競技場

笑ってしまいました。

私も生ガキみたいだと思っていたからです。

そう、ザハ・ハディド競技場のことです。

しかしですね、そう思っていても普通言わないですよね。

一介のすき焼き屋も言わなかったのに、一国の宰相経験者で2020東京オリンピック組織委員長でもある御方が、

「私はこのデザインは嫌だった、生ガキみたいだから」

って言っちゃうなんて、大胆ですねえ。

いやいや名言でした。モリ先生、座蒲団1枚。

先日内閣法制局長官が集団的自衛権のことをフグだと発言なさった時は座蒲団を取り上げたくなりましたが、今回はウケました。さすがは早稲田の雄弁会。

今後は生ガキ競技場と呼びましょう。

え? あのカキはもうポイですって?

それはもったいない。じゃあ、土手鍋にしましょうか。

 

追伸

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、50本のストーリーはこちらです。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.980日連続更新を達成しました。

 

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審査結果通知書

ある日「審査結果通知書」なる紙が、心当たりのない金融屋から送られて決ました。

頼みもしないのに弊社への「融資可能額」を「審査」して「通知」してきたのです。

最近このような不審なFAXが送られてくることが多いです。さて内容ですが、

融資可能金額は3.000万円

へえ。

契約利率は1.03%の固定金利。

返済期間は3年36回から8年96回まで選べます。

保証人は不要!!(ただし「代表者が連帯保証人になります」⇒なんだ、要るんじゃないか。)

担保も不要!!(こちらは本当に要らないようです)

その前に少し戻りますが、挨拶文がサイコーです。「余寒の候、貴社ますます・・・」って、今は真夏なんですけど。

こちらの資金繰りが「余寒の候」っていう意味ですかね。無礼者め。

どうやら、カネが余っているようです。

おそらく銀行のマネ・ロン対策に引っかかったヤバい資金がダブついていて、運用先を探し求めているのだと想像します。その新手の手法のようです。

原資はオレオレ詐欺とか、ああいう感じのカネでしょう、たぶん。

社長の皆さん、どうぞお気をつけ下さいませ。

 

追伸①

下記↓の期間「ちんや」は夏休みをいただきます。ご不便をおかけしますが、どうぞお赦し下さい。

7月27日(月曜日)~30日(木曜日)

追伸②

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芥川賞

私はお笑いにも芥川賞にもあんまり興味が無いんですが、あれだけ報道されると、どうしても視てしまいます。

又吉直樹さんがお笑い芸人として初めて芥川賞を獲ったことについて、芸人仲間から祝福コメントが続々寄せられたそうです。

ピース綾部⇒「アシスタントになる覚悟ができました」

ジューシーズ児玉⇒「今夜はすき焼き作って待ってるね」

???

すき焼きで芥川賞を祝うというのは最高だと思いますが、「待ってるね」とはどういうことなんだろう?

と思って調べましたら。

同居していたんですね。同居してるから「家ですき焼き」なわけです。

これって普通にテレビを視ている人は知っている話しなんでしょうか。私は知りませんでした。

念のためウイキぺデイアを貼り付けますと・・・

「児玉智洋(こだま ともひろ、1979年11月14日 – )ジューシーズのツッコミ(近年はボケ)担当。愛称は「ダマさん」。B型。身長172cm、体重65kg。佼成学園高等学校 → 駒澤大学経営学部卒業」

「又吉直樹(ピース)と向井慧(パンサー)と三人で2013年9月頃に同居をはじめた。先輩の又吉、後輩の向井と同居するまでは六畳二間の実家暮らしで両親と川の字になって寝ていた。ちなみに児玉自身は川の字の真ん中だったとのこと。シェアハウスでは、又吉が家主で一番の稼ぎ頭で児玉・向井の先輩のため、吉本の慣例に倣い半分家賃を負担。一番の後輩である筈の向井は児玉より稼ぎがあるため、慣例からしたら反する(吉本の慣例では稼ぎの有無にかかわらず先輩が家賃等を負担しなければならない)が又吉の負担していない残り半分の内の3分の2を払い残りを児玉が払っている(つまり、又吉:児玉:向井の支払っている家賃の比は3:1:2)。その為、児玉は雑用係を又吉から仰せ付けられている。」

へええ、そうだったんですね。

「又吉直樹(ピース)と向井慧(パンサー)と三人で「バッハ(仮)」というユニットを組んでいる」

あれ、複数のユニットに入れるんですね、今時は。

いや、まったく私にとっては知らないことばかり。浦島太郎です。

ともあれ、おめでとうございました。

今後もめでたい折にはすき焼きを楽しんで下さい。

 

追伸①

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7月27日(月曜日)~30日(木曜日)

