「昭和の日」に

昨日は「昭和の日」でしたね。

では昭和をイメージする食べ物と言えば、何ですか?

それは、すき焼き という方が多いようです。

当事者のこちらは、すき焼き=明治時代と思っていますが、世間的には、すき焼き=昭和時代という方が多数かもしれないですね。

最近の、昭和リバイバル・ブームに火を点けた映画『ALWAYS三丁目の夕日』(2005年)の続編『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(2007年)が、そうでしたね。

この映画の時代設定は、東京タワー建設中の昭和33年。

皆さん、ご存知とは思いますが、当時の下町に生きた人々が常に前を向いて生きていたことを想い出させてくれる映画で、日本アカデミー賞で監督賞・作品賞をはじめとする賞を総ナメにしました。

その続編では、主役の鈴木則文の親戚の鈴木大作が事業に失敗して⇒東京を離れダムで働くことになったため、一人娘の美加を則文の家に預かってもらう、という所からストーリーが始まります。

則文は社長とはいっても零細企業の社長だから、貧乏人です。それに対して大作は失敗したものの大きな事業をやっていたらしく、娘の美加はお姫様風でわがままそうです。

で、則文が精一杯張りこんで、美加の為に用意した「すき焼き」に対して文句を言ってしまいます。

「すき焼きは牛肉でしょ。これは豚肉。これはすき焼きじゃないわ!」

「おまえ、人んちに世話になっといて、何言ってるんだよ。おまえのお父ちゃんが事業に失敗したからいけないだろ」美加は泣き出して2階の部屋へこもってしまった・・・というわけです。

事業に失敗しても、ダム工事の肉体労働でなんとかなる、という辺りが昭和です。

そう言えば、一昨年『関口宏の昭和青春グラフイテイ』というBS―TBSの番組に、弊店がお採り上げいただいた時のテーマも「昭和の子どもの贅沢」でした。

分析してみますと、

明治のすき焼き=書生の食べ物、文明開化を実践するために、多少無理して新奇な食べ物を食べる

昭和のすき焼き=家族の食べ物、高度成長で裕福に成った、ご褒美として食べる

という感覚でしょうか。

すき焼き用に霜降り肉を作る試みが、ちょうど戦後・昭和30年代辺りから上手く行き出しましたので、それが高度成長のタイミングと合致したのだと思われます。

さて、皆さんは「昭和の日」に何を食べましたか。

 追伸①

雑誌『東京ウォーカー』2013年第8号の、新連載コラム「スギちゃんの愛される理由」の初回に、私が登場させていただきました。「長く愛されたいスギちゃんが、東京の老舗を訪れて愛される秘訣を探ります!」というコーナーです。是非ご購読を。

http://www.kadokawa.co.jp/mag/tw/

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は348人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.153日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 
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ブログ断絶

元「モーニング娘。」矢口真里さんのブログ『初心者です。』が断絶したそうです。

矢口さんは、2008年11月以来毎日欠かさず、ブログを更新してきたそうで、2010年3月1日から始めた私から見て、かなり先輩です。

そのブログの更新が4月22日に止まったのです。

そうするとコメント欄には、ファンから「やぐっちゃん大丈夫?」「何かあったの?」との声が寄せられたとか。

「1日ブログを休んだだけで、何か言われるの?」と思われる方もおいででしょう。しかし熱心なファンは毎日ブログを更新されるのを知っていて、彼女の身を本気で心配していたようです。

この事態を受け、翌4月23日付で「これからは毎日更新しません」と宣言がありました。

その理由も書かれていて、

「ブログを毎日あげることに、ちょいと疲れちゃった」

「これからは、自分のタイミングで更新しようかなと思っております」

「ブログは楽しくあげないと意味が無いですもんね」

更新が苦痛になっていたようですが、ファンは納得したようで、

「無理しないで良いよ」

「マイペースでよろしくね」と温かいコメントの数々が届いている模様です。

さて、弊ブログですが、今のところ苦痛はありません。

即日更新に拘ると辛いかと思いますが、私は書ける時に書き貯めて予約投稿していますので、そんなにキツくはないんです。

苦痛というよりは、言いたいことが言える、という楽しさが勝るので、今後も平気で更新していけると思っています。

言いたいことが言える場があると、飲み会でクダを巻かなくて済むんですよ。

え? この前飲んだ時、スゴいうるさかったぞ って?

