人形芝居

休暇を利用して有馬温泉に行きましたら、兵庫県の総合観光パンフレット(のようなもの)が置いてありましたので、何気なくパラパラとめくってみました。

めくってみまして、私的には大不満。

私の嫌いなB級グルメについては、やたらと詳しいのに重要なことがゼンゼン載っていません。

まず淡路島が、松阪牛の子牛の非常に重要な産地であることが載っていませんが、まあ、それは「良し」としましょう。あくまで消費者は松阪牛として食べているのですからね。

しかしですよ、淡路の人形芝居についてまったく触れないというのは、いかがなものなんでしょう。

念のため、ここで淡路の人形芝居について・・・

「最盛期の18世紀初めには40以上の座元が覇を競い、人形役者が千人もおり淡路島のみならず日本全国を巡業し、各地に人形芝居を伝えました。大阪に出て「文楽」を創始した植村文楽軒も淡路出身です。」

そう、大阪と言えば文楽で、その元祖と言えば植村文楽軒ですが、その文楽軒がそもそも淡路なんですね。それ以前の時代は、

「鎌倉時代、淡路島に大阪四天王寺より舞楽など神事を生業とする楽人が移り住み、その後西宮の戎神社に属したエビスカキから人形操りの人気が高かったため神事を人形操りで行うようになったと考えられています。」

現在は国指定重要無形民俗文化財で、「淡路人形座」という常設の劇場もあります。

そして、その三味線の大師匠で人間国宝の鶴澤友路さんは、なんと、すき焼きがお好きなのだとか。

友路師匠の、芸と長生きの秘密は、

「よく食べ、よく寝る。エビの天ぷら、すき焼きが好物。晩酌を欠かさず、睡眠は12時間。義理の息子夫婦と同居している。」

「三味線の音を聞くと背筋が伸びるそうで、「年のことは忘れてしまうわ」。

「いまも20人以上の弟子に稽古をつける現役だ。自ら三味線を弾いて手本を見せる。一音のずれも聞き逃さない。「耳が全部覚えてるんや」。補聴器は使っていない。」

その友路師匠が、今年・御年100歳に成られました。素晴らしいです。

なんで、こういう文化を割愛して、「あさぢえカレー」とか「あんちょくヌードル」とかを、淡路の名物として推奨するのでしょう。

まあ、日本国民の文化度は低いとみて、B級食でも食わしておけ!という営業方針なのでしょうな。

ザンネンですな、兵庫県。

商品化したいのなら、「友路姐さんのすき焼き」の方がダンゼン良いと思うんですけど。

あ、最後に補足ですが、

私が「B級グルメが嫌い」と申しましても、正確には、B級・C級・D級の精神で造られた「グルメ」が嫌いなんです。値段がB級でも精神がA級なら、それは嫌いではありませんので、念の為。

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.286日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

Filed under: すき焼きフル・トーク,ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

引きずり回したれ!

ある日例によってツイッター検索をしていて、「とんかつ屋二代目」さん(@TahrongiCactus)のツイートを見つけました。

新宿の有名な「さぼてん」さんの関係者の方らしいのですが、それ以上の個人情報は分からないので、その話しはさて置きまして、内容はこんな↓でした。

「岐阜弁小ネタとして、来客があったので亭主が家人に「ひきずりのまわししたれ(すき焼きの用意をしてあげなさい)」といったところ来客には「引き摺り回したれ」に聞こえたため慌てて逃げ帰ったとかいう話が御座いますね。」

さて、岐阜弁と申しましても、美濃弁と飛騨弁があります。

ここではすき焼きを意味する言葉として「ひきずり」を使っていますが、これは名古屋で良く使う言葉ですから、美濃弁の話しなのだろう、と思います。

「美濃弁(みのべん)は岐阜県南部の美濃地方で話される日本語の方言。東海東山方言の中のギア方言の一つで、特に尾張弁(名古屋弁)との共通性が多く、特徴としては東濃地方を除く地域で連母音の融合がある。飛騨弁・三河弁とも共通する部分が多い」

