昭和の浅草・平成の浅草
大学時代の部活のOB会報誌が私にインタビューしたいと言います。在り難くお請けしましたら、
昭和の浅草と平成の浅草の違いはどこか?
という御質問がありました。
うーん、難しいですね。
この質問に答えるには、
まず、昭和・平成以前に、変わった点と変わらない点があることを考えないといけません。
そして、その変わった点について、いつ、どういう理由で変わったのか、を考えるのが良いと思います。
そんなに簡単ではないんです。
さて、まず最近目立つのはインバウンドの観光客ですが、
私が最初に彼らに気づいたのは2002年(平成14年)。 FIFAワールドカップ日韓大会を応援するため来日したサポーターたちが、浅草の「ホッピー通り」(正しくは「公園本通り」)に飲みにやって来た時でした。
それ以前日本に観光に来る外国人と言えば、たいていインテリで、歌舞伎や茶器を観に来るような人達でしたから、「ホッピー通り」なんてあり得なかったのですが、ここで大きく雰囲気が変わりました。日本人もあまり行かなかった「ホッピー通り」が急に賑わい始めました。
2007年(平成19年)「観光立国推進基本法」が施行されて、インバウンド誘致は国是に成りましたが、すぐに大勢のインバウンド客が来るようにはなりませんでした。円高だったからです。
今のように大勢の観光客が入り込むようになったのは、やはり「アベノミクス」による円安が主な原因だと私はみています。2012年のスカイツリー開業は追い風になりましたが、やはり円安です。
円安は、インバウンド観光客の質と量に変化をもたらしました。
歌舞伎座からホッピー通りへ。
個人旅行から団体旅行へです。
このような変化が目立ちはしますが、これを平成の浅草の一大特徴と言い切って良いか、それは未だ分からないと私は思います。期間的にそう長くないですし、円安が解消すれば様子も変わるかもしれませんからね。
次に、こうした変化が浅草にどのように作用したか、です。浅草は大きく変わったのでしょうか。
たしかにインバウンド消費を当て込んだような、雨後の筍的な店が出来ているのは事実ですが、彼らが浅草の屋台骨に影響を与えているでしょうか、
私は今のところ、そこまでではないと看ています。
それよりも私は日本人自身の変化の方が気になります。
例えば、歩き食い。
食べ物ではあるのですが、
飲食店のように、席と箸を用意された所で食べるのではない、しかし、
家まで持ち帰れるような、しっかりした包装をされているわけでもない物。
つまり歩き食いするしか食べる方法がない食べ物が浅草でたくさん売られるようになりました。
歩き食いのようなマナーに反する行為を恥ずかしがる日本人が減ったからです。
今インバウンド外国人がそれをまねて楽しんでします。郷に入っては郷に従えですからね。
油でベトベトになった手で商品を触られてしまう仲見世の人達は日々イライラを募らせていますが、外人さんのせいじゃないと思いますよ。元はと言えば日本人が悪いんです。
この意識の変化は確実に街を変えると思います。
客席が要らないんですから、安く売ることが出来て「歩き食い店」は有利です。
飲食店から「歩き食い店」へ。
気分は悪いですが、業態が確実に変わって行くでしょう。
ウチも「歩き食いスキヤキ」を開発しないとなあ。
追伸
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