ス、スミマセン。

それは飲み過ぎです、単なる。

 追伸①

雑誌『東京ウォーカー』2013年第8号の、新連載コラム「スギちゃんの愛される理由」の初回に、私が登場させていただきました。「長く愛されたいスギちゃんが、東京の老舗を訪れて愛される秘訣を探ります!」というコーナーです。是非ご購読を。

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皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.152日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 
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JPタワー

肉に詳しい方なら、「松阪牛」というブランド名が使われだしたのが戦後のことであるとご存知かもしれません。

それ以前=戦前には、松阪を中心とする三重県で肥育された牛は皆「伊勢牛(いせうし)」と呼ばれていました。

この内、松阪の牛が1935年(昭和10年)に東京で行なわれた『全国肉用牛畜産博覧会』で名誉賞を受賞したことから全国的に知られるようにり、やがて独立・ブランド化の方向へ進みますが、おり悪しく日本は戦争に入ってしまい、松阪が独自のコンクール=第一回「松阪肉牛共進会」を開催し始めたのは、戦後の1949年(昭和24年)のことでした。

さらに「松阪肉牛協会」が設立されたのは、1958年(昭和33年)のことです。この協会は、松阪の出荷業者と、東京の「販売指定店」(=一流の肉店や問屋のこと)で構成されており、「ちんや」も参加しています。この体制で今日に至っています。

さて、ここまで松阪牛の説明をした後でナンですが、今日の話しは松阪牛の話しではありません。

「松阪牛」が独立した後の、「伊勢牛」の話しです。

「松阪牛」が日本の高級肉のトップブランドとして成功した後は、「伊勢牛」という言い方は、影に隠れてしまった感がありますが、無くなったわけではありません。

伊勢市のすき焼き店「豚捨」さんは、今でも「伊勢牛」の看板を掲げて奮闘しておいでです。

「豚捨」の当代の御主人は私と同年。「すきや連」で良く御一緒します。

で、その「豚捨」さんがこの春、東京進出を果たしました。場所は丸の内JPタワーの中です。JPとはJapan Postのことで、旧東京中央郵便局跡地の再開発ビルの中です。

そう、アソウ内閣の頃ハトヤマ・クニオ大臣が、

こんな貴重な歴史的建物を壊すのか!

と怒っておいでだった、あの建物が結局壊されて、超現代的ビルに成りました。

そういうビルで食事するのは、だいだい私は基本的に嫌いですが、その現代的ビルの中にあって、「豚捨」JPタワー店は、意外に落ち着ける空間でした。神棚も伊勢から持ってきてあります。

「あのビルの中では・・・」という感覚は、向笠千恵子先生と「すきや連」の用談でメールをしていた時に、この新店の話しになり、意見が同じで嬉しくなりました。

江戸東京の原住民はハッキリ申して、ああいうビルを好みません。しかし、ビル全体はそうでも、「豚捨」さんの御店は居心地悪くありません。内装が工夫されていますし、御主人のお嬢さんが作務衣を着て、行列成す客をさばいておいででした。

肉は、勿論結構。なんせ元々は「松阪牛」ですから。

開業一か月で、まだまだ混んでいますが、人出が落ち着いて来たら、皆さんも、お出かけ下さい。

 追伸①

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木村荘八展

東京駅の「東京ステーション・ギャラリー」が改修工事を終えて、展示を再開しました。

その再開記念展は、

『生誕120年 木村荘八展』です。私も拝見して来ました。

「ステーションギャラリー」は以前から明治の開化絵展を開催するなど、近代日本の渋い美術に力を入れて来ましたが、再開記念展が木村荘八とは、あまりの渋さに、うーん、と唸ってしまいました。

