「おもてなし」の「お」

おもてなし!と唱えれば泣く子も黙る御時勢です。

地頭よりクリステルさんの方が偉いとは、私も今回知りました。

ところで、ですが、「おもてなし」の「お」って何ですか?

「おもてなし」という言葉は、人様にしていただいた「もてなし」に「お」を付けて敬語化したものですね。

使い方としては、

本日は懇切丁寧なる「おもてなし」をいただきまして、誠にありがとうございました・・・

・・・という感じです。

一方、自分が行う接遇行為(=「もてなし」)に「お」を付けて「おもてなし」にするのはヘンなんじゃないか、私はそう感じるんですよね。

おもてなし致します!

とか宣言しちゃうのは尚更ヘンです。

しかし、そこは、まあ、言語は遷ろうものです。今では丁寧な接遇行為なら、なんでもかんでも「おもてなし」と言うようになりました。

なんだかなあ。

日本語が退化したような気がするのは、私が昭和の住人だからでしょうか。

 

追伸、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、約60本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.041日連続更新を達成しました。

Filed under: ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

やさしかった仲居さん 亡き父はスキヤキ奉行

すき焼き思い出ストーリー投稿サイトに新着1本をupしました。

題して「やさしかった仲居さん 亡き父はスキヤキ奉行」

どうぞお読み下さい。

<以下投稿です>

65歳で亡くなった父は子ぼんのうで口数は少なかったが、やさしい父だった。この話しは今から85年も前の話しで亡き両親の楽しかった想い出です。私は7人兄妹の5番目で、この話しの中ではまだ生まれていない。この経験をしたのは一番上の姉と3人の兄達です。

住まいは、今は港区ですが当時は麻布区と言ったそうで芝区と合併して港区となったそうです。網代町と言い、現二の橋に近い所だった。

一年に何回か父は母と子供4人を連れ浅草迄すきやきを食べに行ったそうです。

都電に乗り浅草寺にお参りをし、すきやきを食べる、楽しい時間だったのでしょう。

食事中は下の子供はいつも仲居さんが抱いて下さり、母もおいしく食事をしたと嬉しそうに話していました。良い仲居さんだったよと聞いています。

その母も亡くなり26年たちました。

私達はそのなつかしい想い出だけですが、足を運び浅草へ出かけて食事が出来る、そんな幸せを感じ、たのしくなります。

そして父の想い出は、私達子供の頃は夕食がすきやきの時は父が奉行になり、おいしいナベを作ってくれました。

どんなに時がたっても、親切にされたことは人は忘れないものです。

文章を書くことがなく、とりとめもないことになっていますが、やさしい仲居さんの話しと両親のことになってしまいました。

貴店の益々のご発展をお祈りいたします。

ちなみに私の兄は「俺はいつもだっこだったよ」と言っておりました。

 

追伸、

このように、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、約60本のストーリーはこちらです。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.040日連続更新を達成しました。

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

親子五代

ちんやさん、創業135周年おめでとうございます。この記念すべき年の某月某日、私達家族は、ちんやさんに集合しました。

娘が発案し、私達を招待してくれたのです。まず次男の誕生日祝、主人のための「父の日」感謝祝、娘の誕生日前夜祭、私の誕生日祝、そして私達夫婦の結婚31周年祝。何と一石五鳥?!

それをお伝えした処、サプライズでお赤飯を出して戴き、そのお心遣いに感激致しました。御馳走様でした。

これを遡る31年前、私達の結納の儀を執り行わせて戴きました。昨日のことのように思い出されます。お陰様で三人の子供達に恵まれ、皆まじめな社会人に育ってくれました。有難いことです。

更に遡る事今から70数年前、母達四姉妹は、当時のグルメであった?らしい祖母と曾祖母に連れられて、ちんやさんに時折おじゃましていたそうです。

二人がすき焼きに舌鼓を打っている側で、まだ幼かった母達は、畳の上をぐるぐる追いかけっこ。二人から行儀が良くないと大目玉をもらったそうです。

移動手段は人力車。上野駅までは電車で、そして浅草のちんやさんまでは人力車に乗っていたそうです。そんな思い出を母は聞かせてくれます。・・・ちなみに、現代の観光人力車ではなく、当時の交通機関の一つでありました人力車で。

