酒の四季

 肉には目立った四季がありません。ですので、すき焼き屋は四季を感じにくいですね、他の料理屋に比べて。

 それでは寂しいので、ザクの野菜に変化を付けて「変わりザク」ということでオプション販売しています。

 そんな折、日本酒業界の方と話していたら、

 酒にも四季がありますよ!

ということでした。

 春の「原酒ロック」

 夏の「生貯蔵」

 秋の「ひやおろし」

 冬の「しぼりたて」

というのが、その御提案です。

 そこで季節の御酒と「変わりザク」をセットにしたメニューを作ろうかと思い、思案中です。

 で、その御提案について、です。この御提案は大変結構ではあるのですが、造り手さんが考えたので、飲み手の季節感とは、微妙にズレる部分があると思います。

 そもそも日本酒は、いつ頃醸造しているか、ですが、現代化していない伝統的な造り方をする蔵の場合、だいたい11月〜翌2月です。「寒づくり」と言いますね。だから毎年暮れには、最初の「しぼりたて」が出てくるわけです。

 まず、ここが飲み手の季節感とズレるところです。

 造り手さんは、ここでフレッシュな酒を飲ませたい所でしょうが、世間は真冬ですので、むしろ燗酒を飲みたいですね。燗酒には、フレッシュな酒でなくて落ち着いた酒の方が良いですので、すれ違いが起きてしまいますね。

 「寒づくり」は2月まで、蔵によっては3月まで続きます。年内より年明けの方が寒いので、吟醸酒とか、よりお値段の高い酒を、年明けに造る傾向があるようです。

 ここで出来た、吟醸酒の「しぼりたて」を春先に飲むのは良いと思います。芽吹きの季節に合います、フレッシュですので。

 だから御提案の、春の「原酒ロック」は悪くはないのですが、ロックにするかどうかは、意見が分かれるでしょうね。

 「しぼりたて」は加水せず、つまり原酒の状態で飲むと最高に美味いですが、度数は18〜19度と高いです。だから酒に弱い方には辛い度数です。

 それでロックにしようと提案なさっているわけですが、呑み助はこれを認めないでしょうね。悪酔いを心配するのなら、チェイサーをつけておき、酒は酒のままで行きたい、という人が多いかもしれません。

 夏場は日本酒党受難の季節です。

 この時期は、どうしても人間の体は水分を欲しますので、サラサラと飲める、ビールのように度数が低くで、発泡性の酒が好まれます。「生貯蔵」は、日本酒の中では清涼感がありますが、ビールにかなうわけもなく難しい所でしょう。

 秋の「ひやおろし」、は良いと思います。

 「ひやおろし」とは、寒づくりした酒を、夏の間寝かせておいて落ち着かせたものです。これを涼しい季節になってきたら卸す、ということですね。

 秋にそういう酒質のものを飲むのは良いことで、「ひや」という名前ですが燗をつけても旨いです。そうすれば秋の気分を満喫できると思います。

 ただ、ここで問題なのは気候の温暖化です。

 9月に入ったら、すぐ「ひやおろし」を解禁する蔵元さんが多いですが、今の東京の9月1日は、まったく夏です。お彼岸中でもまだポカポカしていて、10月に入って、ようやく秋らしくなりますね。ここがズレるところです。

 9月1日では、まだ気温が30℃なので、酒を近々いやキンキンに冷やしたくなりますが、そういう飲み方は、せっかく落ち着かせた「ひやおろし」の酒質に適している、とは言い難いのです。

 せっかく「ひやおろし」という過程を加えるわけですので、その御酒の魅力を最大限に引き出すような、御提案にした方が良いと思います。

 できれば10月、早くてもお彼岸まで待って解禁するのが良いと思っています。

と、いうわけで、季節の御酒と「変わりザク」をセットにしたメニューを作ろうかと思い、思案中しています。

追伸

  毎日新聞社発行の毎日ムック『100年の味 店100選』に載せていただきました。有難いですね。2012年1月12日発行予定とか。是非お求め下さい。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて681日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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山ふぐ

 11月に前橋市で開催した「すきや連」でお世話になった「群馬やまふぐ本舗」さんから、蒟蒻とシラタキが届きました。

 「やまふぐ」の御主人の御自慢は、その蒟蒻・シラタキが刺身として食べられることです。下茹でしなくてOKで、そのまま食べられるのです。

 それどころか「下茹で厳禁」(!)と書いてあります。茹でて固くしてもらったら迷惑!ということです。へえーですよね。

 そういうことが出来るのは、石灰が少ないからです。

 そもそも石灰は、アルカリ反応を起こしてコンニャク粉を凝固させるのに使います。作るコンニャクに対し、必要量を完全に反応させれば、最小限で済むわけですが、その加減は、御主人曰く・・

