千社札

次回「すきや連」の準備で米沢に行きました。

米沢に参りましたからには、上杉謙信公に挨拶せねば!

ということで上杉神社に詣でましたが、ある物を見つけて、悲しくなってしまいました。

見つけましたのは千社札。

「浅草寿××」と印刷されていました。

寿とは浅草寿町のこと。

××は、その札を貼った人物の名前。

神社の柱の結構目立つ位置に貼られていました。

どうも、全国の寺社で見つけることが多いんですよね、「浅草△△」を。

ちゃんと許可を得ているんでしょうか。

御朱印は頂いたんでしょうか。

おそらく許可を得ていないと想像しますが、得たにしても、昨今のシール形式の千社札は合成糊で接着しますから、剥がした後は無惨にも跡がくっきりと残ってしまいます。貴重な木造建築を痛めてしまいます。

かつて米粒とか、自然の糊で貼り付けることが前提で行われて来た千社札という慣習は、今や続けていくことが難しいのではないでしょうか。

遊び半分で貼るなら尚更です。

実際千社札禁止になった寺社が多いですね。

悲しいことです。

追伸、

すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。

すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。

ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。

どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。

投稿〆切は9月末日です。

既にご応募いただいた、約60本のストーリーはこちらです。

 

本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.031日連続更新を達成しました。

 

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ファッションモンスター

きゃりーぱみゅぱみゅさんは、

日本の「カワイイ文化」を代表する人物とか、

世界的アイコンとか言われています。

「ファッションモンスター」という題のヒット曲がありましたが、そのままご本人が「ファッションモンスター」と認知されてきたのではないでしょうか。

私もずーっとモンスターだと思って来ました。テレビの収録で「ちんや」に見えるまでは。

このブログの9/1号に書きました通り、テレビ番組『火曜サプライズ』「きゃりーぱみゅぱみゅと浅草アポなし旅」の収録で、きゃりーさんは弊店に見えました。この収録はアポ無し収録で私の留守に見えたので、残念ながら私はお目にかかることは出来なかったのですが、録画を視ていますと、プライベートなことを語っておいででした。

プライバシーを語るとモンスターじゃなくなるような気がするのですが、結構、プライベートなことを語っていました。食べ物ってプライベートな会話のキッカケに成るんですよね。

「ちんや」に上がって、すき焼きが用意できるまでの間にきゃりーさんが言ったことは、

家族を連れてきて、親孝行したい!

すき焼きって、そういうイメージの食べものだと言うのですが、それって、まったく普通の人の感覚ですね。

今時の子が忘れかけている感覚です。

ウイキぺデイアによりますと、きゃりーさんは、

「母親から門限を課されるなど厳しく躾けられて育った。高校時代は門限設定のほか化粧の禁止や携帯電話の使用制限なども課されていたという」

へええ。

人は見かけによらないもんです。

追伸、

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ぐんま・すき焼きの日

群馬県庁が11月29日を「ぐんま・すき焼きの日」に制定するそうです。なんでも、

「県では、全ての食材が県内産でまかなえる「すき焼き」を、群馬ならではのおもてなし料理として、さらには、県民の食として一層の定着を図るため、関係団体と連携し「ぐんますき焼きの日」を制定(11月29日)します。これに合わせて、「ぐんまのすき焼き」の一層のPRを図るため、関連事業を実施し、「オール群馬」による取り組みの気運を高めます。」

へええ。

既に11月29日は、「より良き宮崎牛づくり対策協議会」さんが「いい肉の日」に定めていますから、悶着が生じそうな気がしますが、私は両者に関係があるので、この場では「ノーコメント」にさせていただきます。

さて群馬県さんが何をなさるのかですが、まず、

【「ぐんまのすき焼き」の確立】を目指して、

(1)「すき焼きアクションミーティング」の開催

(2)「すき焼き」を提供する旅館、飲食店等の情報発信

(3)老舗すき焼き店とのタイアップイベントの開催

(4)「すき焼きの日制定記念キャンペーン」の実施

(5)「すき焼きマップ」の作成

それから【県民運動として取組の広がりをつくる】を目指して、

(1)「ぐんま すき焼きコンテスト」の実施

(2)「我が家のすき焼き自慢」の実施 (9月補正予算)

