもう一度考えてみますと・・・

<今日の分は終わり。続きは明日の弊ブログにて>

追伸1

6/1発売の「婦人画報」7月号(創刊記念号)に載せていただきました。ありがとうございます。

今回の特集は、なんでも婦人画報社さんが「総力をあげた特集」だそうですが、題して、

「世界が恋するWASHOKU」。

旨味とか醗酵とかを採り上げた後、しんがりがWAGYUです。

 

追伸2

拙著は好評(?)販売中です。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

題名:『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』

浅草の九人の旦那衆と私が、九軒のバーで語り合った対談集でして、「浅草ならではの商人論」を目指しています。

東京23区の、全ての区立図書館に収蔵されています。

四六判240頁

価格:本体1600円+税

978-4-7949-6920-0 C0095

2016年2月25日発売

株式会社晶文社 刊行

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.665日連続更新を達成しました。

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