ご機嫌モード

不機嫌モードの会議で決まった、真面目な案は

結構キッチリ実行され、一方、

ご機嫌モードの会議で決まった、ご機嫌な案は、

その後ちょっと待てよ、こういう問題点があるよとか誰かが言い出して、結局実行が延期される、

そんな会社さんはありませんか?

問題やトラブルが起きた時に対策を決める会議はもちろんやらねばなりませんし、その会議はご機嫌モードではできません。不機嫌モードで事を決め、急いで実行しないと行けません。

多くの会社さんは、それが得意です。でもそれがキチンと実行出来たとしても、それだけでお客様は楽しんでは下さいませんね。

それとは別にご機嫌モードの会議を開いて、お客様が楽しんでくれるようなプランやお客様がハッピーに成るようなプランをひねり出さねばいけません。そして、そのプランに少々の問題があったとしても、グイグイと実行せねばなりません。

お客様が楽しまねば、売り上げは出来ないから、実行せねばなりません。

それなのに、それが不得意な会社さんが多いように見えます。

ちょっと待てよ!面白がる方が多いとは思うけど、ごく少数そう思わない人がいるかも。だから、そのプランの実行は来月でなくて、少し様子を見ようよ。そういう会社さんはありませんか?

人間は色々だから全員が喜ぶプランなんて、実はないですよ。

様子を見ようよ!という声が勝ってしまう会社さんはありませんか?真面目一方な会社が良い会社とは限りません。

ご機嫌モードの会議を、開いてみませんか?

確かに仕事は増えます。でも皆がご機嫌に成れると思いますよ。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.816日連続更新を達成しました。 すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

 

 

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檜物町

料理業組合「芽生会」の会合で、八重洲の日本料理店「や満登」さんに行って来ました。

「や満登」さんの初代・成川国太郎氏は、マグロのトロを初めて刺身として提供した人として知られています。

それ以前はマグロの中トロを出す料理屋はなく、中トロは「ねぎま鍋」として職人さんたちの食するメニューでした。しかし国太郎氏は「こんな美味しいところを料理屋で使わないのはおかしい」と感じ、脂っこさを美味しくいただく方法を考案したとか。

それが「や満登づくり」。

中トロの柵取りを幅広くし、大根おろしとわさびを挟んで食べさせる方法で、これが元祖トロの刺身なのだそうです。

それが今回は丼ぶりにのって出てきました。実に結構でした。

ところで「や満登」さんのご創業は明治35年。

この地で開業したのは、明治末から大正の頃、現在の八重洲一丁目界隈に日本橋花柳界ができたからです。

この地の芸者衆は「檜物町芸者」と呼ばれました。江戸時代に家康が江戸城のまわりに武家屋敷を建てる際、尾張から宮大工を集めて住まわせましたが、大工は檜を扱う仕事であることから、大工が住む、この一帯が「檜物町」と名付けられたそうです。で、「檜物町芸者」。

全盛期に芸者衆は500名以上いたとかで、特に新派の俳優さん達が贔屓したそうな。

残念ながら、現在の街並みからは檜の木の名残も、花柳界の名残も感じることはできず、「や満登」さんがなければ、「檜物町芸者」のことは忘れ去られたことでしょう。

「や満登」さんは、会社経営経験のあるお嫁さんを迎え、環境に合わせて4年前にリニューアルなさいました。「ザ料亭」な店構えを今日風にと大胆に変えて残り、ご繁盛です。

料理屋は、街の歴史の証人なのだ、その為にはチェンジも必要なのだと改めて感じさせてくれた食事でした。ご馳走様でした。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.815日連続更新を達成しました。 すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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すき焼き川柳コンクール2017

「すき焼き川柳コンクール2017」の結果を発表したいと思います。

このコンクールは5回目なので、ご存知の方も多いかと思いますが、念のため再度ご説明しますと、このコンクールに当選しますと、「ちんや」の食事券が貰えるだけでなく、「すき焼き川柳包装紙」に句が刷り込まれるのです。

これから発表する分は、来年の5月の三社祭の日に出来上がる包装紙に刷り込まれます。

そもそも食事の思い出を記す方法として川柳は一番素敵ですね。それに、すき焼きほど川柳に合う料理は他にないとも思います。川柳は、日本人とすき焼きの繋がりの深さを、あらためて教えてくれます。

そして何より、この店で働く私達にとってはヤル気の源になります。ここに書かれている様な幸せの為に働いているんだということを、川柳は思い出させてくれます。在り難いことです。