・・・だ、そうです。

どうぞ、頑張って下さい。

追伸、

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すき焼き柄の切手

すき焼き柄の切手が出るそうです。

すき焼きだけでなくラーメンとすき焼きの2種類だという所は気にいりませんが、まあ、良いでしょう。

デザインは星山理佳さんという方。可愛い感じのデザインです。

日本郵便株式会社のプレス資料によりますと、

「国内・国外の人々が日本を想起しやすい食べ物として、日本の伝統料理である「すき焼き」と、国内・国外で人気のある「ラーメン」を郵便切手の題材としました」

金額は18円です。

18円と聞いて??と思った方もおいでと思いますが、それはこの切手が「海外グリーティング(差額用)」だからです。

通常葉書は52円ですが、それを航空便扱いの国際郵便葉書として差し出す時に必要となる郵便料金は70円ですから差額18円が生じます。それをピッタリ埋める金額なわけです。

海外グリーティング用と言ってはおりますが、もちろん普通に国内で18円の切手として使ってOKです。

10月29日(木)から販売を開始して、来年の1月29日(金)に販売終了だそうです。

是非お買い求めください。

追伸、

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魯山人の器

国際観光日本レストラン協会の研修会が紀尾井町の「福田家」さんでありました。

「福田家」さんと言えば、魯山人。

初代が昭和14年に「福田家」を開業する時に魯山人に指導を乞うたという歴史があります。

この日も魯山人作品を拝見した後、食事。食事の最後のデザートは魯山人の器に盛って出して下さると言います。光栄至極です。

そういう次第で、まず食事前に鑑賞タイムです。

800年前の古民家を移築したという一室に魯山人作品が並べられていて、しげしげと拝見する内、一人の人が言いました・・・

なんで、魯山人って、こんなに珍重されているの?

私も、それは疑問に思っていましたので、この際考えてみたのですが、それは、

やはり知名度であり、知名度の背景にあるのは作品の絶対数だろうと思います。

魯山人作品は「作品」と言うよりは、実際に使う器で、魯山人が関わった店のために多数焼かれています。

成形作業は人にやらせ、本人はそれを少し歪めた上で、絵付けや釉薬掛けをして焼きます。

絵付けのデザインも、独創は多く無くて、骨董の模写で在ることが多いです。そういう造り方だから、作品数が非常に多く、色々な所で目にすることが出来る、それで知名度があるのです。

知名度は取引価格に反映され、魯山人=高いというイメージが出来上がったと思われます。

一方、魯山人と対照的な存在として板谷波山がいます。

波山は陶芸家として初めて文化勲章を獲った人ですが、非常に精緻な仕事をした人ですので、当然作品点数が少なく、作品を目にする機会がほとんどありません。

作品が少ない⇒目にする機会がない⇒知名度が低い と成ります。

例として適当か分かりませんが、〇〇牛という牛のブランドも、ある程度の頭数をコンスタントに出荷してくれないと知名度が上がらないいうことがあります。

味の評価

美術品としての評価

とブランド力は別物という事例だろうと私は思います。

さてさて、野暮な話しはこの位にしましょう。

食事は進み、魯山人でデザートを食べるだけではつまらないので、空いたその皿で酒でも飲みますか。

すみません、徳利をこちらへ回して下さいな。

え? その皿で飲むのか、関取みたいだぞ、それにそんなことすると出禁になるぞ って?

