葬儀

浅草寺の第二十七世貫首・清水谷孝尚猊下が亡くなり、葬儀が営まれました。94歳でした。

猊下は全日本仏教会副会長や東京都仏教連合会会長を歴任した方ですが、それ以上に浅草の人達は、東京大空襲で焼失した本堂の再建に努めた方として記憶しています。

再建から五十周年を記念して2008 年に開催された、本堂落慶五十年記念大開帳は、猊下の集大成の事業として、今も記憶に新しい所です。

ご葬儀は冷え込みのきびしい中で営まれましたが、大勢の方々が焼香の列に並んでおられました。

『生かして生きる』(講談社)など著書も多数。

まさに、永年に渡って浅草を代表してきた御方と申せましょう。

参列者全員に故人の業績を記した資料や式次第が配布されたことも素晴らしかったと思います。

合掌。

追伸、

一冊丸ごと「すき焼き大全」とも申すべき本が出ました。

タイトルは『日本のごちそう すき焼き』。11月19日平凡社より刊行されました。

この本は、

食文化研究家の向笠千恵子先生が、すき焼きという面白き食べ物について語り尽くした7章と、

全国の、有志のすき焼き店主31人が、自店のすき焼き自慢を3ページずつ書いた部分の二部で構成された本で、

この十年の「すきや連」活動の集大成とも言える本です。私も勿論執筆に加わっています。

是非是非お求めください。

弊店の店頭でも販売しますし、こちらからネットでも購入できます。

是非。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.746日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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師走の選挙

さて師走の選挙です。

困るんですよね。選挙は忘年会や歳暮に悪影響があるんです。

私は周りには、そういうボヤキが充満しているんですけど、それが全く報道されないのは、何故なんでしょうか?

不思議に思っている頃「選挙の経済学」というタイトルを掲げた雑誌が売られていたので、うっかり買ってみましたら、やれ、

選挙関連ビジネスの市場規模がいくらだとか、

ジミン党がN議席なら、株価はn円に成るとか、

そういう内容でした。

私は株をやらないので、そういう売り買いゲームみたいな話しって、全然興味持てないんですよねえ。

だいたい、経済学者さんは国民の所得がいくらあれば、その内の♡%が消費に向けられる筈だ、という発想だと思いますが、忘年会とか歳暮とかの季節性の消費は、時期を逸したら消費されないんですよね。

まだ歳暮の方は、年賀に切り替える手もありますが、忘年会はどうにもなりません。新年は新年で皆さん、用事がありますからねえ、いったん流れたら、流しっ放しと成ります。トホホです。

ジミン党の皆さん、選挙に勝ったら、自分が忘年会やって下さいよ。

追伸、

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芽生会

「東京日本料理業芽生会」(めばえかい)の本年最後の例会を、弊店でお引き受けしました。

東京を代表する料亭さん・料理屋さんの、若手経営者が集まる会食ですから、気合いを入れて準備させていただきました。

<献立は、こちら↓です>

先付け①=牛すじサラダ

先付け②=蟹豆乳寄せ

先付け③=雲子みぞれ和え

前菜=牛モモ肉湯霜、同味噌漬け、海老芋牛そぼろ

すき焼き肉=黒毛和種、雌、北海道うらかわ町産「みついし和牛」、個体識別番号:1348651954、平成24年3月9日生まれ⇒26年10月27日と畜(肥育32か月強、熟成6週弱)

ザク=葱(千住葱)、豆腐(「栃木屋」浅草)、白滝(同)、春菊(宮城県)、椎茸(群馬県)、エノキ(千葉県)

変りザク=大鰐(オオワニ)温泉もやし(青森県)

口直し=マイタケのピクルス(消化酵素)

デザート=メロン、柿

日本酒冷酒=末廣酒造(会津若松市)初しぼり純米吟醸生原酒

日本酒お燗=神亀酒造(蓮田市)山廃純米酒ひやおろし(客席内で、土鍋で燗つけ)

