鉄関係の絵=吾妻橋真画

 先日、鉄関係の会社に勤める知人が来店しましたので、部屋へ顔を出しましたところ、

 「いやあ、季節で絵を掛け変えるのは、大変ですよねえ」と褒められ、絶句してしまいました。

  その時掛けていたのは、井上探景の「大日本東京吾妻橋真画」という絵なのですが、この絵の中で、吾妻橋のほとりに描かれている花は、この時期=6月の花ではありません。吾妻橋が架かったのは、明治20年の12月9日のことですから、情景は冬でして、今はと言うと夏・・・ですよね。

  その人は、実際に良く絵を見たわけではなく、

  料理屋=季節で絵を掛け変えるもの⇒それを「大変ですよねえ」と褒めておけば⇒店の人は喜ぶに違いない、と考えたのでないでしょうか。

  「ちんや」で掛けている、明治の開化絵は、美術品というより、ジャーナリステイックな性格の絵ですので、季節の風情がテーマになっていることは、あまり多くはないのです。井上探景という絵師は、そういうこともテーマにしていた数少ない絵師ですが、それ以外の、だいたいの絵師がテーマにしたのは、

 「最近、こんな凄い建物ができたよ!」とか、

 「最近の華族様というのは、こういう服をお召しになるんだよ!」というようなテーマです。

だから、四季をうまくカバーする作品を収集しにくく、結果として、季節外れの絵を掛けている場合があります。

  今回の「吾妻橋真画」にしても、そのお客様が、鉄関係のお仕事の人だったので、掛けていたのです。吾妻橋は隅田川に初めて架かった、鉄の橋だったので、そういう理由で、その方にあわせて掛けていた次第です。

  吾妻橋のたもとに本社がある、アサヒビールの社員の方が見えた場合にも、「吾妻橋真画」を掛けることがあります。今自分の本社がある場所は、明治時代は、こんな景色だったんだ、と知っていただきたい、という趣旨です。

 気づいていただけると、嬉しいです。

  なお、カリスマ受け売り師の、住吉史彦先生によると、

  この吾妻橋は、練鉄製の本体を三連ピントラス形式で支える構造で、一方床面は、馬車や人力車に対応して、木床であった。橋長148.8mと当時としては長大な橋梁で、またスタイルも新しかった為、市中の話題となり、開通式も盛大だった。この橋は関東大震災(1923年)で崩壊し、その後現在の橋に架けかえられた。

 絵師の井上探景(いのうえ たんけい:1864〜1889年)は、浅草の呉服屋の子であったが、幼少より絵を好み、同じ町内の小林清親(きょちか)の門弟となった。風景画にすぐれ、『東京真画名所図解』などの傑作を残したが、26才の若さでこの世を去った。

―っていうことだそうです。ご静聴ご苦労さんでした。

*「ちんや」が所蔵する、開化絵はネットででも覧いただけますので、こちらから是非どうぞ。

Filed under: ぼやき部屋,今日のお客様,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 9:47 AM  Comments (2)

帯祝い

 先週の土曜日、「帯祝い(おびいわい)」のお客様がありました。

 「帯祝い」 について念のため、おさらいしますと、「帯祝い」とは、妊婦さんが、妊娠五ヶ月目にあたる戌(いぬ)の日に、安産を祈願して腹帯を巻く儀式のことです。犬は子だくさんで、安産の象徴と考えられているので、その犬の性質にあやかって、戌の日に、妊婦の安産を祈願する儀式が「帯祝い」です。

 この日に巻く腹帯は「岩田帯」と呼ばれます。五ヶ月目には、妊娠の「安定期」に入るので、この帯で、目立ってきたお腹を保護すると共に、「岩のように丈夫な赤ちゃんを!」という願いも込めるそうです。

 家族が集まり、この腹帯をした妊婦さんと共に、神社に出向き、安産を祈るのが一般的な形です。

 こうして神社に出向いた後、当然何か召し上がるわけですが、そういう流れで、「ちんや」をご利用いただくことがあるようです。

 今回もそういうケースで有り難いことでした。「ちんや」は「狆屋」ですので、犬関係?の方はウェルカムです、もともと。

 別に「帯祝い」のような、あらたまった御席でなくても、妊婦さんが「ちんや」へご来店になることは、実は結構多いです。肉を食べて精をつけよう、という発想は当然のことですが、加えて、こういう時くらい、ちゃんとした食べ物を食べよう、という心理もあるようです。

