蕎麦クイズの正解です

<昨日の蕎麦クイズの正解です>
Q江戸っ子は蕎麦を粋に食べることを大変重んじ、蕎麦を食べることを「食べる」と言いたがりませんでした。では、粋な江戸っ子は、蕎麦を食べることを何と言ったでしょう?
A蕎麦をたぐる 
Q江戸時代に江戸で蕎麦が大流行したのは、健康食品として食べられていたからですが、さて、蕎麦にはどの病気を予防する効果があるでしょうか?
A脚気 
(解説)江戸の人々は、白米ばかりを食べたことによりビタミンB1欠乏症すなわち「脚気」になりました。脚気は「江戸患い(えどわずらい)」とも呼ばれるほどでした。
Q江戸っ子が死ぬ間際に「一度でいいから蕎麦をつゆにたっぷりつけて食ってみたかった」と言い残して事切れる、という有名なオチを落語に付けたのは、十代目金原亭馬生(きんげんてい・ばしょう)でしたが、さて、その噺の題名は何でしょう?
Aそば清(せい)
Qそば屋の屋号には「〇〇庵」と「庵」が付いていることが多いですが、これは、あるお寺のお坊さんが、そば打ちの名人で、江戸時代のそば名人番付で有名だったからです。さて、そのお坊さんのいたお寺は、どこにあったでしょうか?
A浅草
(解説)西浅草の、現存しない「称往院」境内にあった「道光庵」という塔頭の僧が有名で、「そば切り寺」の異名がついたほどでした。
Q地方の蕎麦の問題です。一口大の蕎麦を給仕係が客のお椀に投げ入れ、客がそれを食べ終わるたびに、次々とそばを入れ続けるというスタイルの蕎麦は「わんこそば」と言いますが、そのわんこそばの起源は、とある人が蕎麦を何杯もおかわりしたからだそうです。さて、そのおかわりした人とは誰でしょう?
A盛岡南部家の当主・南部利直
Qそば店の名前の問題です。次の3つの蕎麦店の内、神田にないのはどれでしょう?
A更級堀井
Q蕎麦を決まった日に食べる風習としては「年越し蕎麦」が有名ですが、さて、日本人のずばり何パーセントが大晦日に蕎麦を食べるでしょう?
A57.6パーセント
<皆さんは、何問できましたか?!>

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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蕎麦クイズ

「浅草うまいもの会」の総会が、蕎麦の「尾張屋」さんでありました。
毎度余興担当の私は、「蕎麦クイズ」を創りました。
さて、皆さんは、何問できますか?全部三択です。
<蕎麦クイズ>
・江戸っ子は蕎麦を粋に食べることを大変重んじ、蕎麦を食べることを「食べる」と言いたがりませんでした。では、粋な江戸っ子は、蕎麦を食べることを何と言ったでしょう?
1蕎麦をひねる 2蕎麦をたぐる 3蕎麦を流す
・江戸時代に江戸で蕎麦が大流行したのは、健康食品として食べられていたからですが、さて、蕎麦にはどの病気を予防する効果があるでしょうか?
1梅毒 2脚気 3盲腸
・江戸っ子が死ぬ間際に「一度でいいから蕎麦をつゆにたっぷりつけて食ってみたかった」と言い残して事切れる、という有名なオチを落語に付けたのは、十代目金原亭馬生(きんげんてい・ばしょう)でしたが、さて、その噺の題名は何でしょう?
1そば清(せい) 2そば甚(じん) 3そば勘(かん)
Qそば屋の屋号には「〇〇庵」と「庵」が付いていることが多いですが、これは、あるお寺のお坊さんが、そば打ちの名人で、江戸時代のそば名人番付で有名だったからです。さて、そのお坊さんのいたお寺は、どこにあったでしょうか?
1芝 2本郷 3浅草
・地方の蕎麦の問題です。一口大の蕎麦を給仕係が客のお椀に投げ入れ、客がそれを食べ終わるたびに、次々とそばを入れ続けるというスタイルの蕎麦は「わんこそば」と言いますが、そのわんこそばの起源は、とある人が蕎麦を何杯もおかわりしたからだそうです。さて、そのおかわりした人とは誰でしょう?
1遠野の座敷わらし 2盛岡南部家の当主・南部利直 3岩手山の鬼
・そば店の名前の問題です。次の3つの蕎麦店の内、神田にないのはどれでしょう?
1やぶそば 2まつや 3更級堀井
・蕎麦を決まった日に食べる風習としては「年越し蕎麦」が有名ですが、さて、日本人のずばり何パーセントが大晦日に蕎麦を食べるでしょう?
132.5パーセント 257.6パーセント 375.8パーセント
<正解は明日の弊ブログで!>

