涙でレシートが見えにくい
すき焼き思い出ストーリー投稿サイトに新着1本をupしました。
題して「涙でレシートが見えにくい」
どうぞお読み下さい。
<以下投稿です>
私が子供の頃には、家族で食べる特別なメニューが幾つかありました。母が食パンをそのまま使って作る意味不明なハンバーグ、一般の中華料理屋さんで食べるものとはまるで違う、甘くない酢豚、そして自己流のすき焼きでした。
なにぶん子供だったので牛肉が高いことなどは知らず、「豚肉のほうがいいよ」などとうそぶいていた生意気な幼児であった私も、すき焼きは美味しいのだと理解はしていました。
長じて学生になって、やりたいことが全部挫折して、失意の中で会社員になりましたが、入社3年目くらい、たぶん平成3年の6月です。当時はまだ世間の景気も悪くはなく、大掛かりな仕事が終わった打ち上げで、部長が部下をおおぜい引き連れて、有楽町のおおきなお店ですき焼きを奢ってくださいました。中居さんが全部やってくださったのも驚きでしたが、味がまるで母のものとは違うので、大量に食べておおいに満足して、「会社もいいなぁ」などと勝手に思ったものです。
しかし景気も悪くなって、その後はそんなことはなくなりました。もともと「会社勤めなんかいやだ」と思っていたのでうまくいくわけなどありません。あちこち転勤して、東京あたりに戻ってきたのが9年前。父親が死んだ直後です。
身も心もすさんでいた私は、それでも元気になろうと自転車に乗り始め、水戸街道をずっと走り続けました。そのうち長距離も乗れるようになって、浅草へも。すると「ちんや」さんの看板が。
入りたい、でもこんな状態では入れない。いつかは入ろう。
それから更に何年もたったな。確か2013年の冬に接待先として生まれて初めてお邪魔しました。自腹ではないから一人前とは言えません。ですが、「ここに来られるようになったのか」その思いは格別でした。味もサービスも格別なのはもちろんです。
そして昨年、会社の知人がプロジェクトを成功させたお祝いに、プライベートでやっと「ちんや」さんに堂々と行けたのです。行けた、やっと行けた。俺もここまで来れたんだ。
メニューやレシートが涙で見えにくくなった、そんな日でした。
このように、
すき焼き思い出ストーリーの投稿を募集しています。
すき焼きは文明開化の昔から、日本人の思い出の中に生きてきた料理です。でも残念ながら、その思い出話しをまとめて保存したことはなかったように思います。
ご投稿くださったものは、「ちんや」創業135周年を記念して本に纏め、今後店の歴史の資料として、すき焼き文化の資料として、末永く保存させていただきます。
どうぞ、世界に一つだけの、すき焼きストーリーを是非、私に教えて下さい。
投稿〆切は9月末日です。
既にご応募いただいた、約60本のストーリーはこちらです。
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて2.024日連続更新を達成しました。
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