地酒まつり2014

「茨城地酒まつりin花やしき2014」に参加してきました。

この催事は、茨城県酒造組合が主催していますが、夜の遊園地で日本酒を飲みまくる、という、なかなかエキサイテイングなイベントです。おカタい組合の行事とは思えません。

今年で4回目。

地震の年の春に第一回が予定されていたのが、いったん延期となり、その年の秋に第一回が開催されました。以来応援させていただいております。

浅草料理飲食業組合の組合長が乾杯の発声をするのが恒例ですが、今回はご都合がつかず、不肖・私が代打をさせていただきました。

「〆の言葉」だったら、ゼッタイお請けしませんけどね、だって呑めませんから。

さて、茨城県は関東一の酒どころ。28蔵が浅草の花やしきに集結しました。

全国的にも、新潟・福島・長野にはおよびませんが、酒蔵が多いところです。

最近は地元産の米を使ったお酒を造る試み(=「ピュアいばらき」)に熱心。

石岡市など一部の自治体では、乾杯で地元の酒を飲むことを義務づける「乾杯条例」を制定する所もあったりと、実に結構と思います。

この催事が5回、10回と浅草に定着したら良いと思っています。

うーい、ひっく。

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毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

大津島

山口県大津島の「回天記念館」を訪ねました。

「回天」とは言うまでもなく、太平洋戦争中の「人間魚雷」です。

魚雷を、人一人が乗れるように改造した「回天」は潜水艦に搭載されて、そこから敵艦に体当たり攻撃をしました。勿論生還を期すことはできません。

隊員達は、その特攻に出る前、壮行会ですき焼きを食べて、その後出撃して行くのが恒例だったと聞きます。

隊員達とすき焼きの話しは、以前このブログの5/23号に書きましたから、そちらをご覧いただきたいのですが、とにかく一度訪ねてみたいと思っていました。

そうしましたら、最近、国際観光日本レストラン協会の会合が広島であり、会合のついででは英霊に恐縮なことと思いましたが、思い切って、お訪ねすることにした次第です。

新幹線で徳山に着き、島に渡りますと、島の空気はいたって静かでしたが、記念館の館内は盛況。防衛大学の学生さんが研修に来ていました。

学生さんの間をぬって、すき焼きの話しの主人公・おしげさんに関する展示を拝見しました。

島の対岸の、かつて軍港の在った徳山にも行ってみました。

壮行会の料亭「松政」はわりあい駅の近く。残念ながらその後廃業してしまって、現在は駐車場でした。

日露戦争の総参謀長・児玉源太郎の銅像がたつ児玉公園にも行ってみましたが、その頃には、もう遅い時間です。

良い子は酒を飲む時間ですねえ。

瀬戸内と言えば魚。魚と言えば酒。

私もたまには魚を食べるんです。

名物の瓦蕎麦=熱した瓦の上に蕎麦が載せてある、も初体験。

うん、実に結構。心に沁みる酒でした。

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DoYouNiku?

Do you Niku?

と書いて、

どうゆう肉?

と読んで下さい。

お客様が肉を買い求める場合、当然どうゆう肉か気になる筈ですが、実際の、店頭での問答はチグハグなことが多いです。

お客様:この肉、おいしいの?

販売員:おいしいですよ!

お客様:どれが一番おいしいの?

販売員:みんなおいしいですよ!

お客様:どこがどう違うの?

販売員:こっちは松阪で、こっちは山形ですね・・・

・・・松阪とか山形とかは表示してありますから、読めば分かります。読めば分かることをまた言うのは、人様を馬鹿にしていると思われかねませんね。

それにこれでは結局どういう肉なのか、ちっとも分かりません。だから全然ダメです。

とりあえず、社内で「産地・ブランド禁止令」を出しました。産地を言ってごまかすのは×です。どういう肉かを答えないといけません。

まず、牛の誕生日と、と畜日を調べますと、肥育日数がわかります。

長く育てられた牛の場合は、「脂が甘いですよ」と表現します。そういう牛の脂は口の中で早く良く融けますから、それで甘いように感じるからです。

次に、と畜日から熟成具合が分かります。

4-5週間位しっかり熟成させた場合は、「赤身の味が濃いですよ」と表現します。そういう肉は、アミノ酸(=旨みの素になる物質)が増えているからです。

さらに言えば、どちらも消化しやすいですから、

「胃モタレしませんよ」とか

「年配の方に喜ばれますよ」と言うこともできます。

どういう方に向いている肉かを言うことは、産地を言うより余程分かり易いです。

産地については、有名かどうかということより、涼しい土地かどうかを考えます。寒冷地の生産者の方が、牛を丁寧に飼うことが多いからですね。

私達も、産地名の棒読みはやめて、丁寧にやりとりしないといけません。

ご来店の際は、是非是非、

DoYouNiku?とおたずねください!