うーい、ひっく、もう飲んじゃいました・・・

追伸、

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米沢のユルキャラ

次回「すきや連」の準備のため、米沢市へ行って来ました。

駅を降りますと、まず歓迎してくれたのは、

「かげっちさま」(米沢市が制定した上杉景勝のマスコットキャラクター)と、

「かねたん」(やはり米沢市が制定した直江兼続のマスコットキャラクター)と、

「おせんちゃん」(これまた米沢市が制定した兼続の正室お船の方のマスコットキャラクター)。

市内巡回バスの車体に大きく描かれていました。

まったく、どこかで既視感のあるユルキャラですな。デザインの独創性は大丈夫なんでしょうか。どこぞのエンブレムみたいなことにならないと良いですねえ・・・

さてさて、こういったものは無視。米沢牛目指して先を急ぎます。

今回お邪魔しましたのは「グルメプラザ金剛閣」さん。

名前が結婚式場みたいなのは、本当に結婚式場だったからです。

元々は肉屋さんだった「米沢牛黄木」さんという会社が事業の多角化で、結婚式場を始めたものの、途中でやはり肉料理専門に回帰した方が良いということになって、現在の形態になりました。

当時名前を牛っぽく変更する案も浮上したそうですが、かつて結婚式をあげた方々が悲しむだろうと名前はそのまま。

「金剛」というのは、米沢藩上杉家の代々の当主が金剛流の能を嗜んだことに因んでいるそうです。なるほど、文化的な屋号じゃないですか。変えなくて良かったですね。ユルキャラ制定より余程米沢のためになるような気がします。

で、当然すき焼きをいただきました。

お肉は、7月の米沢牛枝肉共励会で最優秀賞だった牛さん。肥育期間も熟成期間も充分。結構なものでした。

米沢はすき焼きの作り方が面白くて、野菜類を最初に鍋に入れた後、肉を載せて、割り下をかけます。

その割り下には味噌が溶かし込んであって、「割り下」と言わず「タレ」と言います。

私的には鍋の中でベースストックになるものは「割り下」と称していただきたい所ですが、方言否定は良くありませんから、四の五の言わずに楽しませていただきました。食後もモタレず、大変結構でした。

10月の「すきや連」も楽しみです。

 

追伸、

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浅草の思い出

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題して「浅草の思い出」

どうぞお読み下さい。

<以下投稿です>

私が小学生のころの話です。私は埼玉県北部に両親、兄妹、父方祖父母と七人で住んでいました。

当時、千駄ヶ谷に一人で暮らしていた母方の祖母。
嫁いできたひとり娘の私の母のところへ月に一度、遊びにきていました。
乗り換えの面倒がなかったため、浅草まで出て、そこから東武線(現在はスカイツリーライン)でやってきていて、その時はいつも浅草駅に隣接する百貨店で、すき焼き用の牛肉をお土産に買ってきてくれました。
祖母が来た日の晩はすき焼きで、そしてそれは母方の祖母が鉄鍋を使って腕を奮って作ってくれ、食べ盛りの私たち3兄妹はその美味しさにペロリと平らげたものです。料理屋で働いていた祖母でしたので、こだわりを持って作っていたのを懐かしく思います。
また、自営の父は、仕入れのためによく浅草問屋街へ出かけていました。いつからかその帰りに買ってきてくれてたのが、ちんや精肉店で販売しているハンバーグです。これもまた絶品で、あふれでる肉汁がたまりません。
今は主人と中高生2人の息子と暮らしていますが、時々、浅草へ行く用があるとちんや精肉店を覗きます。そしてハンバーグを買って帰る。

息子たちも一口食べて、

これはちんやだね?

