犬と浅草

浅草寺教化部が月一回発行する月刊「浅草寺」3月号に

「犬と浅草」

という大変興味深い一文が載っており、「ちんや」のことも書いてありました。それによりますと、

「浅草は狆(ちん)のブリーディングの拠点でした」

うん、そうなんです、明快で重要な一行です。そして、この文にすぐ続けて、

「すき焼きで有名な浅草の「ちんや」の店名は、明治13年に料理屋に転じる前、江戸時代に諸大名や豪商に狆などの愛玩動物を納め、獣医の役割も兼ねていたことから「狆屋」と呼ばれていたことにちなむそうです。ペットショップと獣医とブリーダーを兼ねたような存在ですが・・・」と書かれていました。さらに、

「当時の狆のブリーディングは非常に高度なもので、その中心となっていたのが、まさに浅草だったのです」(出典『江戸時代における狆飼育について』

「十代将軍家治の世嗣であった家基が、鶉をはじめとした鳥や狆を見に、浅草へやって来たこともあったそうです」

「浅草は江戸時代のペットブームの先端を行く地域でした」

ここには書かれていませんでしたが、狆の業界では「浅草筋」すなわち浅草のブリーダーが持っている血統が珍重されていたそうで、「浅草は狆のブリーディングの拠点」というのは間違いないことだと私も考えています。

著者は徳川林政史研究所非常勤研究員の浦井祥子先生。寛永寺の浦井先生のお嬢様ですね。

浅草の狆のこと以外にも綱吉の「生類憐みの令」の件なども載っています。勉強になりました。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.050本目の投稿でした。

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栄養たっぷり

テレビを点けたら通販番組でウォーターサーバーを宣伝していました。

水道水は飲みたくないが、コロナの最中に水を買いに出かけたくない

という人が多いらしく、通販で水が売れるのだそうです。

私はコロナで儲けている人を見るとイラついてしまうので、チャンネルを変えようと思ったのですが、その瞬間驚きました。プレゼンターが

「栄養たっぷりのお水です!!」

と言い始めたのです。

え、「栄養たっぷり」って出汁のこと?

でも出汁はすぐに傷むからウォーターサーバーで保管できるわけないよなあ・・・と思いながら視ていると、

「栄養」とはミネラルのことでした。

その水は有名な山の麓で取っているそうで、水が山の岩盤を通る間に「ミネラルたっぷり」になるのだとか。

ミネラルを「栄養」と言うのは間違いではないです。

日常的に「栄養」と言えば、三大栄養素(タンパク質、脂肪、炭水化物)だと思いますが、栄養学で「栄養素」とは「三大」の他にビタミン、ミネラルも含みます。

ミネラルも、微量ながらも健康維持に欠かせない栄養素で、骨・歯を構成するカルシウムもここに入ります。ナトリウム=塩もそうですね。

ここでポイントなのは「微量」という点です。ミネラルは「微量栄養素」とも言われます。

逆に摂り取り過ぎた場合には「過剰症」を引き起こすことがあるのです。

鉄や亜鉛を摂り過ぎると中毒を起こしたり、ナトリウムを摂り過ぎると高血圧症に繋がりかねません。

よって、

ミネラルを「栄養」と言うのは×ではないものの、

「たっぷり」が良いとは限らない点にお気をつけいただきたいと思います。

あ、これって、ひがみ根性か、な。

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一周忌

今日3月29日は、戦後日本を代表するコメディアン・志村けんさん(1950年2月20日~2020年3月29日)の命日です。

1970年代のこと、私は毎週土曜日の夜欠かさず『8時だョ!全員集合』を視ていました。

所謂「ドリフ世代」ですから、志村さんの訃報に接した時の喪失感は大きいものでした。

また、この訃報で国民の間にコロナへの恐怖感が一気に高まり、店に予約キャンセルの電話が殺到したのも、去年のこの日でした。

「ドリフ世代」にとっては『全員集合』を越えるお笑い番組は考えられません。

裏番組だった『オレたちひょうきん族』のメインキャスト・ビートたけしさんが、後に『全員集合』を「今見ても面白い」「それは完璧に計算して稽古して作り上げたものだからだ」と高く評価したと聞いて、私は非常に納得しました。たけしさんは自身が出ていた『ひょうきん族』を「芸の笑いとは別のもの」とあまり評価していないとか。

『ひょうきん族』が台頭してきて『全員集合』をしのぐようになってきた頃、私は『ひょうきん族』を覗きに行って面白く思えず、そのたけしさんが浅草芸人出身と聞いて失望したものでしたが、後にこのコメントを知って大いに安心したものでした。