日本茶=増田園総本店(浅草)

追伸、

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タイトルは『日本のごちそう すき焼き』。11月19日平凡社より刊行されました。

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アルコール度数

台東三田会の忘年会が「ちんや」で開催されました。

今回宴会前の卓話をお願いしましたのは、会津若松の「末廣酒造」七代目・新城猪之吉さんでした。1974年のご卒業で、福島県酒造組合の組合長でもあられます。

色々お話しをうかがう内面白かったのは、江戸時代の酒は今のアルコール度数の半分くらいだった、ということです。

その酒を江戸の人々は大量に飲んでいたそうです。

江戸に運ばれてきた酒の量を江戸の全人口で割ると、1人あたり1日2合の酒を飲んでいたことなるという試算があるそうです。

酒呑みだったのは庶民だけではなく、武士も大量に飲んだそうです。参勤交代があって、独り身ですからねえ。

ある屋敷の、施設管理担当のある武士は、世ごと出入りの畳商から接待を受けていたということなのですが、それが連日一升!

とても信じられませんが、度数が半分なら、やってやれないことはないと思います。

それにつけても話しは逸れますが、江戸時代って汚職天国だったんですね。

このブログを書いている日、NGO「トランスペアレンシー・インターナショナル」が世界汚職ランキングを発表しましたが、その中で日本は15位。

去年より3つ順位を上げたそうですが、さほど良い点でないのは、江戸の汚職文化・接待文化が根をおろしているからでしょうか。

1位デンマーク

2位ニュージーランド

3位フィンランド

と上位10か国のうち7か国をヨーロッパ諸国が占めていますね。

一方、中国は100位となり去年の80位から順位を大幅に下げました。政府が反腐敗キャンペーンを必死で展開しているのに順位が落ちてます。

格好悪いですね。

ここはまず、対策として酒の度数を上げたらどうでしょうか。

中国の酒は度数の低いものが多いから、延々と接待漬けにされてしまうんじゃないですかね。

役人が早々に酔っぱらって帰りたくなるようにしたらどうでしょうか。

ねえ、習近平さん。

 

追伸、

一冊丸ごと「すき焼き大全」とも申すべき本が出ました。

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庶民としては

庶民としては、どーのこーの、という台詞をよくテレビで聞きますよね。

庶民としては、値段は安い方が良いと思います!

が代表的台詞です。

情報番組でそう言っている方は、魑魅魍魎が跋扈する夜の世界でナンバーワンだった経歴の持ち主で、そういう方に庶民の立場が代表できるのか、私には分かりませんが、ナンバーワンに成る前は一般人だったのだから、まあ、代表は可能なのでしょう。

ですので、今日はそのことはさて置いて、

「庶民としては」が、本当に庶民の考えなのか、という点を考えます。

値段は安い方が良いかもしれませんが、

しかし値段を安くする過程で安全性や道義をも投げ捨てる業者がいて、色々な事件が起きます。

ここが「庶民」の出番です。

「庶民」あるいは「消費者」は、品物を売っている業者がどういう業者か分からないんだから、国がしっかり監視して貰わないと困るじゃないの!今の政府は怠慢だと思います!

と叫ぶのが番組内での「庶民」の役割です。

それくらいの意見なら、私でも言えますね。

ここで弊ブログの読者の皆にもお考えいただきたいのですが、「庶民」って、悪い品物を見ぬく力が全く無いんでしょうか?