 これは大変、結構なことと思います。お子さんがお腹の中にいる時は、伝統的で自然な食べ物を是非、召し上がっていただきたいと思います。

 お母さんが妊娠中に、変な食べ物を召し上がることで、お子さんが、生まれる前から、食品添加物を取りこんでしまうのは、実に良くないと思います。精をつけるだけでなく、安全なものを、是非、召し上がっていただきたいですね。

 召し上がっていただきました上、無事出産されたら、もちろん、お子さんと一緒に、「ちんや」へご来店いただきたいと思います。

 ご高配を賜りたく、お願い申し上げます。

 お子さんは、きっと「ちんや」の肉を食べたいと思いますよ。なにしろ、生まれた時から、「ちんや」の味を覚えていますから。

 いやあ、それって、商売としては、理想形かもしれませんね。有り難いです。ひひひひ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

100日目のファンファーレ

 今日は、このブログにとって目でたい日ですので、冒頭にファンファーレの吹奏がございます。

♪ファファファファ ファファファファ ファ↓レファシ↑レー ファーファファー レーレレー シードー♪(この曲はロ長調で書かれているので、シ以外は♯を付けて唄ってみて下さい。)

 何が目でたいかって? そうです、今日はこのブログの、100日連続更新達成の日なのです。

♪ファファファファ ファファファファ ファ↓レファシ↑レー ファーファファー レーレレー シードー♪(しつこいですが、この曲はロ長調で書かれているので、シ以外は♯を付けて唄ってみて下さい。)

  実は、ブログ開設の当初から、100日連続更新を目標にしていました。この100日間、毎日少なくても、1.000文字以上は書きましたので、合計10万字以上は書いたと思います。内容的にも、いろいろなことを書きました。

 今や、ほとんどのネット・ユーザーが、検索サービスを利用する状況ですので、その中で自分や自分の店を知ってもらうには、なにしろ、検索にひっかかることが大事で、そのためには、絶対的な文字数が、まずは必要です。10万字書けば、なんとか、誰かの検索にかかるだろう、と思って、日々肩凝りをものともせず、パソコンに向かい続けました、100日間も。

 おかげ様で、連日平均250人弱の方が、このブログ見に来て下さるようになりました。曜日によっては300人を超える日もあります。ヒットだけなら、一日2.500回を超える日もあります。特にヒット回数は、まあ、絶対的文字数=かいた汗のなせる業でしょう。

 この100日間、病気をすることもなく、二日酔いもなく、店のトラブルもなく、ヨメの逆鱗に触れることもなく、書き続けられたことは、誠にラッキーです。また「読んでるよ!」「面白いじゃん!」等の励ましを下さった皆さんに、心より御礼申し上げます。

 「え? 御礼は良いけど、最初の曲は何なんだよ? 教えてくれないと気持ち悪いぞ!」

 なるほど、それはそうです。では、お教えしますが、このファンファーレは、ワグナーのオペラ「タンホイザー」の第二幕第四場の、入場の音楽です。「タンホイザー・マーチ」という通称でも知られる、有名な一節です。

 6月に入り、ブログ100日目のファンファーレを何にしようかと思って、学生時代に買い集めた、譜面を引っぱり出して、眺めていました。総譜(=オーケストラ、コーラス、独唱の全ての譜を一覧出来る、総合的な譜面のこと)を持っている曲は、若き日に夢中になった曲ばかりです。その中の一冊に、ワグナーの「タンホイザー」がありました。

 かつて、初めてこの曲を聴いた時、私は、この世に天才というものが存在することを知りました。

 冒頭のファンファーレは、第四場が始まるとすぐ、舞台上にズラリと並んだ、12人のトランペット奏者によって吹きならされます。その後やがて弦楽器が総出で、第一のメロデイ―を唄い出します。ヴァイオリンの一番太い弦(=G線)が朗々と、そのメロデイ―を唄います。力強い調子で、しかし時おり絶妙に半音階と装飾音が入って、流れるように、メロデイ―が進行します。

