東京人と坂本龍馬

 雑誌「東京人」8月号(7/3発売)に出てほしい、ということで、編集部の人が見えました。

 「いろいろ、お話しを聞かせて下さい」とおっしゃるので、私は、すき焼きの歴史と未来について、さらには浅草の歴史と未来について、取材嬢相手に、小一時間かけて、縦横に語ったのですが、結果、出来てきた校正は、ごく通常の「ご主人紹介記事」でした・・・

 良く考えると、それは当然ではありまして、私が出ますのは、Kビールさんが持っている、広告枠の一部です。つまり、いわゆる「記事広告」の一種でして、しかも、60mm×50mmの寸法に、納めないといけないので、そう変わったことも書けません。

 まあOKでしょう。今回お話ししたことが、いつか将来の、どこかに載る記事に反映されれば、良しとしましょう。

  ところで、私が出るのは「東京人」の8月号ですが、6月号の特集記事は「坂本龍馬の江戸東京を歩く」でした。取材嬢が「これは見本として差し上げます」と下さいました。

 NHKで龍馬のドラマをやっていて、ブームですから、便乗したのでしょう。今まで龍馬に強い関心を持たずに来て、龍馬初心者である私も、乗せられて読んでしまいました。

 読んで再度確認したのですが、どうも龍馬には、うらやましい要素が多すぎて、いまひとつ私は共感できないのです。非業の最期を遂げたことまで、うらやましいくらいです。それで今まで、強く惹かれてこなかったのだと思います。

 司馬遼太郎でも「竜馬がゆく」はまだ読んでいません。同じ司馬作品でも、徳川慶喜を描いた「最後の将軍」や、幕府の最後の典医だった松本良順を描いた「胡蝶の夢」、最後の土佐藩主・山内容堂の「酔って候」などは、繰り返し読んでいるのに、です。

  どうも、私は歴史の負け組に惹かれるのです。特に、龍馬と同じ時代に、同じ土佐藩に生きたのに、龍馬とはほとんど接点のなかった人物・山内容堂には惹かれます。

 容堂は、才気と豪腕を持ち合わせ、ポエジーまであり、しかも稀代のヨッパライ大名でした。幕末の激動の政局の中で、空中分解しそうになる藩を、豪腕をもって統率し、一方、中央政界では、幕府と倒幕勢力が正面衝突しないよう、必死に奔走しました。

 しかし、それだけの才覚をもってしても、歴史の流れには勝てず、結局薩長と幕府は開戦、融和的な政権を造る望みは叶いませんでした。

 歴史を回天させたのは、ご存じの通り、容堂のもとから脱藩した、龍馬と

中岡慎太郎、加えて脱藩してはいないものの、龍馬や慎太郎と通じていた、後藤象二郎、板垣退助などでした。

 容堂は、最終的には、しぶしぶ薩長方に加わりますが、そうせざるを得ないことが確定した日、つまり王政復古の、その日に痛烈な酔態を演じます。天子の御前の会議の席で、ヘベレケとなり、悪態をつきまくった様子が、司馬の「酔って候」に、鮮やかに描かれています。

  痛烈な酔態ー自分が演じる日が来るでしょうか。

  それに比べると、テレビの龍馬は、どうもねえ、という感じです。

 だいたい、役者が福山某じゃあねえ。浅草のすき焼き屋の方が、数段イケてますから。

 ねえ?

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

*「東京人」について、詳しくはこちらをご覧下さい。8月号は7/3発売です。

Filed under: ぼやき部屋,今日のお客様,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 9:13 AM  Comments (0)