私は、庶民にはそういう力が結構在ると思うんですよ。

「安物買いの銭失い」

ということわざがたしか、在りましたよね。

テレビの「庶民」の方は知らないかもしれませんが、まともな庶民はそれを知っていると思います。

「庶民」が代表している考えとは、実は、

消費者は自分の購買行動について完全に無答責であって、買った品物によって被害を蒙らないよう公権力によって庇護されるべきである。もし被害を蒙ったのなら、公的に救済されるべきである。

という考え方なのだと推測されます。

ブラック庶民ですな。

いやはや、魑魅魍魎。

追伸、

一冊丸ごと「すき焼き大全」とも申すべき本が出ました。

タイトルは『日本のごちそう すき焼き』。11月19日平凡社より刊行されました。

この本は、

食文化研究家の向笠千恵子先生が、すき焼きという面白き食べ物について語り尽くした7章と、

全国の、有志のすき焼き店主31人が、自店のすき焼き自慢を3ページずつ書いた部分の二部で構成された本で、

この十年の「すきや連」活動の集大成とも言える本です。私も勿論執筆に加わっています。

是非是非お求めください。

弊店の店頭でも販売しますし、こちらからネットでも購入できます。

是非。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.742日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

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平塚良いとこ②

平塚西ロータリークラブさんの、卓話の講師としてお招きいただきました。

平塚の海岸近くにある名店「竹万」の御主人とは、国際観光日本レストラン協会で旧知なのですが、その御主人が今年平塚西RCの会長に成られました。その招集ですので、馳せ参じないわけにはまいりません。

30分以内ですき焼きクイズもやって欲しい、という御要望でしたので、その時間を除くと話すのは20分位ですね。

どんどん行きましょう。

<この話しは昨日から続いていますので、まず昨日の弊ブログをご覧ください。>

次に、後半は手前どもの話しです。

私の祖先が江戸時代から従事してきた狆(ちん)の商いをたたみ、料理屋に衣替えしましたのは明治十三年(1880年)のことでした。それで屋号が「ちんや」なのですが、私は、そこから数えて六代目の当主です。在り難いことに店主が代を重ねるのに合わせ、三世代・四世代・五世代に渡って御利用下さる御客様に恵まれてきました。

その、御利用下さる御客様の舌に馴染んでおりますのは、手前どもの、かなり甘目の割下です。東京下町の人々が好んできた味です。御客様の中には地元で洋食店を経営なさっている方もおいでですが、その御店のビーフシチューは、やはりソースが甘目で、お互いに行き来して食べ合っています。そうした味を「美味しい!」と感じる味覚は、本当に在り難いことに、御客様から、そのお子様へ・お孫さんへと継承され、その家族の中で共有されています。お爺ちゃんが好きなすき焼き屋にお孫さんも一緒に行ける、そして同じ鍋をつつくことが出来る、それこそが、「ちんや」という店の最大の存在意義だと、私は考えています。

浅草には初詣・春のお彼岸・花見・夏祭り・花火大会・秋のお彼岸と、四季の伝統的な行事がありますから、家族揃ってお出かけいただける機会がたくさんあります。そんな折にすき焼きを食べれば、ご家族の思い出・ご家族の歴史を造っていただけると思います。

そのお手伝いをする仕事に、歴代の当主は人生の全てを捧げて来ました。当代の私も全く同じことです。

そう申しますと、御店の味は明治時代と変わらないんですか?!と言われたりします。雑誌やテレビの取材を受けますと、いつもその質問でウンザリします。

彼らは笑顔で、こう↓言って来ます。戦争中に、ご先祖様がタレの甕を持って逃げたとか、そういう面白いエピソードはありませんか?!彼らは「老舗」と言われる店に行く時は、どの店に行っても、この問答で全て済ませているのです。楽なもんです。

いやいや、いやいや、あのですね、すき焼きは現代が一番旨いんですよ!技術も世相も違うのに、味が明治時代と同じなわけはなく、すき焼きが一番旨いのは現代です。本当です。

では、すき焼きが一番旨いのが現代である理由を、少し子難しくなりますが、ご説明します。

その理由は遺伝子レベルで牛を把握しているからです。

なんの遺伝子かと申しますと、例えば、脂肪に関わる遺伝子です。牛の脂には飽和脂肪酸と不飽和脂肪酸がありますが、牛肉の風味や食感は、この内の不飽和脂肪酸の含有量が多いほど良いことが知られています。オレイン酸に代表される不飽和脂肪酸は融点が低くて良く融(と)ける為、胃モタレすることがなく、またその融けた脂に味や旨み成分が溶(と)け込むので、食べた時に全体の味がマイルドになります。「ちんや」さんの脂は甘いねえ、と良く言われるのは、これです。