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南スーダン

学校の同期生が南スーダンに赴任するということで、壮行会が開かれました。
あの自衛隊の日報隠ぺい問題の、南スーダンです。
大統領派と反大統領派の間で停戦が発効したと言いながら、まだ「安全」からはほど遠く、首都の外に出るのは絶対にNG。首都の中でも防弾車で移動することになるだろうと言いますから、実に物騒です。
聞けば、スーダンの政情不安は根深いです。
南スーダンは1877年にイギリスに占領され、1947年の「ジュバ会議」により南北スーダンの統合が決められたものの、南北の反目は最初からひどかったようです。
北はイスラム教徒が多く、南にはキリスト教徒など多く、その南に在る資源を得ようと、北が南を支配したので、南の住民の間に不満が高まり、1955年に第一次スーダン内戦(~1972年)、1983年には第二次スーダン内戦(~2005年)が起きました。この内戦により約250万人の南部人が亡くなったというから大変なことです。
長い内戦を経て、南が北から分離独立したのは2011年。しかし、今度は南部人の間で、内戦が起きてしまいました。今の戦闘は、これです。
さて、その物騒な南スーダンへ、わが同期生が何故行くか、です。
彼は、実はアフリカのベテランで、ガーナ・タンザニアなどで援助の仕事をしてきました。得意の野球を教えて、その話しを本にしたりもしました。
ところが、それらの安定した国々はもう発展の入り口に立っていて、援助するというよりは、経済を活性化させる段階だと言うのです。それは彼の得意ではありません。
で、本当に援助を必要としている国へ、人生の後半戦で自分は行きたい、と言います。
一同感服。
ご安全を心より祈念します。

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陸軍御用

不勉強なことに、そういうすき焼き屋さんがあったことを存じませんでした。
報道で初めて、その旧店舗が取り壊されたことを知りました。
取り壊されたのは、老舗すき焼き料亭「信田(のぶた)」さんの店舗です。
所在地は、以前は群馬県内有数の花街として知られた高崎市柳川町。2010年に営業終了した後も姿をとどめていたそうですが、この6月に解体・撤去されたそうです。
「信田」さんは明治20年代の創業と言われています。西洋料理もやっていて、すき焼き専門というわけではなく、戦前は陸軍の将校たちが通う社交場という感じだったようです。
新潟県の新発田には料亭風のすき焼き店「八木」さんがあり、かつては陸軍歩兵第16連隊に愛され、今でも自衛隊の人たちに愛されていますが、高崎も事情が似ていて、ここには第15連隊がありました。
こういう土地には、大勢で宴会を出来て芸者衆を呼べる店が自然と出来ました。で、メインの料理がすき焼きだったということだろうと思います。
戦前の「信田」さんの広告を見ると、「陸軍御用」「牛肉」「西洋御料理」と書かれていて、仲居さんはエプロンを付けています。
今回の報道を受けて、群馬の肉方面の知人から「群馬のすき焼きを語る折には欠かせぬ店」だったと惜しむ声が届きました。
廃業なさった2010年は、私が「すきや連」を始めた2008年の少し後で、その時は営業されていたのですから、丁寧に調べて、ご縁を創っておけばよかったと悔やまれます。
今回、建物を残して古民家再生することも出来なかったようです。残しておけば「かつてすき焼き屋だった」ということが記憶されるはずですが、完全取り壊しなので、それも叶わないようです。残念ですね。

