鯨脂

<食育企画>おいしい夏休みを体験しよう!―「親子体験食味学習会」を開催しました。

お子さんに自分で肉をカットしてもらい(=精肉体験)、その肉を自分ですき焼きにして食べてもらいました。

そうしましたら、カットの場面で参加者の中の可愛いお嬢さんが、しきりと牛脂に興味を持ち、鯨の脂と比較して、ああだこうだと話していました。

このお嬢さん、小学校1年生と未だ小さいので、授業第一部=「ちんや六代目住吉史彦が語る、すき焼きの歴史」では、どうも話しが見えなかったらしく、むずがっていましたが、第二部の精肉体験に入ると俄然元気が出てきて、

冷蔵庫に入ってみたい!

脂に触ってみたい!

と積極的です。そして牛脂に触ってみた結果のコメントして、鯨脂との比較論が飛び出したのです。

何を隠そう、このお嬢さんは鯨を扱う料理屋さんの娘さんです。

小1なのに恐るべし、文明開化は分からなくても、脂の違いが分かるのです。子供の感覚って大したもんだなあ、と思う一方私は、鯨が関わった、幕末日本の歴史に想いを至しておりました。

そうだ、忘れてた、ペリーが日本に来た理由は鯨だった!

話しはここで、しばしペリー来航当時に飛びます。ウイキをコピペしますと・・・

「産業革命によってアメリカ国内の工場やオフィスは夜遅くまで稼動するようになり、その潤滑油やランプの灯火として、主にマッコウクジラの鯨油が使用されていた。この需要を満たすため、欧米の国々は日本沿岸を含み世界中の海で、捕鯨を盛んに行なっていた。」

「当時の捕鯨船は船上で鯨油の抽出を行ってたため、大量の薪・水が必要であり、長期航海用の食料も含め、太平洋での補給拠点が求められていたが、アメリカも例外ではなかった。」

これです、これです、鯨が必要だったので、アメリカは日本と国交を結ぼうとしたのです。

日本近海に鯨がいなければ、ペリーが日本に来ることもなく、日本の文明開化もなかったか、だいぶ遅れていたかもしれません。鯨がいなければ、日本人は今すき焼きなんぞ、食べていないかもしれませんね。

あのお嬢さんが鯨の話しをし出すまで、すっかり忘れていました。迂闊でした。

ついでに申しますと、この時日本の将軍家はペリーに狆(ちん)を贈っています。

ペリー=鯨=牛=狆=ちんや

なんか、面白い位に繋がっていますね。

私にとっても、おいしい夏休みでした。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.640日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

Filed under: 憧れの明治時代,食育ナウ — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)