循環型社会

「東都のれん会」で小泉武夫先生をお招きして講演会を開催することになり、私は年度幹事ですので、レジュメの用意などをさせていただきました。

さて小泉先生はあまりに有名ですが、念のためご紹介しますと・・・

1943年生まれ。東京農業大学名誉教授(農学博士)。

ご専門は発酵学、醸造学、食品文化論。

著書『不味い!』、『くさいはうまい』など百冊以上あります。

今回の講演で、先生が強調なさっていたのは、江戸時代の江戸が、究極のリサイクル社会・循環型社会だった点でした。

灰すら貴重な資源でした。「灰買い」という職種の人が灰を買ってまわっていたのです。

小泉先生には『灰の文化史』という御本があるのですが、そこに書かれているのは・・・

世界中に灰を利用した文化はあるが、都市の中に灰を買いに来る商人がいて、実際に循環させたのは、自分の調べる限り日本だけだそうです。

当時熱源は薪ですから、それを燃やすと灰が出ます。民家では日頃その灰をためておきました。この灰を買い集め、肥料として農村に売っていたのが「灰買い」です。

酒屋も灰を買っていたそうです。酒が酸敗してしまいそうになると、その対策として、アルカリ性の物質=灰が欲しかったようです。

「肥汲み」という人々もいました。

お食事中の方には恐縮ですが、下肥つまり人間の排出物のことですね。

農家が下肥を肥料として使うため、農家がお金を払うか、農作物の現物と物物交換する形で買い取っていたのです。

その取次ぎをしたのが下肥問屋でした。

このように消費と生産が持ちつ持たれつの関係で、リサイクルの環が回っていたのです。

で、その流通経路は水路。

江戸の下町には縦横に水路=堀が走っていて、こうした物資が船で運ばれました。

浅草辺りにも、そうした水路が多かったようですが、現在は暗渠になっているケースが多いです。

合羽橋道具街の地下にも暗渠が在りますが、あそこは「浅草新堀」という堀が通っていた所です。川柳の始祖・柄井川柳が住んでいた「浅草新堀端」というのは、そうした土地でした。

いやあ、憧れますねえ。モノが無い暮らし。

こういう仕事をしていると、捨てても捨ててもDMやサンプルが来るんですよね。

誰か、買ってくれないかなあ。

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて1.675日連続更新を達成しました。

毎度のご愛読に感謝いたします。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 

 

Filed under: ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:00 AM  Comments (0)