美濃弁で「まわし」は、相撲取りが使う「まわし」のことでは勿論なく、「支度する」「準備する」を意味する言葉だそうです。例えば、

「ちゃっとまわししやー」などと言うそうです。

現地ではかなりポピュラーな言葉らしいですが、地元以外の人は間違えますよね。

美濃弁の口調は「美濃のじゃ言葉」と呼ばるくらい、語尾が「じゃー」「やー」で終わります。「岐阜弁は怖い」「岐阜弁は汚い」とよく言われる理由がこれですね。

その怖い言い方で、

ひきずりのまわししたれ!

と言われたので、それを聞いた人が「引きずり回したれ!」

と思ってしまったのですねえ。

コミュニケ―ションは難しいものです。

お後がよろしいようで。

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.285日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

Filed under: すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

気管支炎

どうも、ハッキリした原因が分かりません。私の気管支炎のことです。

どうも喉が変だなあ、と思ったのは、8月のお盆に入る頃でした。

長引いて2週間ほどたってしまったので、仕方なく病院に行きました。普通の街の内科の先生です。

少しだけ赤く腫れてますけどね、まあ、薬を出しておきますよ。

ということで炎症をやわらげる薬と抗生物質を処方されました。

しかし、風邪ではなかったようで、その薬はあまり効きません。

それでまた仕方なく、専門の咽喉の病院に行きました。いわゆる「名医」という方の所へ、生まれて初めて行きました。

最初から咳以外の風邪のような症状はないですから、何かのアレルギーかなと疑ったのです。

で、専門の咽喉の病院で血を抜かれ、アレルギーの抗体検査なるものをしてみましたが、アレルギーはハズレ、でした。

スギ花粉に対する反応は2でしたが、スギのシーズンは2月から4月ですから時期が違いますね。

他の花粉や、ハウスダストやダニも0評価。アレルギーではなかったようです。

肺活量の計測もして、普通の人より10%位少ないなあ、という結果でしたが、だからと言って、一か月近くも咳が続く原因とは思えません。

ですので病名は、

非アレルギー性気管支炎。

今年は、なにしろ咳の患者さんが多くて、中国の大気汚染かもしれませんねえ。

要するに、良く分からないのですが、

結核とか、肺の血流が悪いとか、そういう重篤な病気という可能性は無いと思います!

そりゃ、そうですよ、夜だって寝れてますし、ただ長く話すと咳込んでしまうんですよねえ。

しばらく漢方薬を飲んで見ますか!

か、漢方ですかあ。

その後、あっという間にまた10日。

状況は一進一退です。

涼しくなれば、治るかなあ。

 追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.284日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

Filed under: ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

野菜すき焼き

「東京会館」の鈴木直登・調理長が野菜の食事会を開催なさる、で、そのメインの料理は野菜すき焼きだと聞きまして、出かけてまいりました。

いつもの「すきや連」の有志が集まり、それに江戸東京野菜に関わっておいでの方が入り、それから板長の知人で、紀州の棕櫚を使ったタワシを作っておいでの方が加わって、面白いメンツの食事会に成りました。