 しかし、このメロデイ―は、この後に続く行進のテーマの前の、前奏に過ぎないのです。やがて、ビオラとチェロが、正拍のリズムを刻むのに乗せて、やはりヴァイオリンが優美な行進を始めます。あの有名な「タンホイザー・マーチ」です。今度も半音階と装飾音を多用して流麗です。

 まさに一度聞いたら忘れられないメロデイ―で、この部分を聞く頃には、聞き手の誰もが、作曲家の傑出した才能に気づくでしょう。そこまで、3分とかかりません。ワグナーについて、何の予備知識がなくても、天才とわかるのです、3分以内に。

 「天は人の上に人を造れりと言へり」でして、我々・凡人とは、別の次元です。

  そういう才能に恵まれない、凡人は、やはり何か一つのことを、やり続けないとダメですよね。

 とりあえず、ブログでも更新するか、明日も。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 9:13 AM  Comments (6)

路地裏の鳥越祭

 6/5土曜日、久しぶりに鳥越祭を見に行きました。と申しますか、台彪会でご一緒する、G社長の御店「フダヤドットコム」さんが、鳥越にあるのですが、最近テレビの取材を受け、その放送日が祭の時期と重なるので⇒「大忙しの予感。大変だ!」というメールが来まして、それで陣中見舞いに行った次第です。

 台東区に地縁のない方のために、鳥越神社のことを、念のため解説しておきますと、台東区の南部・蔵前駅から徒歩10分ほどの所に、鎮座しておられる神様が鳥越神社です。例大祭は、毎年6月9日に一番近い土日に、盛大に行われます。

 鳥越本社の神輿は、都内でも最大級の重い神輿で、「千貫神輿」の異名で有名です。

 また日曜夜8時過ぎの、「千貫神輿」の宮入りの時は、神輿の周りに、多数の高張り提灯を掲げて進むのですが、その様子が大変幻想的でして、「夜の風情が素晴らしい祭り」としても、良く知られています。

 今回は自分の仕事の都合で、土曜日に訪ねたので、「千貫神輿」も、幻想的な高張り提灯も見損ねましたが、ところが、それでも楽しめました。

 鳥越祭を見に行ったのは、初めてではありませんが、祭の日に、鳥越の裏の路地に入っていったのは、実は、初めてです。G社長の御店は、もともと作業場だった所に増設して出来た店で、商店街からは離れています。地元人以外の一般の人は、あまり入り込まないような路地にあります。今回楽しめたのは、その辺りの、祭の日の雰囲気です。

 普段はたくさんの人がいるわけではない、路地裏の各所に人が居て、皆さん、飲んでいるのです。

 町会の詰め所で飲むのは、お約束ですが、それ以外にも、路上にパイプ椅子を並べて飲んでいたり、車庫のシャッターを上げて飲んでいたり、あるいは、民家の玄関を開けっぱなしていて、その奥の応接間で飲んでいるのが、外から丸見えだったりします。

 そのまわりでは、近所の子が縄跳びをしていたりして、のどかです。

 浅草の人も当然、祭の日は飲みますが、こんなに至るところで飲んでいる、という感じではありませんね。鳥越近辺は、今でも職人さんが、職住接近で住んでいる町なので、観光地の浅草とは、人の気質がずいぶん違います。祭の日となると、そういう違いが、目に見える形になって出てくるのだと思います。

 皆さんが楽しそうなので、部外者のこっちも楽しくなりました。「チイ散歩」の地井さんなら、どんどん、街の人の宴会に参加するところでしょうが、あいにく、こちとら「ちん散歩」でして、しかも先を急ぐ散歩?なので、後ろ髪ひかれつつ撤収しました。

 本社神輿の周囲はデンジャラスですので、「近づきたくない」という方もおいでかもしれませんから、そういう方には、路地裏をお勧めしておきます。来年は是非どうぞ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*「フダヤドットコム」さんについては、こちらです。

