地味ノミクス

とある純米酒を飲みながら、ネーミングを思いつきました。

「地味ノミクス」

「じみのみくす」と読みます。

私が政権を獲ったら実行しようと思います(笑)

その純米酒は、

削りは60%。アル添なし。そして、ぬる燗向き。

蔵主さんは、地元の人が飲むようなお酒だと言います。

いただくと、穏やかに酔えます。

で、思いました。

食品も食べ手も、無暗に移動しないのが良いなあ。

ブランドを志向しないけど、安物ではなくて、真面目に造られていて、「お値うち」。

そういう食品ばかりを集めて食べたら、さぞ良いでしょう。

そういう商品ばかりで回る経済が「地味ノミクス」です。

世間では、キシダ総理の印象が地味なことから、キシダ氏の経済政策「新しい資本主義」を「ジミノミクス」と揶揄しているようですが、私のは全然、違います。

どちらが、本当の「地味ノミクス」か、次の総裁選で勝負しましょう。

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Q&A

元の店の片づけが終わっていないものですから、相変わらず出勤しています。

そうしますると、必ずしないといけないのが、路上の掃除。

雷門通り側も雷門横丁側も一人で掃除します。営業している時は、誰かがやってくれたんですけどね、今は自分でします。

そうしますると、通行人の方にあれこれ聞かれます・・・・

Q:寅さん記念館はどこですか?!

A:と、寅さんは柴又ですね。京成線で30分くらいかかりますよ。

渥美清さんは元々浅草芸人だったのですが、『男はつらいよ』が評判になってからは、寅さんのイメージを壊してはいけないということで、寅さん以外の役をやらなくなりました。で、渥美清=寅さん=柴又というイメージが確立しました。

質問なさった方が浅草時代の渥美さんをご存じだったなら嬉しいですが、たぶん、違ったでしょうねえ。

もっと現実的なご質問も。

Q:喫煙所はどこですか?

A:台東区が路上喫煙を禁止しているのは、実は、朝7時から朝9時までの2時間だけです(令和3年4月1日にできた条例による)

しかし、その2時間以外も「ポイ捨て」と「歩き煙草」は禁止されています。

ですので、自分用のマイ灰皿を持っていない人は、指定公衆喫煙所へ行って吸わねばならず、それが、このQの回答になります。

指定喫煙所は区内に19か所。

浅草近辺だと、浅草寺境内に5カ所と、隅田公園と、吾妻橋の袂ですね。

浅草観光センターの前にあった喫煙所はオリンピックの前に撤去されました。雷門から一番近いのは吾妻橋です。

それがAですが、そんなことより、喫煙者はコロナで重症化するそうですから、お止めになってはいかがでしょうか。

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肉と日本酒

とある市が地元の牛肉を売り出そうとなさっているようです。

牛肉の産地としては全く無名すなわち最後発ですので、広報の仕方は余程ひねらないといけません。

で、地元の方々が考えたのは、地元産日本酒とのマリアージュ

・牛肉と日本酒は意外と相性が良い。

・地元産の牛は、地元の米の稲わらを食べているので、地元の酒なら絶対に合うはずだ。

というご主張のようです。

はい、まあ、間違いではないと思います。

ただ、肉の料理法・味つけと、酒の製法を考えた上で合わせないと、完璧に必ず合うとは言えないと思います。

一つの例がすき焼きです。

すき焼きは、大変味が濃くて、匂いを強く出す食べ物です。

特にすき焼きは甘味が濃いので、酒がソフトな甘口の場合、酒の甘味を上回ってしまいます。その場合、酒は妙にサラサラ=水のように感じられてしまい、面白くありません。

また、すき焼きは匂いが出るので、吟醸酒の微妙な吟醸香を吹き飛ばしてしまうことがあります。

要するに、地元の米に由来する肉と酒であっても、それぞれすき焼き+吟醸造り、とした場合は、あまりハッピーでない結果になるかもね、と私は指摘しておきたいと思います。

あ、それ以前に、和牛と日本酒なのに、なにゆえ、「マリアージュ」なんだろうか?

