弔辞

私から四代前の人物が亡くなった時の弔辞が出て来ました。

菩提寺のご住職様が見つけて、お盆でお経をあげに来て下さった時に持って来て下さいました。

原文はカタカナですが、平仮名で書きますと・・・

本会名誉会員住吉忠次郎氏の母堂やす子殿逝去の訃に接し惋惜に堪えず茲に恭しく弔詞を呈し哀悼の意を表す。

大正十年一月二十日 帝国在郷軍人会浅草区分会

住吉やす子~生前は「やす」で通していたようですが~は「ちんや」の歴史では大活躍した人として知られています。

夫もいたようですが、そちらは活躍した形跡がなく、おそらく遊んでいたのでしょう。良い話しではないので詳しいことは伝わっていません。

さて、その「やす」までを私から遡ってみましょう。

私の父は滋夫。昭和十年(1935年)生まれで現在は弊社会長。つまり元気です。

滋夫の父は清。清は浅草の天麩羅屋「中清」の子として生まれ、住吉八重子と結婚して、婿に入りました。

清の父が忠次郎。忠次郎は湯島のすき焼き屋「江知勝」の子として生まれ、住吉まつと結婚して、婿に入りました。

その「まつ」の母が「やす」という次第です。

狆屋から料理屋に転業し、やがて牛鍋に特化していった期間を「やす」が担ったと伝えられています。

ちなみにですが、「訃に接し」は間違いではありません。

訃(ふ)は一文字で「死亡の知らせ」という意味があります。現在では「訃報に接し」と言いますが、あれは実は冗長です。

「訃報のお知らせ」はさらに冗長ですが、結構使われていますよね。

まあ、言葉は変転するので仕方ありません。蛇足ながらお伝えしました。

ブログネタとしては縁起でもないですが、お盆の話しということでお赦し下さい。

追伸

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、50本のストーリーはこちらです。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.971日連続更新を達成しました。

Filed under: 憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)