とけるから、とける

とけるから、とける。

何のことかお分かりになりますか?

牛の脂の話しです。

では、分からない方の為に漢字で書いてみましょう。

融けるから、溶ける。

融けるとは、固形だった脂が融解し液体化することを言いますね。融ける音頭のことを融点と申します、イヤ融ける温度のことを融点と申します。

牛の脂の融点は、32-50℃と言われていますが、黒毛和牛は脂の融点が特別に低い牛で、特にメスを長期肥育した場合は、22-24℃でも融けます。

牛の世界平均より10℃融け易い奇跡的な牛なのですが、その話しはまたの機会にして、話しを元に戻します。

和牛の脂は、このように低い温度で融けますから、鍋で加熱すれば当然融けて液状になります。

その脂に溶けるのです。旨みや味が。

はい、こっちの漢字は「溶ける」であることに御注目下さい。

融けた脂が「溶媒」になって、色々なものを溶かすのです。肉の赤身から来た旨み成分や、割り下から来た塩分や糖分を溶かします。

旨み成分や塩分や糖分が脂に溶けるとどうなるでしょうか?

はい、味がマイルドになります。

脂が甘い、と感じる人もいるようですが、食品科学的に厳密には脂に甘味も旨みもなく、あくまで「溶媒」です。

「ちんや」の割り下だけを飲もうすると、とんでもなく甘っ辛い代物なのに、実際すき焼きにすると良い感じだと思う理由は、これです。

融けて「溶媒」となった脂に、甘味、塩味が溶けるから、そういう現象が起きるのです。

要するに、

とけるから、とけるのです。

分かるかなあ、分っかんないだろうなあ。

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毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

 

 

 

 

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営業再開

新築オープンを控えた「かんだやぶそば」さんを「励ます会」に行って来ました。

「やぶ」さんの店舗は、関東大震災後に建築された数寄屋造り・木造2階建ての建物で、東京都から「歴史的建造物」の指定を受けていましたが、ご存知の通り、昨年2月の火災で一部を焼失してしまいました。

火災の翌日私も様子を見に行きましたが、外見上大火には見えず、取り壊しはしなくて済むように見えました。

しかし、結局旧店舗を取り壊して新築。

1年半以上時間がかかりましたが、今年の10月20日に営業を再開する運びとなりました。目出度いです。

参りますと、外観は一変していました。

これまで「やぶ」さんと言えば塀が目印でしたが、その塀は取り払われ、道路と店の間には植栽が植えられていました。大イメチェンですね。

「街と共に在りたい」という理念を体現したら、こうなったのだとか。なるほど。

店内は、新店舗なのに何十年も営業していたかのような落ち着いたムード。いいですね。

この御店の正式オープンに先だち、「励ます会」は、スタッフの皆さんの練習もかねて開催されたものです。だから料理の注文は事前に統一せず、その場で卓ごとに個々に頼むやり方。

これを機会に新しく採用された方もいるようでしたが、危なげなく対応できていて感心しました。

ご繁盛を心より祈念致します。

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赤身信仰

最近「赤身信仰」とでも名付けるべき信心をお持ちの方がいます。

脂・霜降り=悪魔って感じなんでしょうか。

40歳代なのに、もう入信している方もおり、

霜降りは、もう無理なんだよー

などと、おっしゃいます。

たしかに科学的なデータを見ますと、

・豚の脂の融点=25-40℃

・牛の脂の融点=32-50℃

などと表示されていて、

「溶け出す温度が、人間の体温よりも高いものがいくつかありますね。それが体の中にはいった時に、サラサラなのか塊になるのかを想像してみてください。わたしがそれらを選ばない理由の一つです。」

