JPタワー

肉に詳しい方なら、「松阪牛」というブランド名が使われだしたのが戦後のことであるとご存知かもしれません。

それ以前=戦前には、松阪を中心とする三重県で肥育された牛は皆「伊勢牛(いせうし)」と呼ばれていました。

この内、松阪の牛が1935年(昭和10年)に東京で行なわれた『全国肉用牛畜産博覧会』で名誉賞を受賞したことから全国的に知られるようにり、やがて独立・ブランド化の方向へ進みますが、おり悪しく日本は戦争に入ってしまい、松阪が独自のコンクール=第一回「松阪肉牛共進会」を開催し始めたのは、戦後の1949年(昭和24年)のことでした。

さらに「松阪肉牛協会」が設立されたのは、1958年(昭和33年)のことです。この協会は、松阪の出荷業者と、東京の「販売指定店」(=一流の肉店や問屋のこと)で構成されており、「ちんや」も参加しています。この体制で今日に至っています。

さて、ここまで松阪牛の説明をした後でナンですが、今日の話しは松阪牛の話しではありません。

「松阪牛」が独立した後の、「伊勢牛」の話しです。

「松阪牛」が日本の高級肉のトップブランドとして成功した後は、「伊勢牛」という言い方は、影に隠れてしまった感がありますが、無くなったわけではありません。

伊勢市のすき焼き店「豚捨」さんは、今でも「伊勢牛」の看板を掲げて奮闘しておいでです。

「豚捨」の当代の御主人は私と同年。「すきや連」で良く御一緒します。

で、その「豚捨」さんがこの春、東京進出を果たしました。場所は丸の内JPタワーの中です。JPとはJapan Postのことで、旧東京中央郵便局跡地の再開発ビルの中です。

そう、アソウ内閣の頃ハトヤマ・クニオ大臣が、

こんな貴重な歴史的建物を壊すのか!

と怒っておいでだった、あの建物が結局壊されて、超現代的ビルに成りました。

そういうビルで食事するのは、だいだい私は基本的に嫌いですが、その現代的ビルの中にあって、「豚捨」JPタワー店は、意外に落ち着ける空間でした。神棚も伊勢から持ってきてあります。

「あのビルの中では・・・」という感覚は、向笠千恵子先生と「すきや連」の用談でメールをしていた時に、この新店の話しになり、意見が同じで嬉しくなりました。

江戸東京の原住民はハッキリ申して、ああいうビルを好みません。しかし、ビル全体はそうでも、「豚捨」さんの御店は居心地悪くありません。内装が工夫されていますし、御主人のお嬢さんが作務衣を着て、行列成す客をさばいておいででした。

肉は、勿論結構。なんせ元々は「松阪牛」ですから。

開業一か月で、まだまだ混んでいますが、人出が落ち着いて来たら、皆さんも、お出かけ下さい。

 追伸①

雑誌『東京ウォーカー』2013年第8号の、新連載コラム「スギちゃんの愛される理由」の初回に、私が登場させていただきました。「長く愛されたいスギちゃんが、東京の老舗を訪れて愛される秘訣を探ります!」というコーナーです。是非ご購読を。

http://www.kadokawa.co.jp/mag/tw/

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は348人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.151日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。