昨今のトーク主流のテレビ番組のあり方については、志村さんはインタビューなどで疑問符を投げかけていたそうで、これも私はまったく同感です。

昨今昭和の笑いについては批判の言葉も聞かれますが、私達にとっては『全員集合』は神聖なものですらあります。

一周忌にあたり志村さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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2月分

「営業時間短縮に係る感染拡大防止協力金」(2月8日〜3月7日実施分)

所謂「時短協力金」2月分の申し込みが始まり、エントリーさせていただきました。

世間には飲食店だけが苦しいわけじゃない、不公平だと言う方もおいでだとかですが、夜の食事を中心に営業している飲食店が、その営業時間を「8時まで」と制限されてしまったのですから、大変なことでした。

8時に食事を終えるには、6時には来ていただきたいわけで、普通のお勤めの方には難しいですね。そこを協力させていただいたわけですから、堂々と頂戴し、なおかつここにも公表させていただきました。

前回(1月分)は申し込みから1カ月以内に入金されて、助かりました。

東京都さん、今回もよろしくお願いいたします。

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コロナ対策リーダー

東京都の「コロナ対策リーダー」とやらになろう!と思い、エントリーしてみました。

申し込み自体は簡単。リーダーになるのに必要な研修は月末だそうです。

この制度は、

・店舗ごとに、マネージャーなどを「コロナ対策リーダー」として選任する。

・東京都の研修を受ける。

・研修の受講後、修了したマネージャーがいることが分かるステッカーを店に貼る。

という流れでして、ユリ子知事お得意のステッカー作戦の第二弾です。

研修(Eラーニングだとか)は月末ですが、その前に早くも「宣誓書」がダウンロードできました。

「宣誓書」の中身は・・・

・利⽤者の皆様には、来店時に⼿指消毒をしていただけるよう、呼びかけていきます。

は良いとして、

・利⽤者の皆様には、お⾷事の時以外は、マスクを着⽤していただけるよう、ご案内していきます。

・利⽤者の皆様には、出来るだけ⼩声でお話いただき、⼤声の会話を慎んでいただくよう、呼びかけていきます。

うーん。盛り上がっているお客様がいたら、盛り下げろという話しです。 はい、勿論、やりますけどね。

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春休み

春休みだからか、若い人が浅草に来て下さっています。

卒業旅行が禁止されているので、その代わりなのかもしれません。

年配者が引き続きホームステイしているので、若い人が多く見えるのかもしれません。とにかく目立ちます。

そして、カレ・カノジョ達が楽しそうにやっているのは、

歩き食い・・・

私達の世代は歩き食いは不謹慎と教わりましたし、実際問題として、ゴミが路上に捨てられるとか、汚れた手を拭かずに他のお店の商品を触るとか、トラブルもあります。

が、カレ・カノジョ達の表情は、とにかく楽しそうです。

浅草に行ったら歩き食いをしてみたいと楽しみにして来る人もいるとか。浅草には「縁日感」があって、その一部が歩き食いなのかもしれません。

その様子を見るにつけ、こちらの考え方を修整する必要があるのかなあとも思います。

浅草には過去歴代新奇なものが次々と登場してきました。

そして、その中には最初不謹慎と言われたものもありました。

22日の弊ブログに書いた「浅草オペラ」もそうでした。

「鬼滅の刃」の時代=大正初期の浅草で一番人気があったのはオペラでしたが、その若いファン(当時「ペラゴロ」と呼ばれました)は熱狂的でした。

「ペラゴロ」は、今日のアイドルの「追っかけ」に似ています。その非常識ぶりが、当時の日本で始まったばかりのイエロー・ジャーナリズムの恰好のネタになりました。

オペラ女優ごとに「推し」の集団が出来て、幟をたてて行進、他の推し集団と行き会えば一触即発。

一人のゴロが他のゴロを出し抜いて女優を口説き、アフターの食事に連れ出せば大問題・・・と現代と同じ構図ですね。

西洋のオペラを正しく紹介するという観点ではまったく不謹慎ですが、多くの人が喜んでいた事実は残ります。

まずはゴミの汚れた手の問題を解決して、それでも禁止すべきか考えた方が良いかもしれません。

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過去

「地元の人が知っている浅草の本当の魅力を学び発信していく」サイト

omve-asakusa.jp

に旧知の琵琶奏者・友吉鶴心さんが登場しました。

というサイトを知りました。

omve-asakusa.jp

は浅草の地元出身の、才能ある若い方がやっています。