*G社長のブログはこちらです。

Filed under: 台彪会,浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)

?のロゴ・バッジ Endless Discovery

 政府観光庁が推進している、「ビジット・ジャパン・キャンペーン(VJC)」の、ロゴキャッチフレーズが付いたピンバッジを、いつも背広の胸に付けています。5/19の国際観光日本レストラン協会の理事会に、観光庁の課長さんが、このピンバッジ持って見えて、「これは出来立てですよ!」と下さったので、それ以来いつも付けています。

 寸法がヨコ30mm×タテ15mmと、やや大きめで目立つせいか、これを付けていると、住吉さん、そのピンバッジ何ですか? とよく聞かれます。

 ええっと、これはですねえ、2003年の小泉政権の時にですね、国をあげて、外国人観光客をよびこむために「VJC」っていうのを始めましてね、2010年までに訪日外国人旅行者数を1000万人に増やすというのが目標でして、ツベコベ・ツベコベ(=観光庁の資料の受け売り)、このバッジはそのシンボルでして、ツベコベ・ツベコベ(=さらに受け売り)、などと我々・観光業界の取り組みを、一般の方にご説明するのは、勿論やぶさかでありません。

 また初対面の方や、さほど親しくない方と同席した時、このバッチの話題で座持ちすれば便利なので、そういうわけで付けているのです。

 しかし問題は、そのキャッチフレーズそのものなんです。2003年以来使用してきた、 「Yokoso! Japan」 がこの4月、「モデルチェンジ」つまり廃止となり、

 「Japan. Endless Discovery.」という新キャッチフレーズが選定されたのです。

 えんどれす、ですかばりー、だって? 

 なんでも「尽きることのない感動に出会える国、日本」という意味合いで、海外の方々に何度も日本にお越し頂き、その都度、桜に代表される我が国の豊かな自然、あるいは伝統文化や現代の文化、地域の人々の暮らしといった日本の多種多様な観光資源を是非深く知って頂きたいという気持ちが込められている、のだそうです。

 私は、当然ながらネイテイブ・ジャパニーズなので、この言葉のニュアンスを完全にわかることは難しいです。でも、なんだか、大仰ですよねえ。「Korea Sparkling!」とか「Amazing Thailand」の方が、クールです、ハッキリ言って。まさか国のやることだから、和製英語ではないんでしょうが、うーん、という感じです。

 もちろん、私は国際観光業界の一員ですし、タダでピンバッジをもらってしまったことですし、このキャッチの普及に尽くそう、とは思いますが、苦戦しそうです。

 それに、私はそもそも「外人さんに、日本語を話させる主義者」なのです。「ちんや」の店には、実は「Would you please try to speak Japanese!」と題した、対訳表が置いてあります。

 対訳表の左には、店内で良く使う、英語の会話文が載せてあり、右には、その日本語訳とそれに加えて、日本語訳のローマ字表記が書いてあります。つまり「I have enjoyed my dinner.」と言いたい外人さんは、この対訳表にしたがって、「Gochiso-sama Deshita!」と言うわけです。外人さんの発音がタドタドしかった場合も、「Gochiso-sama Deshita!」の上に、「ごちそう様でした」と日本語も記載されているので、そこを指させば、意思は通じます。

 この方法は、15年ほど前に、日光の参道の定食屋さんに行った時、こうした対訳表が置いてあって、それを外人さんが、楽しそうに使っているのを見かけまして、以来それを改良して使っています。この方が、お互い楽しいですよ、ゼッタイ。

 そういう意味で、「Yokoso! Japan」の廃止は残念ですね。「ようこそ」は日本語だぞ、外国に向けて「ようこそ」はないだろう、どこに向けて発信してるんだ、という批判もあったようですが、しつこく、しつこくPRすれば「Sayonara!」とか「Sukiyaki」「Sushi」「Judo」のように普及したかもしれません。

 「ちんや」の対訳表に、実は「Sayonara!」は載っていないのですが、帰り際に、「Sayonara!」と言われる外人さんは多いです。結構普及しているのです、実際。

 なんてことを、思っていたら、徽章業界で社長をしている知人が教えてくれました・・・

「住吉さん、トリビアなことを教えてあげますけどね、ピンバッジって言うのは、日本人だけなんですよ。国際標準はピンズ(pins)なんです。」

   げげ、そっちも和製英語だったんだ!