ここまでダイジョーブですか?次行きますよ・・・

その不飽和脂肪酸を、牛は体内で、飽和脂肪酸を不飽和脂肪酸に造り換えることで合成していますが、実際その合成にかかわるのは酵素の一種です。

その名を「ステアロイル-CoAデサチュラーゼ(SCD)」と申しますが、まあ、そういう名前は忘れましょう。

さてさて、ここからがスゴい所ですが、牛の遺伝子がどういう型であったら、SCDの働きが強いのか、現代の日本人は既に特定しているのです。なんでも遺伝子の、878番目の塩基の違いによって、酵素の働き具合が違うんだそうですが、まあ、ここも忘れましょう。とにかく、牛に旨い脂が付くのか・不味い脂が付くのか、遺伝子型で分かるのです。

畜産技術研究所という所に行きますと、のどかな牧場ではなくて科捜研みたいな所でして、遺伝子の解析をやっているんです。

これでも明治時代と同じ味ですか?あまり言いたくない話しですが、現代に史上かつてなくマズいすき焼きも実は存在する理由についても、まったく同じ理由で説明がつきます。味を良くする遺伝子ではなく、早く牛が増体する遺伝子や早く霜降りが付く遺伝子も特定されていますから、味を度外視して、そういう価値を追い求めれば、味はどんどんマズくなりますね。

これは、技術の使い方の違いの話しで、いずれにせよ、明治時代と同じ味ではありません。

だいだいですね、話しは多少飛躍しますが、伝統産業が、

昔の仕事のコピーをしてしまってる。

原点をすっかり忘れて時代に迎合し切っている。

その、どちらのケースでも伝統産業は滅びて、その国の個性は失われると思います。報道関係者があの調子では、日本もやがて、世界にいくつも在る停滞した先進国の内の、単なる一個と成り下がりましょう。

トホホですなと思いますが、彼らのことは忘れて、当家歴代のすき焼きの中で、自分の代のすき焼きが一番旨いのだ!と威張れるよう、頑張って行けば良いわけでして、技術は進歩しますから、それをフォローして味に反映させて行けば良いのです。

そうそう力まなくても、自分の代の味に成ります。

そのようにして作った肉の味は、実は、手前どもの望む客層にぴったりマッチしてまいります。ご家族の思い出を作っていただく店ですから、消化力の衰えたお爺ちゃんや小さいお子さんが食べても「胃モタレ」しない肉、それを提供することが、手前どもの絶対の使命です。それで脂融けの良い肉、すなわち不飽和脂肪酸が多い肉が必要で、そういう遺伝子を持った牛を買い求めないといけなんです。

口はばったいですが、すき焼き屋という商いに於きましても、望ましい顧客像・望ましい使われ方と、提供する味が合致していることが大事だと信じます。そこを合致させ続ければ、今は小さくて、お爺ちゃんに手を引かれているお子さん達も、やがて日本の下町の味覚をしっかり覚えてくれることでしょう。日々そう期待しつつ仕事をしています。

そうしてお客様の舌の上に形成される味覚こそが、手前どもの本当の資産です。

関東大震災・太平洋戦争と二度の災難を乗り越えた下町の人間は、本当の資産とは金でも土地でも建物でもないことを自然に知っています。その心を継承し、気持ち良く商いが出来る、そのことを私は幸せに思っております。

そしてまた、そのことを今日皆様にお話しできましたことも、またこの上のない幸せと思っています。

本日このような光栄な機会をお与えくださいましたことにつきまして、関口会長様またご臨席の全ての皆に心より感謝申し上げまして、終わりにしたいと存じます。本日は誠に誠にありがとうございました。