祖母は明治35年生まれ。時代の流れはともかく、少なくとも当家の中は平和だった良い時代を、ちんやさんと共に曾祖母、祖母、母達はすごしていたようです。幸せな母娘像が目に浮かびます。

135周年の歴史の中のほんのひとコマ。親子五代にわたっての、ちんやさんとわが家の、ささやかで不思議なご縁の思い出エピソードです。

最後になりましたが、ちんやさんのますますのご繁栄をお祈り申し上げます。

追伸、

このように、すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、約60本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.039日連続更新を達成しました。

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 6:33 PM  Comments (0)

親父のスキヤキ

すき焼き思い出ストーリー投稿サイトに新着1本をupしました。

題して「親父のスキヤキ」

どうぞお読み下さい。

<以下投稿です>

ボクにとってのスキヤキは赤い顔をした親父とワンセットの思い出になります。

多感な時期であった昭和30年代、スキヤキはハレの日の御馳走でした。僕が生まれ育った山形では何故か肉と言えば豚肉ではなく牛肉だったのです。後でわかったのですが、関東以北はほとんど豚肉だったようです。

やっぱりスキヤキは特別なものでした。特に正月元旦の夜は上等な牛肉が用意され、親父は焼き始める頃既に酒を飲んでおりました。

そしてご機嫌な赤い顔で酒の勢いを借りて、いつも鍋奉行を引き受けていました。この時ばかりは自分が飲んでいる上等な酒を惜し気もなく鍋に入れておりました。兄と僕は脇目もふらずにひたすら肉を喰っていたものです。

親父になり、孫を持つ身になった今僕の家ではやはり同じようにハレの日はスキヤキになっているのです。

そしてやはり親父の血を継いでスキヤキの時は手が動き鍋奉行をしているのです。本当におかしなものです。

スキヤキの時は以前の親父と同じように日本酒を飲みながら、手が動いてしまうのです。

そんな訳で、スキヤキの時はいつも嬉しげに赤い顔をして酔っぱらっている親父が目に浮かぶのです。

追伸、

このように、すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、約60本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.038日連続更新を達成しました。

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

婚約時代からの「ちんや」さんを想って

すき焼き思い出ストーリー投稿サイトに新着1本をupしました。

題して「婚約時代からの「ちんや」さんを想って」

どうぞお読み下さい。

<以下投稿です>

私の家内は埼玉県越谷市の出身で、酒類卸業を営んでおり、浅草へ来ることも多く、家内も父に同行することもあり、「ちんや」さんと「どぜう屋」さんによく来たことがあったそうです。

私は戦後まもなく父を亡くし、とても「ちんや」さんに行くような事は夢でした。幸いにも家内と知り合い、初回のデートは「ちんや」さんでした。

まもなく婚約し、思い出はいつでも「ちんや」さんです。あの時の味は忘れる事はないと、味と共に心の中に残る、一つです。

本格的なすき焼きは、友人と行った横浜の、名は忘れてしまいましたが、この二つが、いつまでも思い出される本来のすきやきの味だったと考えています。つまり二つしか知らないという事になってしまいます。

結婚後は子供三人、年寄り一人の六人でしたが、家内が若い頃学んだ料理教室の技術を活かし、「ちんや」さんに近い味を出せるようになりました。

停年後は「ちんや」さんの店頭売りの材料を買わせていただき、すき焼き用、ビーフシチュー用、この味は格別だんとつのものです。勿論ハンバーグも最高、何をとっても逸品だなと味あわせていただいています。

本日は強い雨でしたが、家の者の要望と、また私達の期待を埋めてくれるものと、帰宅するのを待っている次第です。

ベストちんや・ワンダフルちんやと一生楽しませて下さると感謝する次第です。

今後共貴店が益々ご繁栄下さることを願って、乱筆乱文乍ら、先ずは御礼迄。従業員の皆々様にも宜敷く。

追伸、

このように、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、約60本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.037日連続更新を達成しました。