  本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: ぼやき部屋,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 9:52 AM  Comments (1)

高島屋宮崎フェアの食中毒

 6/4付の産経新聞が次のように伝えました、

 「高島屋東京店(中央区)は5月26日から6月1日まで地階で開催していた催事「日向自慢 宮崎の味めぐり」に出店していた「ホテル浜荘」で31日に販売した「ステーキ弁当」(1995円)を食べた11人が食中毒を発症したと発表した。」

 ありゃあ、洒落になりませんねえ。

 「中央区保健所の調査の結果、同弁当で原因物質である黄色ブドウ球菌が検出されたため、管理責任者である同店は4日から10日まで催事が行われていた地階の約28平方メートルの営業停止処分を受けた。
 同弁当は31日に33個を販売。このうち同店に1日午前中に31日夜に弁当を食べた2人から、嘔吐や下痢の症状が出たとの報告があった。このため連絡先のわかる他の購入者にも確認したところ、同様の症状が出ている人が複数いることが判明した。」

 うーん、営業停止、食らいましたか。当然ですが。

 「1日午後からは同弁当の販売を中止し、その後、保健所に調査を依頼したところ食中毒の原因物質が検出されたという。
 原因物質は左手の甲にやけどを負っていたホテル浜荘の調理人が、手袋を外して弁当を作っていたことで、肉や付け合わせに付着し、拡大したという。(中略)」

 トホホ、手袋を外してたんですか。

 「この日会見した谷口一人店長は、「『高島屋は宮崎県を応援します』とうたって催事を行っていたこともあり、結果的に顧客を裏切ることになって申し訳なく思う」と陳謝した。」

  あーあ、とため息をはく他ありません。

  手にケガを負ってる場合、そこに黄色ブドウ球菌が増殖しますので、素手で調理してはいけないことは、まとも調理人なら、常識です。予想をはるかに上まわる人出で、忙しかったようではありますが、常識を無視した、当の本人の心の中に、どういう動きがあったのか、理解不能です。

  あるいは、別の推測もできます。「宮崎県を応援」という趣旨で、急に催事をセットしたため、人手のやり繰りがつかず、半人前以下の人物を厨房に入れざるを得ない状況になったのかもしれません。後者のケースだとしたら、悲劇とみなすこともできますね。

 思いおこすと、平成13年にBSEの問題が起きて、食肉・畜産の業界が大打撃を受けた時も、パニック心理のせいか、おかしな行動をした人がいました。一部には、刑事事件として立件されたものもあり、業界は、さらに辛い立場になりました。

 人間は、時として、大きく判断を誤るものと、あの時知りました。

  逆に、私ごとですが、あの時期に右往左往せず、中長期の視点で、会社を導けたことが、今日の、事業者としての自信につながっています。自分は、BSEに鍛えられた、とすら言えます。

  願わくば、今ごろ宮崎で苦労されている、皆さんの中から、後日「あの時に、オレは成長した!」という方が出てきて下されば、と思います。そこまで、なんとか辿りついてほしい、と願わずにいられません。

  不肖・住吉史彦は、大したことはできませんが、心から宮崎へ、声援を送ります。

 復活を、期待しています。

Filed under: すき焼きフル・トーク,ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:35 AM  Comments (0)

報告の稽古―浅草料理飲食業組合・通常総会

 6/7に、浅草料理飲食業組合の通常総会があります。総会ですから、昨年度の事業報告・決算報告、新年度の事業計画・予算案などが提出されて審議されます。この内は、私は事業報告と事業計画―2議案の提案を担当することになりました。

 この仕事は、モノ凄く難儀な仕事、というわけでは、もちろんないのですが、100人ほどの組合員を前に、高い壇上から報告する予定になっていまして、スポットライトもバッチリ当たるので、それなりの緊張感があります。まずは、例によってジョークを飛ばすところからはじめてやろう、と思っています。