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

西郷どん

大河ドラマ「西郷どん」が景況に入ってきたようです。
横浜で英国人が島津久光の大名行列を妨害したため、薩摩藩士が英国人を斬り殺し、復讐のため英国艦隊が鹿児島へ攻めて来ます。この時西郷どんは、久光に疎まれて遠ざけられていたのですが、急転する時局に対応するため、鹿児島へ呼び戻されます・・・と維新史でも大変有名な局面ですね。
で、思い出しました。年始に放送していた、西郷どんが食べていた料理を再現するという番組を。豚肉料理だったんですよね、それが。
西郷どんは牛鍋を好きだったですけどねえ。
鹿児島と言えば豚だろう→やっぱり豚で行かないとねえ・・・
という感じだったんでしょうか。
小説『翔ぶが如く』の終盤には、西郷どんが牛鍋を食べるシーンがあります。
それは西郷どんが討幕を実現し→やがて下野→西南戦争を起こした後の話しですが、西郷の薩軍は本営を熊本に置いていました。しかし政府軍が九州北部から進撃してきて、熊本北方の田原坂で激突。薩軍の大半は田原坂方面に出てしまって、河野主一郎の隊だけが熊本に残ります。
で、その河野と西郷どんが、北方の戦況を心配しながら牛鍋を食べる、というシーンです。
さて大河では、牛鍋シーンはあるんでしょうか。
やっぱり豚かなあ。

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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生衛組合

日本橋小伝馬町のすき焼き店「伊勢重」(いせじゅう)さんのご主人が、
東京都食肉生活衛生同業組合の理事長に就かれました。
私は遠い親戚でもありますし、2010年に第七回「すきや連」の会場をお引き受けいただいたこともありましたので、お祝い言上に行って来ました。
「生活衛生同業組合」という言葉は、部外者には???かと思いますが、
肉屋、料理屋、美容院、銭湯、旅館といった生活衛生にかかわる事業分野ごとに組織されている、厚生労働省監督下の団体でして、要するに、お上が発する衛生行政上の指導を、街中の店に伝達・徹底させる為の団体です。
ですので、言い換えますと、もっともオフィシャル度・シリアス度が高い団体と申せます。生衛組合の理事長が、その分野の代表者だと言っても良いでしょう。
随分な大役を請けられたものだと、頭が下がります。
お芽出とうございます&ご活躍を祈念致します。

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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パナソニックと東芝

弊ブログの3月12日号に書いた、パナソニックさんの広告の件を、最近雑誌「AERA」6月18日号も採り上げていました。
その広告が新聞各紙に全面広告で出たのは3月9日のこと。浅草雷門でテープカットする故松下幸之助氏の大きな写真が掲載されていました。
テープカットの写真は1960年に撮られたものです。幸之助翁は1865年(慶応元年)に火災で焼失して、そのままになっていた雷門の再建を請け負い、それが完成した時の写真が、それです。
「AERA」によりますれば、その写真に写っているお坊さんのご子息がご存命で、この写真を見て驚き、大感激してパナソニック宣伝部に電話を架けてきたそうです。
さらに驚いたことにパナソニックさんは、このような広告を全国47都道府県に47種類同時に出していたのだそうです。勿論、47種類のすべてに幸之助翁と地元の縁を示す写真が付けられました。
この「AERA」の記事は、パナソニックさんと東芝さんを比較する特集の一部でした。
家電産業受難の時代に、片や原発に手を出して破綻。片や「家電」の企業から「住空間」全体をつくる企業へと変容を遂げようとしています。
で、その分かれ目は、お客様視点が在るか無いかだったのではないか、というのが、この記事の筋です。
「AERA」には、どうも私が同意できない記事が載っていることがありますが、この記事ばかりは完全に同意致しました。
パナソニックさん、100周年誠にお芽出とうございます。
これから日本人はだんだん近代が老舗になる様子を目撃していくことになるのだと思います。

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ビートルズとすき焼き

6月29日は「ビートルズすき焼き記念日」です。
ビートルズが来日公演を行ったのは1966年。日本芸能史上の重大事件として、いまだに語りつがれていますね。
その到着日が6月29日でした。
公演は、日本武道館で翌30日から7月2日まで計5回開催されましたが、その前夜ビートルズは、宿泊先の東京ヒルトンホテルですき焼きを食べたのです。
ご相伴にあずかったのは、わが加山雄三さん。ビートルズと同じEMIミュージックからレコードを出していたご縁だそうです。
今では日本の代表する食べ物は寿司で、すき焼きはすっかり劣勢ですが、この頃はすき焼きと天婦羅が外人さんに好まれていました。
もう一回ビートルズが来ないかなあ(笑)