というコメントが添えられていたりします。

しかしですね、長期肥育された、黒毛和牛のメスに限って申しますと、

融点は25℃位で、個体によって22℃などということもあります。

この脂は人間の体温で融けますから、体の中にはいった時にサラサラなのです。後でまったく胃モタレしません。

「ちんや」の脂は、そういうものばかりです。モタレませんし、脂が甘い感じがします。

もう無理なんだよーと言わずに「ちんや」の肉を試していただきたいと思います。

一方の赤身ですが、赤身なら皆消化が良いと思うとそれは違うと思います。

熟成させていない赤身は、タンパク質そのものですから、分子が大きく消化が悪いです。

これを熟成させますと、そのタンパク質が分解されてアミノ酸になり、消化しやすく、また美味しくなります。

だから熟成させた方が良いのですが、問題は、熟成させ易い肉かどうかです。

肉の表面を脂が覆っていれば、酸化・変質するのは脂だけですから、取り除けば良い話しですが、その脂が少ないと、すぐに赤身の部分まで変質を始めてしまいます。

だから、赤身だけの痩せた牛は熟成させにくい、ということになり、結果、赤身は熟成させていないことが多いのです。

要するに、

食べ易い脂も在り、

食べ易くない赤身も在る、ということなんですね。

分かりにくくて信仰しにくいかもしれませんが、これが、真実の教えです。

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大和煮缶詰

おお、懐かしい!牛肉大和煮缶詰。

ここで作っていたんですね。

27年を経てようやくやって参りました・・・

私が大和煮を懐かしいと思うのは、デパートでの修行時代に缶詰売り場で販売していたからです。当時は牛肉大和煮缶詰が日本の畜産業界を大きく発展させたことなどつゆ知らず在庫数のチェックや発注などをしていました。もう27年前のことです。

その缶詰を、最初に大量に作り始めた場所は広島市立資料郷土資料館でした。今回国際観光レストラン協会の研修会に合わせて訪問しました。

郷土資料館が何故缶詰を作っていたのかを説明するには、やや長くなりますが、広島の近代史を説明しないといけません。

広島には明治維新後、軍の拠点・鎮台が置かれましたが、日清・日露戦争を契機にさらに軍用施設が集中し、一気に「軍都」と言った在り様に成って行きました。当時広島まで延びて来ていた山陽鉄道で兵員や物資を運んで来て、大陸の戦場へ向けて積み出したのが広島宇品港だったのです。

港は、それまで牡蠣や海苔を育てていた遠浅の海を埋めたてて建設されましたが、その新開地に建てられたのが、陸軍宇品糧秣支廠(りょうまつししょう)、分かりにくい名前ですが軍需食品工場のことです。

展示によりますと大変大規模な工場で、牛を生体で運び込み屠殺するところから、醤油で煮て缶詰にするまで一貫して行っていたようです。

ここで作られた缶詰が戦地の兵の飢えを癒やし、そして一方この需要に応えるため、日本の畜産業界が大きく発展したのです。

レストラン協会の会合でこの話しを地元の人にしましたら、

そう言えば、子供の頃はよく缶詰を喰わされたなあ!

と言っておいででした。缶詰製造の技術が民間にも移転して、広島は缶詰生産が盛んな土地になったのです。

さて歴史の話しに戻ります。このように広島は軍都でしたが軍都であるが故に原爆の攻撃を受けました。

糧秣支廠の建物も大損害を蒙りましたが、倒壊を免れ、やがて原爆を生き抜いた建物として再利用されることになりました。

それが、現在の市立郷土資料館です。

赤レンガの素敵な外観だけを眺めると、この建物と広島が歩んで来た、壮絶な歴史に想像が及びませんが、それが現実です。

皆様も是非機会があればお訪ねください。

牛にも缶詰にもご興味が無い方も、広島の牡蠣養殖の歴史資料は面白いと思います。

 

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特産松阪牛

今、肉の世界ではブランドというものが揺らいでいます。

「○○牛」と言った場合に、それがブランドつまり品質を表現しているのか、産地証明であるのか、判然としないことがあるからです。

天下の「松阪牛」すらそうです。

キッカケは2001年のBSE問題でした。この問題は業界に大きいショックを与え、それを境に品質よりも安全性が重視されるようになりました。産地証明がキチンと出来ていることが安全ということだ、という発想です。

それで2002年に松阪牛の定義が変わりました。現在の定義は・・・

「松阪牛とは「黒毛和種」の「未経産(子を産んでいない)雌牛」で、(中略)三重県・中勢地方を中心とした旧22市町村、および、旧松阪肉牛生産者の会会員の元で肥育され、松阪牛個体識別管理システムに登録している牛をいう。」