 

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神々の国

久しぶりに台風が東京にしっかり雨を降らせて行きました。18号のことです。

そのせいで、5日の夕方からキャンセルが出だして、6日の昼時弊店は開店休業の有り様となりました。トホホです。

でも、この最中も、御嶽山の災害復旧に従事している皆さんは、東京などとは比較にならない御苦労をなさっていたわけですから、店が閑古鳥という程度の愚痴を長々書くわけには行きませんね。

それにつけても、日本は災害の多い国です。

地震、台風、噴火、水害となんでもござれです。

この国の神々は、よほど凶暴と見えます。

でも、なぜか名前は「やおよろずの神々」なんですよね。

名前の発音が「や」行なので、柔らかい印象ですが、やることは凶暴です。

御嶽山にしても午後3時を過ぎていれば、山頂の登山者は、ほとんどいなかったはずです。

広島にしても深夜でなくて昼の雨であれば、逃げられた人もいたと思われます。

黒川伊保子先生の御本『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』に従えば、凶暴な神には自然と凶暴な名前が付く筈です。

「ぎゃおぎょろず」とかね。

おかしいですねえ。

ま、でも、過ぎたことは忘れて、この損をとり返さないといけません。

そう考えて、日本人が真摯に努力するもんだから、この国は発展しちゃうんですよねえ。

まさに思う壺ですな。

ぎゃおぎょろずの神々の。

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社員旅行

郡山市のすき焼き店「京香」の皆さんが、社員旅行で見えました。

「京香」さんは、明治17年(1884年)のご創業、福島県で初の牛鍋店だったそうです。

今でこそ郡山は福島県第一位の都市ですが、当時はそうではなく、会津若松や福島の方がずっと都会でした。

郡山は、と申しますと、原野に安積疏水を通す工事中。

明治維新後、各地で不平士族の反乱が起きたため、士族に仕事を与える国家プロジェクト「士族授産」を行う必要が生じ、その場所として安積原野が注目を浴びた、ということのようです。

そんな所に牛鍋屋が出来たのです。原野の店が牛鍋屋としては会津や福島に先行したところが歴史の面白いところですね。

要するに、会津や福島と違って郡山は明治っぽい土地柄だったと言って良いでしょう。

やがて、この疎水の水を利用して水力発電が始められ、産業が集積して、郡山は発展していきました。

そんなワイルドな土地ですから、当時は肉を調達することが難しく、「京香」さんの御先祖は、牛の屠畜も自ら行っていたそうですが、今はすき焼き店だけが残っています。

似たような歴史を持つ御店としては、新発田市の「八木」さんがあります。

新発田が明治以降発展した理由は、陸軍の拠点が置かれたからで、そうして発展する都市で、やはり牛の屠畜から牛鍋店までを経営なさっていたのが、「八木」さんの御先祖です。

もっとも建物の感じは違います。

「八木」さんは昭和レトロな建物を使い続けておいですが、「京香」さんは新しく立派な建物。東日本大震災の時も、被害はさほど大ききなかったということで、不幸中の幸いでした。

震災の影響で、郡山市唯一の料亭が廃業してしまったので、立派な「京香」さんは、すき焼き屋でありながら都市を代表する御店の位置に在ります。結構なことです。

さて、その社員さん達の為に、なんか話しをして欲しい、と五代目の御主人から所望されました。

さあ、どうしますかね。

歴史のことなんかは、自分で調べればいくらでも調べられますよね。

え、「ちんや」の歴史ですか?