荘八のことや、その生家の牛鍋店「いろは」のことを記憶している方は、今やかなり少数と思います。永井荷風の『墨東奇譚』の挿し絵画家と言えば、ああ、と思い出すかもしれませんが、正直、さほど有名ではありませんね。そこを突いたわけで痛快なことです。

そして、さらにこの展覧会の代表作品が、なんと『牛肉店帳場』(昭和7年=1932年作)なのです。チラシにも掲載されていて、驚きます。

さて、木村荘八(きむら・しょうはち)のことをあらためてご紹介しますが、洋画家・荘八は明治26年(=1893年)に東京・両国広小路の牛鍋店「いろは牛肉店」第八支店に生まれました。

荘八の父・荘平は、当時日本最大の牛鍋チェーン店「いろは」を経営し、「いろは大王」と言われた人物でした。

多数の愛人・妾がいて、東京市内20箇所にのぼる支店に、その愛人をそれぞれ配置して経営にあたらせたことが有名です。画家になった荘八は、その妾腹の第八子なのです。

荘八は、やがて浅草に在った第十支店の帳場をまかされますが、画業の夢を断ちがたく、帳場をしながら、絵も学んでいました。

やがて画家に成る夢を叶えますが、今回展示されている『牛肉店帳場』という作品は、その荘八の、若き日への追憶の結晶です。

「いろは」チェーンは、荘平の死後すぐに傾いてしまいました。しかし、この絵の中で今も活き活きと、戦前の猥雑さを漂わせながら営業しています。

皆さんも是非ご覧ください。

浅草を描いた作品も何点もあります。また戦後の『東京繁昌記』も見ごたえがあります。

展示は、5月19日(日)までです。

追伸①

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文句の多い客

外食に出掛けて憂鬱な気分になることがあります。いや憂鬱な気分になることが結構、多いです。

そうなってしまう原因は「文句の多い客」です。結構な確率で隣りあわせてしまいます。先日も、ある新しい店に行きましたら、来てしまいました、隣りに、そういう客が。

その年配の夫婦は半ば強引にうちの隣りに来ました。その時点で、別にもう一席綺麗にセット出来た席が実はあって、店側はそこへ誘導しようとしたのですが、その席は窓際でなかったためお気に召さなかったらしく、こちらへ来たのです。

ところが空いていると見えたその席は、空いてはいたものの、雑巾がけが未だで汚いままでした。

こういう事態を避けるため、ちんやでは食器類を全部下げません。わざとおしぼり一本とかを残しておき、誰が見ても、その席の用意が出来ていないことが分かるようにします。そうするのが飲食店の工夫なのですが、今回残念なことに、その若い店の若いスタッフにはそういうことが出来ておらず、汚いままの席に座られてしまう、という事態になってしまいました。

こうして、その老夫婦の「文句スイッチ」が入ってしまいました。

汚いじゃないの!

イヤねえ!

早く綺麗にしてちょうだい!

(あ~あ、そんなにキツく言わなくても良いのに。混んでるんだから。)

と、そこで収まれば一瞬の事件です。しかし、その夫婦、どうやら「文句スイッチ」がオンになると簡単に戻らないらしく、これまで経験した、お粗末な店の回想話し(=要するに、過去を振り返っての文句の垂れ流し)を展開し始めました。

隣りに居る者の身になって貰いたいですね。

だいたい、こういう年配の方は伊達に人生経験がおありなので、今時の若者が歯がゆくて仕方ないようです。

その若者を育てたのは、どの世代なの?と尋ねたいですが、まあ、やめておきましょう。今からでも、若者の教育に身を捧げてくれれば有り難いのですが、そういう気がおありなら、ああいう言い方になるはずがなく、議論をふっかけても無駄でしょう。

さて、文句話しが一巡した頃、料理が運ばれてきました。

そして第二の「文句スイッチ」が、ここで点火されました。

器が熱かったのです。

アチッ!熱いじゃないか!