 

追伸、

一冊丸ごと「すき焼き大全」とも申すべき本が出ました。

タイトルは『日本のごちそう すき焼き』。11月19日平凡社より刊行されました。

この本は、

食文化研究家の向笠千恵子先生が、すき焼きという面白き食べ物について語り尽くした7章と、

全国の、有志のすき焼き店主31人が、自店のすき焼き自慢を3ページずつ書いた部分の二部で構成された本で、

この十年の「すきや連」活動の集大成とも言える本です。私も勿論執筆に加わっています。

是非是非お求めください。

弊店の店頭でも販売しますし、こちらからネットでも購入できます。

是非。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.741日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

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平塚良いとこ①

平塚西ロータリークラブさんの、卓話の講師としてお招きいただきました。

平塚の海岸近くにある名店「竹万」の御主人とは、国際観光日本レストラン協会で旧知なのですが、その御主人が今年平塚西RCの会長に成られました。その招集ですので、馳せ参じないわけにはまいりません。

30分以内ですき焼きクイズもやって欲しい、という御要望でしたので、その時間を除くと話すのは20分位ですね。

どんどん行きましょう。

前半は、すき焼きの歴史をザックリとお話ししますね。

現代のすき焼きに直結しているのは、江戸の街で密かに営業していた「ももんじ屋」または「ももんじい屋」の料理で、けものの肉を鍋物にして食べさせていたようです。当然、当時表向き肉食はタブーですから、「薬喰い」と称して、アングラで食べていました。

「百獣の屋」がなまって「ももんじ屋」ですね。

獣の産地は江戸郊外で、農民が害獣である猪や鹿を駆除した時、それを利根川で江戸へ運んでいたそうです。牛や馬は害獣でなく役にたつ動物ですから、さらにタブー感が強かったはずですが、それでも牛肉・馬肉を食べさせることがあったようです。ここで食べられていた料理が今日のすき焼きの、直接の原型です。

彦根藩も江戸時代から、将軍家に牛肉を供給していましたが、味噌漬けや塩漬けといった塩乾物の形でして、鍋の祖先は「ももんじ屋」です。

今でも両国で1718年創業の「ももんじや」さんが営業していますね。両国橋を渡ると、すぐ右手のビルの外壁にイノシシが逆さまに吊るしてありますから、行けば「おおっ!」と思うはずですが、あの御店はそうした御店の生き残りです。

で、その「ももんじや」で食べられていた、牛鍋が明治時代になりまして解禁になるのですが、その前に幕末に「プレ解禁」がありました。「プレ解禁」の原因は言うまでもなく、日本に入って来た外国人の影響です。1859年に横浜が開港しますと、居留地の外国人の需要に応えて、肉を調達する必要が生じました。当時は日本に畜産業がなかったため、農耕作業に使った牛を、退役させて潰して食用にするようになりました。

1864年には横浜に屠牛場が開設され、幕府から公認もされたようです。この頃になると牛鍋屋も、もはやアングラではなく、公然と開業し始めます。高橋音吉が「太田なわのれん」を創業しましたのは、そんな中のことでありまして、1868年すなわち明治元年のことでございました。

やがて牛鍋屋の開業ブームは横浜から江戸にも飛び火します。1867年に中川嘉兵衛という人が江戸のはずれ荏原郡今里村に屠牛場を設立しまして、江戸の牛鍋屋にも牛肉が供給されるようになります。

その場所は現在の白金台2丁目です。その辺りは今では、シロガネーゼのお洒落な街ということになっていますけど、当時は田舎だったんですね。

で、この屠牛場は近代的な屠殺場であったようです。当初は外国人向けが主でしたので、衛生的な取扱いには気をつかっていたようで、それで、今日の感覚からすると少し驚く話しですけど、この屠牛場で屠殺した牛がブランド牛になって行きます。どこで飼われていたか、ではなくて、どこで屠殺されたか、がブランドだったんです。今でも「今半」さんとか、「今朝」さんというすき焼き屋さんが在りますが、「今」の字が入っているのは「ウチは今里村屠牛場~後には「東京共有屠牛場」という名前になりますが、そういうチャンとした所から牛を買っている、チャンとした店だ!」ということを主張しているですね。

