昇殿

第21回すきや連を、浅草新仲見世の「今半本店」さんで開催しました。

せっかく浅草へお越しいただきましたので、参加者の皆さんを浅草神社(=「三社様」)へご案内し、昇殿・参拝をしていただきました。

祭の神輿を観たことのある人は多いと思いますが、神社の中へ入ったことのある人は多くはなく、素晴らしい体験だったと喜んで下さいました。

神様には、「すきや連」ですから、肉を奉納させていただきました。

さて今回入れていただいた、三社様の社殿は国の重要文化財に指定されています。第三代将軍徳川家光により寄進・建立されたものです。

度重なる火災や戦争、関東大震災などの被害を免れ350年たった現在も当時の面影をそのままに残しています・・・

と、いうこと位は私も勿論知っていたのですが、その被害の免れ方のすさまじさについて、今回私は恥ずかしながら認識を新たにしました。

昇殿の前に神社の禰宜さんに講話をしていただいたのですが、その話しの中に太平洋戦争の3.10大空襲のくだりがありました。

三社様のすぐ西側の、浅草寺の本堂は焼けました。

三社様のすぐ北側の、浅草寺のお坊さん達の住居群も焼けました。

そして三社様の境内の、社殿のすぐ南側の神輿庫も焼けました。

実は、三社祭の神輿は戦前は七基ありました。その全てがこの時失われまして現在は三基です。

七基が三基になったことも私は勿論知ってはいましたが、

神輿が全部焼けて、しかし社殿は残っているってどういう事情だったのだろう?もしかして神輿を他所へ避難させていて、運悪くそこが爆撃されたのかな・・・とか思ったりしていたのですが、まったく違いました。

社殿の周囲が、神輿庫も含めてことごとく焼失したのに、ギリギリ社殿だけが残ったのだそうです。奇跡的です。

私は日頃、建物が失われてもノウハウと心があれば、街も店も再建可能だ、と申しておりますが、しかしやはり焼け残ったものは大切です。残り方が奇跡的であれば尚更ですね。

「度重なる火災や戦争、関東大震災などの被害を免れ・・・」だけでは伝わらないことがありますね。

地元の歴史は客観的な事実だけでなく、詳しい経緯も知っておきたいものだと痛感しました。

 

追伸

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、50本のストーリーはこちらです。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.965日連続更新を達成しました。

 

Filed under: 浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)