このように現在は、産地と、牛の品種それから「未経産」ということだけを定義しています。

それ以前には、その他にも項目があったのですが、定義から外されました。

規約から外れた項目は:

1格付け⇒格付けが最低のC-1であっても現在は「松阪」。

2肥育日数⇒松阪に1年いなくても現在は「松阪」と言える場合がある。

3素牛(=子牛)⇒かつては最高品質とされる但馬や淡路で生育した素牛のみであったが、現在は九州産の但馬系の牛(=純粋な但馬牛ではないことがある)が多い。

かつての「松阪牛」に相当するのは、現在の「特産松阪牛」ですが、その頭数は全体の6%でしかありません。しかも東京に出荷されることが大変少なく「幻」の存在と言っても大げさではないです。

残りの94%を、規約改訂前の基準では「松阪牛」と名乗ることが許されなかった牛肉が占めています。

但馬系の血統の牛は、脂肪の融け出す温度(=融点)が世界で一番低い為、甘く上品な風味がありますが、その特徴的な風味のない松阪牛が、どんどん登場してしまっているのが実態です。

まあ、その中にも旨い牛はおり、「ちんや」が買う場合もありますが、上記のような次第ですから、94%の全てが素晴らしいとは言えないのが現状です。その中から選ぶ、ということが必要になるのです。

そう、これこそ「木曽路」問題の、真の原因です。

木曽路の社長さんが、松阪でも、それ例外の産地でも差はあまりない、と言ってしまった原因は、これです。94%の方の残念な方を、イメージして言ったのでしょう。

私の見るところでも、他の産地と逆転しているケースがあると思います。

ここに書いたことは決して悪口ではなく、BSE問題を境に考えた方が変わった、ということです。地元の方向性を変えて欲しい、ということを言っているわけではありません。

「ちんや」が、独自の視点で欲しい牛を仕入れれば良いだけですからね。

ついでに申せば、ここに書いた話しは既に色々な所に書かれている話しで、新着話しではありません。

さて、この10月、「ちんや」では縁あって「特産松阪牛」を販売します。

「特産」であれば、おそらくほぼ全頭が素晴らしいと言って良いと思います。これぞ、Theブランドです。

「特産」の肥育日数は「松阪地区で30ヵ月以上」と厳格に規定されていて、それ以前に子牛の時期が8~10ヵ月ありますから、相当の長期肥育です。

今回の牛は、なんと44ヶ月。普段「ちんや」が使うのは30カ月以上ですから、滅法長く、スーパーの牛と比べたら、20カ月近く長いです。

ここまで飼えば、味も濃くなりますし、脂は良く融けて甘いです。「特産」の名称だけはブランドとして立派に機能していると言えると思います。

しかも、かつて日本畜産史上最高価格の牛を輩出したことのある生産者の方です。

ですから目利きなどせずに仕入れてOKな位ですが、問題はあって、それはお値段です。

なにしろ長期間飼ってますからねえ、原価がかかっているんです。

「ちんや」の、たしかな舌をお持ちのお客様が、このお高い肉を買って下さることだけが頼りです。

よろしくです。

 