ももんじや系の店でも牛鍋を出していたわけですが、「同じような料理だけど、私屠殺の牛は使ってないよ!」という意味が店の名前に込められているわけです。トリビアでしょう!次にカノジョと「今半」さんに行ったら話して自慢してみましょう。

さてさて、1872年ついに明治天皇が初めて牛肉を召し上がりました。そのことが報道されて、肉食は完全に解禁。解禁どころか、文明開化のシンボルになります。1877年の東京における牛鍋屋の数は550軒を超えるほどであった、と伝えらえていますから、いかに当時の牛鍋のブームがスゴかったか、お分かりいただけると思います。

今日すき焼き屋を続けている店のほとんどが、この頃に開業した者の生き残りです。ただし、言い方は変わっていますね。関東では大正時代まで「すき焼き」と言わず「牛鍋」と言っていましたから、我々は牛鍋屋の生き残り、というのが正確です。

関東で「牛鍋」という言い方が「すき焼き」に変わったのと、すき焼きが高級化した時期はかぶるようです。当初、具材の内容は野菜がとても寂しくて、ネギのみの場合も多かったようです。ネギは臭み消しのスパイスとして必需品だったので、ネギは必ず入っていたと思われますが、他の具が少なかったようです。それが明治20年代辺りから大正時代にかけて、すき焼きは高級化を始めて具体的にはザクの具が増えます。この頃白滝や豆腐が使われ始めましたが、この皿はザクザクと切ることから「ザク」と通称されるようになりました。

そして高級化では、関西の店の方がやや先行していた模様です。現存してはおりませんが、関東大震災の後に関西から東京へ進出したすき焼き屋があったと聞いています。店が現存していませんので、どういうすき焼きだったか、ハッキリとは分かりませんが、わざわざ東京へ進出する位ですから、創意工夫をこらし、気合いを入れて出て来たと考えて間違いはないと思います。で、この傾向は東京勢つまり関東式の牛鍋屋には相当脅威であったようです。

関東大震災が起きて打撃を受けたところへ高級なライバルが現れたので大変だったと思います。関東の牛鍋屋が「牛鍋」と言うのを止めて、「すき焼き」と言うようになったのは、この頃でして、中には、もう廃業した御店ですが『高等すき焼き』という名前にした店すらありました。ザクの具材も、おそらく「高等」にするために増やしたんだろう、と想像します。この御店は10年位前まで現存していて、最後まで『高等すき焼き』というメニュー名を使っていまいた。「牛屋」と蔑まれているようでは、やっていけない、という恐怖感が、こんな滑稽な名前のメニューを産み出したんですね。

勿論牛鍋という名前に誇りをもって護っておいでの店もありますが、かなりの数の関東の牛鍋屋が名前を変えました。その背景は、そんな感じだったと御理解下さい。

さて、牛の話しよりザクの話しが先になってしまいました。牛のブランド化の話しもしておきましょう。今では全国各地に牛のブランドがありまして、牛と言えば「〇〇ぎゅう」ですが、ブランド化の歴史は、実はそんなに長くありません。

日本初の牛のブランド=神戸ビーフは生産地のブランドではなく、流通経路の途中の集積地の地名でした。神戸の居留地の外国人が肉を求めたことが、神戸ビーフの「そもそも」でありまして、ブランドと言いましても、今とはかなり感覚が違います。「伊万里焼」は伊万里で焼かれておらず、伊万里は積み出し港の地名でしたが、それと似ていますね。