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姉夫婦のことそして姉妹

すき焼き思い出ストーリー投稿サイトに、新着ストーリーの投稿がありました。

東京都の木内美栄子さん(70歳)からのご投稿です。

題して、

「姉夫婦のことそして姉妹」

<以下を是非お読み下さい>

母さんいつ頃のこと?
運転しながら甥っ子は姉に問う。
姉は話す。父さんと二年前初冬のころ浅草寺のお参りの後父さんが「ちんや」で食事をして帰ろうかと言ったのよ。はじめて二人で「ちんや」に入りスキヤキを食べたよ。
味は?と私が聞けば、
味なんてただ夫のわがまま顔をみて食べそしてまたもう一度食事しにこようと思ったと話す。でもそれが最初で最後になるなんて、と口をとじる。
今日は私がアルバイト代をふんぱつして昨日「ちんや」で牛肉を姉と甥っ子のため買い届け、そして帰りの車中で話し、そう言えば長姉も「ちんや」の牛肉ハンバーグなど買い会員にもなっていたのがわかったのは長姉が亡くなり遺品整理のあと。
私がそのあとをついで会員になり時々肉、焼豚を買い亡姉そして二姉の所、甥っ子などに届ける。
くしくも義兄の三回忌にあたる今年。

 

このように、すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

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追伸

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肉メディア

「肉メディア」というサイトが出来るそうです。それは、

「今までありそうでなかった、肉好きの、肉好きによるお肉の情報ポータルサイト」。

お肉にまつわる各種情報、例えば、

・プロモーターさんやイベンターさんがこっそり教える、肉料理の名店紹介

・ニューオープンのお店の食レポ取材

を提供したり、イベントもやるそうです。例えば、

・有名ブランド牛を飼育している牧場の見学ツアー、さらには、

・「あこがれのあの牛を一頭買い」つまりサイトの会員が出資して(「クラウドファンディング」)牛一頭を買い、それを会員だけで食べるのだとか。

これはなかなか面白い企画です。

私も一部をお手伝いすることになりました。

どうぞ、ご期待下さい。

追伸①

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7月27日(月曜日)~30日(木曜日)

追伸②

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比類なきオーケストラと、ウィーンの浅草

以前『浅草 老舗旦那のランチ』という本に出させていただいたのですが、その時お世話になった出版社の人が、これを読みなさいと言って、クラシック音楽に関する本を持って来てくれました。

『楽都ウィーンの光と陰 比類なきオーケストラのたどった道』

という御本で、著者の岡田暁生先生は気鋭の音楽学者だと言います。

『オペラの運命』で2001年度サントリー学芸賞受賞を、

『ピアニストになりたい!』で2008年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞を、

『音楽の聴き方』で第19回吉田秀和賞受賞をお獲りになっているとか。

なるほど。たしかにスゴいですね。しかも『音楽の聴き方』では結構尖がったことも書いておいでのようです。

さて御本を手にして、

そういう先生にしては今回のウィーンの御本は、ぺらぺらめくったところでは、普通のクラシック本みたいだなあという印象を持ちましたが、読み進めると違いました。いや、お見逸れしました。

普通の日本人は、

楽都ウィーン=ハプスブルグ帝国=優雅なワルツ

としか思わず、観光に行く時も帝国時代の宮殿や庭を訪ねて満足していますが、この御本は楽団の人材供給源に言及していて、そこが普通の観光ガイド本とチト違います。

で、面白いことに、そのウィーン・フィルの人材供給源・ウィーン音楽界の人材供給源は「ウィーンの浅草」だと書かれているのです。

「ウィーンの浅草」とは、ドナウ運河の東岸にある「プラーター」という地区のことです。

国立歌劇場や楽友教会ホールや美術史博物館が在るウィーン中心部から運河を渡って、プラーターに行くと居酒屋やカフェが立ち並んでいて、雰囲気がガラリと変わります。ワインを飲みにいったことのある方も多いのではないでしょうか。

そういう店にはBGMを流す楽隊がいて、ワルツやポルカだけでなくて結構本格的なクラシック音楽例えば『タンホイザー』のマーチを演奏していたります。もちろんかなり編曲してますけど。

そういう楽隊の音楽は、歌劇場や楽友教会と違ってタダで聴けて、身なりも正装する必要がないので、プラーターのさらに東側に住んでいる若者たちも聞くことができます。彼らこそ、将来の音楽家です。

プラーターのさらに東側に住んでいる人々とは、東欧からの移民の子孫、特にユダヤ系の人々です。

そう、かつてのハプスブルグ帝国は、東欧に広大な領土を持っていました。ハンガリーもチェコもクロアチアも、現在のポーランドの一部もオーストリア領でした。

そこから移民が「ウィーンで一旗あげよう」と上京して来た時に、まず到着するターミナル駅つまり上野駅みたいな駅がプラーターに在って、それでプラーターの東側に移民が多かったのです。

