排除の理由②

昨日の話しを続けたいと思います。正直多少エキサイトしております。

朝日新聞が4/28号の1面と社会面を大きく割いて掲載した「排除の理由」という記事は差別的な記事だった、と私は思います。

浅草の飲食店が外国人を差別した、という意味ではなく、新聞発行業者が飲食業者を差別したという意味です。

そもそも飲食業というものは、どんなことがあってもお客様を断るなどもっての他!という思想が、この記事のベースに在ったので、

外人を一律に断る=即「差別!」

となってしまったのだろう、と想像されます。

この記者さんは「お客様は神様です」という、あのフレーズを曲解している可能性があります。

「三波春夫公式サイト」が明確に否定していますが、

「三波が言う「お客様」は、商店や飲食店などのお客様のことではないのです。」

「しかし、このフレーズが真意と離れて使われる時には、例えば買い物客が「お金を払う客なんだからもっと丁寧にしなさいよ。お客様は神様でしょ?」と、いう感じ。店員さんは「お客様は神様です、って言うからって、お客は何をしたって良いっていうんですか?」という具合。」

「俗に言う“クレーマー”の恰好の言いわけ、言い分になってしまっているようです。元の意味とかけ離れた使われ方ですから私が言う段ではありませんけれど、大体クレーマーたるや、「お客様」と「様」を付けて呼んで貰えるような人たちではないと思います。サービスする側を見下すような人たちには、様は付かないでしょう。」

と私が読みましても至極もっともなことがサイトに書かれています。

飲食店も客も人間ですので、人間同士の常識的交際をすれば良いのです。場合によっては、自称「お客様」を客扱いしなくてもOKというのは、このサイトの指摘している通りと思います。

マナーが悪い外国人は、外国人だという理由で断るのはマズくても、マナーが悪いという理由で断ってもOKなのです。だって神様ではないのだから。

話しは、ここで多少逸れますが、三波さんの真意を紹介しておきましょう。

「歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払って、心をまっさらにしなければ完璧な藝をお見せすることはできないのです。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。だからお客様は絶対者、神様なのです」

つまり、芸事というものは、絶対者の存在をハッキリとイメージして、その神前に恥ずかしくない芸を披露しよう!という強い決意がなければ、決して上達しないものだ、ということを言っているわけです。

実は私も以前「お客様は神様」を曲解したことがあり、三波さんのことを残念に思っていましたが、この説明を読んで三波さんを尊敬する気持ちが持てました。

朝日の記者さんに申します、記者稼業も芸事ですよね。

あなたの神前に恥ずかしくない記事を披露しましょうよ。

追伸

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本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.525日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

Filed under: ぼやき部屋,浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)