今現在は兵庫県北部の但馬地方の牛のことを「神戸ビーフ」と定義していますが、明治時代には事情が違っていましたので、ご注意願います。

生産地の地名がブランドになるのは、1935年(=昭和10年)以降のことでありまして、松阪牛が『全国肉用牛畜産博覧会』で名誉賞を受賞したことから全国的に知られるようになりました。しかし、この後すぐに日本は戦争に突入してしまいまして、第一回の松阪肉牛共進会が開始されたのは、戦後の1949年(=昭和24年)のことでした。

この辺りが牛のブランド化のさきがけです。で、肉質も変わって行きまして、今日皆さんが良く目にする所謂「霜降り」の肉が登場するわけです。

以上、すき焼きの歴史をザックリ追ってみました。この辺について詳しく知りたい方は、新刊本『日本のごちそう すき焼き』をお読みください。

次に、手前どもの話しです。

<この話しは、未だ続きますので、明日のこのブログにUPしますね>

追伸、

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全国の、有志のすき焼き店主31人が、自店のすき焼き自慢を3ページずつ書いた部分の二部で構成された本で、

この十年の「すきや連」活動の集大成とも言える本です。私も勿論執筆に加わっています。

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本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.740日連続更新を達成しました。

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ミシュランガイド東京2015

ミシュランガイド東京2015が発表され、弊店は「ビブグルマン」に入選しました。

「ビブグルマン」は、単価5.000円以下で星は付かないけれどコストパフォーマンスが高い調査員おすすめのレストラン、というものです。

単価5.000円以下のメニューは弊店には1アイテムしかないのですが、まあ、貰えるものを貰わない手はありませんから、在り難くいただいて参りました。

このガイドブックについて、とやかく批判する人が多いことは私も勿論知っています。曰く、

フランスのタイヤ屋に何が分かる?!

私も、これを盲信して、自分自身の感覚や馴染みの店との縁を軽んずるようになった日本人のことを情けなく思う一人ですが、それでもクチコミ・ランキングのサイトを盲信するよりは、はるかにマシでしょう。

フランスの方が独自の基準を持って、この国でガイドを作るのは自由と申すものです。それに、外国人が日本を旅行する場合に便利なのは間違いないことですね。

ですので、セレクション発表パーテイーに出て、セレモニーが進行する様子を眺めながら、私がつらつら考えましたのは、今時の日本の消費者に対する批判ではありませんでした。

私が思いましたのは、

私達日本人も、この逆ばりをやれば良いのではないか?!

やらねばならぬのではないか?!

ということでした。

ヨーロッパやアメリカで開業している、日本料理店を我々がランク付けするのです。

アジアの方が、もっとニーズがあるかもしれません。シンガポールでは和食店の開業バブルが起きているとか。

すき焼き屋の評価であれば、勿論喜んで私がお引き請けします。

評価されるばっかりが能ではありませんよね。

受け身はつまりません。

やりませんか、ブリヂストンさん!

 

なお本の発売は12月5日(金)からです。

現在はネット上にセレクションが公表されていますが、有料サイトですので、お金を払わないと読めません。知的財産で儲けるところは流石。

 

