社員旅行

郡山市のすき焼き店「京香」の皆さんが、社員旅行で見えました。

「京香」さんは、明治17年(1884年)のご創業、福島県で初の牛鍋店だったそうです。

今でこそ郡山は福島県第一位の都市ですが、当時はそうではなく、会津若松や福島の方がずっと都会でした。

郡山は、と申しますと、原野に安積疏水を通す工事中。

明治維新後、各地で不平士族の反乱が起きたため、士族に仕事を与える国家プロジェクト「士族授産」を行う必要が生じ、その場所として安積原野が注目を浴びた、ということのようです。

そんな所に牛鍋屋が出来たのです。原野の店が牛鍋屋としては会津や福島に先行したところが歴史の面白いところですね。

要するに、会津や福島と違って郡山は明治っぽい土地柄だったと言って良いでしょう。

やがて、この疎水の水を利用して水力発電が始められ、産業が集積して、郡山は発展していきました。

そんなワイルドな土地ですから、当時は肉を調達することが難しく、「京香」さんの御先祖は、牛の屠畜も自ら行っていたそうですが、今はすき焼き店だけが残っています。

似たような歴史を持つ御店としては、新発田市の「八木」さんがあります。

新発田が明治以降発展した理由は、陸軍の拠点が置かれたからで、そうして発展する都市で、やはり牛の屠畜から牛鍋店までを経営なさっていたのが、「八木」さんの御先祖です。

もっとも建物の感じは違います。

「八木」さんは昭和レトロな建物を使い続けておいですが、「京香」さんは新しく立派な建物。東日本大震災の時も、被害はさほど大ききなかったということで、不幸中の幸いでした。

震災の影響で、郡山市唯一の料亭が廃業してしまったので、立派な「京香」さんは、すき焼き屋でありながら都市を代表する御店の位置に在ります。結構なことです。

さて、その社員さん達の為に、なんか話しをして欲しい、と五代目の御主人から所望されました。

さあ、どうしますかね。

歴史のことなんかは、自分で調べればいくらでも調べられますよね。

え、「ちんや」の歴史ですか?

ウチなんてのは、いい加減なもので、御店の方が立派じゃないですか。ウチの場合は、狆の商いが難しくなったから、とりあえず食べ物でもやるかって感じです。郡山に肉食文化を導入した御店の方が立派ですよ。

だから、そういうことよりも、やはり心の持ちようの話しが良いですよね。

そう、愚痴が入りますが、日本の普通の消費者は肉について今も乏しい知識しかお持ちではありません。テレビやデパートがおかしなブランドや、おかしな食べ方を推奨していたりします。

表面的には、実際そういう状態ですが、売り手がそれに同調してはいけません。

お客様は、必ず味をお分かりになります。

子供の頃から60年。自分がお爺さんになるまで食べ続けていただけば、良い肉は良いと分かる。そう信じないといけません。

何が良い肉って、それは話すと長いので、あとでこのブログの9/11号を読んでいただきたいのですが、とにかく、

下町の、旧くからのお客様にお世話になって来た弊店と、それから、

安積原野に店を開いた方の後継者は、是非そう信じて欲しい、それだけ申し上げて、私の話しと致しました。

お後がよろしいようで。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.681日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: すき焼きフル・トーク,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)