  さて、そういう次第ですので、この3〜4日間は、事業報告と事業計画の、演説の文案作成と稽古をしないといけません。

 こういう場合、まず私は演説全文を、パソコンでベタ打ちします。組合には事務員さんもいますが、かならず自分で、全文を話し言葉でベタ打ちします。経験上そうするのが、一番脳への定着が良いと思っています。それに文字数がわかることで、演説の所要時間がわかります。

 もちろん、ベタ打ちより、要点メモを基に話す方が話しやすい、という人も、世の中にはいるでしょうが、私はこれが良いのです。

  演説する、その内容ですが、結構長くなってしまいそうです。昨年6月に、組合長が代わり、「どぜう飯田屋」のII田さんが組合長に就任されました。以来II田さんは、次々に新事業を実行してこられました。

・飲食店向け新型インフルエンザ対策パンフレットの作成

・ノロウイルス対策講習会

・台東区衛生自主管理推進店登録制度に関する勉強会

・ビール工場見学会

⇒このあたりは、さほど珍しくはありませんが、さらに

・台東区長への要望書提出(本当に区長室で区長に面会しました!) さらには

・飲食店後継者のための「婚活パーテイー」まで組合が主催しました。

 もちろん、この他に例年通りの事業(=健康診断とか新年会とかホームページとか)もありましたので、怒涛の1年でした。

  以上の事業を、私が全部一人で語るので、工夫しないと、組合員の皆さんは、退屈してしまいますよね。最初に、例年より長くて、20分弱かかること、全体で何項目の報告事項があるか、を知らせておかないといけません。先が見えず、いつまでも話しが続くとダルいですからね。

 また、話しの途中でも、今何番目を話しているか、お知らせして、我慢してもらうようにしたいと思います。

 それにしても、困ったなあ、一番肝心のジョークがまだ出来てないんですよ。

 もう、6/4なのに。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: ぼやき部屋,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 10:12 AM  Comments (0)

松屋さんの屋上遊園地

 5/30付の、毎日新聞が以下のように伝えました。

 「東京都台東区の百貨店「松屋浅草」の屋上にある遊園地「プレイランド」が、31日の営業を最後に閉鎖される。日本最古の屋上遊園地とされ、東京名所として知られた。30日は曇り空となったが、大勢の親子連れらが訪れ、名残を惜しんだ。

 同店が開業した1931(昭和6)年にオープン。7階建て店舗の屋上(約2650平方メートル)の一角にあり、全国の百貨店が屋上遊園地を作るさきがけになった。今回、営業戦略の見直しで閉鎖が決まった。

 現在は昭和の香りが漂うメリーゴーラウンドやゴーカートがあり、隅田川の対岸で建設中の東京スカイツリーも望める。この日もツリーを背に来場者が写真撮影を楽しんでいた。」

 「松屋」さんの屋上遊園地については、私も幼き日の思い出がありますので、とても残念です。「松屋」さんは、屋上だけでなく、4階から上にある、全売り場を閉鎖するそうで、景気の悪いこと、この上ありません。来年まで頑張れば、80周年だったのに、惜しいことをしました。

  それにしても、閉鎖が決まると、話題になって騒がれるのに、それまで普段は完全に放っておかれて、応援してもらえず、その間に衰退していってしまうものが多いですよね。今回の新聞記事も、閉鎖の前日に「もうすぐ閉鎖になっちゃいますよ!」というニュアンスで伝えています。記事文中に「・・・東京名所として知られた。」とありますが、今頃持ち上げてもらってもねえ、という感じです。

  「世の中に、無いと寂しいけど、しかし無くても、ものすごく困るわけではない」というものが、そういう展開になりがちですよね。「無くても、ものすごく困るわけではない」ものを売る人間は、相当工夫しないと、放っておかれる存在になってしまいます。