ハプスブルグ帝国は、こうした移民の中の優秀な人材を採りたてました。もちろん政治権力は手渡しませんでしたが、音楽や美術、医学といったジャンルでは、ユダヤ人を出世させています。

音楽でマーラー、美術ではクリムト、医学ではフロイトをあげれば充分でしょう。

そういう人材が必ず通って来た場所がプラーターすなわち「ウィーンの浅草」で、そこを単なる飲み屋街と思ってはいけない理由が、これです。

さて、そのハプスブルグ帝国は1918年に崩壊。

それに続くナチスの時代・東西冷戦の時代に、ウィーンは東欧との回路を遮断されてしまいますから、この時代は本当に大変だったろうと思われます。

かつての人材供給源を絶たれた後でも、今日に至るまでウィーン・フィルが世界一の水準で、プラーターも繁盛していますが、その陰には関係者の相当の御苦労があったものと痛感できます。

その辺りも御本に書いてありますから、是非ご購読下さい。

追伸①

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7月27日(月曜日)~30日(木曜日)

追伸②

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凄い親戚関係

私の先祖・住吉忠次郎に関する資料が菩提寺から出てきた件は、7/22の弊ブログに書きましたが、同じ内容をFBにもUPしましたら多数のコメントが書き込まれました。

まずは料理屋同士が親戚という点に興味を持たれた方々・・・

「中清様と江知勝様が御親戚とは、存じ上げませんでした。いずれにしても貴重な資料ですね」

「中清と、江知勝に、ちんやさん。凄い親戚関係ですね!」

「すごい興味深く拝見しました〜!江知勝さんとも中清さんとも御親戚なんですね(^^)」

「人に歴史あり。江知勝と親戚なんだ」

「周辺の銘店が姻戚関係とよく解りました」

ちなみにですが、湯島のすき焼き店「江知勝」さんからは、日本橋小伝馬町のすき焼き店「伊勢重」さんへも婿さんが入っていますから、

「江知勝」さん、「伊勢重」さん、「ちんや」という3軒のすき焼き屋と、天麩羅の「中清」さんが親戚です。

次に、婿を取ったという点に興味を持たれた方々・・・

「参考になります。古い因習とは違った意味で、日本の伝統を守る方法なんでしょうね。酒蔵などでもある話のようです。」

「すご〜い!NHKのファミリーヒストリーに取材してもらったら更に色々出てきそうですね!」

多数のコメントをありがとうございました。

ところでこのコメントを読みながら、私は弊店に家訓がない理由を考えていました。

まったく想像ですが、当主が二代続けて婿さんであったからかもしれません。私は父から、お爺ちゃんは自分が婿だということを結構気にしていたようだと聞かされたことがあります。

祖父は浅草料理飲食業組合の組合長を務めるなど浅草の要職を歴任したのですが、それでも婿意識というのは消えないものだったようです。

プラス、時代があまりに激動の時代で、家訓などというもっともらしいものを遺す気にならなかった、ということもあるような気もします。

「ちんや」の歴史では、

1868年の明治維新で狆が売れなくなったのが第一のショック。

1923年の関東大震災が第二のショック。

1945年の東京大空襲が第三のショック。

で、家訓など整頓する場合ではなかったような気がします。

こういう時代を、他家から迎えた優秀な婿さんが凌いで「ちんや」は生き残りました。しかし、家訓を創ろうという気にはならなかったのだと想像できます。あくまで想像ですけどね。

私の代になってからも、BSE問題、口蹄疫問題、リーマンショック、東日本大震災などがあって、まったくゆとりというものが在りません。

そろそろ後世のことを意識した動きをしないといけないのでしょうが、

いやあ、どうも忙しくて。

そう、忙しくて、飲むのが(笑い)

追伸

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山崎豊子とすき焼き

「白い巨塔」や「沈まぬ太陽」など社会派小説で知られる山崎豊子は、大阪大空襲の直前すき焼きを食べていたそうです。

山﨑が2013年に亡くなって遺品の整理が行われていましたが、今回1945年元日から3月27日までの3か月分の日記が見つかったそうです。大阪出身の山崎が毎日新聞大阪本社に勤め始めたばかりの、20歳から21歳ころのものです。

その3月に大阪は大空襲に遭います。

日記は報道によりますと、

「三月十三日、この日は自分の生涯を通じ、又、自分の家の後代に至るも忘れる事の出来ない日だろう」

「すき焼きとお酒の贅沢な夕食を楽しみ、寝ついた後、その時が訪れる。「夜の巷、突如として騒然たり」慌てる家族、ラジオ、怒鳴り声、拡声器。防空壕へ入ってから聞く焼夷弾落下の音、飛び出して見てみると、自宅にまで迫り来る火の手・・・」