熱いのに熱いと言ってくれないなんて、不親切だぞ!

あのですねえ、ここはアツアツの料理が名物の店なんですけど、最初から。湯気が出ているのを見れば、器も熱そうだって普通思いませんかね。イキナリ触る方が、どうかと思いますよ・・・

とは申しません。無駄だからです。

ウチ夫婦は、料理を味わうのもそこそこに店を後にしました。

たぶん翌日から、その店では、

「器が熱いのでお気をつけ下さい!!」

と連呼するようになりましょう。

でも、そういうのって楽しくないんですよね。

本当にお客様に喜んでいただきたくて言っている言葉と、文句を言われることを回避する目的だけで言っている台詞って、違うんですよね、声の色合いが。

私なんぞ、そういう言葉は向けられたくないタイプですが、今後「文句の多い客」は増えそうですから、そういう対策台詞も増えることでしょうね。

私は定休日の火曜の昼に外食するので、どうしても熟年世代の「文句の多い客」に遭遇します。

楽しくないんですよね。

これは、国家的課題だと思いますよ。

人生の先輩の皆さんに、もっと生産的に社会と関わっていただくように、アベさん、憲法論議も良いけれど、そっちも考えて下さい。

 追伸①

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連休の過ごし方

もうすぐゴールデンウィークですね。観光浅草としては期待する時期です。

今年は、4/30-5/2を休んでしまえば10連休ですが、皆さんの過ごし方の傾向はどのようになっているのでしょうか。

クロトン緩和で円安傾向ですから、海外に行くのは損ですね。観光浅草としては期待が高まるところです。

例えば訪韓する日本人観光客数は12年10月以降毎月、前年同月比で30%以上減少しているそうで、今回の円高はそこへ薄謝をかけましょうイヤ拍車をかけましょう。この方々が国内旅行に向かえば、浅草としては有り難いです・・・

と期待しながら、ある調査結果を見ましたら、今年の連休傾向のキーワードは、

イエジュウ

だそうです。

20代、30代の男女500人を対象に、「ゴールデンウィークの過ごし方調査」を実施したところ、その結果、自宅でのんびりと充実した時間を過ごす人が多いことが分かったそうです。

「家充」で「イエジュウ」なのだとか。

詳しく見ますと、

「家での過ごし方としては、「インターネット・ゲーム」(84.4%)と「テレビ・DVD」(78.6%)が上位で、それぞれの平均時間はテレビが3時間4分、インターネットが3時間6分。」

「65.4%が休日を「のんびりくつろぐ時間」と捉えており、84%が「家にいる時間が好き」と回答している。」

また「家にいる時間の満足度は100点満点で平均69.9点となり、60.4%は「家の中が充実している」と回答。家にいることを好み、家で過ごす環境を充実させている、“イエ充”と呼べる人が増加しているものと思われる。」