 屋上遊園地についても、お子様の成長に必須なプログラムを体験できる場として、衣がえするとか、なにか、そういうアイデアを出せたら、生き残ったかもしれません。

  すき焼きも、やはり「世の中に無いと寂しいけど、しかし無いと、ものすごく困るわけでもない」と思われがちですから、気を引き締めないといけません。

  遅ればせながら、「ちんや」も国際観光日本レストラン協会が開催する、食育プログラム(=「夏休み親子体験」)に去年から参加させていただき、今年も同様の催事を、8月に開催します。また、台東区役所が作っている、見学・体験が可能な、工房のリスト(=「手作り工房マップ」)にも参加しています。

 もちろん、「一家の団欒の時はゼッタイすき焼きを食べる⇒だからすき焼きは日本人には、無いと、ものすごく困るもの」という風に子供の頃から、すり込んでおこう、という作戦です。

  ご高配を賜りたく、お願い申し上げます。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

Filed under: ぼやき部屋,浅草インサイダー情報 — F.Sumiyoshi 9:25 AM  Comments (0)

普茶料理ランチ、竜泉にて

 6/1昼、台東区竜泉にある、普茶(フチャ)料理の「梵(ボン)」さんへ行ってきました。

 実は、東京商工会議所台東支部青年部の、月例会の内の1回として、

 「主任ナビゲーター・住吉史彦と行く、下町の食文化を担う老舗・名店シリーズ」

という、食べ歩き企画があります。既に、過去8回開催していて、恒例企画となっていますが、当然、毎回私が万事を手配して、青年部の諸君を、私推薦の御店へお連れしています。

  これまで、すき焼きの「浅草今半」さん、「どぜう飯田屋」さん、豆腐の「笹乃雪」さん、桜鍋の「中江」さん、おでんの「大多福」さん、鰻の「やっこ」さん、洋食の「香味屋」さんなどで開催し、食事をするだけでなく、毎回、その店のご主人さんまたは若旦那さんから、それぞれの御料理についてのレクチャーを受けてきました。

 自分で言うのもなんですが、毎回、大人気・大盛況の企画です。

 7月に、その第9回を「梵」さんで予定していますので、6/1は、その下打ち合わせというわけです。

  同行は、青年部のT幹事長の他、私と一緒に、このシリーズの幹事をしてくれている、「どぜう飯田屋」の若旦那・II田君も一緒です。そうです、II田君は、このブログに頻繁に登場する、浅草料理飲食業組合のII田組合長のご子息です。日頃私は、親父殿にお仕えしていますが、ご子息には、この企画を手伝ってもらっているわけです。

  さて、普茶料理と申しますのは、精進料理の一種ですが、江戸時代初期に、中国(明)から隠元禅師が渡来され、宇治に黄檗(オウパク)山萬福寺を建立された時から伝わっている料理です。

 だから餡の使い方や、豆腐・ごま油を多用する点などが、微妙に中華料理風です。

 また、面白いのは、擬製料理と言いまして、精進OKの食材で、魚や肉の代替品を造るところです。例えば豚肉の擬製品は、わらび粉を練り、薄く伸ばして形作り、油で揚げるそうです。これが、食べると本当に豚に思えるから、大したものです。

  今回、普茶料理を選んだのは、青年部の連中の、止まる所を知らない煩悩にブレーキをかけるため、では勿論なく、ベジタリアンの方に対応できる料理屋を、青年部の面々が知っておいた方が良い、と思ったからです。

  東京スカイツリーが出来て、ますます海外からのゲストが増えています。しかし鎌倉と違って、浅草近辺には精進料理の店が大変少ないので、こうした御店は貴重です。

 6/1は、幸い、ご主人のFさんがご在店で、もろもろ打ち合わせできました。我々の用件にも、いちいち真面目に・丁寧に応対していただき恐縮してしまいました。

 まずは、これでひと安心。今回も当日は、楽しくレクチャーを受け、もちろん宴会も盛り上がるでしょう。

 めでたし、めでたし。

 あ、そうだ、青年部の連中には、「梵」さんでの宴会が終わったら、そこで大人しく撤収して、その後煩悩ワールドへ出動することなどないように、くれぐれも、今から注意しておこう!