さて、前菜から吸い物から、お料理は毎度の手のかかった仕事ぶりです。厨房の皆さん、お疲れ様です。

この日は「すきや連」メンバーで「月の井酒造店」のK子女史も見えていて、オーガニックの日本酒「和の月」が出て来ました。良い加減ですな。

そして、やがて野菜すき焼き。

と思いましたが、

おや、肉が載ってるじゃないですか。

これはねえ、住吉さん、出汁なんです、出汁!と板長。

やっぱり多少は旨みがないとねえ、っていうことで肉も結局入れたんですよ。

なるほど。

これは「お揚げ」ですかね。おや、麩が生麩と乾きの麩と2種類あるんですね。

これはモヤシですか。板長、「ちんや」でも冬場に「大鰐温泉もやし」を「変わりザク」として売ったことがあるんですけど、結構売れましたよ。

この茄子は可愛いですね。あっ、これが江戸野菜の固有種「寺島茄子」ですか。すき焼きに入れるのは初めてです。

タマゴがないですね、持って来ていただけませんか。

え? タマゴじゃなくて、これを使うんですか。何でしょう、これは。

あ、黄身おろしですか、以前「柿安」さんで食べたことがありますけど、旨いもんですよね。辛みが抑えてあって良いですね。

これとこれは何ですか、え?トマトおろしとミルクおろしですか。へええ、板長、いろいろお考えになりましたねえ。流石です。

どの具を、どれにつけたら良いんですか。

え? そこまで考えてなかったから、住吉さんが考えてくれ って?

あ、そうなんですね、了解です。

乾物とか、割り下を良く吸う具は甘味が濃くなりますから、黄身ですかねえ、あ、ミルクおろしも良いかもしれませんね。シラタキも良いですね。

トマトは、むしろ肉ですかねえ。

いやあ、それにしても、何だか、満腹になってきました。

野菜は、肉より満腹するかもしれませんね。

御馳走様でした。

 

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.283日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: すきや連,すき焼きフル・トーク — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

太神楽

太神楽を、初めて目の前で観ました。

太神楽(だいかぐら)とは傘の上で毬を回したりする、あの曲芸のことですね。

昔は正月のテレビ番組に必ず登場していましたし、浅草で商売しておりますと、正月に街を巡って来たりするのですが、まともに御座敷で観たのは初めてです。

太神楽についてこれまでは、正直、良い印象を持っていたわけではありません。正月の浅草の、殺人的に忙しい営業現場に入って見えると、業務が滞ること甚だしく、かと言って邪険にも出来ず、非常に往生するからです。

しかし、御座敷で酒を飲みながら観るとなると、話しは別儀でなかなか結構なものでした。

今回「料飲三田会」の通人UZHさんが、納涼会に太神楽師をポケットマネーで呼ぶとのこと、しかも女性で美人さんという前評判でしたので、私もノコノコと出かけてみました。

いや訂正。私は会の会計担当なので、欠席できないのです、はい。場所は向島の料亭「きよし」さんでした。

さて、宴も高輪プリンスいや宴もたけなわ、その方=鏡味味千代(かがみ・みちよ)さんが登場しました。

なるほど、クールな感じの美女。

しかし、いきなり「五階茶碗」。

台になる台茶碗を撥で顎の上に立て、その上にさらに板や茶碗、化粧房を積み上げていきます。後で聞きましたが、美神楽師、何か物体をみつけると、顎の上に立つか試してみたくなるそうな。

さらにです、撥をもう一本を付け足し、その撥の上に毬を載せ、そのまた上にさきほどの品物一切をまるごと載せてしまいます。「五階」というほどの、かなりの高さの物が顎の上に載ります。

曲芸!と言って良いと思うのですが、これは入門初期に覚える、若手の基本芸なのだとか。

定番の「傘の曲」も。

傘の上で回すものは毬だけでなく色々あるのですね。「何事も丸く治まる」鞠、「金回りがよくなる」金輪、「ますます繁盛」の枡など、みな縁起の良いものですね。

こういうものは、ホールでやるよりも御座敷で喜ばれそうです。

それから、「一つ鞠」。

またも顔の上に立てた撥の上から別の撥の上へ鞠を移します。派手さはないですが、少しずつ移していく辺りは辛抱が要るでしょうね。難度としては、これが太神楽曲芸の最高難度だそうな。

いやいや、Brava、大したものです。

しかし、皆さんの中の誰かに、傘をやって貰いましょう!

