「カリスマ受け売り師・住吉史彦の生涯の半分くらい」六夜連続興業の内の第三夜=過度期を渡る①
弊ブログは連続更新365日へ向けてカウントダウンに入っております。
題して、
ブログ連続更新365日記念スペシャル
「カリスマ受け売り師・住吉史彦の生涯の半分くらい」
六夜連続興業の内の第三夜=過度期を渡る①
それなりに趣味を楽しみ、成績表にそれなりの数のAを並べ、白井厚先生に卒業論文も出し、大学をごく順当に卒業した私は、百貨店の株式会社高島屋に就職し、食料品売場に配属となりました。昭和の最後の年・63年のことです。
バブルだったので、就活が楽だったのは良かったのですが、その中で働くとなると今度は大変です。当事大変景気が良かったので、利益を出した企業が、中元・歳暮の大量注文を出しました。予想を上まわる受注が来るのは、良いことではありますが、その商品を実際に梱包して配送するのは、人間の仕事ですから大変です。
食料品のギフト担当だった私は、その梱包作業のため、中元・歳暮シーズン中は連日深夜まで、配送センターで働きました。体力勝負の現場でしたね。
昨日までの、このブログを読まれた方は、こうした現場のガテン仕事を、秀才君で趣味人志願の、私が平気でこなしたことを不思議に思うかもしれません。でも、以外とできたのです、結果的には。
現場に入ることの大事さ・汗を流すことの尊さについては、誰か特定の人や、特定の本に影響されたわけではありません。しかし、いつの間にか、それが当然と考えてたのですから、実は、イヤなヤツに見えて、まっとうな教育を受けていたのだと言えるかもしれません。
この時期より前に、そういうことをしなかったのは、たまたま実行する機会が無かっただけかもしれません。だから、この時期に経験したことは、まわり道に見えて、意味はあったと思っています。
このような、食料品の現場経験の後、同じ社内で5年間ほどですが、私の人生では間奏曲のような時間がありました。
それは美術部勤務。高名な作家先生の、絵や工芸品を販売する仕事です。5年間の後半には、展覧会準備の段取りをまかせていただくこともありました。当事高島屋がニューヨークに開設していた、ギャラリーでの展覧会を準備するため、出張したことは良い思い出です。勤務以外の、空いた時間にも相当数の展覧会を観ました。
でも、これは趣味人路線の復活ではありません。仕事として美術に取り組む作家さんや、同じく仕事として美術品の販売に取り組む人を、間近に見たことは有益でした。趣味人路線の復活どころか、ハンパな気持ちで、美術や音楽に接してはいけない、ということがわかったのは、良かったと、思っています。
趣味人にならなかったことが、後の、受け売り活動では、ひとつのポイントになってきます。
さて、この時点で私は、もう30歳になっていました。貴重な時間を過ごした、とは言うものの、あまり廻り道もしていられません。そろそろ「ちんや」が気になってきた所で、第三夜は終了です。
追伸
3/13(日)実施予定の、「ちんや すき焼き通検定」の、受験申込みの受付を、2/16より開始しました。詳しくは、こちらをご覧下さい。
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて362日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。
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