うーん、不活発と言わずに「イエ充」と言い換えるところがミソですね。

でも、言い換えは言い換えですよね。

昔の人は言ってましたけどね、

千クリックは一見に如かず。

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ロボットレストラン

毎週土曜・日曜になると浅草へ巨大な宣伝車が回って来ます。

大型トラックの車体にケバい色彩の絵が描かれていて、けたたましい音楽を流しながら何度も回って来ます。

で、その車が宣伝しているのは「ロボットレストラン」。

何でも「巨大なロボットが歩き回るレストラン」だそうで、その証拠に、高さが3-4メートルはあろうかというロボットのハリボテを二台従えています。

開業までに要した経費が「100億円」と書かれていて、非常に目立ちますので通行人はたいてい振り返ります。異様と申しても過言ではないと思います。

毎週しつこくやって来るので、ネットで検索してみたところ、その店はロボットレストランというよりショーパブのようでした。

多数のダンサーが在籍していてショーが見られるようです。どうやらロボットは話題づくりでショーがメインと見えます。

驚きますのはサイトのリクルート・ページに載っている、ダンサーの待遇です。

時給は、なんと「3.000円以上」で、さらに!毎日午後1時から行われている、ダンスレッスンに参加するだけで時給1.000円が出る、というのです。

じぇじぇじぇじぇ、じぇー

だからダンサーは「ダンス以外のことは考えなくて良い」と言いますから大変なことです。

ここまで待遇が良くて、しかも女性ダンサーの衣装はかなり際どいですから、ひょっとして何か他に別の仕事があるのでは?と想像を逞しくしてしまいますが、そこは御丁寧に否定されています。

「皆様にして頂くのはダンスです。それ以外はございません。もちろん脱いだり、とうぜん接客業務はありません。」と書かれています。

うーん、私は気にはなりますが、怖くて行けませんので、どなたかトライして⇒報告お願いします。場所は新宿歌舞伎町です。

なお、独自の入場制限がありまして、

「サングラスをおかけになってのショー観覧」

「泥酔されている方」

「暴力団風の方、入れ墨(タトゥー) が見えている方」

「奇抜な服装の方(コスプレ・大きめのカツラなど)」

「ホスト又はホスト風の方ならびに黒服(水商売又は水商売風)の方」

じぇじぇじぇじぇ、じぇー

やはり私は怖くて行けません。

追伸①

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母の日

バレンタイン・デーには猪口を贈る、いやチョコを贈る、そして「母の日」にはカーネーションを贈る、と決まっていますね。

数ある「〇〇の日」の中には、特定の品物と結びついているものと、「父の日」のように結びついていないものがありますが、結びついている方が、どうも盛り上がってるように見えてしまうのは、やはり関係業界が告知に熱心だからでしょうか。

日本で行われている5月第2日曜日の「母の日」は、アメリカのアンナ・ジャービスの「母の日」を輸入したものですが、良く調べますと、最初は単純に母を想うだけの日ではなかったようですね。

アンナの母アン・ジャービスは、教会の日曜学校の教師で、南北戦争中には負傷兵の衛生状態を改善するために、地域の女性を集めて活動していました。

アンの死後に娘のアンナが、母が勤めていた教会で、母を偲ぶ記念会を開催したのが、アメリカの「母の日」の起源だそうです。アンは記念会の参加者に、母が生前好きだった白いカーネーションを贈ったそうで、これがカーネーションの、そもそもです。

ですので初期の「母の日」は、単なる家族内のお歳暮のようなものとは、かなり性格の違うもので、また贈る品物についてもカーネーションと決めてしまうより、母の好きなモノ、という所がポイントのように思えます。しかしながら、

何でも良いから、お母さんの好きなモノを贈ろう!

と言うのでは、やはり「〇〇の日」としては盛り上がりませんね。

記念日として普及して行く間には、品物に焦点が当たって行く感じになりましょう、どうしても。

さて、では「ちんや」はこの日はどうするの?ってことですが、

まあ、やりますよ、「肉屋の母の日」を。

古株の肉の職人は、肉を花びらに見立てて上手に盛って⇒「花」を造り上げる「花盛り」というのを出来るのですが、それを予約販売することにします。

でも、さっき書きました通り、元々肉がお好きでなかったお母様には無理にとは申しません。

この機会に「花盛り」という職人芸を認知していただき、何かの機会に注文していただければ、と思っています。

ゴージャス感がかなりありますので、むしろ景気良く盛り上げたい時に良いのかもしれません。

華がある人のお誕生日に・・・なんて、歯が浮きますかね。

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東大野球部の、勝利のすき焼き

東大野球部が「すき焼きで連敗阻止」を狙っているそうです。

東大野球部は、元巨人の桑田真澄さんや元中日の谷沢健一さんを特別コーチに招くなど強化を図っていますが、目下、東京六大学リーグで引き続き連敗中。

そんな中、なんとか浮上のキッカケを掴もうと、4月10日夜、野球部の「一誠寮」で「勝利のすき焼きパーティー」を開催した、と報道されていました。

なんでも、

「実は、寮ですき焼きパーティーが開催されるのは20年ぶり。かつてはOBや企業からの寄付金がタンマリ入り、試合前夜には必ず豪勢な“肉会”が開かれ、士気を高めていた。」

へええ、そうだったんですね!