こんな包装紙はなかなか無いと思いますよ・・・

おっと、前置きが長くなりました。

それでは、「すき焼き川柳コンクール2017」の結果を発表したいと思います。(作者敬称略)

 

<超ウケ賞(1句)>

合格祝い 我が子ほめずに 肉ほめる(ごんた)(練馬区、41歳)

 <大ウケ賞(3句)>

すき焼を 囲んで笑顔 七福神(菊間清二)(新宿区、78歳)

もみじ狩り まずは鍋の 紅葉を(モテキ)(群馬県前橋市、40歳)

あまいタレ お支払いも あまくして(ひろむし)(神奈川県横浜市、48歳)

 <ややウケ賞(5句)>

湯気立ちて 牛鍋囲みて 暑気払い(はじめ)(千葉県市原市、83歳)

わが夫は すき焼きもてなす 好好爺(糟糠の妻)(目黒区、82歳)

誕生日 すき焼き食べて 更に長生き(大島政次)(群馬県太田市、68歳)

歯もボロボロ 食べときゃよかった ちんやの牛鍋(眼もボロボロ)(台東区、68歳)

すき鍋に 煮込む家族の 祝い事(多芸岡)(足立区、79歳)

 

*入賞お芽出とうございました!

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猪鍋

両国の「ももんじや」さんへ行ってきました。

浅草橋から両国橋を墨田区側に渡ると、すぐ右に、猪の像を架けているビルに気づきますが、あのビルが「ももんじや」さんです。

「ももんじや」は漢字で書くと「百獣屋」。

享保3年(1718年)年のご創業以来十代にわたって、日本が誇るジビエ料理・猪鍋を継承して来られました。

猪鍋は、弊ブログの201075日号に書きました通り、牛鍋・すき焼きの源流でもあります。

以前「ちんや」の全社員を連れて行ったことがありましたが、今回は「料飲三田会」の仲間と久しぶりの訪問でした。

猪鍋は牛鍋の源流なのですが、現場的には、柔らかい牛肉は煮込むと硬くなるのに対して、硬い猪肉は煮込んでやっとやわらかくなるので、勝手がまったく違って面白いです。

店のお姐さんに、

「15分は煮込んで下さい!」

と指示されます。

久しぶりに、美味しくも楽しい体験でした。ご馳走様でした。

 

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グーグル

お客様からの電話

ヤフーでググってオタクを見つけたんですけど・・・

ほお、そうでしたか。では、

次回はグーグルでヤフってみてはいかがでしょう。

 

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63分

秋の3連休の浅草。

その日もインバウンド客の御遅刻63分なり。

慣れろと言われても慣れられないですねえ。

ホテルのコンシェルジュさんは、間に入って料理屋に謝らねばならず、お気の毒。

「予約時間を守れないお客様には、料理店を紹介致しかねます」とデスクに掲示した方が良いと思うんだけど。

 

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語源

あるテレビ番組で「すき焼き」「割り下」「シラタキ」の語源を紹介するとかいうことで、弊店で収録がありました。

まず「すき焼き」については、弊ブログの2013513をご覧ください。

次に「割り下」です。

「割り下」は「割り下地(したぢ)」がつまったもの。料理のベースとなる下地を、調味料の割合を勘案しながら作ったものが「割り下地」です。

だから、すき焼きの割り下だけを「割り下」と言うのは変なのですが、なぜか、すき焼き以外には、あんまり言わないですね。

あまり言わないので、言葉としての認知度が低くなり、最近では「割り下」のことを「タレ」という人が多いです。

「タレ」は「垂れ」です。

調味料の製造過程で、もろみを布袋に入れ→それを搾りますが、その時袋から垂れ出てくる様を観て「タレ」と呼ばれるようになりました。だから、それをさらに何種類かまぜ合わせて鍋の中に溜めた場合は、やっぱり「割り下」だと私は思います。

さて、「シラタキ」は「白滝」。

「シラタキ」を作るには、コンニャク芋の粉と石灰を混ぜ合わせ、固まらない内に、小さい穴から湯の中に押し出して→固めます。

押し出す時に、細い糸状の物なので「白滝」に見えるという次第です。オツなネーミングですね。

今度カノジョとすき焼きを食べる時、ウンチクたれてみてはいかがでしょう。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.810日連続更新を達成しました。 すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

 

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長寿企業の知恵⑮

ネットTV番組『Story 〜長寿企業の知恵〜』に出演させていただきました。

この番組は、創業100年を超える老舗企業の経営者をゲストに招き、長寿企業の経営者が持つ知恵や理念、思いを語る、というものですが、思いがけず好評で嬉しく思っています。

こちらのURLで今でも視聴可能ですなのですが、全長50分と少々長いし、そもそも動画は音が出せる環境でないとダメなので、文字情報が欲しいというご要望をいただきました。以下に公開してまいります。

(長いので15日に分けてUPしています。今日は、その最終日です)

<ナレーション>

最後のテーマは…「NEXT100年」時代を超え、継承され続ける長い歴史とともに先代、そしてお客様から紡ぎ、語り継がれた「すき焼きちんや」の物語…6代目住吉史彦が次代へ届ける“長寿企業の知恵”とは?

