百年祭

 百年前の、7月30日に明治天皇がお隠れになりました。

 今年は、それから百年なので、明治神宮では明治天皇百年祭が行われたようです。

 この日、浅草出身の薩摩琵琶奏者・友吉鶴心さんが奉納演奏をされました。生前こよなく薩摩琵琶を好まれた、ということで選ばれたそうです。

 また「東都のれん会」で御一緒する、豊島屋酒造さんは、日頃神宮に御神酒を納めておられる関係で、やはり百年祭に参列されたそうです。そうFBに投稿がありました。

 あいにく私は、この日が株式会社ちんやの決算棚卸しの日に当たってしまい、参列できませんでしたが、勿論、この、近代日本を一代で築いた大帝陛下の御人柄を慕う一人です。

と、申しましても、陛下の御人柄を知ることは、実は簡単ではありません。当然ながら、自由に発言できる御立場ではなかったからです。

 勅語はいつも漢文調で、いかめしいことがほとんどで、それを作文するに当たって、陛下御本人がどれだけ関与されたのか、今となっては全く分かりません。だから、発表された文言を読み、実際の行動と照らし合わせて、想像する他ないのです。

 その膨大な作業を成し遂げたのが、ドナルド・キーン博士の大著『明治天皇』です。上下巻のぶ厚い本です。私も少し苦労して読みました。

 勅語を読みますと、頻繁に「皇祖皇霊」「祖宗」という言葉が出てきますね。

 「皇祖皇霊」ひらたく申すと御先祖を崇拝し、先祖に対して恥ずかしくない統治をしなければ、という思いが強い方であられたのだろう、と思えます。その責任感が、陛下の並み外れた精神力・忍耐力を培ったものと想像できます。

 陛下の御生涯で、私が一番印象的なのは、日露戦争の、旅順陥落時のエピソードです。

 旅順要塞はロシア帝国が東洋進出の拠点として、当時の築城能力の粋を集めて建設した大要塞で、その攻防戦では、双方合計で戦死26.000人+戦傷74.000人という、空前の量の血が流されました。

 戦いがようやく、日本の勝利に終わった時、陛下にそのことを奏上した陸軍幹部は、興奮しきっていたようです。ここで敗北すれば日本の国そのものが危うかったから、当然です。

 しかし、この報告が御耳に達した時、陛下の御様子は、喜びではなく興奮でもありませんでした。

 敗北したロシアの司令官ステッセル将軍に、軍人としての名誉を保たしめるように、というのが、陛下の御指示でした。

 陛下は日清戦争の時に、やはり旅順で日本軍が残虐行為を働いたのをご存じで、今回は、軍にそういう恥ずべきことをさせない、と決心なさっていたのです。

 この御指示の背景には、「皇祖皇霊」に対する意識があったことと思います。

 ですから陛下は民主主義の君主では勿論なく、御学問も余りお好きではなかったようなのですが、それにも関わらず、強い指導力をお持ちでした。

 その陛下の肖像画を、私は「ちんや」の玄関に掲げています。

追伸①

 藤井恵子さん著の単行本『浅草 老舗旦那のランチ』に載せていただきました。
 不肖・住吉史彦が、「浅草演芸ホール」の席亭さんや、「音のヨーロー堂」の四代目とランチをしながら、浅草について対談する、という趣向です。

 他にも20人ほどの、浅草の旦那さんたちがリレー対談で形式で登場します。

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 ご購入はこちらです。 (できればレビューも書いて下さいね!)

追伸②

 「日本国復興元年~1千人の笑顔計画」を実行中です。

 この「計画」では、まず「ちんや」で東北・北関東の牛を食べていただきます。そして食後の飛びっきりの笑顔を撮影させていただきます。

 その笑顔画像をこちらのサイトにUPして、北の産地の方に見ていただきます。

 現在の笑顔数は270人です。笑顔数が1千人に達するまで継続してまいります。

 参加者の方には、特典も! 

 皆様も、是非御参加下さい!

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて886日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

 Twitterもやってます。こちらでつぶやいています。

 
Filed under: 憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)