山﨑は、この頃既に作家に成りたいという願望を持っていたそうですが、記述はさすがの臨場感です。

3月13日までの大阪には、まだすき焼きを食べる余裕がありましたが、この後6月1日、6月7日、6月15日、6月26日、7月10日、7月24日、8月14日と繰り返し空襲が行なわれ、一般市民1万人以上が死亡したと言われています。

「不毛地帯」「二つの祖国」「大地の子」のいわゆる戦争三部作をはじめ、作家・山﨑豊子は戦争を描くことをライフワークとしましたが、その原点がここに在ったのですね。

山﨑作品には、すき焼きを食べるシーンがあまりないような気がするのですが、辛い体験と結びついていたからでしょうか。

すき焼きは国民食なだけに、色々な人の、色々な思い出と結びついています。

追伸

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地代値上”絶対反対”

私の先祖・住吉忠次郎に関する資料が菩提寺から出てきた件は、昨日の弊ブログに書きましたが、この機会にネットで「住吉忠次郎」と検索してみたら、面白い記事が発見できました。

面白い記事というのは、時事新報の 1935年(昭和10年)5月25日号の記事で、

「浅草目抜の場所 地代値上”絶対反対” 「ちんや」等百七名市と抗争」

というものです。

「抗争」とは穏やかではないですね。

記事によりますと

「東京市では昨年八月一日浅草公園を中心にした浅草区雷門一丁目、二丁目の市有地借地人五百余名に対し一斉に一割八分以上五割方の地代値上げを通告したのに対し借地人側は此値上げを不当として市と折衝を重ねていたが、遂に談判決裂、雷門二丁目の借地人、牛肉商「ちんや」こと住吉忠次郎氏等百七名の借地人は結束、弁護士真下伊藤両弁護人を代理人として牛塚市長を対手取り二十三日東京民事地方裁判所に借地料確認請求の訴訟を起した」

・・・ということだそうです。

この時代に御上にタテつくとは、良い根性です。

忠次郎は、昭和4年に結成された、現在の「雷門通り商店街」の前身「浅草広小路昭広会」の初代会長で、この記事は昭和10年のものですから、まだ在任していたのでしょうか、それで値上げ反対運動の中心人物に成ってしまったのかもしれません。

これに対して東京市側は、

「市有地なるが故に安く貸さねばならぬ理由はなくまた「市有地貸渡し規則」に依れば地代更改は五年以内でも時と場合では出来ることになって居り市財政の増収を計るため、充分附近の土地との振り合いを考えて値上げしたもの」と反論して争ったそうな。

現在も、この土地は都有地なんですが、都がザハ・ハディド競技場の建設費を賄う為に地代を値上げしてきたら、私は反対運動を起こさないといけないんでしょうか・・・

まずいな。

そうならない内に、今からあのデザインに反対しなきゃ。

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弔辞

私から四代前の人物が亡くなった時の弔辞が出て来ました。

菩提寺のご住職様が見つけて、お盆でお経をあげに来て下さった時に持って来て下さいました。

原文はカタカナですが、平仮名で書きますと・・・

本会名誉会員住吉忠次郎氏の母堂やす子殿逝去の訃に接し惋惜に堪えず茲に恭しく弔詞を呈し哀悼の意を表す。

大正十年一月二十日 帝国在郷軍人会浅草区分会

住吉やす子~生前は「やす」で通していたようですが~は「ちんや」の歴史では大活躍した人として知られています。

夫もいたようですが、そちらは活躍した形跡がなく、おそらく遊んでいたのでしょう。良い話しではないので詳しいことは伝わっていません。

さて、その「やす」までを私から遡ってみましょう。

私の父は滋夫。昭和十年(1935年)生まれで現在は弊社会長。つまり元気です。

滋夫の父は清。清は浅草の天麩羅屋「中清」の子として生まれ、住吉八重子と結婚して、婿に入りました。

清の父が忠次郎。忠次郎は湯島のすき焼き屋「江知勝」の子として生まれ、住吉まつと結婚して、婿に入りました。

その「まつ」の母が「やす」という次第です。

狆屋から料理屋に転業し、やがて牛鍋に特化していった期間を「やす」が担ったと伝えられています。

ちなみにですが、「訃に接し」は間違いではありません。

訃(ふ)は一文字で「死亡の知らせ」という意味があります。現在では「訃報に接し」と言いますが、あれは実は冗長です。

「訃報のお知らせ」はさらに冗長ですが、結構使われていますよね。

まあ、言葉は変転するので仕方ありません。蛇足ながらお伝えしました。

ブログネタとしては縁起でもないですが、お盆の話しということでお赦し下さい。

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