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*「梵」さんについては、こちらです。

Filed under: 浅草インサイダー情報,飲食業界交遊録 — F.Sumiyoshi 10:23 AM  Comments (0)

「三嶋亭」さんの、急な階段

 向笠千恵子先生の新連載『続すき焼き ものがたり』が掲載されている、月刊「百味」6月号が届きました。5月号より連載が始まりましたので、今回は第2回です。

 早速ページを開けますと、今回は京都・三条寺町の「三嶋亭」さん=私も旧知のM社長の御店、についての記事でした。さて読みはじめますと、私としては「うーん」という所からスタートしました。「三嶋亭」さんの、店舗のバリアフリー対応のことから、記事がスタートしているのです。

  向笠先生のお母上様は、俳人でいらして、俳句を作るのが脳に良いせいか、ご高齢でも頭脳は大変明晰でいらっしゃいます。しかし、御み足には不自由なところが少しあって、そういう方には、古くからの店舗は不都合なことが多いのです。

 特に「三嶋亭」さんは、玄関を入ると、2階へ続く急な階段があって、そこにロビーがあるのです。1階にも客席がありますが、1階の客席へ入る客も、いったん2階ロビーを経由して1階へ入る=つまり、まず登って⇒別の階段を降りる、という構造なのです。これが、御み足の不自由な方にはキツイのです。

  記事によれば、結局今回、その2階ロビーを経由せず、バックヤードを通り抜けて、1階の客席へ入られたようです。「裏手の通路に案内され、下足箱の前を通り、配膳室脇を抜け、事務机の傍から表廊下へ出た」という具合だったようです。

  要するに、社会が高齢化しているのに、店舗の構造が合わないのです。先生はこのことを「日本の生活文化のとってはひとつの危機」と書いておられますが、実は「ちんや」にとっても、こうした問題があります。

  「ちんや」の現在の店舗は、昭和50年竣工のビルですので、エレベーターもありますし、「三嶋亭」さんほど、やっかいではありません。しかし、それでも御客様には玄関で下足をお脱ぎいただいた上で、ご入店いただく構造でして、その際に50cm程度の段差があります。その段差さえ突破すれば、あとは平らなのですが、そこだけは何とかしないといけません。

  「少し御み足がご不自由」くらいなら、下足番がお手伝いして、押し上げてしまいますが、困るのは、車椅子のお客様です。

 店外から車椅子にお乗りになったままでは、御入店になれないので、店内には店内用の車椅子を1台用意してあります。玄関でそれに乗り換えていただくのですが、まだ1台しか用意してありません。ついては、お席のご予約と同時に、店内用車椅子もご予約いただかないといけないわけです。(利用料は無料です)

  「ちんや」のもう一つの問題は、お使いいただく部屋自体の構造です。個室が7室ありまして、その内6室は、洋室(=椅子席)または掘り炬燵の個室だから良いのですが、大広間・ご宴会場と、個室の残り1室は、あいかわらず和室です。(小さいお子さんがおいでの場合は、やはり和室が良いので、全部を洋室にはしていません。)

  ご宴会の場合は、椅子でなくて、動き回って歓談できる和室の方が、楽しい宴会になる、と私は思っていて、だから現在の構造を直していないのですが、しかし、そもそも和室に座れなければ、楽しい宴会にもなりえませんね、たしかに。

 だから、洋室の宴会場も増やしつつありまして、20名様までなら、洋室で宴会もできるようにしてあります。

 先日、八王子のすき焼き屋「坂福」さんをお訪ねしたら、D社長が「ウチは今でも、会議室以外は全部和室ですよ!」と自信満々でしたが、「ちんや」はそこまで強気になれません。

  日本の生活文化にとって、残念なことでも、少しずつ、椅子席化が進行するのは避けがたいと思います。

 思いまするに、古いもの全てを残すことはできません。しかし、古いものの中の、エッセンスあるいは本質は残さないといけません。その判別のための眼力が、私やM社長に必要なんだと思います。

  違う眼力なら、あるんですけどねえ。

 え? なんの眼力があるかって? それについては、このブログ5/29号をご覧下さい。ひひひひ。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*新連載『続すき焼き ものがたり』が掲載されている、月刊「百味」については、株式会社ビジネス・フォーラムへお問いあわせ下さい。(電話:03-3288-9180)