「その辺りの添加基準は、データと数値で表すより、今までの経験と感覚でその都度加減しないと、四季折々の製造環境の違いにより、均一に作る事は難しいんです。」

 ところが、一般的な製造者さんは・・・

「食品に一番あってはならない「腐敗の原因」を取り除く事が第一と考え、必要以上のアルカリ分を加え作るんですが、その加減の限度を知らず、数値ばかりを見てしまうのだと思います。」

「しかし!最低限必要とされる凝固剤を完璧に混ぜ合わせれば、意外と日持ちするんですよ!パックしてボイルすればなおさら。」

ということで、「やまふぐ」さんの蒟蒻は、意外なことに消費期限が長いのです。

「みんな「製品が傷むのを避けるため!」って云うか、加減の限界を知らないし、また挑戦してないため、無駄な石灰添加の悪循環に陥ってるのかも知れませんね!」

「要は、一般的な製品はいろんな部分で無駄が多いんです。物事には「適量」て云うのがあり、コンニャクもそうなんですよ。」

 この話しには、なるほどと思いました。

 今時はどうしても過剰に「安全」に、食品を作ろうとする傾向があるように思います。結果、「安全」でも「加減」が悪くて⇒不味い場合が多いような気がします。

 実は私はワインを大量に飲むことをしませんが、それはワインの参加防止剤(=亜硫酸塩)が好きでないからです。日本酒のように火入れをしないワインは、これを入れないともたないのですが、その量が多いものが結構あるようです。

 それが苦手なのです。

 このクスリの量が多すぎないか、厚生省も通関の段階で、規制しているそうでが、その基準は結構緩く、皆パスしてしまうそうです。

 私がワインを好きになれないのは、この人達のせいです。

 「安全」が大事でないと言うつもりはありませんが、過剰な安全は考え物ですね。その証拠に、蒟蒻に石灰を多く含ませたからといって、消費期限がそれだけ伸びるわけでもありません。

 で、結局「やまふぐ」さんのシラタキの御味はどうだったのかっていうことですが、

 フレッシュ感が素晴らしかったです。御高説の通り、臭みは完全に無しです。夏場に酸味を効かせて食べたら爽快でしょう。

 こういう食べ方をして初めて、「山ふぐ」と言われる理由が分かります。

 すき焼きに入れてしまうと、どうしても少し固くはなりますので、「山ふぐ」感はかなり薄まります。でも弾力はしっかり残っていて、食感が楽しいです。七味とか辛みを加えるとさらに良いかもしれません。

 同じシラタキでも、いろいろな食べ方ができるのだなあ、と感心しました。

  追伸

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とりあえずビール

 新年会シーズンですね。

 とりあえずビールで乾杯!

という場合が多いと思います。

 その「とりあえずビール」が廃れつつある、という話しを耳にします。

 「とりあえず」では、ビール関係者の皆様やビールさん御本人に失礼ではないか!態度を改めるべきだ!という理由で廃れつつある、わけでは勿論ありません。

 もっと違うものを最初から飲みたい、という方―特にそういう若い方が増えているそうなのです。

 その気持ちは分かるけど、最初の一杯位は、皆と同じにしたら良いのに!と私などは思いますが、了見が狭いでしょうか。

 先日、ある「打ち上げ会」をすることになり、15人ほどで飲みに行った時に、こんなことがありました・・・

 仕切り役の幹事さんは、もう夜も遅いし、とにかく早く乾杯して盛り上げたいので、

 ビール以外の方はいますか〜?!

という注文の採り方をしました。いちいち個別に注文を採ったら時間がかかって盛り下がりますからね。そうしましたら御一人だけが、店員さんにビールの銘柄を聞いて、別の銘柄を注文しました。

 私は、その方はひょっとしたら、そっちのビールメーカーさんと御取引きがあるのかと思い尋ねてみましたが、そういうことではなく単に「お好み」のようでした。

 うざっ!