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「する派」VS「しない派」

11月も終わりに近づきまして、

忘年会「する派」VS「しない派」

の論争が激しくなってきたようです。メデイアが対立させているだけかもですが。

数字としては「しない派」の企業が7割だそうです。今年に関しては、そんな感じでしょう。

問題は、コロナが終わっても「しない派」のままかどうかですね。

忘年会は、すっかりアルハラの現場としか思われなくなっているようで、企業は一体感を醸し出す手法としての酒を、放棄する日が来るのかもしれません。

問題は、それに代わる方法を知らない人が多いということだと思います。

例えば、皆で歌をうたうという方法がありますが、

・歌が下手な人もいる。

・周囲への迷惑度では酒より上。

・飛沫が飛ぶ。

ということで、こちらも容易ではないと思われます。

忘年会は、いったい、どうなるのやら。

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うがい

「うがい」がかつてほど推奨されていないのを、ご存じでしたか。

私は、先日、保健所の先生の研修でハッキリと認識しました。

厚生労働省の公式啓発チラシやホームページでも、たしかに、まったく載っていません。

理由は、その研修で聞きました。

そもそも、ウイルスが口の中に入った場合、細胞の中へ入り込むまでに、数分から20分しかかからないと言うのです。

その間にタイミング良くうがいをするためには、数分おきにうがいし続けないといけないことになり、まったく現実的でありません。

また、もし口の中にウイルスがいた場合、うがいで勢い良くそれを吐き出すと、洗面台を汚染させてしまいます。それで推奨されなくなったのです。

間接的には効果はあります。

口の中を清潔にすることで、歯周病などを防げば、体全体の免疫力が上がりますので。

感染対策も変わって行くので追いつくのが大変ですね。

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天保の改革

昨日の弊ブログに書きました芳町花街もそうでしたが、今日まで続いている江戸文化には「天保の改革」に関係するものが少なくありません。

歌舞伎、寄席、遊郭を弾圧した改革として知られています。

が、「天保の改革」の目的って、娯楽の弾圧だったんですか、ね?

もちろん、違います。

「天保の改革」の目的は経済改革でした。

そもそもの原因は飢饉。

1833年(天保4年)から1839年にかけて、東北地方の中心に「天保の大飢饉」が発生し、数十万人とも言われる、多くの餓死者が出ました。百姓一揆や打ちこわしも頻発しました。

税収も減り、幕府や諸藩の財政も悪化しました。そこを何とかするのが目的でしたが、結果から申しますと、失敗。

薩摩など西方の大名の被害は相対的に小さかったので、力の逆転が起きて、幕府の威信が低下するのは避けられませんでした。ザンネン。

そんな改革の中で、一番残念だったのは、旗本の無利子年賦返済令でした。

旗本などの幕臣の借金をすべて無利子にして、元金の返済も伸ばすというもの。

生活に苦しむ旗本を救う目的で出されたものですが、旗本に貸していた札差が貸し渋りをするようになり、かえって旗本たちの生活が悪化してしまいました。

現代のコロナ禍でも、多くの中小企業が借金をしており、その返済はまだ始まったばかりですが、上手く対応しないと、天保のような貸し渋りが起きかねません。

お上の皆様には、宜しきまつりごとをお願いしたいものです。

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芳町

久しぶりに芳町でお酒をいただく機会がありました。

芳町は、住居表示としては「日本橋人形町」に吸収されてしまいましたので、花街の名前だけに残っていますが、江戸でも大変古い花街の一つです。

この辺りに在った遊郭が1657年の「明暦の大火」により、今の吉原の場所へ移転し、元々吉原のあった辺りは「元吉原」と呼ばれるようになりました。

遊郭の跡には歌舞伎の芝居小屋が立ち並ぶようになったので、この辺りには芸能関係者が多く住むようになりました。

その芝居小屋も「天保の改革」で浅草北部へ移転させられますが、その「天保の改革」で深川花街が弾圧されたので、深川芸者が芳町に移ってきて、芳町は芸事の盛んな土地として、今日まで続いているというわけです。