ウチなんてのは、いい加減なもので、御店の方が立派じゃないですか。ウチの場合は、狆の商いが難しくなったから、とりあえず食べ物でもやるかって感じです。郡山に肉食文化を導入した御店の方が立派ですよ。

だから、そういうことよりも、やはり心の持ちようの話しが良いですよね。

そう、愚痴が入りますが、日本の普通の消費者は肉について今も乏しい知識しかお持ちではありません。テレビやデパートがおかしなブランドや、おかしな食べ方を推奨していたりします。

表面的には、実際そういう状態ですが、売り手がそれに同調してはいけません。

お客様は、必ず味をお分かりになります。

子供の頃から60年。自分がお爺さんになるまで食べ続けていただけば、良い肉は良いと分かる。そう信じないといけません。

何が良い肉って、それは話すと長いので、あとでこのブログの9/11号を読んでいただきたいのですが、とにかく、

下町の、旧くからのお客様にお世話になって来た弊店と、それから、

安積原野に店を開いた方の後継者は、是非そう信じて欲しい、それだけ申し上げて、私の話しと致しました。

お後がよろしいようで。

 

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ねぎサミット

11月23日(日)に「全国ねぎサミットinぐんま下仁田」が開催されます。

ねぎサミットでは、全国の有名な産地が集結!自慢のねぎ料理や特産品を披露するものです。

埼玉県深谷市の深谷ねぎ

千葉県松戸市の矢切ねぎ

京都府京都市の九条ねぎ

などなどです。

去年の開催地は坂東ねぎの坂東市で、今年は久ぶりに下仁田へ還ってきたようです。

下仁田葱には実は「解禁日」があります。葱が最高に美味しい冬の間だけ出荷するのです。

11月23日は例年の解禁日と比べると、ほんの少しだけフライングなのですが、現地の人達は、このサミットにあわせて、今年だけは早めに栽培なさっているようです。

さて内容ですが、葱の販売の他に関連イベントとして、

全長約25mの『巨大ねぎま』をみんなで作ろう!

下仁田町及び参加団体の農業特産物販売やステージイベント、

『下仁田へ行ってんべー祭』、

『すき焼きシンポジウム』

などがありますが、この内の『すき焼きシンポジウム』に私達が「すきや連」が関わっています。

他のイベントが下仁田町の主催であるのに対して、すき焼きだけは群馬県庁の主催でして、ただ今準備作業が盛況です。

なにしろ群馬県は「すき焼き応援県」宣言をしたばかりですからね。

どなたでも参加できる公開イベントですので、このブログでも詳細が決まりましたら、ご案内いたします。

是非是非よろしくお願い申し上げます。

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幻の楽器

ヴィオラ・アルタ奏者の平野真敏さんのコンサートがあったので、聞いてきました。

平野さんと私は「台東区アートアドバイザー」として一緒に活動させていただいているので旧知なのですが、実は平野さんは世界中でも大変数少ない、ヴィオラ・アルタの独奏者なのです。

19世紀後半から第二次大戦までドイツ語圏で使われていて、今は廃れてしまった、特殊なヴィオラの演奏家です。

え? 「特殊なヴィオラ」以前にヴィオラの説明をしろよ って?

ああ、そうでした。ここは食べ物ブログでしたからねえ。イキナリ「特殊なヴィオラ」じゃ不親切ですな。失礼しました。

ええーっと、ヴィオラはヴァイオリンより5度低く、チェロより1オクターヴ高い音を出す楽器―つまりヴァイオリンとチェロの中間の楽器です。パッと見は、ほとんどヴァイオリンと変わりませんが、並べてみると、少し大きいです。

で、ここで重要なのが「少し大きい」の「少し」の度合いなのです。

音響的には大きいサイズの方が良く響くのですが、大きすぎると演奏が困難になるため、演奏者は自分の体格との兼ね合いで楽器を選ぶわけです。

そんなヴィオラの中でも、ヴィオラ・アルタは特に大きいのです。通常のヴィオラより6cm程長いとか。

大きいのに顎にはさんで演奏するので、当然演奏しにくく、

「当オーケストラではヴィオラ・アルタの採用をしていません。その楽器は体を害する恐れがあります」と表明しているオーケストラすら在るそうです。

そのヴィオラ・アルタが19世紀後半から第二次大戦までは、ドイツ語圏で盛んに使われていました。

使われたのは、かのリヒャルト・ワーグナーが愛したからです。

ワーグナーは普通のヴィオラの、鼻にかかったような音・渋めの音をかねて気にいっておらず、透明感のある音を望んでいました。その方が人間の声や管楽器の音と融け合うからですね。