と言われたのには参りました。見惚れていたので、美神楽師と目が合ってしまったのです。

挑戦して、思いきり恥をかかせていただきました。

どうも冷や汗ですっかり涼しくなりました。結構な納涼会でした。

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.282日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: 飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

疑いの体系

コンプラとは疑うことと見つけたり。

住吉史彦の格言です。

何か不祥事があった時のために、社員やお取引先を、とにかく疑い、

「ちゃんとやることを誓います!」

と、あらかじめ書類に書かせることを、コンプライアンスとかコンプラとか申します。

昨今、「ちんや」にお客様を紹介してくれる、大手の企業さんが、弊社に対して、

役員に暴力団員は入っておりません!

と記載した書類を提出するよう、求めてきています。

江戸時代なら、

無礼者!

で刃傷沙汰ですが、今時はコンプラの世ですから、穏やかに提出する羽目になります。

所謂大手さんと私の間には、人間的な信頼関係は、そもそもありませんから、ドライにつきあいますが、困りますのは、人間的に信頼関係がある浅草の取引先とつきあう場合です。

立場を変えて、弊社に物品を納入してくれる先に対しては、私がコンプラ書類を要求する形になってしまうのです。

日頃は信頼しています、と言っておきながら、その舌も乾かぬ内に、コンプラ書類を要求するわけで、その内容たるや、疑いの体系・疑いのシステムそのものです。

特に衛生の分野は、行政官庁を中心にこの流れが顕著なので、困ったことです。

背景には、普通の消費者が普通にクレーマーに化ける世相があります。しかも、その普通のクレーマーがネットを駆使したりするから始末が悪いですね。

次来る時は気をつけろよ!

というセリフは、もう聞かれなくなりました。

だから「いざ」という時のために、あらかじめ書類で武装する時代です。

近くに住む、小さい頃から見知った関係の取引先が相手でも、書類を要求せねばなりません。困った世の中です。

南無観世音菩薩。

 

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.281日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

Filed under: ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

救急です!

その日はサンバカーニバルの日でしたので、店の玄関に出ていました。猛暑が戻って来た日でした。

外を見ていましたら、年配の男性つまりオジサンがよろめいているのが見えました。

おや!と思いましたが、酔っているのかなあ、と思いとりあえずは放置しました。サンバの日は朝から場所取りしながら飲んでいる人が多いからです。

猛暑の中で朝から居続けて、具合が悪くなったんでしょうか。

そうしましたら、

あっ、ああー!

そのオジサンはもう一度よろめき、しかも今回は顎から地面に落ちたのです。しばらくして口から流血が始まり、路面に血だまりが出来始めました。

こうなると、もう119番しかありません。どうやら連れの人はいないようで、私がかけるより他ありませんが、実は私は119には慣れています。

店でたまにお客様が気分を悪くすることがあるからです。「神谷バー」の神谷さんほどではないですが、慣れています。

まず病人の目の前で携帯でかけるのがコツです。状況を説明しないといけないからです。さて、

火事ですか、救急ですか。

はい救急です。店の前で、60歳くらいの男性が倒れて血を吐いています。知らない方です。通行人です。

屋外ですか。

はい、屋外で商店街です。住所言いますね。台東区浅草1-3-4。よろしくお願いします。と、5W1Hを炸裂させました。

救急車は、すぐ来ました。東京消防庁、Good Jobです。

住所を言っただけで、場所は「ちんや」ビルの前ですね!と既に把握しています。Good Jobです。

しかし困ったことに、今はまさに、サンバカーニバルの開始時間直前。

停車している救急車の後ろから、大音響のサンバ隊が接近してきます。

ここでパレードを止めたら大変です。

しかし、そこは流石、東京消防庁。テキパキと処置して救急車は緊急発進。

間一髪でパレード中断を免れました。

皆さんも、猛暑にはお気をつけ下さい。

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.280日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: 浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