その中で友吉さんは、こう言っています、

「”夢”ってみんな未来にあると、思いますよね。俺は、過去にあると信じます。過去が未来の”夢”に繋がっていく。」

過去を知ること無しに未来はないというのは同感ですね。

例えば、少々話しが飛ぶですが、オリンピック。聖火リレー。

そもそも、何のために始まったのか。そこが御留守と思うのは私だけでしょうか。

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合格祝い

受験に合格したので→すき焼きというツイートがチラホラ見られる季節になりました。

「娘、志望校合格でしたーε-(´∀`*)ホッ 今夜はすき焼きです!」

「現役合格おめでとー!すき焼きパーティーしてます。 父親が奮発して黒毛和牛買ってきてくれたので滅茶苦茶うまい」

「祝合格 息子の希望ですき焼き 来週からは、引っ越し作業」

「ちーくん高校入試第一志望に合格で我が家も歓喜に包まれています。お祝いはいつもの赤飯に栗を混ぜました…それだけではちーくん以外に怒られそうだったのですき焼きもつけました」

「今からすき焼き食べる  第1志望校合格をお祝いしてくれるらしい… お腹空きまくってるからやばい 一瞬で私の胃の中に吸い込まれてくよ」

コロナがなければ浅草の店に来て下さるかもと思いますが、今年は家でなさる方が多いのでしょうね。

皆さま、合格誠にお芽出とうございました。

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大火

季節の変わり目は風の季節、東京は3月初旬が風の季節で、明暦の大火(「振袖火事」)はその時期でしたが、3月後半は北海道が風の季節のようです。

そう気づいたのは、「今日は何の日」を見ていて、1934年の「函館大火」が起きたのが3月21日だと分かったからです。

カレーが有名な「五島軒」さんの歴史を調べていた時に、この大火で店舗が燃えたと書かれていました。

この火事は2.000人以上の死者が出た大惨事でしたが、その原因は強風で木造家屋が倒壊し、囲炉裏の火が燃えうつったことでした。さらに火災の最中に風向きが変わったことにより火も移動して、市街地の3分の1を焼いてしまったそうです。

北海道の皆様、時節柄火の用心をお願い致します。

ところで「函館大火」の後日談として、「函館港まつり」の始まりがあります。

函館の夏の定番である「函館港まつり」は、大火で意気消沈した市民を鼓舞するために、翌年にスタートしたのだそうです。

当時の市長が「大火後の復興も遅々として進まない現状で「お祭り騒ぎ」に反対する意見もあるが、それは消極論であって進取の精神に反し、時代に落伍する恐れを多分に持つものである」と勇ましいコメントを出すと、

「帝国電力会社では3000円余りを投じた花電車3台を昼夜にわたって走らせ、自動車協会函館支部では3日間にわたりトラック20台、乗用車10台、乗り合い自動車4台を飾りたてて花自動車隊を編成して市内を行進・・・」(函館市史)と大変な気合の入れ方でした。

今世間はコロナで意気消沈していますが、終わったら、イヤ終わる少し前から「お祭り騒ぎ」を企画してはいかがでしょうか。

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盛り場

緊急事態が明けました。

観光地・浅草をどうするのかという議論が行われないといけない状況だと思います。

が、そもそも浅草は「観光地」なのか、と申しますと、明治・大正・昭和の浅草は、観光地というより「盛り場」という感覚であり、この時代の浅草がおそらく歴史上一番面白かった時代だと私は思います。

私は、すき焼き屋という明治時代に起源のある店に関わっていますので、明治の浅草の面白さを皆様に伝えるのも自分の一つの役割と思わないといけないのですが、もろもろの用事にかまけて出来ていないのは申し訳ないことだと思っています。

一応、このブログでそうしたことを書いてみたり、明治時代の「開化絵」を集めて店に飾り、ネット(こちら)でも公開しておりますが、まだまだ足りないと思っています。

以下は言い訳ですが、明治・大正・昭和の浅草の面白さを伝えるのは、少し難しいです。

その理由は、

・当時の浅草の実態は、現代日本人が浅草について抱いている「江戸情緒の町」というイメージから、かなり離れている。

・当時「浅草らしい」ことばかりが行われていたわけではない。むしろ新奇なことが行われることも多かった。

今日の価値観に照らすと「好ましくない」ことも、盛んに行われていた。

例えば、大正初期の浅草で一番人気があったのはオペラでした。「浅草オペラ」と呼ばれています。

オペラとはもちろん西洋のクラシック音楽のオペラ。まったく、江戸の町らしくも浅草らしくありませんが、観衆は熱狂的でした。劇場にファン(当時「ペラゴロ」と呼ばれました)が入り過ぎて、一人の「ペラゴロ」が二階から一階に落下、「人が降って来た」と話題になりました。