と口には出しませんが、内心私がそう思ったことを、ここに言明いたします。

 最初の一杯位は、皆と同じにしたら良いのに!と思いました。心が狭いもんですから。

 ところが、です。最近の状況=「とりあえずビール」が廃れつつある状況は、そういうことでもないのだそうです。単に「お好み」の話しではなく、アルコールに弱い方が増えているようなのです。

 ビールのアルコール度数は、たかだか5%であって、12%のワインや15%の日本酒より、かなり低いです。だから、酒に弱い方でも、とりあえず乾杯だけは参加できるはずです。

 ビールはこれだけ度数が低いのだから、誰でも少しは飲めるよね。だから乾杯位は全員が同じ物を飲んで、グループの一体感を深めようね。というのが「とりあえず」の真意だと私は思っています。

 勿論、一体感という意味では「とりあえず御酒」の方が、さらに望ましいです。日本酒業界の方は口を揃えて、そうおっしゃいます。

 フクシマ第一原発が出来て、運転を開始した時の祝いの乾杯は日本酒で行ったようですね。テレビで見ました。GE社から派遣されて来たらしき、アメリカ人技術者も、酒の試飲会で見かけるような、大振りの猪口を手にして乾杯に参加していました。

 同じ日本酒で乾杯することが、日米関係技術者の一体感を深めたと想像できます。その後の事態はさて置きますが。

 しかし、ここでネックになるのは、やはり度数です。5%のビールでも「・・・」という方が増えている状況では、15%の日本酒はキツいですね、ゼンゼン。

 そう言えば去年「大震災6カ月―全ての食材を東北から集めた、住吉史彦の会!」を開催した時は「とりあえず御酒」で乾杯しました。東北の蔵元さんが3社参加してくれたからです。

 そうしましたら、会が終わった後、いつもなら二次会に行くような面々が「帰る・・・」とおっしゃいます。

 どうかしました?と尋ねますと、

 いやあ、酔っ払っちゃってねえ、えらく・・・

ということでした。

 翌日のフェイスブックでも、

 住吉さんの会は最高だったけど、酔っ払ったなあ、最初から日本酒はキツかったなあ。

というコメントが書いてありました。

 なるほど、そうでしたか・・・

 要するに「とりあえず御酒」はもちろん「とりあえずビール」すら危ういので、日本酒業界の方は、低アルコールのものを開発するよりないかもしれません。

 でも、そういうのはおいしくないんですよね。「低アル」飲料は、そもそも飲めない人に飲ませる飲料なので、甘くしてあったり、酸っぱくしてあったりします。

 嫌いなんですよね、個人的に、そういう「御子様テイスト」の酒が。これまで「いいね!」というのにお目にかかったことがありません。

 だから、私個人の会は、今後も「とりあえず御酒で乾杯!」しますね。

 最近は、加水してしない「原酒」が出回っていて、あれは美味しいですよね。

 度数は18%とかですけど、あれは美味いですから、ああいう御酒で乾杯しましょう。 

 うーい、ひっく。 

追伸

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またまたまたクリスマスの話しです。

  年始なのに、またまたまたクリスマスの話しです。

 日本養殖新聞の、「うなっくす」さんことTさんが、

 「クリスマスにうなぎを食べるワケ」プロジェクトを提唱なさっています。

 そのブログが面白かったので、御本人に無断で転載しますと・・・

 「クリスマスに何でうなぎ?」ってことで、その理由を以下、並べてみました。

▼”クリスマスにチキン”って定着しすぎて、もう飽き飽きだから。

▼他の人はチキンばかり。自分だけ、うなぎを食べる事で優越感に浸れるから。

▼鰻重を食べる事で、ありきたりではない、思い出に残るクリスマスを過ごす事が出来るから

▼体調崩しやすいクリスマスの時期はビタミンC以外、豊富な栄養を含むうなぎが最適だから(注:デザートにはビタミンCをたっぷり含んだデザートを)

▼川魚の中で、肌に良いコラーゲンを多く含むウナギは、肌荒れを気にするこの時期に打ってつけだから(※コラーゲンは、ビタミンCを一緒に摂る事で吸収を良くする)

▼クリスマスは”聖なる夜”であると共に”精なる夜”、それだけにうなぎは欠かせないから。

▼愛し合うカップルは、チキンより精のつくうなぎが最適だから。

▼慌ただしい師走に、比較的空いたウナギ屋さんで美味しい鰻重を食べると心がほっとし、落ち着けるから。

▼”ごちそうだぞ!”と強調、クリスマスプレゼントに次いで、うなぎを大切な方におごると喜ばれる(?)から。

▼うなぎとは世界に誇る日本を代表する伝統食文化、チキンを食べている場合ではないから。

▼ ウナギイヌがサンタの格好をするとたぶん、かわいいから。

追加:男子がお店で女の子に鰻重の『特上』を頼んでも、フレンチ最上級コースの1/3以下だし、オトコのメンツの割に実はコストパフォーマンスに優れてるから。

 ははは。よくも、これだけ理由をお考えになったものです。スゴいです。

 しかし、です。鰻がこう来るなら、すき焼きも黙ってはおれません。

 で、考えつきました。

 「バレンタインに、すき焼きを!」

 早速、鰻がバレンタインも占領しないよう、Tさんに申し入れて?おきました。

 り、理由ですか?

