おしげさんのすき焼き

うーん、と唸ってしまいました。

そういう場合に、すき焼きを食べていたんですねえ。悲し過ぎます。

太平洋戦争中に海軍の軍港が在り、人間魚雷「回天」の基地・大津島に近かった山口県の徳山には、出撃前夜に搭乗員の壮行会が開かれる料亭が在って、そこで出された料理がすき焼きだったそうなのです。

隊員達は、すき焼きを食べた後、特攻に出ていったのです。

魚雷を、人一人が乗れるように改造した「回天」は潜水艦に搭載されて、そこから敵艦に体当たり攻撃をしました。勿論生還を期すことはできません。

1944年11月に最初の出撃をしてから終戦までに戦没者は145人に上ったと言います。

その徳山の料亭「松政」には「回天の母」と呼ばれた仲居さん・倉重 アサ子という人がいたそうです。

1944年11月に「回天」隊指揮官だった板倉光馬少佐が開催した「松政」での60人のすき焼き会の世話をしたのが、アサ子=「おしげさん」と搭乗員たちとの親交の始まりだったと言います。以後、若い隊員たちから「おしげさん」「お母さん」と慕われたとか。

その「おしげさん」が初めて徳山から大津島に渡ったのは終戦後。戦時中「回天」は極秘でしたから部隊が解散して初めて島に渡れたそうです。

戦後「おしげさん」は、「松政」の住み込みの自室に、夫の位牌と「人間魚雷回天将兵の諸英霊」の位牌を置き、朝夕手を合わせ続けたといいます。1971年に「松政」は閉店してしまいましたが、それ以降も毎年11月の大津島の慰霊祭には欠かさず出席したとか。

さて、それから70年。風化への危惧から今現地周南市(=徳山と大津島のある市)では「平和の島プロジェクト」が企画されたと聞きます。

JR徳山駅には、漫画『特攻の島』の主人公が描かれた大型パネルが設置されたそうです。

「おしげさんのすき焼き弁当」も売られるとかで、その収益はプロジェクトの活動費に充てられるそうです。

どんな味がするんでしょうか。

弁当ですから現地まで行かないと買えませんが、周南市の知人によりますと、缶詰の計画もあるとか。

缶詰なら通販できますね。期待しましょう。

追伸

日本橋三越の催事に出店します。

「EDO style展」

日時:5月21日(水)~26日(月)

会場:日本橋三越本店・本館7階催事場

精肉の販売をいたします。詳細はこちらです。

どうぞお出かけ下さい。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.545日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)