山崎豊子とすき焼き

「白い巨塔」や「沈まぬ太陽」など社会派小説で知られる山崎豊子は、大阪大空襲の直前すき焼きを食べていたそうです。

山﨑が2013年に亡くなって遺品の整理が行われていましたが、今回1945年元日から3月27日までの3か月分の日記が見つかったそうです。大阪出身の山崎が毎日新聞大阪本社に勤め始めたばかりの、20歳から21歳ころのものです。

その3月に大阪は大空襲に遭います。

日記は報道によりますと、

「三月十三日、この日は自分の生涯を通じ、又、自分の家の後代に至るも忘れる事の出来ない日だろう」

「すき焼きとお酒の贅沢な夕食を楽しみ、寝ついた後、その時が訪れる。「夜の巷、突如として騒然たり」慌てる家族、ラジオ、怒鳴り声、拡声器。防空壕へ入ってから聞く焼夷弾落下の音、飛び出して見てみると、自宅にまで迫り来る火の手・・・」

山﨑は、この頃既に作家に成りたいという願望を持っていたそうですが、記述はさすがの臨場感です。

3月13日までの大阪には、まだすき焼きを食べる余裕がありましたが、この後6月1日、6月7日、6月15日、6月26日、7月10日、7月24日、8月14日と繰り返し空襲が行なわれ、一般市民1万人以上が死亡したと言われています。

「不毛地帯」「二つの祖国」「大地の子」のいわゆる戦争三部作をはじめ、作家・山﨑豊子は戦争を描くことをライフワークとしましたが、その原点がここに在ったのですね。

山﨑作品には、すき焼きを食べるシーンがあまりないような気がするのですが、辛い体験と結びついていたからでしょうか。

すき焼きは国民食なだけに、色々な人の、色々な思い出と結びついています。

追伸

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すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

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Filed under: すき焼きフル・トーク,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)