以前『浅草 老舗旦那のランチ』という本に出させていただいたのですが、その時お世話になった出版社の人が、これを読みなさいと言って、クラシック音楽に関する本を持って来てくれました。
『楽都ウィーンの光と陰 比類なきオーケストラのたどった道』
という御本で、著者の岡田暁生先生は気鋭の音楽学者だと言います。
『オペラの運命』で2001年度サントリー学芸賞受賞を、
『ピアニストになりたい!』で2008年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞を、
『音楽の聴き方』で第19回吉田秀和賞受賞をお獲りになっているとか。
なるほど。たしかにスゴいですね。しかも『音楽の聴き方』では結構尖がったことも書いておいでのようです。
さて御本を手にして、
そういう先生にしては今回のウィーンの御本は、ぺらぺらめくったところでは、普通のクラシック本みたいだなあという印象を持ちましたが、読み進めると違いました。いや、お見逸れしました。
普通の日本人は、
楽都ウィーン=ハプスブルグ帝国=優雅なワルツ
としか思わず、観光に行く時も帝国時代の宮殿や庭を訪ねて満足していますが、この御本は楽団の人材供給源に言及していて、そこが普通の観光ガイド本とチト違います。
で、面白いことに、そのウィーン・フィルの人材供給源・ウィーン音楽界の人材供給源は「ウィーンの浅草」だと書かれているのです。
「ウィーンの浅草」とは、ドナウ運河の東岸にある「プラーター」という地区のことです。
国立歌劇場や楽友教会ホールや美術史博物館が在るウィーン中心部から運河を渡って、プラーターに行くと居酒屋やカフェが立ち並んでいて、雰囲気がガラリと変わります。ワインを飲みにいったことのある方も多いのではないでしょうか。
そういう店にはBGMを流す楽隊がいて、ワルツやポルカだけでなくて結構本格的なクラシック音楽例えば『タンホイザー』のマーチを演奏していたります。もちろんかなり編曲してますけど。
そういう楽隊の音楽は、歌劇場や楽友教会と違ってタダで聴けて、身なりも正装する必要がないので、プラーターのさらに東側に住んでいる若者たちも聞くことができます。彼らこそ、将来の音楽家です。
プラーターのさらに東側に住んでいる人々とは、東欧からの移民の子孫、特にユダヤ系の人々です。
そう、かつてのハプスブルグ帝国は、東欧に広大な領土を持っていました。ハンガリーもチェコもクロアチアも、現在のポーランドの一部もオーストリア領でした。
そこから移民が「ウィーンで一旗あげよう」と上京して来た時に、まず到着するターミナル駅つまり上野駅みたいな駅がプラーターに在って、それでプラーターの東側に移民が多かったのです。
ハプスブルグ帝国は、こうした移民の中の優秀な人材を採りたてました。もちろん政治権力は手渡しませんでしたが、音楽や美術、医学といったジャンルでは、ユダヤ人を出世させています。
音楽でマーラー、美術ではクリムト、医学ではフロイトをあげれば充分でしょう。
そういう人材が必ず通って来た場所がプラーターすなわち「ウィーンの浅草」で、そこを単なる飲み屋街と思ってはいけない理由が、これです。
さて、そのハプスブルグ帝国は1918年に崩壊。
それに続くナチスの時代・東西冷戦の時代に、ウィーンは東欧との回路を遮断されてしまいますから、この時代は本当に大変だったろうと思われます。
かつての人材供給源を絶たれた後でも、今日に至るまでウィーン・フィルが世界一の水準で、プラーターも繁盛していますが、その陰には関係者の相当の御苦労があったものと痛感できます。
その辺りも御本に書いてありますから、是非ご購読下さい。
追伸①
下記↓の期間「ちんや」は夏休みをいただきます。ご不便をおかけしますが、どうぞお赦し下さい。
7月27日(月曜日)~30日(木曜日)
追伸②
すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。
すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。
ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。
どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。
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本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.975日連続更新を達成しました。