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フィクションドキュメンタリー

日本堤消防署さんの研修会で、

フィクションドキュメンタリー「荒川氾濫」

を視ました。

東京都北区のJR鉄道橋付近で堤防が決壊した場合と、東京都足立区の鉄道橋付近で堤防が決壊した場合を想定・作成された動画です。映画感覚の動画でした。

その設定では、浅草雷門は決壊から6時間で1メートル程度浸水すると放映されていました。

東京駅や銀座もやがて水没、東京の地下鉄は全部止まるという想定でした。

浅草は、実は1910年(明治43年)に水害に遭ったことがあります。

「明治43年の関東大水害」と言われるもので、死者769人・行方不明78人・家屋全壊2.121戸、家屋流出2.796戸にも上る大参事だったそうです。

これ以降浅草は水害に遭っていませんが、水害に遭わなくなったのは、1910年の大水害に危機感を覚えた当時の政府が荒川の流路掘削を決意したからです。

江戸時代、荒川と隅田川はつながっていて、水運の大動脈でした。荒川が隅田川へ流れこんでいるのですから、水量が多く、物資の輸送には便利でしたが、ひとたび水害が起きると惨事になったのです。

1910年の惨事を受けて、政府は「荒川放水路」を掘削することを決定します。1913年(大正2年)から1930年(昭和5年)まで、17年がかりの難工事の結果、荒川の水はかなり東方・現在の江東区・江戸川区の境へと流れることになりました。

この新しく太い流路が、やがて荒川の本流と認定され、江戸時代には荒川の本流であった現在の「隅田川」つまり岩淵水門より下流の部分が「隅田川」と呼ばれるようになったのでありました。

以来浅草は水害に遭っておりません。が、それから110年を経て、地球は温暖化し、放水路を掘削した今の荒川でも危なくなってきた、というのが、今回の研修です。

水害ばかりは、逃げるしかないですねえ。

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季節のワイン

ボジョレ・ヌーボ―を頂きました。

ヌーボ―は季節感が感じられるので、フランス本国の他は日本で好まれます。

が、すき焼きに合わせられません。

そもそも、すき焼きにワインを合わせる方法には、以下のやり方があります。

・ワインをやめて日本酒にする(笑)日本酒は糖が多くて酸が少ないですから、何も努力しなくても普通に合うと思います。

・卵に漬けるのをやめる。ワインは卵に合いませんからねえ。ただし、この場合熱くて食べづらいという問題が起こります。

・割り下にワインを混ぜる。これは有効です。ただし一緒に鍋を囲む人が、その味を好まない場合にトラブルになると思います(笑)

・卵にヨーグルトを混ぜる。これは私の推奨している方法です。食材の温度を下げることが出来て、その味の好まない人とトラブルになることはないです。味の変化も、皆さんが想像しているほど酸っぱくはないですよ。「味の対比効果」により、すき焼きの甘辛旨がヨーグルトの酸味を相殺するからです。

ヨーグルトに入っている乳酸を好まない人は世間に一定数おいでですが、ワインにも乳酸は入っていますから、この際問題になりません。ワイン好きが乳酸を嫌いなはずがないからです。お勧めしておきます。

ただしマロラクティック発酵していないワインには、この効果はないですので、ご注意下さい。マロラクティック発酵でワインの中にできた乳酸とヨーグルトの乳酸がつながるから合うというのが、この話しの理屈です。

赤ワインの多くはマロラクティック発酵させてありますが、ボジョレ・ヌーボーはさせてないので合いません。

このように、ヌーボーは、どうしても、すき焼きに合いません。

ただ今はヌーボーの時季ですが、ヌーボーは他の料理とお楽しみください。

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最初のホテル

11月20日は「ホテルの日」だそうです。

そんな日があったのか、何故今日なのか、と思ったら、明治23年(1890年)に帝国ホテルが開業した日だからだとか。

他のホテルの人は祝ってるんでしょうか・・・

最初の西洋式ホテルは帝国ホテルではありません。

「築地ホテル館」が明治元年(1868年)に開業していて、そちらが日本人が設立した、最初の西洋式ホテルです。

江戸幕府が築地に外国人居留地を設置するのに伴い、諸外国に対して建設を約束しましたが、開業は幕府が倒れてから、明治維新後のことでした。

設計はアメリカ人ブリッジェンス。

施工は清水建設の創業者・清水喜助が請け負いましたが、喜助は工期を急がせ、わずか1年で完成させたと言いますから驚きます。

この建物は東京に出現した、最初の洋風建築の一つで、実に堂々たるものです。文明開化のシンボルとして、市中の大きな話題を集めたようです。

外国人の評判も悪くなかったようなのですが、明治5年の大火で焼失し、再建されることはありませんでした。残念ですね。

そのホテルを描いた錦絵を「ちんや」が収蔵していて、ネットでも、こちらからご覧になれますので、後でゆっくり観て下さい。

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