石田「最後に、次の100年に向け、変えるべきモノ、変えないモノ、この先、会社にとって“コア”となる部分を教えてください。」

住吉「美味しいことを何よりも優先させること。安くすれば売れそうであっても美味しくなければ売らないこと。話題性があって、高く売れそうであっても美味しくなければ売らないこと。」

朝岡「その“思い”を継続するためには、何が重要?」

石田「飲食に関わらず長く愛され続ける企業には何が必要?」

住吉「美味しいには合理性が必要だと認識すること。同じことですが、老舗は零細な巨大企業だと認識すること。膨大な数を売って行くのだから、合理性が必要。安さで売るはNG。話題性で高く売るもNG。」

朝岡「『100年先の後継者』に伝えたい事は?」

住吉「顧客志向すなわちお客様の方を見なければ継続しない。そして、その顧客志向とは、安さでも利便性でもなく、お客様に「銭失い」をさせないこと」

朝岡「100年先の『すき焼き』は人々にとってどんな存在であって欲しいと考えている?」

住吉「その時点でも、日本人の思い出に一番登場する食べ物であって欲しいと思います。」

石田「『ちんや』が掲げる、今後の展望は?」「社長自身の、個人的な展望は?」「今後の『新しい構想』などは?」

住吉「実はですね、言いづらいんですけど、経営者はメデイアで構想・展望を語るなかれという教えがあるんですよ。公言してしまった手前、引っ込みがつかなくなって、無理な計画でも推進してしまうからですね。最近の若い社長さんって、皆さん壮大なことを言っていて、私は頼もしいという感じよりは恐ろしい感じがしています。」

「とりあえず「適サシ肉」が、業界のスタンダードに成って行くことを祈念しますが、私一人で強引に進められるものでもないです。最近在り難いことに講演に呼んでいただくことも増えてきたので、そういう機会を利用して、地道に時間をかけて普及させて行こうと思っています。「やり遂げて見せます」っている感じより「祈念します」っていう感じで丁度良いのかなあと思っています。」

石田「本日のゲストは、取締役社長・住吉史彦さん様でした。」

一同(ありがとうございました!)

※収録終了

 

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長寿企業の知恵⑭

ネットTV番組『Story 〜長寿企業の知恵〜』に出演させていただきました。

この番組は、創業100年を超える老舗企業の経営者をゲストに招き、長寿企業の経営者が持つ知恵や理念、思いを語る、というものですが、思いがけず好評で嬉しく思っています。

こちらのURLで今でも視聴可能ですなのですが、全長50分と少々長いし、そもそも動画は音が出せる環境でないとダメなので、文字情報が欲しいというご要望をいただきました。以下に公開してまいります。

(長いので15日に分けてUPしています。今日は、その14日目です)

石田「『すき焼き思い出ストーリーの本』で社長が特に印象的だったエピソードは?」

住吉「投稿の中に「親子五代」という題の、63歳の女性からいただいた一本がありました。タイトルの通り五代に渡って「ちんや」を利用して下さっている方からのご投稿でした。それは、こんな内容でした~「ちんやさん、創業135周年おめでとうございます。この記念すべき年の某月某日、私達家族は、ちんやさんに集合しました。娘が発案し、私達を招待してくれたのです。まず次男の誕生日祝、主人のための「父の日」感謝祝、娘の誕生日前夜祭、私の誕生日祝、そして私達夫婦の結婚31周年祝。何と一石五鳥?!」これを遡る31年前、私達の結納の儀を執り行わせて戴きました。昨日のことのように思い出されます。お陰様で三人の子供達に恵まれ、皆まじめな社会人に育ってくれました。有難いことです。」

「更に遡る事今から70数年前、母達四姉妹は、当時のグルメであった?らしい祖母と曾祖母に連れられて、ちんやさんに時折おじゃましていたそうです。135周年の歴史の中のほんのひとコマ。親子五代にわたっての、ちんやさんとわが家の、ささやかで不思議なご縁の思い出エピソードです。」(投稿以上)

