摂津国有馬

その、有馬温泉の御方には3回驚かされました。

まず到着しまして、すぐ本が支給されたことです。

その本は、神戸に牛肉を普及させ「神戸ビーフ」の基礎を築いた外国人・キルビーとハンターの生涯に関する本「夜明けのハンター」でした。

キルビーとハンターは、青雲の志を抱いて開港直前の神戸にやって来ました。当時はまだ居留地も神戸港も建設が進んでいない状態でしたので、「兵庫にやって来た」というのが正確かもしれません。

で、キルビーとハンターは、最初のビジネスとして牛肉の販売を始めます。近隣の農村を回って牛を分けてもらい、それを屠畜して売ったのです。

その肉の評判を聞きつけた人物の中に、初代の兵庫県知事・伊藤博文=後の総理大臣がいて⇒博文の尽力もあって⇒「神戸ビーフ」が有名になって行った、という次第です。

その御方の旅館では、そういう経緯を踏まえ、「神戸ビーフ」を熱心に提供されていて、しかも伊藤博文が揮毫した書が客間にかけられているのです。

その書の文字は「高談娯心」。

「高い志の話をすれば、お互い気持ちが良くなる」という意味の言葉で、神戸の文化人たちはこの書の下で、すき焼きを食べることを習慣にしていた、と聞きます。

有り難いことに、その部屋に泊めていただき、すき焼きは現在は定番メニューにないそうですが、牛肉を食べさせていただきました。

こうして、支給された本を読み、博文の書の部屋で肉を食べた翌朝、その方=「御所坊」主人のKNIさんとお話しすることになりました。

そうしましたら、御主人は、こちらのブログやFBを調べていらして、

いやあ、実はお目にかかりたいと思ってたんですよ!

とおっしゃるので、二度目の驚き。

そして、三番目は、いただいたお名刺の住所が「摂津国有馬」となっていたことです。

この住所に関する事情は浅草と似ています。浅草は、江戸が出来る以前から存在していたのに江戸に吸収されて江戸の一部に成ってしまったのですが、有馬温泉も日本書紀の時代から在ったのに、戦後に神戸市に吸収されて、今は「神戸市北区」です。

しかし、御主人は歴史に誇りをもって、名刺の住所を「摂津国有馬」にしておられました。

へえ、有馬温泉が神戸市とは知りませんでした。

こちらも浅草が台東区とは知りませんでしたよ。

神戸ビーフを扱いながらも、土地の歴史はまた別なので正統に主張する、という方向は、まったく正しいことだと思います。

勉強になりました。

 

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.287日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

Filed under: すき焼きフル・トーク,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)