洪水ノ実況
「浅草公園六区洪水ノ実況」
という絵葉書があります。
たまたま歴史好きの知人がSNSに上げていたのを見かけたのですが、そのすぐ後に西日本で水害が起こり、なんとも申し上げようがありません。
この絵葉書を見ると、六区興行街の中心部が、人の腰の高さまで浸水している様子に驚くとともに、その写真を絵葉書にして売るという商魂にも驚かされます。
この水害が起きたのは、明治43年(1910年)です。「明治43年の関東大水害」と言われるもので、死者769人・行方不明78人・家屋全壊2.121戸、家屋流出2.796戸にも上る大参事だったそうです。
これ以降浅草は水害に遭っていません。
水害に遭わなくなったのは、明治43年の大水害に危機感を覚えた当時の政府が荒川の流路掘削を決意したからです。
江戸時代、荒川と隅田川はつながっていて、水運の大動脈でした。弊ブログの6月25日号でご紹介した、ギャラリー・エフさんの蔵が建てられたのも、水運がもたらす富が浅草に落ちたからです。荒川が隅田川へ流れこんでいるのですから、水量が多く、物資の輸送には便利でしたが、ひとたび水害が起きると惨事になったのです。
そこで政府は「荒川放水路」を掘削することを決定します。1913年(大正2年)から1930年(昭和5年)まで、17年がかりの難工事の結果、荒川の水はかなり東方・現在の江東区・江戸川区の境へと流れることになりました。
この新しく太い流路が、やがて荒川の本流と認定され、江戸時代には荒川の本流であった現在の「隅田川」つまり岩淵水門より下流の部分が「隅田川」と呼ばれるようになったのでありました。
以来浅草は水害に遭っておらず、現在の水害ハザードマップでは荒川周辺の危険度が高いと評価されています。
地球温暖化の時節、荒川流域にお住まいの皆様は、充分にお気をつけいただきたいと存じます。
最後になりましたが、このたびの豪雨で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
追伸、夏季の「ちんや」の、臨時営業のご案内です。下記の日は火曜ですが、営業いたします。どうぞご利用下さいませ。
7月10日(火曜、浅草寺の「ほうずき市」)
8月14日(火曜、お盆)
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて3.055日連続更新を達成しました。
すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。