「しかし、バブル崩壊で寄付が激減し、伝統の行事も1993年を最後に中止。この影響からか、成績も低迷した。」

いやはや「この影響から低迷した」とは深刻なことです。

で、

「チームワーストタイの70連敗も見えてくる今、浜田監督の選手時代のチームメートたちが立ち上がった。大企業の役員や中小企業の社長となったOBを訪問するなど、資金集めに奔走。」

「アベノミクス効果もあってか、瞬く間に40万円が集まり、先月、野球部に寄付した。春秋のリーグ戦の試合の前に毎回、すき焼きが振る舞われるという。」

1989年卒の江口夏郎氏によると、

「僕らのころは寮に牛肉があるのが普通でした。OBの方々にお世話になった分、後輩に恩返しをしたい。すき焼きで絆を深め、チーム力が上がれば幸いです」

「研究などで忙しく、練習で全員がそろわないことも珍しくはありません。だからこうした、全員が集まっての肉会は非常に有効。左右の柱となる投手も成長しているし、今年は違った姿を見せられると思います」

うーん、それにしても、すき焼きをするのに「資金集め」をして、それが40万円とは、スゴいです。流石、天下の最高学府。

その最高学府の学生さんが、「すき焼きで絆を深める」とは、是非応援したいところですが、結果は・・・

4/21の早東戦で早稲田の高梨雄平投手に「完全試合」をやられてしまいました。「完全試合」達成は六大学リーグ史上3人目の快挙だそうです。

困るなあ、それは。

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サンキュー弁当

私が通っている美容院は、とあるデパートの中に在るのですが、そのデパートが先日テレビに出ていました。

アベノミックスで宝飾品が絶好調、しかし同じデパートの中の、

食料品は横ばい、

洋服はむしろマイナス基調、

ということで、なんだか富裕層だけがウハウハ言っているのではないか、という筋書きのニュースでした。

先日カットに行きますと美容士さんも、そのニュースを見ていたらしく、

私たちはゼンゼン御利益ないですよ。それより増税されたり、円安で物価が上がったりと庶民は逆に苦しくなると思いますよ!

と御機嫌斜めです。

聞けば、弁当屋さんに知り合いが居るらしいのですが、その弁当屋さんが苦しいのだそうです。

海外から安い食材を仕入れることで、低価格弁当を売っていたのに、クロトン緩和で輸入物価=仕入れ値が上がり、さりとて売価を上げて売れる見込みもなく、頭をかかえているのだそうです。

たしかに、このところ弁当業界はデフレの最前線でした。

最初は「ワンコイン(=500円)」弁当で驚きましたが、今や「サンキュー(=390円)」弁当が当たり前と、ひどいデフレです。

そこまで安売り屋のイメージが定着してしまいますと、今後値上げして付加価値を付けて売ろうとしても、なかなか容易ではないでしょう。現実に雇用の「調整」が起きる可能性がありましょう。

この先は、アベノミックスの副作用が前面に現れる局面もあろうかと私も予想しています。

株業界、不動産業界、それから銀座の夜の業界は好調に見えますが、お金を早く他へまわしてくれないと困ります。

とりあえず、儲けた人は食べましょう、すき焼きを。 あ、弁当も。

 追伸①

雑誌『東京ウォーカー』2013年第8号の、新連載コラム「スギちゃんの愛される理由」の初回に、私が登場させていただきました。「長く愛されたいスギちゃんが、東京の老舗を訪れて愛される秘訣を探ります!」というコーナーです。是非ご購読を。

http://www.kadokawa.co.jp/mag/tw/

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は345人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.144日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 
Filed under: ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)