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

ニッポンの出番

テレビ番組「所さんのニッポンの出番」で和牛のことを採り上げていました。

いや、正確に申しますと、Wagyuのことを採り上げていました。

この番組は、

「世界各国から見た日本の「誇り」や「底力」を様々な角度から検証し、日本人が気付かないこと、日本人が忘れてしまっていることを、歴史をひも解きながら、また外国人有識者の意見などから再認識していく」というもの。

震災以降、五輪誘致決定以降流行っている、日本礼賛モノの一種と申せましょう。要するにガイジンさん達がWagyuに夢中だ!という趣旨の内容でした。

和牛についての説明は、まあ、おおよそ結構なものでした。日頃ブラウン管の中では、肉について実にイイカゲンな情報が流されていますが、今回1時間を丸ごとWagyuに当てて割合と丁寧に説明していました。

家畜改良技術研究所「牛肉のおいしさ総合評価指標開発事業」推進検討委員会でご一緒する松石昌典先生が出て「和牛香」の説明もなさっていましたし、

高齢者が「健康長寿」を目指すなら脂を摂った方が良いという熊谷修先生も登場しました。おおよそ結構な内容でした。

しかしですよ、ガイジンさんを絡めて、それでようやっと和牛の良さが伝わるというのは、なんだかなあ、です。

日本の高齢者は相変わらず、和牛は年寄りにはモタレて食べられない、食べたくないと決めつけています。海外から評価されて初めて良さに気づくという展開は、そろそろ止められないものか、とつくづく思います。

普通に日本人同士で日本のものを評価できないものか、とやるせなくなりますね。

よし、この際、ウチも売り場にデカデカと

Wagyu!

と大書して貼りだしてやろうかな。ひひひひ。

追伸、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、約60本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.036日連続更新を達成しました。

Filed under: すき焼きフル・トーク,ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

黄瀬戸鉢

店の玄関の、飾り棚の作品を取り替えました。

今回は、陶芸家の岸本謙仁先生の黄瀬戸鉢です。

直径が30cmほどある大鉢で、存在感たっぷりな鉢です。文様の草花文も雄渾で私の好きな作品の一つです。

これまでこの飾り棚には萩焼の掛け花入れが、前後逆に展示してありました。掛け金具が手前を向いていたのです。

実は、この飾り棚に何を飾るかは生前の母の担当で、たまに作品を入れ替えていたのですが、その母が最後に展示した時前後逆に展示したのでした。

飾り棚の全面には硝子がはってあるので、展示作業は壁の裏側にまわり、作品を自分とは逆の方に向けて展示しないといけないのですが、その際に誤って自分の方に正面を向けて置いてしまったのです。で、お客様から見ると、作品の背面の掛け金具が手前を向いていたのです。

母のパーキンソン病がそのようにさせました。

当然私は、この展示に気づいた時

!!!

と思いましたが、よくよく考えて、これも母の記憶の一つだとそのままにしました、四十九日が終わるまで。

今は通常に戻りましたので、ご来店のついでにご覧下さい。

追伸、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、約60本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.035日連続更新を達成しました。

 

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

ツタヤ図書館

何度もお伝えしておりますように、「ちんや」創業百三十五年を記念して、すき焼き思い出ストーリーの本を刊行する計画です。

ストーリーは、一般の皆様から投稿を受け付け中でして、今月末が締切です。

思い起こしますと、すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。料理は他にいくつもありますが、人々の思い出と一番つながっている料理はすき焼きではないかと私は考えます。

でも残念ながら、そうした思い出話しを纏めて保存したことはなかったように思います。そこで私は皆様にストーリーを投稿していただき、それを本に纏めようと思い立った次第です。

既に頂戴したストーリーを読みますと、感動して落涙を禁じ得ないものから、クスっと笑ってしまうものまで、様々なものが集まりつつあります。

で、刊行後ですが、今回は儲けることが目的の刊行ではありませんので、図書館や学校などの教育機関、食文化の発展に資する施設に収蔵して頂ける場合は喜んで寄贈させていただきます。一般の皆様には実費でおわけしたいと思っております・・・

・・・と思っておりますが、その図書館に最近異変が生じつつあるのを、皆さん、ご存知でしょうか?