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味で楽しむ会

「適サシ肉」と「ライスィな酒」の会を、磯蔵酒造さんと開催しました。
その趣旨は以前に書きましたので、そちらをご覧いただくとして、今日は、その日のお酒のラインナップです。
<まず乾杯には>
・「窖」一周年記念酒(純米吟醸原酒)
これは磯蔵さんの浅草売店「窖」(あなぐら)の開店一周年を記念したお酒で、「冷やして飲む」がコンセプトの純米吟醸原酒です。
基本的に磯蔵さんは、あまり冷やして飲むことを勧めしておられないようですが、今回は梅雨の時季でもありますし、まずは飲み易い冷酒で乾杯していただこう!ということでした。
ただし!これは、一筋なわでは行かないお酒です。吟醸づくりではあるものの、醗酵程度が中度の段階で醗酵を止めて甘味を残し、それを加水せずに原酒のまま飲もうというのが、このお酒。米は酒造好適米「愛山」ですから、糖質が多くて酸味・苦味は少ないので、「完全ライスィ」とは申せませんが、甘味をたくさん残しているので、「準ライスィ」でしょうか。甘いから冷やすのです。「愛山」を使って酔狂な造りをなさるものです。
<続いて前菜には>
・「稲里」純米大吟醸 山田錦
これは「山田」の大吟なので、「ノン・ライスィ」です。後に出て来る「ライスィ」と比べてもらうという趣旨です。
では前菜に合わないかと言うと、そうでもなく、「山田の大吟」ではあっても香りを付け過ぎずに醸造したタイプなので、味のインパクトが小さい和食の前菜となら相性悪くはないだろうということです。「なにげなくも、だからこそ美味しい」というのが狙いですね。
そういう次第で、「大吟」ですが、冷やさず常温で行きました。
<すき焼きには>
・「稲里」 純米 熟成出荷
この辺から「ライスィ」が登場です。吟醸造りではない原酒を常温で熟成したものです。しっかりした旨味が、お燗することでさらに華開き、肉や卵の旨味は勿論、割り下の甘味ともバランスするだろうという算段です。
当日は土鍋で燗をつけてお出ししました。土鍋で湯煎すると酒質がマイルドに感じるのです。うーい。
<続けて>
・「稲里」純米しぼったまんまの出荷(無濾過生原酒)
これも「ライスィ」ですね。原酒の熟成酒に続けて、今度は「ライスィ」な「生原」。文字どおり「しぼったまんま」です。
生酒は冷やして飲む事が多いと思いますが、冷やすのは品質管理上の都合でして、飲むことだけを考えたら常温もかなり良いものです。「すき焼き」と合わせるのであれば、なおさら常温ですね。
今回は、その「ライスィ」な「生原」を常温で「適サシ肉」にバランスさせようという作戦でした。うっ、うーい。
ここまでで絶好調に御機嫌になった方も多かったですが、
<飲み足りない人用に>
・「稲里」 純米 日本晴
これは穏やかな「ライスィ」です。低精米だからこその苦味・渋味・酸味のバランスが、呑み飽きしない味を実現しています。長時間の飲み会には、こういうのが良いですねえ。常温でもお燗でも行けます。意識の確かな方は、どうぞ・・・・
いやあ、飲んだなあ、ひっく。
最後に今更ですが、ここでこの日のコンセプトです。
「すき焼きと日本酒の相乗効果を、「こだわり」でなく「味」でお楽しみください。」
マーケットで目立つための過剰な「こだわり」を忘れてみたら、お酒の魅力がストレートに感じられると私は思います。それを磯蔵式に言えば「味で楽しむ」になるんだろうと思います。楽しい会でした。

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英語は話せますか?

<ある日の「浅草インバウンドあるある」>
外人さんに「英語は話せますか?」と聞かれたら、
ア・リトル! ア・リトル!
と答えています。
全く話せないわけではないけれど、自由にペラペラ話されると、聞き取りづらくて往生するので、予防線を張って「ア・リトル!」と言っておくわけです。
でも、話し始めると、結局ペラペラ喋ってくるんだよね、彼らは。
日本人なら、
ぱーく・はいあっと・ほてる と言いますが、
外人さんが話すと、
パーハイアットテール
にしか聞こえないんだよね。
ここは日本の浅草なので、
ぱーく・はいあっと・ほてる
と言ってもらいたいですな。

そう言えば、
ラムネとはレモネードのことです。
しかし外人さんにペラペラ喋られて、日本人は
ラムネ
としか聞こえなかったんすよね。
国際交流は難しい。

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