この御投稿以外にも、投稿の多くが家族ですき焼きを食べに通った思い出話しでした。それで、この本を読んだ、私の同級生で琵琶奏者の友吉鶴心さんに「世の中には「何代も続いているお店」というのはたくさん在りますが、お客の方が「家族で何代も通えているお店」というのは、それこそ「老舗」なのかなぁということを、この投稿を読んでみて実感したわけです。」と言っていただきました。私は店主としては六代目ですが、自分が六代目だということより、お客様に五代目の方がいるということの方が、余程誇らしいことだと思っています。」

石田「現在もサイトではストーリーを募集されているんですよね?」「第二弾、第三弾…の出版予定は?」

住吉「はい、もちろん、これは永久事業です」

朝岡「本を作る過程で気付かされることなどはありましたか?」

住吉「五代目の御投稿以外にも、投稿の多くが家族ですき焼きを食べに通った思い出話しでした。そして、皆様の思い出ストーリーを全部読み終えた時、私は気づきました、牛の産地が出てこない。等級も出てこない。そうか、それらは皆、売り手側の都合だったんだ!この時、それがしみじみと分かりました。そして、自分たちが川上ばかりを意識するのを止めて、お客様の方を向かないといけない、ということを改めて教えられました。やがて、これは「適サシ肉宣言」につながっていきます。」

 <ナレーション>最後のテーマは・・・<この続きは、明日のこのブログで>

 

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長寿企業の知恵⑬

ネットTV番組『Story 〜長寿企業の知恵〜』に出演させていただきました。

この番組は、創業100年を超える老舗企業の経営者をゲストに招き、長寿企業の経営者が持つ知恵や理念、思いを語る、というものですが、思いがけず好評で嬉しく思っています。

こちらのURLで今でも視聴可能ですなのですが、全長50分と少々長いし、そもそも動画は音が出せる環境でないとダメなので、文字情報が欲しいというご要望をいただきました。以下に公開してまいります。

(長いので15日に分けてUPしています。今日は、その13日目です)

田「同業を含めて、浅草には特に長寿企業が多いと思うが、その理由は?」

住吉「そのご質問にお答えするには、浅草の原点に立ち戻らないといけません。17世紀の話しになりますが、この頃浅草は食べ物商売をもとにして成立して、その後も食べ物が中心の街であり続けました。最初の商いは「水茶屋」です。貞享2年(1685年)に「仲見世」の前身である商店が設けられた、浅草寺が近隣住民に境内の清掃を役務として課す見返りに、参道での営業を許可した、という記録があるそうですが、その商売が「水茶屋」つまり参詣人に茶や団子を売る商いでした。それが、浅草の「そもそも」です。

『浅草は何故・・・』の江戸前鮨の内田さんとの対談の時に強く感じたのですが、食べ物というものは、人間の生理にダイレクトにつながっていて、太古以来の悠久の歴史を持っています。だから、その歴史に想いを致しながら仕事をしていくと、その店は老舗化し易いと言えるかもしれません。食べ物の歴史に想いを致し続けますと、まず最初にその店は一流の店となり、その想いが二代目・三代目へと伝わって行き、さらにはお客さんへも伝わって行くと、ついにその店は老舗となるのだと思います。そういうことが起こり易いのが、食べ物商売だと私は思っています。舩大工さんのおでんが売れ続けたのは、煮物という仕事に真っ直ぐだったからであり、熊沢さんのお店が六区ドン底の時代にもお客様を引きつけたのは、なつかしい洋食を作り続けたからだと思います。被災したり、業界のピンチを経験したりした時に、その場凌ぎをせず、逆にピンチを契機に料理の本質に向かって行った人が結局老舗化しているということを、是非この本で読者の皆様にお伝えしたいと思いました。ご本人は「親父から習っただけ」とか「料理なんだから旨いのは当たり前」とか言っておいでの場合が多いですが、起きていたことは、実はそれでした。」

 

<書籍の画像=『すき焼き思い出ストーリーの本』>

朝岡「これはどのよう本ですか?」

住吉「ここに掲載されている物語は全て一般の皆様から投稿していただいたものです。思い起こすと『すき焼き』は文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきたものであり、料理は他にいくつもある中で、人々の思い出と一番つながっている料理は『すき焼き』だと私は思っています。しかし残念ながら、これまで「思い出を纏めて保存したもの」がなかったように思います。そこで私は、これを本にしよう!考えました。創業130年で集め始め、135年で本にしました。今後この本を、店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただこうと考えています。」

石田「社長が特に印象的だったエピソードは?」

<この続きは、明日のこのブログで>

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.807日連続更新を達成しました。 すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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