追伸、

一冊丸ごと「すき焼き大全」とも申すべき本が出ました。

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更新手続き

ちんやメンバーズカードの更新期間が11月末日で終わりました。

このカードの有効期限は5年間でして、今年の1月から7月までにその期限が切れた方の更新手続きを、8月~11月の四カ月間かけて受け付けて来ました。

入会して最初の5年間は割引率が5%ですが、更新しますと次の5年間は割引率が6%に成ります。

だから是非とも、この8月~11月の四カ月間で更新をしていただきたかったところです。

更新するのは、ごく簡単でして、「ちんや」に行って⇒金5百円を支払えば良いだけでした。しかし、このハードルは一見低いようで、実は少し高いハードルです。

1「ちんや」に行く

2金五百円を支払う

だけですが、1をメンド臭がる方がおいでです。

なんで振込みにできないの?! 信じられな~い♡

はい、恐縮ですが、振込みはあえてやってないんです。

理由は勿論、この場所へ歩いて来て欲しいからです。浅草へ来て下さることが大事なので、それをしてくださらなけれダメです。

実は、会員さんの中には、ほんの一瞬の御縁だった方もおいでです。

忘年会の下見に見えて、即入会して、その忘年会を5%引きにして、それ以降まったく音沙汰梨イヤ音沙汰無しという方がおいでです。

それも正統な利用方法ですから、文句は申せませんが、6%会員に昇格していただくには、ハードルを設けさせていただきます。

とにかく何しろ、不親切とは存じますが、一度此処へ来ていただきたいと思います。そこは譲れません。

今月中なら「おめこぼし期間」で、更新OKに致しますので、是非是非お出で下さいませ。

追伸、

一冊丸ごと「すき焼き大全」とも申すべき本が出ました。

タイトルは『日本のごちそう すき焼き』。11月19日平凡社より刊行されました。

この本は、

食文化研究家の向笠千恵子先生が、すき焼きという面白き食べ物について語り尽くした7章と、

全国の、有志のすき焼き店主31人が、自店のすき焼き自慢を3ページずつ書いた部分の二部で構成された本で、

この十年の「すきや連」活動の集大成とも言える本です。私も勿論執筆に加わっています。

是非是非お求めください。

弊店の店頭でも販売しますし、こちらからネットでも購入できます。

是非。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.738日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

 

 

 

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食べ残し

〇〇人は××だ!

という式のジョークは、単純に面白いので古来たくさん作られてきました。

イギリス人、フランス人、イタリア人、ドイツ人などの気質をネタにしたものがたくさん在りますね。私もそういうジョークが好きです。

最近こういうジョークを好むのは中国人のようで、ネット上でたくさん飛びかっているようです。それが日本語にも訳されていて読むことができます。

でも、日中両国の間には残念なことに政治問題や反日教育の問題が在りますから、気楽に笑い飛ばすことが難しいようです。ネット上で感情的な応酬になってしまったりしています。

リアルな会話ならジョークなのか真剣な議論なのか、雰囲気で分かりますが、ネットでは分かりません。だから、このブログでは私は、〇〇人は××だ!は書かないことにしています。

最近見つけたものとしては、

「縦に並んで歩く団体は日本人。横に並んで歩く団体は中国人。列を作らずにバラバラに歩く団体は韓国人」

次は、

「日本人は小さいころから、ご飯の時は米粒もおかずも残してはいけません、と教えられる。だからもし、残っているのを見ると、ものすごく嫌がる。」

中国のネットに自虐的に紹介されたようですが、これは熱い応酬を呼んだようです。

「激しく同意!一部の国ではご飯を残すことが“富の象徴”みたいになっているけど、それって実際には“民度が低い”証のようなもの」

と肯定する中国人もいる一方で、

日本でバイトした経験のある中国人は、

「デタラメ言うな!日本人は食べ物をものすごい残すぞ。自分、居酒屋でバイトしているからよく知ってる。」

うーん、笑い飛ばせません。

最近の日本人は、「食べ放題」「飲み放題」に慣れてしまっていて、残すのが平気になってしまっています。

見識の無い「食べホー」料理屋の営業方法が日本人の気質を変えてしまっているのが現状だと言えます。

洒落に成らないというのは、本当に味気ないことですね。

追伸、

一冊丸ごと「すき焼き大全」とも申すべき本が出ました。

タイトルは『日本のごちそう すき焼き』。11月19日平凡社より刊行されました。

この本は、

食文化研究家の向笠千恵子先生が、すき焼きという面白き食べ物について語り尽くした7章と、

全国の、有志のすき焼き店主31人が、自店のすき焼き自慢を3ページずつ書いた部分の二部で構成された本で、

この十年の「すきや連」活動の集大成とも言える本です。私も勿論執筆に加わっています。

是非是非お求めください。

弊店の店頭でも販売しますし、こちらからネットでも購入できます。

是非。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.737日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

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