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地酒まつり2014

「茨城地酒まつりin花やしき2014」に参加してきました。

この催事は、茨城県酒造組合が主催していますが、夜の遊園地で日本酒を飲みまくる、という、なかなかエキサイテイングなイベントです。おカタい組合の行事とは思えません。

今年で4回目。

地震の年の春に第一回が予定されていたのが、いったん延期となり、その年の秋に第一回が開催されました。以来応援させていただいております。

浅草料理飲食業組合の組合長が乾杯の発声をするのが恒例ですが、今回はご都合がつかず、不肖・私が代打をさせていただきました。

「〆の言葉」だったら、ゼッタイお請けしませんけどね、だって呑めませんから。

さて、茨城県は関東一の酒どころ。28蔵が浅草の花やしきに集結しました。

全国的にも、新潟・福島・長野にはおよびませんが、酒蔵が多いところです。

最近は地元産の米を使ったお酒を造る試み(=「ピュアいばらき」)に熱心。

石岡市など一部の自治体では、乾杯で地元の酒を飲むことを義務づける「乾杯条例」を制定する所もあったりと、実に結構と思います。

この催事が5回、10回と浅草に定着したら良いと思っています。

うーい、ひっく。

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大津島

山口県大津島の「回天記念館」を訪ねました。

「回天」とは言うまでもなく、太平洋戦争中の「人間魚雷」です。

魚雷を、人一人が乗れるように改造した「回天」は潜水艦に搭載されて、そこから敵艦に体当たり攻撃をしました。勿論生還を期すことはできません。

隊員達は、その特攻に出る前、壮行会ですき焼きを食べて、その後出撃して行くのが恒例だったと聞きます。

隊員達とすき焼きの話しは、以前このブログの5/23号に書きましたから、そちらをご覧いただきたいのですが、とにかく一度訪ねてみたいと思っていました。

そうしましたら、最近、国際観光日本レストラン協会の会合が広島であり、会合のついででは英霊に恐縮なことと思いましたが、思い切って、お訪ねすることにした次第です。

新幹線で徳山に着き、島に渡りますと、島の空気はいたって静かでしたが、記念館の館内は盛況。防衛大学の学生さんが研修に来ていました。

学生さんの間をぬって、すき焼きの話しの主人公・おしげさんに関する展示を拝見しました。

島の対岸の、かつて軍港の在った徳山にも行ってみました。

壮行会の料亭「松政」はわりあい駅の近く。残念ながらその後廃業してしまって、現在は駐車場でした。

日露戦争の総参謀長・児玉源太郎の銅像がたつ児玉公園にも行ってみましたが、その頃には、もう遅い時間です。

良い子は酒を飲む時間ですねえ。

瀬戸内と言えば魚。魚と言えば酒。

私もたまには魚を食べるんです。

名物の瓦蕎麦=熱した瓦の上に蕎麦が載せてある、も初体験。

うん、実に結構。心に沁みる酒でした。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.684日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

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DoYouNiku?

Do you Niku?

と書いて、

どうゆう肉?

と読んで下さい。

お客様が肉を買い求める場合、当然どうゆう肉か気になる筈ですが、実際の、店頭での問答はチグハグなことが多いです。

お客様:この肉、おいしいの?

販売員:おいしいですよ!

お客様:どれが一番おいしいの?

販売員:みんなおいしいですよ!

お客様:どこがどう違うの?

販売員:こっちは松阪で、こっちは山形ですね・・・

・・・松阪とか山形とかは表示してありますから、読めば分かります。読めば分かることをまた言うのは、人様を馬鹿にしていると思われかねませんね。

それにこれでは結局どういう肉なのか、ちっとも分かりません。だから全然ダメです。

とりあえず、社内で「産地・ブランド禁止令」を出しました。産地を言ってごまかすのは×です。どういう肉かを答えないといけません。

まず、牛の誕生日と、と畜日を調べますと、肥育日数がわかります。

長く育てられた牛の場合は、「脂が甘いですよ」と表現します。そういう牛の脂は口の中で早く良く融けますから、それで甘いように感じるからです。

次に、と畜日から熟成具合が分かります。

4-5週間位しっかり熟成させた場合は、「赤身の味が濃いですよ」と表現します。そういう肉は、アミノ酸(=旨みの素になる物質)が増えているからです。

さらに言えば、どちらも消化しやすいですから、

「胃モタレしませんよ」とか

「年配の方に喜ばれますよ」と言うこともできます。

どういう方に向いている肉かを言うことは、産地を言うより余程分かり易いです。

産地については、有名かどうかということより、涼しい土地かどうかを考えます。寒冷地の生産者の方が、牛を丁寧に飼うことが多いからですね。

私達も、産地名の棒読みはやめて、丁寧にやりとりしないといけません。

ご来店の際は、是非是非、

DoYouNiku?とおたずねください!