例えば、佐賀県の武雄市図書館。報道によりますと、収蔵されているのは、

・『食』コーナーの書棚には、なぜか埼玉県のラーメン本。ここは佐賀県なのに。

・それから、古すぎる試験問題集『公認会計士第2次試験“2001”』

武雄市図書館の運営は、DVDレンタル大手『TSUTAYA』を展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブさんが市から委託される形をとっており、2013年4月にその形態でリニューアルオープンしたのですが、こうした↑本が多数収蔵されたので、市民は今は「ツタヤ図書館」と呼んでいるのだとか。ははは。

やがて、この蔵書に批判が殺到したことを受けて、ツタヤさんは、リニューアル以降借りられていない本の冊数と同じ数の本を寄贈すると発表したそうですが、その発想すら、私に言わせれば「違うなあ~」という感じです。

図書館はレンタル本屋じゃないですよね。

借りられない本も在って良いと思います。価値があれば。

私の作る、すき焼き思い出ストーリーの本は「ツタヤ図書館」さんには寄贈しません。どうせ借りられないでしょうからね。ふん。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.034日連続更新を達成しました。

 

Filed under: ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

だから、生きる。

モーニング娘の「すき焼き」という曲については、このブログの2013年3月28号で書きました。

チト風変わりで、しかし何度も聞いていると妙に楽しく、最後はホノボノと成れる曲です。

しかしですよ、なんでモーニング娘で「すき焼き」なんでしょう?

長らく不思議だったのですが、最近その答えが分かりました。

プロデユ―サーの、つんく♂さんがすき焼きをお好きだったんですね。

つんく♂さんは若い頃不健康でストレス過多なライフスタイルで過ごした結果咽頭癌を患い、ついには声帯摘出手術を受けて声を失いました。

最近出版された『だから、生きる。』という御本を読むと、その闘病の経緯や、闘病中に出会った奥様のこと、病気を経て自分には「音楽で人を元気にすること」しかないと思い定めたことなどが書かれています。感動的な御本です。

で、出産のために入院した奥様に、つんく♂さんが差し入れたのがすき焼きだったのです。

奥様への差し入れのために、つんく♂さんは初めて買い物ということを一人で行います。マネージャーさんに代行させなかったのは、愛が在ったからでしょう。

つんく♂さんはこの時卵を買い忘れてしまうのですが、それでも奥様は「こんなおいしいすき焼きは食べたことない!」と大喜びします。いい話しですね。

その他にも、つんく♂さんが体調管理のため「化学調味料禁止」の食生活に転じたことなど、興味深い話しも載っています。

新潮社刊行。本屋に山積みになっています。

追伸、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、約60本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.033日連続更新を達成しました。

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

日本一の芋煮会

今年も恒例の芋煮のシーズンとなりました。山形県の話しです。

芋煮が盛んなことが山形県の牛肉消費量が多い理由になっていると私は思うのですが、今年も盛大に行われたらしく、3万5000食もの芋煮が一度に作られたそうです。

3万5000食も作ったのは、山形市馬見ヶ崎河川敷で20日開催された「日本一の芋煮会フェスティバル」。

報道によりますと、直径が6メートルもある大鍋を使用。材料は、

イモ3トン、

肉1.2トン、

コンニャク3500枚、

ネギ3500本、

味付け醤油700リットル、隠し味に日本酒50升と砂糖200kg、

水を6トン

以上を使ったそうです。

この、山形の芋煮という料理、「芋煮」という名前の割りには肉が主役の観があります。「肉ジャガ」の「肉」が申し訳程度にしか入っていないのに対して、肉の存在感が遥かに大きいです。

味付けもすき焼きに煮ていて、卵の無いすき焼きと思えば、そう遠くはありません。

もっとも、山形の人はすき焼きの割り下に味噌を入れることが多いですから、山形のすき焼きと山形の芋煮は少し違うということになります。

ともあれ、毎年何百人もの市民が河原に出て食すわけですから、相当の肉を消費しています。

うらやましいです、はい、肉屋としては。

追伸、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、約60本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.032日連続更新を達成しました。

Filed under: 色んな食べ物 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)