伊勢参り⑤
お伊勢様に参拝して来ました。
参りまして、地元の方と話しておりましたら、
伊勢の人間に「伊勢は観光地なんだ!」という意識が足りない。
という御意見を聞かされ、意外な話しを聞くものだ、と思いました。
「伊勢参り」と言えば、江戸時代には年間200~400万人もの客が訪れた、と聞きますから、間違いなく日本最大級の観光地だったと思うのですが、その繁栄が今日まで続いてきたわけではないのだそうです。
高度経済成長時代を過ぎた頃客数が落ち込み、1970年代後半には20万人にまで落ち込んでしまった、と言います。その後長い低迷期が続き、回復を始めた時期は、意外に最近で、前回の遷宮=1993年だと聞きました。
「観光地なんだ!」という意識が足りなくなったのは、この低迷期があったからでしょう。
回復のキッカケが「おかげ横丁」の開業であることは、既に広く知られているかもしれません。
当時の低迷状況を打開しようと、老舗和菓子店の「赤福」さんが立ち上がり、「おかげ横丁」の建設に着手しました。
建設費用140億円は当時の「赤福」さんの年間売上高とほぼ同額という巨費でしたが、行政から補助金を受けることなく1社の自己資金で賄ったそうです。この話しも有名かと思います。
以降、「横丁」開業前の1992年には年間32万人だった街の往来者数は増加に転じ、2002年には300万人、2007年には400万人、今回の遷宮では800万という数字が話題に上っているそうです。
1970年代と言えば、浅草も最悪の時期でしたから、なんだか、親近感がわきますね。
さて今回の遷宮では、商工会議所を中心にJR伊勢市駅から外宮へ続く一帯が整備されているようでした。以前JR駅の周囲は、
天下のお伊勢さんなのに、なんでこんなにシャビーなの・・・
と思う位寂れていましたが、だいぶ綺麗な街になっていました。
それでも伊勢市内には、まだ魅力的な宿泊施設が少なく、泊まり客は鳥羽・志摩へ流れがちだそうです。実際、私達レストラン協会一行も鳥羽の旅館に泊まりました。
かつて旅籠や遊楼が立ち並んでいた花街一帯が再び賑やかに成った、というわけではないようです。
その昔の「伊勢参り」は、まず外宮に詣で、それから内宮にも詣でましたから時間がかかりました。ですので伊勢に宿泊しますし、宿泊すれば楽しい(=悪い?)こともします。
それで外宮と内宮の間に旅籠や遊楼が在ったわけですが、今時の観光は時間がないので、そんな悠長なことは致しません。
内宮へ直に乗りつけ、「おかげ横丁」で赤福を買って、伊勢参りは終了です。
重ね重ね、どうも浅草に似ています。
客数増を単純に喜べない私は、ヒネクレ者でしょうか。
追伸①
単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。
21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。
時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。
くわしくはこちら↓です。
追伸②
「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。
この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。
その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。
現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。
皆様も、是非御参加下さい!
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.279日連続更新を達成しました。
毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。