前句付け

川柳は浅草新堀端の竜宝寺門前町の人でした。現在の住所で言うと元浅草3丁目です。

え? 川柳って人の名前だったの って?!

そうですよ。本名は柄井八右衛門、雅号は柄井川柳(からい・せんりゅう)と名乗っていました。生年は1718年で没年は1790年です。

ただし川柳の生前は、川柳の文学のことを「川柳」とは言わずに「前句付け」と言っていたようです。

連歌で、下の句七七に対して前句五七五を付ける「前句付け」が独立したものだったそうですが、そんな風雅なものが当時は大流行していたのですね。川柳が主催した1762年の句合には1万句以上が集まったそうです。

元々の川柳の持ち味は「うがち・おかしみ・かるみ」とされ、機知に富んだものでした。しかし初代川柳の没後、やがて「柳風狂句」と改名、言葉の表面的面白さを競う娯楽へと化してしまった、と評価されています。

現代でも「サラ川」や「下川」(=トリンプ社が主催する「下着川柳」)のように、むしろ「狂句」と言った方が良いと思えるものが、やはり「川柳」と言われていますね。あれは「サラ狂」「下狂」と言った方が相応しい感じがします。

それでも「川柳」なのは、「狂」の字が、精神疾患の患者さんに対する差別を連想させるので現代では使いにくいという事情があるのかもしれません。

さてさて、そんな中昨年弊社で開催しました「すき焼き川柳コンクール」の句が、川柳に入るか、狂句に入るのか、無粋な私には判定しかねますので、皆さんにはこちらを見ていただいて、御自分で判定していただきたいと思いますが、そういう微妙な議論は今日はさて置きまして、実は、私はその「川柳」を刷り込んだ包装紙を創っているところです。今まさに印刷中でして、本当に店でそれを使います。

デザイナーのWT辺さんが、だいぶ凝ったものを創って下さいました。

凝った分時間がかかってしまいまして、昨年の11月に集めた川柳がようやく活きます。

さらに!今年は今年で川柳を募集して、来年版の川柳包装紙をまた作ろうと思います。包装紙の裏面が投稿欄に成っていて、それを使って来年用の投稿ができるのです。

こんな包装紙は、あまり無いと思いますよ。

その第一号が、来週5/16三社祭の日にお目見えします。お楽しみに。

 

追伸

ムック本『江戸っ子に学ぶ! 浅草本』に載せていただきました。ありがとうございます。

 「枻(えい)出版社」刊行、エイムック2855。

<内容>浅草寺を中心に発展してきた“浅草”は、江戸の文化と今が混在する街で、歴史とグルメと情緒を肌で感じる場所がそこかしこにあります。100年、200年と続く老舗のうなぎ、どぜう、そば、天ぷら、すき焼など和のお店をはじめ、絶妙の味を伝える洋食屋さんや女性にとって嬉しい甘味処など目白押しです。いっぽう、かっぱ橋周辺に足を伸ばせば、木札や手ぬぐい、櫛といった職人の技が織りなす伝統の工芸品に出会うことができます。そこで本書は、浅草をまるごと楽しむために「食・技・遊・祭」の4つを徹底的に紹介しました。また巻頭では、浅草在住のたいとう観光大使をつとめる、なぎら健壱さんといとうせいこうさんに登場をいただき、浅草の魅力を語っていただきました。

お求めは、こちらです。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.531日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)