実際、平野さんがヴィオラ・アルタで、滝廉太郎の歌曲などをひくのを聴いていると、本当に人間が歌っているように聞こえることがあります。

そういうヴィオラ=ヴィオラ・アルタを、やはりドイツのヘルマン・リッター教授(1849‐1926)が開発したので、ワーグナーは早速採用し、それでドイツ語圏で使われるようになったそうです。

しかし、後に結局、使われなくなりました。

演奏しにくいことは勿論、ナチスがワーグナーの音楽を盛んに利用したことも、戦後この楽器にとっては不利に作用したようです。

さてさて、この楽器に平野さんは、行きつけの渋谷の楽器店で偶然出会いました。

当時店の人も良く分かっておらず、ヴィオラより大きくて、チェロより小さい、ドイツの「なんとか博士」が作った「ヴィオラ・なんとか」と説明されたそうです。

この日から、酔狂な平野さんの、ヴィオラ・アルタを探る旅が始まります。

当初は遅々として進まない調査だったそうですが、オーストリアの、世界でただ一人の、この楽器の独奏者と知り合ったことで大きく前進したそうです。

で、平野さんが二人めの奏者に。

その調査の顛末を描いた御本『幻の楽器 ヴィオラ・アルタ物語』が昨年集英社新書より刊行され、今回のコンサートは、それを記念したものでした。

誠におめでとうございました。

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日本酒の日、コーヒーの日

日本酒VSコーヒーの紙上対決は、パッと見ではコーヒーの勝利に終わったようでした。

毎年10月1日は、「日本酒の日」でもあり「コーヒーの日」でもあるので、両者が新聞広告を出したのですが、少なくとも読売新聞ではコーヒーの圧勝でした。

日本酒のスペースは紙面の下六分の一。地味にその日が「日本酒の日」であることを伝えていましたが、コーヒーは全面×2ページ。

コーヒーが好きだったという、故・松田優作さんの大きい写真で読者の目を引いて、プレゼント企画も付いていました。コーヒーの圧勝でした。

時に、なんで10月1日は「日本酒の日」でもあって「コーヒーの日」でもあるんですかねえ?

全日本コーヒー協会によりますと・・・

「国際協定によって、コーヒーの新年度が始まるのが10月で、この日がコーヒーの年度始めとなります。さらに、日本では、秋冬期にコーヒーの需要が高くなることから、1983年に、全日本コーヒー協会によって、10月1日が「コーヒーの日」と定められました。」

・・・だそうで、今市、目出度い感じはないですね。

対する日本酒造組合中央会の説明は、やや長いです。

「通常日本酒づくりは、晩秋から厳冬、早春にかけて仕込みが行われ、並行複発酵(糖化とアルコール発酵が同時に進行する発酵技術で、世界の発酵法の中でもっとも高度な技術といわれている)という日本酒固有の醸造法によって、新酒が誕生します。さらに新酒を火入れ(低温殺菌)して貯蔵タンクに囲い、涼しい酒蔵の中で夏を越させます。酒蔵で静かに息づいている酒は、ゆっくりと熟成して秋口には、香り、味とともに芳醇な酒となります。」

「このように日本酒は、冬から春、夏から秋へと日本の四季の移ろいとともに生まれ育つ酒で、日本独特の気候風土が生み出した酒です。豊かな自然の恵みと日本人の知恵の結晶が日本酒であると言えます。わけても、10月は全国各地に海の幸、山の幸があふれ、日本酒が本当においしくなる月です。」

「日本の文化遺産ともいえるこの日本酒を正しく引き継ぎ、後世に伝えるという想いを新たにするとともに、一層の愛情とご理解を、という願いをこめて、日本酒業界では、1978年(昭和53年)に「10月1日は日本酒の日」と定めました。」

まとめますと、日本酒は伝統的に「寒造り」で寒い時期に酒を造り、それをすぐ飲まずに夏の間寝かせておいて、涼しくなったら売り始める、そのサイクル(=「酒造年度」)の初日が10月1日だから「日本酒の日」の日なのです。

業界では涼しくなったら売り始めることを「ひやおろし」と言います。

「日本酒の日」を盛り上げたかったら、「ひやおろし」の解禁日を10月1日にして、絶対フライングを許さない体制を築けば良いと思うのですが、難しいんですかねえ。

ボジョレーに出来て、日本に出来ない理由が分かりませんが、まあ、現実は出来ていないわけで、一般人にとっては特段盛り上がらない「日本酒の日」と「コーヒーの日」が毎年やってきます。

