外国通
9/11の弊ブログで単行本『夜明けのハンター』について触れました。今日は、もう少しその話しを、と思います。
この本では、神戸ビーフを普及させた人物として、キルビー商会のキルビーと、その部下・ハンター、それから初代の兵庫県知事・伊藤博文(=後の総理大臣)が登場します。
ここで誰でも疑問に思うことは、伊藤が何故27歳と若いのに知事に成っているのか、ということです。
少し長くなりますが、説明しますと、明治維新で政権を獲った薩長方には外国通の人物が少なく、伊藤が、その数少ない外国通だったから、というのが、その理由です。兵庫が開港して、外国人居留地が建設されていましたので、外国通が起用されたのです。
なにしろ長州藩と言えば「尊皇攘夷」の総本山でしたから、外国のことを学ぶなんてトンデモなかったわけです。維新の前夜になって薩長同盟が成立して、それでようやく「攘夷」の旗を下した位ですから、外国通なんてほとんど藩内にいません。
そんな中、伊藤と井上馨は密航同然で英国に渡った経験があり、英語が話せたので外交通と看做されていた、という次第です。
薩長=国際的、幕府=守旧的というイメージは間違っておりまして、当時むしろ幕府方に外国通がたくさんいました。福沢諭吉先生がそうですね。
先生は適塾で学んだ後、咸臨丸の艦長・木村摂津守の従者としてアメリカへ渡り、帰国後は摂津守の推薦で、中津藩に籍を置いたまま幕府外国方に出仕することになりました。だから当然幕府方ですね。
徳川慶喜もフランス公使と親密で、フランス式の軍隊を新設したりしました。
このように幕府方には外国通がいましたが、長州藩には少なく、わずかな例外が伊藤・井上、それから大村益次郎でした。
大村は元々武士ではなく医者で、適塾で福沢先生と同門。蘭学を学ぶ内、西洋の兵術・砲術なども学び、その学問を活かして薩長方の実質的な参謀総長になります。
実に人生とは数奇なものです。
さて肉の話しに戻ります。そんな日ノ出の政治家・伊藤とキルビー・ハンターの出会いが、神戸ビーフを有名にした、というのが『夜明けのハンター』の筋です。
伊藤は27歳、ハンターは10代でアイルランドを出奔して来ていますから、伊藤よりも年下。そんな若い面々が神戸ビーフを推進した、というのが、この本が描く情景です。
小説の形態をとっておりまして、描かれていることの全てが史実ではありませんが、有馬温泉「御所坊」の御主人によりますと、
「だいたいは本当です」ということですので、皆さんも、是非どうぞ。
追伸①
単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。
21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。
時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。
くわしくはこちら↓です。
追伸②
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この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。
その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。
現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。
皆様も、是非御参加下さい!
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.293日連続更新を達成しました。
毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。