「カリスマ受け売り師・住吉史彦の生涯の半分くらい」六夜連続興業の内の第四夜=過度期を渡る②

 弊ブログは連続更新365日へ向けてカウントダウンに入っております。

 題して、

 ブログ連続更新365日記念スペシャル

「カリスマ受け売り師・住吉史彦の生涯の半分くらい」

 六夜連続興業の内の第四夜=過度期を渡る②

  30歳の時に、実家の「ちんや」へ入りました。

 髙島屋時代に、店舗の運営の様子は見聞きしましたので、カルチャーショック的なことはありませんでしたが、それでも人並みの「後継者の悩み」はありました。時代の変化にあわせて、いろいろなことを変えないといけないのに、後継者の社内的な位置は結局ハンパで、それを進めていくのが、いちいち簡単でありません。

 現在の、昭和50年竣工のビルが出来た時に決めたルールが、この時もまだ、だいぶ生きていました。そのビルを建てた父が社長ですし、店の人間は、ほぼ全員が年上でした。社長の息子が入ったから、といって簡単に仕事の仕方を変えたくないのは、当然ですよね。

 だから、当事は、新しく始める事業を中心に仕事をしていたと思います。例えば、ホームページを、創業120年の時、今から11年前に開設しました。単独の飲食店がホームページを持つのは、まだ珍しかったと思います。それだけで感心されたのですから、「今は昔」ですよね。勿論、SNSも無く、SEO対策すら始まっていない頃の話しです。

 店の調度品として開化絵を買ったのは、この頃です。また店で使う器も変えました。バブル時代に日本人は、趣味の良い器を使うことを覚えましたから、「ちんや」の器も変えないといけません。美術部時代に培った「見る眼」を活かして、器や調度品を趣味の良い物に変えてみたりしました。

 でも、せっかくの趣味の良い器も、古くからあるチープなものと混在すると素晴らしく見えません。統一感が無いからです。このように、以前からあるものを残しつつ、一部を変える、といのは成果が出にくいものです。お約束の、親子間の意見の不一致も少々ありました。

 後に「国際後継者フォーラム」の二条彪先生のことを知り、先生の所に悩みを相談にきている、後継者の方々の話しをいろいろと聞かせていただきました。その事例に比べたら、ウチなどは可愛い口なのですが、やはり、気楽でないのが、この過度期の時期だったと思います。

 そんな調子で経営の腕前は、さほど向上しない中、息抜きの腕前だけは進歩しました。地元や業界の、各種の団体に顔を出すようになったからです。親子二世代で経営に当たっているわけですから、どちらかが店を抜け出すのが比較的容易です。いわゆる「おつきあい」が多くなりました。

 「おつきあい」はムダと言えばムダではありますが、後に自分が、いろいろと企画を立てた時には、参加・協力してくださる仲間になってくれました。また、この頃結婚などということをして披露宴なるものをした時も、参列者のメンツがそれなりに寂しくなかったのは、やはり「おつきあい」の成果です。

 また、冗談を連発できないと、こうした、つきあいの場が盛り上がりませんから、冗談メーキングのトレーニングになりました。もちろん、散財もいたしますから、「程度問題」ではありますが、「おつきあい」は必要悪と申せましょう。

 私の30歳代前半は、こんな調子で過ぎました。第四夜はこれにて。

追伸

 3/13(日)実施予定の、「ちんや すき焼き通検定」の、受験申込みの受付を、2/16より開始しました。詳しくは、こちらをご覧下さい。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて363日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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