凄い親戚関係

私の先祖・住吉忠次郎に関する資料が菩提寺から出てきた件は、7/22の弊ブログに書きましたが、同じ内容をFBにもUPしましたら多数のコメントが書き込まれました。

まずは料理屋同士が親戚という点に興味を持たれた方々・・・

「中清様と江知勝様が御親戚とは、存じ上げませんでした。いずれにしても貴重な資料ですね」

「中清と、江知勝に、ちんやさん。凄い親戚関係ですね!」

「すごい興味深く拝見しました〜!江知勝さんとも中清さんとも御親戚なんですね(^^)」

「人に歴史あり。江知勝と親戚なんだ」

「周辺の銘店が姻戚関係とよく解りました」

ちなみにですが、湯島のすき焼き店「江知勝」さんからは、日本橋小伝馬町のすき焼き店「伊勢重」さんへも婿さんが入っていますから、

「江知勝」さん、「伊勢重」さん、「ちんや」という3軒のすき焼き屋と、天麩羅の「中清」さんが親戚です。

次に、婿を取ったという点に興味を持たれた方々・・・

「参考になります。古い因習とは違った意味で、日本の伝統を守る方法なんでしょうね。酒蔵などでもある話のようです。」

「すご〜い!NHKのファミリーヒストリーに取材してもらったら更に色々出てきそうですね!」

多数のコメントをありがとうございました。

ところでこのコメントを読みながら、私は弊店に家訓がない理由を考えていました。

まったく想像ですが、当主が二代続けて婿さんであったからかもしれません。私は父から、お爺ちゃんは自分が婿だということを結構気にしていたようだと聞かされたことがあります。

祖父は浅草料理飲食業組合の組合長を務めるなど浅草の要職を歴任したのですが、それでも婿意識というのは消えないものだったようです。

プラス、時代があまりに激動の時代で、家訓などというもっともらしいものを遺す気にならなかった、ということもあるような気もします。

「ちんや」の歴史では、

1868年の明治維新で狆が売れなくなったのが第一のショック。

1923年の関東大震災が第二のショック。

1945年の東京大空襲が第三のショック。

で、家訓など整頓する場合ではなかったような気がします。

こういう時代を、他家から迎えた優秀な婿さんが凌いで「ちんや」は生き残りました。しかし、家訓を創ろうという気にはならなかったのだと想像できます。あくまで想像ですけどね。

私の代になってからも、BSE問題、口蹄疫問題、リーマンショック、東日本大震災などがあって、まったくゆとりというものが在りません。

そろそろ後世のことを意識した動きをしないといけないのでしょうが、

いやあ、どうも忙しくて。

そう、忙しくて、飲むのが(笑い)

追伸

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、50本のストーリーはこちらです。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.974日連続更新を達成しました。

Filed under: すき焼きフル・トーク,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)