「ペラゴロ」は、今日のアイドルの「追っかけ」に似ています。その非常識ぶりが、当時の日本で始まったばかりのイエロー・ジャーナリズムの恰好のネタになりました。

「浅草オペラ」の根本は西洋のオペラですから江戸の町らしくも浅草らしくもありませんが、一部浅草らしいところもありました。それは歌詞が日本語だったことです。これで格段に親しみ易くなりました。

そして、ここからがさらに浅草らしい点ですが、次第に翻訳以上の改変もされて行ったのです。

「ベアトリねえちゃん」という一曲があります。スッぺ1819年~1895年)作曲のオペレッタ「ボッカチオ」の中の一曲で、「浅草オペラ」で盛んにわれた歌です。

これはベアトリーツェという名前の登場人物の娘について歌った歌ですが、長い名前で親しみにくいですね。「ねえちゃん」を付けた方が親しめますね。

オッフェンバック(1819年~1880年)のオペレッタ『ジェロルスタン大公妃殿下』ではタイトル自体が変わって『ブン大将』に成ってしまいました。「大公」は親しみづらく「大将」なら親しめますからね。

外国語の歌詞を日本語に訳すと、音楽に載せにくくなることが良くありますが、そういう場合は、歌詞を変えてしまいました。

逆に音楽を、日本語の歌詞に合わせて変えてしまうことさえありました。

西洋のオペラを採り入れながら、「原典に忠実に」という西洋の精神は採り入れなかったのです。ここは浅草らしいと言えるかもしれません。

が、この「浅草らしさ」は伝えにくいです。「浅草らしくないのに浅草らしい」ということですから、少ない文字数では伝えにくいです。

つぎに、今日の価値観に照らすと「好ましくない」ことですが、例えばストリップがあります。

戦後1950年代の浅草で一番人気があったのはお笑いですが、そのお笑いはストリップ小屋でストリップ・ショーの合間に上演されていました。

ストリップと聞いて今日のアダルト・ビデオと同じと思ってはいけません。パリの「ムーランルージュ」を目指した本格的なショーで、パリに留学経験のある永井荷風も好んで観ました。座付き作家は無名時代の井上ひさしでした。

踊り子がバストを露出していましたから、「猥褻」に入ってしまうかもしれませんが、現代のAVと比べれば、当時のショーは美しいとすら言えます。

このショーの副産物=踊り子を休ませるために合間に上演されていたお笑いが、後にテレビ業界の中心になって行きます。

ストリップを観に来た客を笑わせるのは大変難しく、それが出来る、才能のある芸人だけが生き残って人気を集めました。代表するのは「コント55号」や「ツービート」です。井上ひさしは「ストリップ界の東京大学」と言って、ここに集まった芸人の才能を称えました。

1960年代にテレビ産業が勃興した時、ここにいた芸人たちが浅草からテレビに移籍して、業界を支えるようになったのです。

もう少し前の浅草の「好ましくないもの」と言えば、見世物小屋がありました。当時は動物の見世物や、障害のある人間さえ見世物にしており、好ましくないものだらけだったとすら言えます。

そして、この「好ましくない」感覚は私個人の個人史の中で一つの問題になりました。

浅草小学校で私は下手に成績が良かったものですから、優等生として扱われました。で、ストリップ、観に行きてーなー!

などと発言しづらくなってしまい、後々まで浅草の猥雑文化を愛せなくなってしまいました。これまで明治・大正・昭和の浅草を伝える役割を果たさなかったのは、当時、正直申して好きでなかったからです。

浅草の猥雑文化は、川端康成、永井荷風、高見順といったれっきとした文化人に愛されていて、それがまた浅草の面白さにつながっていましたが、そこに気づけたのは、私の個人史の中では後々のことでした。荷風についても以前は少しおかしい人だと思っていました。

猥雑文化を愛せなかったのには世代的な原因もあります。

私の父(1935年生まれ)のような戦中・戦後すぐ世代の人達の中には、戦争で日本が大敗したのを見て、これからは西洋に学ぼうと考えた人達がいました。

父は西洋のクラシック音楽にとても詳しくなり、私も小さいころから良く聞いていましたから、「浅草オペラ」が歌詞や曲を改変していたことについては言語道断なことと思っていました。

このように猥雑浅草を、正直申して好きでない時期がありました。

そうこうする内、戦前・戦後の知る浅草の先輩方が減ってきました。

江戸時代の浅草を学ぼうという人は少なくないようですが、明治・大正・昭和となると寂しいようです。

これから浅草にはどういう時代が来るのでしょうか。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.041本目の投稿でした。

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