地代値上”絶対反対”

私の先祖・住吉忠次郎に関する資料が菩提寺から出てきた件は、昨日の弊ブログに書きましたが、この機会にネットで「住吉忠次郎」と検索してみたら、面白い記事が発見できました。

面白い記事というのは、時事新報の 1935年(昭和10年)5月25日号の記事で、

「浅草目抜の場所 地代値上”絶対反対” 「ちんや」等百七名市と抗争」

というものです。

「抗争」とは穏やかではないですね。

記事によりますと

「東京市では昨年八月一日浅草公園を中心にした浅草区雷門一丁目、二丁目の市有地借地人五百余名に対し一斉に一割八分以上五割方の地代値上げを通告したのに対し借地人側は此値上げを不当として市と折衝を重ねていたが、遂に談判決裂、雷門二丁目の借地人、牛肉商「ちんや」こと住吉忠次郎氏等百七名の借地人は結束、弁護士真下伊藤両弁護人を代理人として牛塚市長を対手取り二十三日東京民事地方裁判所に借地料確認請求の訴訟を起した」

・・・ということだそうです。

この時代に御上にタテつくとは、良い根性です。

忠次郎は、昭和4年に結成された、現在の「雷門通り商店街」の前身「浅草広小路昭広会」の初代会長で、この記事は昭和10年のものですから、まだ在任していたのでしょうか、それで値上げ反対運動の中心人物に成ってしまったのかもしれません。

これに対して東京市側は、

「市有地なるが故に安く貸さねばならぬ理由はなくまた「市有地貸渡し規則」に依れば地代更改は五年以内でも時と場合では出来ることになって居り市財政の増収を計るため、充分附近の土地との振り合いを考えて値上げしたもの」と反論して争ったそうな。

現在も、この土地は都有地なんですが、都がザハ・ハディド競技場の建設費を賄う為に地代を値上げしてきたら、私は反対運動を起こさないといけないんでしょうか・・・

まずいな。

そうならない内に、今からあのデザインに反対しなきゃ。

追伸

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

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既にご応募いただいた、50本のストーリーはこちらです。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.972日連続更新を達成しました。

 

 

 

Filed under: 憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:00 AM
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