伊勢参り⑤

お伊勢様に参拝して来ました。

参りまして、地元の方と話しておりましたら、

伊勢の人間に「伊勢は観光地なんだ!」という意識が足りない。

という御意見を聞かされ、意外な話しを聞くものだ、と思いました。

「伊勢参り」と言えば、江戸時代には年間200~400万人もの客が訪れた、と聞きますから、間違いなく日本最大級の観光地だったと思うのですが、その繁栄が今日まで続いてきたわけではないのだそうです。

高度経済成長時代を過ぎた頃客数が落ち込み、1970年代後半には20万人にまで落ち込んでしまった、と言います。その後長い低迷期が続き、回復を始めた時期は、意外に最近で、前回の遷宮=1993年だと聞きました。

「観光地なんだ!」という意識が足りなくなったのは、この低迷期があったからでしょう。

回復のキッカケが「おかげ横丁」の開業であることは、既に広く知られているかもしれません。

当時の低迷状況を打開しようと、老舗和菓子店の「赤福」さんが立ち上がり、「おかげ横丁」の建設に着手しました。

建設費用140億円は当時の「赤福」さんの年間売上高とほぼ同額という巨費でしたが、行政から補助金を受けることなく1社の自己資金で賄ったそうです。この話しも有名かと思います。

以降、「横丁」開業前の1992年には年間32万人だった街の往来者数は増加に転じ、2002年には300万人、2007年には400万人、今回の遷宮では800万という数字が話題に上っているそうです。

1970年代と言えば、浅草も最悪の時期でしたから、なんだか、親近感がわきますね。

さて今回の遷宮では、商工会議所を中心にJR伊勢市駅から外宮へ続く一帯が整備されているようでした。以前JR駅の周囲は、

天下のお伊勢さんなのに、なんでこんなにシャビーなの・・・

と思う位寂れていましたが、だいぶ綺麗な街になっていました。

それでも伊勢市内には、まだ魅力的な宿泊施設が少なく、泊まり客は鳥羽・志摩へ流れがちだそうです。実際、私達レストラン協会一行も鳥羽の旅館に泊まりました。

かつて旅籠や遊楼が立ち並んでいた花街一帯が再び賑やかに成った、というわけではないようです。

その昔の「伊勢参り」は、まず外宮に詣で、それから内宮にも詣でましたから時間がかかりました。ですので伊勢に宿泊しますし、宿泊すれば楽しい(=悪い?)こともします。

それで外宮と内宮の間に旅籠や遊楼が在ったわけですが、今時の観光は時間がないので、そんな悠長なことは致しません。

内宮へ直に乗りつけ、「おかげ横丁」で赤福を買って、伊勢参りは終了です。

重ね重ね、どうも浅草に似ています。

客数増を単純に喜べない私は、ヒネクレ者でしょうか。

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.279日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

伊勢参り④

お伊勢様に参拝して参りました。

午前中の参拝でしたので、その前夜は鳥羽の旅館「戸田家」さんの御世話になりました。

「戸田家」さんは、国際観光日本レストラン協会の会員さんなので、遷宮でお忙しい最中なのに、協会の団体旅行を受け入れて下さいました。天保元年ご創業の歴史のある御宿で、お料理もお湯も、おもてなしも大変結構で、感心しながら過ごさせていただきました。

滞在中、色々なことが結構だったのですが、私が楽しかったのことの一つは、伊勢弁の鑑賞です。

特に深い理由はないのですが、私は女性が関西弁を話すのを聞くのが好きです。そう、深い理由は断じて無いのですが、好きなのです。

え、伊勢弁は関西弁なの って?

そうなんです、言葉は関西圏なんです。

伊勢は太平洋に面していて、現在は名古屋市と経済的繋がりが強いため、名古屋圏・中京圏という印象が強いですが、古い時代=名古屋が今ほど強大でなかった時代は関西圏の影響を強く受けていたようです。

「斎宮(いつきのひめみこ)」という女性皇族が伊勢に常駐していた時期もありました。天皇が代わるごとに、未婚の女性皇族の中から斎宮が指名されて伊勢に下っていたのです。

「伊勢弁は三重県北中部の旧伊勢国で話される日本語の方言で、近畿方言(=関西弁)の一種である。」

「伊勢弁は、概ね他の近畿方言と共通した特徴を持っており、発音やアクセントは京阪神のものに近い。」

ですので、みゃあみゃあ言わないのです。

二次会の席で、旅館が手配して下さった、接待係のコンパニオンのお姐さんが、一生懸命標準語を話そうとするので、

伊勢弁は話せないの?