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.683日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

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神々の国

久しぶりに台風が東京にしっかり雨を降らせて行きました。18号のことです。

そのせいで、5日の夕方からキャンセルが出だして、6日の昼時弊店は開店休業の有り様となりました。トホホです。

でも、この最中も、御嶽山の災害復旧に従事している皆さんは、東京などとは比較にならない御苦労をなさっていたわけですから、店が閑古鳥という程度の愚痴を長々書くわけには行きませんね。

それにつけても、日本は災害の多い国です。

地震、台風、噴火、水害となんでもござれです。

この国の神々は、よほど凶暴と見えます。

でも、なぜか名前は「やおよろずの神々」なんですよね。

名前の発音が「や」行なので、柔らかい印象ですが、やることは凶暴です。

御嶽山にしても午後3時を過ぎていれば、山頂の登山者は、ほとんどいなかったはずです。

広島にしても深夜でなくて昼の雨であれば、逃げられた人もいたと思われます。

黒川伊保子先生の御本『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』に従えば、凶暴な神には自然と凶暴な名前が付く筈です。

「ぎゃおぎょろず」とかね。

おかしいですねえ。

ま、でも、過ぎたことは忘れて、この損をとり返さないといけません。

そう考えて、日本人が真摯に努力するもんだから、この国は発展しちゃうんですよねえ。

まさに思う壺ですな。

ぎゃおぎょろずの神々の。

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社員旅行

郡山市のすき焼き店「京香」の皆さんが、社員旅行で見えました。

「京香」さんは、明治17年(1884年)のご創業、福島県で初の牛鍋店だったそうです。

今でこそ郡山は福島県第一位の都市ですが、当時はそうではなく、会津若松や福島の方がずっと都会でした。

郡山は、と申しますと、原野に安積疏水を通す工事中。

明治維新後、各地で不平士族の反乱が起きたため、士族に仕事を与える国家プロジェクト「士族授産」を行う必要が生じ、その場所として安積原野が注目を浴びた、ということのようです。

そんな所に牛鍋屋が出来たのです。原野の店が牛鍋屋としては会津や福島に先行したところが歴史の面白いところですね。

要するに、会津や福島と違って郡山は明治っぽい土地柄だったと言って良いでしょう。

やがて、この疎水の水を利用して水力発電が始められ、産業が集積して、郡山は発展していきました。

そんなワイルドな土地ですから、当時は肉を調達することが難しく、「京香」さんの御先祖は、牛の屠畜も自ら行っていたそうですが、今はすき焼き店だけが残っています。

似たような歴史を持つ御店としては、新発田市の「八木」さんがあります。

新発田が明治以降発展した理由は、陸軍の拠点が置かれたからで、そうして発展する都市で、やはり牛の屠畜から牛鍋店までを経営なさっていたのが、「八木」さんの御先祖です。

もっとも建物の感じは違います。

「八木」さんは昭和レトロな建物を使い続けておいですが、「京香」さんは新しく立派な建物。東日本大震災の時も、被害はさほど大ききなかったということで、不幸中の幸いでした。

震災の影響で、郡山市唯一の料亭が廃業してしまったので、立派な「京香」さんは、すき焼き屋でありながら都市を代表する御店の位置に在ります。結構なことです。

さて、その社員さん達の為に、なんか話しをして欲しい、と五代目の御主人から所望されました。

さあ、どうしますかね。

歴史のことなんかは、自分で調べればいくらでも調べられますよね。

え、「ちんや」の歴史ですか?

ウチなんてのは、いい加減なもので、御店の方が立派じゃないですか。ウチの場合は、狆の商いが難しくなったから、とりあえず食べ物でもやるかって感じです。郡山に肉食文化を導入した御店の方が立派ですよ。

だから、そういうことよりも、やはり心の持ちようの話しが良いですよね。

そう、愚痴が入りますが、日本の普通の消費者は肉について今も乏しい知識しかお持ちではありません。テレビやデパートがおかしなブランドや、おかしな食べ方を推奨していたりします。

表面的には、実際そういう状態ですが、売り手がそれに同調してはいけません。

お客様は、必ず味をお分かりになります。

子供の頃から60年。自分がお爺さんになるまで食べ続けていただけば、良い肉は良いと分かる。そう信じないといけません。

何が良い肉って、それは話すと長いので、あとでこのブログの9/11号を読んでいただきたいのですが、とにかく、

下町の、旧くからのお客様にお世話になって来た弊店と、それから、

安積原野に店を開いた方の後継者は、是非そう信じて欲しい、それだけ申し上げて、私の話しと致しました。

お後がよろしいようで。

 

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