やさしかった仲居さん 亡き父はスキヤキ奉行
すき焼き思い出ストーリー投稿サイトに新着1本をupしました。
題して「やさしかった仲居さん 亡き父はスキヤキ奉行」
どうぞお読み下さい。
<以下投稿です>
65歳で亡くなった父は子ぼんのうで口数は少なかったが、やさしい父だった。この話しは今から85年も前の話しで亡き両親の楽しかった想い出です。私は7人兄妹の5番目で、この話しの中ではまだ生まれていない。この経験をしたのは一番上の姉と3人の兄達です。
住まいは、今は港区ですが当時は麻布区と言ったそうで芝区と合併して港区となったそうです。網代町と言い、現二の橋に近い所だった。
一年に何回か父は母と子供4人を連れ浅草迄すきやきを食べに行ったそうです。
都電に乗り浅草寺にお参りをし、すきやきを食べる、楽しい時間だったのでしょう。
食事中は下の子供はいつも仲居さんが抱いて下さり、母もおいしく食事をしたと嬉しそうに話していました。良い仲居さんだったよと聞いています。
その母も亡くなり26年たちました。
私達はそのなつかしい想い出だけですが、足を運び浅草へ出かけて食事が出来る、そんな幸せを感じ、たのしくなります。
そして父の想い出は、私達子供の頃は夕食がすきやきの時は父が奉行になり、おいしいナベを作ってくれました。
どんなに時がたっても、親切にされたことは人は忘れないものです。
文章を書くことがなく、とりとめもないことになっていますが、やさしい仲居さんの話しと両親のことになってしまいました。
貴店の益々のご発展をお祈りいたします。
ちなみに私の兄は「俺はいつもだっこだったよ」と言っておりました。
追伸、
このように、
すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。
すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。
ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。
どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。
投稿〆切は9月末日です。
既にご応募いただいた、約60本のストーリーはこちらです。
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.040日連続更新を達成しました。