あ、実は私も「〇〇の日」を制定したことがあります。

10月15日の、「すき焼き通の日」です。日本記念日協会に登録してあります。

これはね、根拠が在るんですよ。

2008年10月15日に、すき焼きに関する本『すき焼き通』が刊行されたのです。平凡社新書で、著者は向笠千恵子先生です。

これをきっかけに、すき焼き店とすき焼き愛好者による「すきや連」が誕生しました。だから「すき焼き通の日」なんです。

「すき焼きの日」にしなかったところが奥ゆかしいでしょう。僕ちゃん。

是非、お祝いして下さいね、10月15日。

 

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巨人ファン

知り合って15年以上たつ方が、大の巨人ファンだったと知りました。

その方は最近社長職を御子息に譲って会長に成られ、その新社長が業界の会合に顔を出すようになったのですが、そんな会合での雑談で、

父は熱狂的なものですから・・・

と聞かされたのです。初耳でした。

周りの人にも知っていたか聞いてみましたが、僕も初耳だなあ、という反応。

ふーん。

大人の常識として、政治・宗教・野球の話しはNG!というのがありますが、実践されていたんですねえ。

この常識の存在自体を私は最近すっかり忘れていました。

忘れた原因はSNSです。FBを見ていますと、野球の応援を趣味にしている方は、その話題ばっかり。政治的信条を表明しておられる方も少なくないです。だから3つのNG話題の件は、すっかり忘れていました。

でも、慎重に考えますと、やはり野球の話しは控えておくのが賢明かもしれません。少なくとも、人様とリアルに面会する場面では。

特に巨人は金満球団のイメージが濃過ぎますからねえ、地方球団のファンから見たら、にっくき存在でしょう。

昨秋の巨人VS楽天の日本シリーズの最中に巨人を応援することは、全ての東北の人達を敵にまわすことと同じだったと思います。

先輩の常識・知恵には学んでおこうとあらためて思った、天麩羅屋さんでの会合でした。

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マッサン

ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝とその妻リタを主人公にした朝ドラが始まりました。

タイトルは『マッサン』。

リタが竹鶴のことをそう呼んでいたことにちなんだタイトルだそうです。

放送はまだ始まったばかりで、竹鶴はスコットランドへのウイスキー留学から帰ったばかり。現地で結婚したリタを連れて、実家である広島の蔵元に帰省しますが、そこで外人の嫁を断固認めない母=泉ピン子さんからイジメられているところです。

芸能ワイドショー的なポイントは、

・朝ドラ史上初の、純外国人ヒロイン。

・ピン子さんのイジメ演技が怖すぎる~リタが家族と一緒に食事することを認めず、女中部屋に食事を支度させる、など。

といった点なのでしょうが、私がこの回で気になったのは、竹鶴が、跡取り息子なのに蔵を継がずウイスキー造りに賭ける理由です。

父から、その理由を問われた竹鶴は、

新しかことをやってみたいんじゃ!

と言います。

(広島・竹原方言が正確でないことはお許し下さい)

父さん達も、広島のやわい水では良か酒ば造れない、と言われとる中で、みんなで協力して良か酒ば造れるようにしたじゃなかとー!

だから自分も新しいこと=ウイスキー造りに挑戦したいと言うのです。

分かりましたか?

分からない人が多いんじゃないですかねえ。

「良か酒ば造れるようにした」とは、広島杜氏が明治30年頃に「軟水醸造法」を開発したことを言っています。

それが日本酒醸造技術の歴史の中で、どの位画期的なことだったかは、このブログの8月22日号をお読みいただきたいのですが、そういう説明がないと、視聴者はおそらく、父の酒造りがウイスキー造りに匹敵する位に「新しかこと」だったのか、理解できないと思うのです。

リタが竹鶴について来た理由については、

・恋に落ちたから。

・愛する男の夢を叶えてあげたかったから。

で説明がつきますが、竹鶴が酒蔵を継がない理由は、もう少し丁寧に説明した方が良いように思います。

え? 朝ドラの主役は女優なんだから、そんなことはどうでも良いんだよ って?

うーむ。

そう言えば、そうでした。

 

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