と尋ねますと、

今日はチャンとしないとダメ!って、女将さんからクギ刺されてるんですう~

いいの、いいの、こっちは伊勢弁が聞きたいんだから!

伊勢弁は関西弁と同様に1拍の単語は殆ど無くて、

「蚊」は「かあ」、「毛」は「けえ」、「目」・「芽」は「めえ」と2拍になります。

「いえ」の音が動詞中に現れた場合に「ええ」に変化します。

例えば「見えへん」は「めえへん」に。

ほら、関西弁でしょう!

動詞の打ち消しは、「ん・やん」と「へん」の2種類を併用します。

例えば、書かん、書かへん、見やん、見やへん。

「〜ている」にあたる表現には「〜とる」を用います。

やっぱり、関西弁でしょう!

さて二次会が盛り上がってきました。勿論私は伊勢の食文化に興味があるのですが、こうした場合、ウカツにそういう話題を持ち出すのは気の毒なことになりかねません。今時はザンネンな食生活を送っている若い子が多いからです。

じゃあ、男にデートに誘われて行きたくない場合は、伊勢弁でなんて言うの?

ごめんなあ、やめとくわあ。

うう、気の毒な男。

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.278日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

 

Filed under: 飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)

伊勢参り③

お伊勢さまについて、少しは真面目なことも書きましょう。

「神饌」つまり神様のお食事について、その供給体制については、知っておく方が良いと思うからです。

さて、神様に「神饌」をお供えする儀式のことを「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうのおおみけさい)」と言うそうです。

毎日朝夕二回厳かに行われるのですが、調製を含めると約4時間ほどかかる儀式です。その儀式が、戦時中や台風による冠水を受けても、約1500年途切れることなく続けられてきた、というから驚きます。

そして、さらに驚きますのは、ご飯、野菜、果物、鰹節、鯛、海草、お酒、お塩といった食材を、神宮が自給してお供えしていることです。

水は境内に浄水が湧きます。

田畑を持っているのは勿論、塩も「御塩浜」で作ります。

塩は、昔ながらの、今となっては非常に珍しい「入浜式」で作られます。伊勢市二見町にある五十鈴川に隣接した場所に、御塩浜はあると聞きます。

さらに!土器(かわらけ)も、すべて三重県明和町蓑村にある「神宮土器調製所」で焼かれる、と言いますから、徹底しています。

魚だけは、さすが領地内では獲れませんが、御縁のある漁師さんが代々その仕事を継いできました。

その昔は、全国に1.000か所以上の神宮領があって、食材を献上して来ましたが、1871年(=明治4年)の「神宮改革」で領地は全廃され、以降原則として神宮自ら御物を賄う、自給自足の制度へと改められたのだそうです。

伊勢の人々の、食への情熱の源泉が、ここに在ります。

食に関するこだわりが並大抵でない理由が、これで分かると思います。

神様にお供えする食事、その食事こそが日本の食の原点と申せましょう。そのことは決して忘れてはなりません。

今回は、そう再認識する機会を得ました。

在り難や。

追伸①

単行本『東京百年老舗』に載せていただきました。

21人のフォトグラファーたちが、歴史と伝統を現在に伝える「老舗」の魅力を余すことなく写しだした写真集です。

時代が変わっても、変わることのない老舗の魅力が、ここにあります。

くわしくはこちら↓です。

追伸②

「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

現在の笑顔数は361人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

皆様も、是非御参加下さい!

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.277日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

 

 

 

 

Filed under: 色んな食べ物 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)