3.10と3.11

2011年以降は3.11が有名になり、3.10はやや影が薄くなりましたが、3月10日は東京や浅草にとっては、忘れてはいけない日です。

「東京大空襲」により10万人以上の犠牲者が出たのが1945年の、この日でした。

戦前の浅草区は人口が密集していた為、東京の中でも特に多くの犠牲が出ました。戦後に浅草区と下谷区が合併してできた「台東区」の現在の人口が21万人ほどであるのに対して、合併する前の浅草区だけで27万人いたそうで、その区域の大半が焼けましたから、実に悲惨なことでした。

私は2016年に出した対談本『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』の中で、浅草の9人の旦那衆と対談しましたが、その内のお三方が大空襲の経験者でした。戦前からの浅草の住民で、身内に死者が一人もいないという家はかなり少ないだろうと思います。

戦後の浅草は、そこからスタートし、1970年代の衰退も乗り越えて今日があります。

3.10と3.11、考えることの多い二日間です。

本日もご愛読賜り、誠に在り難うございました。 弊ブログは2010年3月1日に連載スタートし、本日は4.029本目の投稿でした。

Filed under: 浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)