と言い当てます。
先日立ち寄った時は、臨時の連休中でお目当てのハンバーグは買えず、がっかりして帰宅したました。
次はいつ行こうかな~。

<投稿終わり>

お子さんが「一口で言い当てる」というのは、かなり嬉しいですね。味覚の継承とはこういうことだと思います。

このように、

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涙でレシートが見えにくい

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題して「涙でレシートが見えにくい」

どうぞお読み下さい。

<以下投稿です>

私が子供の頃には、家族で食べる特別なメニューが幾つかありました。母が食パンをそのまま使って作る意味不明なハンバーグ、一般の中華料理屋さんで食べるものとはまるで違う、甘くない酢豚、そして自己流のすき焼きでした。
なにぶん子供だったので牛肉が高いことなどは知らず、「豚肉のほうがいいよ」などとうそぶいていた生意気な幼児であった私も、すき焼きは美味しいのだと理解はしていました。
長じて学生になって、やりたいことが全部挫折して、失意の中で会社員になりましたが、入社3年目くらい、たぶん平成3年の6月です。当時はまだ世間の景気も悪くはなく、大掛かりな仕事が終わった打ち上げで、部長が部下をおおぜい引き連れて、有楽町のおおきなお店ですき焼きを奢ってくださいました。中居さんが全部やってくださったのも驚きでしたが、味がまるで母のものとは違うので、大量に食べておおいに満足して、「会社もいいなぁ」などと勝手に思ったものです。
しかし景気も悪くなって、その後はそんなことはなくなりました。もともと「会社勤めなんかいやだ」と思っていたのでうまくいくわけなどありません。あちこち転勤して、東京あたりに戻ってきたのが9年前。父親が死んだ直後です。
身も心もすさんでいた私は、それでも元気になろうと自転車に乗り始め、水戸街道をずっと走り続けました。そのうち長距離も乗れるようになって、浅草へも。すると「ちんや」さんの看板が。
入りたい、でもこんな状態では入れない。いつかは入ろう。
それから更に何年もたったな。確か2013年の冬に接待先として生まれて初めてお邪魔しました。自腹ではないから一人前とは言えません。ですが、「ここに来られるようになったのか」その思いは格別でした。味もサービスも格別なのはもちろんです。
そして昨年、会社の知人がプロジェクトを成功させたお祝いに、プライベートでやっと「ちんや」さんに堂々と行けたのです。行けた、やっと行けた。俺もここまで来れたんだ。
メニューやレシートが涙で見えにくくなった、そんな日でした。

このように、

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ちんやさんの思い出

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題して「ちんやさんの思い出」

どうぞお読み下さい。

<以下投稿です>

ちんやさんとのお付き合いは小生小学校低学年の頃からですので、もう60年近くになります。当時は、両親に連れられて浅草寺へのお参りの際に寄らせてもらっていました。
もちろん、ちんやさんの由来、また味のことなども分かりませんでした。ただ、入り口に下足番の方がおられ(もちろん下足番の方のことなど当時は分かりませんが)、広い入り口から上がって行ったのは今でも鮮明に覚えています。
今、入り口に伺いますと当時の印象からは狭いなと感じますが、昔とは変わりましたでしょうか?あるいは自分が大きくなったので、当時は広く感じたということでしょうか?

その後、就職し居住地が変わったこと、また仕事の関係で外国勤務となったことなどから、ちんやさんとも縁遠くなってしまいましたが、この15年くらいまた通わせていただいています。

ちんやさんの永い歴史を知るにつけ、自分自身のちんやさんとの60年近くに及ぶお付き合いを感慨深く思い出しています。これからも末永いお付き合いをお願いしたいと思います。

<投稿終わり>

このように、

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父のすき焼

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題して「父のすき焼」

どうぞお読み下さい。

<以下投稿です>

私が子供の頃、今から50年位前のことだと思う。我が家ですき焼をする時は常に鍋が二つ用意された。

五人家族の我が家は大きめの丸い卓袱台に小さな折り畳みテーブルを付け足した、その小さなテーブルの上では豚肉の入った鍋がぐつぐつと音をたてていた。父の為の鍋だ。

末っ子で、まだ小学生になるかならないかの私にはその肉が牛か豚かなんて事は知るよしもなかった。ただ、ただみんなでおいしい、おいしいと言いながら、みんなでお腹いっぱい食べた。

少し大きくなった頃、父の分だけが豚肉だったと知った。牛肉が苦手だと言っていた。

私が大人になった頃、父の牛肉嫌いは、父が子供の頃可愛がっていた牛が居て、それを思い出すからとか、ただの食べず嫌いとか色々言い訳を聞かされた。

父が亡くなって、もう15年・・・

本当はどっちだったのだろう?なんて、夫と二人「ちんや亭」のカウンターですき焼の牛肉をつつきながら、ふと思い出したりするのだ。

 

このように、

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