 うーん、

▼ 住吉さんがサンタの格好をするとたぶん、かわいいから。

 え? それじゃあ、クリスマスの理由だろう、って?

 ス、スミマセン!

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クリスマスケーキ

 年始なのに、またまたクリスマスの話しです。

 この日「人形町今半」のT社長の御自宅に、滅茶滅茶に破壊されたケーキが届いたそうです。宅配便の業者が乱暴で、「配達中に三回はぶつけたな」と言う状況だったそうな。

 この件について、Tさんは「夕方取り替​えに来たけど、宅急便でケーキを送るのは大変ですね。宅急便業者​も大変です。」とコメントし、それで皆から称賛されました。

 「尊敬しました!!普通だったら、こ​んな状態でこのやろうとか、どうなってるの?とか、ネガ​ティブなこと書いちゃいそうですけど、業者さんも大変なのは確かですし、怒っても、もうそれは​、なおりませんしね! 物事の捉え方について勉強させてもらいました(^^)」

「やはり飲食業としての学びですね」

という具合でした。

 Tさんは自分が荷主で、しかも、おせち弁当という壊れやすいものを、ごく短期間に集中して出荷する立場なので、ケーキ配達業者の立場が容易に想像でき、それで自然に「大変ですね」というコメントが出来たのだと思います。

 でも、そういう発想の無い方の場合、自然な反応は「馬鹿野郎」「ふざけんな」でしょう。

 お子さんがケーキをとても楽しみにしていた場合、親としてカーっと来る可能性はありますね。「どうしてくれるんだ」と言いたくもなります。

 「どうして」と騒いだって取り替えるしかないですけどね。

 私はケーキとか、おせちとか、そういうヤヤコシい物は出荷しませんから、Tさんほど業者に同情的ではありませんが、それでも極端な繁忙期がある人の大変さは、分かるつもりです。

 なにしろ、浅草で商売していますのでね。

 ケーキ業界のクリスマスに匹敵し、チョコ業界のバレンタインに匹敵する、「浅草の正月」を毎年経験させていただいています。

 今年は、大震災を受けてスタッフ数を最小限にしていましたので、本当に心配でした。

 なんとか六日まで凌ぎ、今日で七日です。

 ここまで観音様の御加護があったことに、心から感謝したいと思います。

 メリー・クリスマス! いや、間違えた、

 南無観世音菩薩。

追伸①

 本日は大相撲東京場所の、初日の前日ですので、「呼び出し衆」の皆さんが、興業の宣伝のため「ちんや」を訪問されます。通称「触れ太鼓」です。大広間へお通しして、食事中のお客様にも見ていただきます。

追伸②

 本日1/7に浅草7丁目の「待乳山聖天」で「大根祭​り」が開催されます。

 御本尊の聖天様にお供えされた大根が、フロふき大根に調理されて、御神酒と共に参詣客に振るまわれます。毎年1/7の恒例行事です。

 また今回は、近くの​聖天公園でフリーマーケットもあります。福​島県や宮城県の被災地物産展が開催されますので、是非皆さ​ん、お出かけ下さい。

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奏楽堂②

 この話しは、昨日から続いています。

 昭和の終わり頃のことです。

 「旧東京音楽学校奏楽堂」を移築しようとする芸大執行部に異を唱えて対立し、しかし芸大側の強硬姿勢を前に困った故・芥川也寸志先生、故・黛敏郎先生が、内山栄一・台東区長に相談を持ちかけましたが、その場所が弊店「ちんや」でした。

 実は、これは自然の成り行きで、内山先生は元々、株式会社ちんやの顧問税理士さんなのです。今でもお元気で、弊社の税務をお願いしていますが、その税理士さんが区議に出て⇒都議を経て⇒区長になられたわけです。

 その内山先生に、芥川先生・黛先生が、「奏楽堂」の移築をなんとか阻止できないものか、と相談をもちかけたわけです。問題なのは当然、費用と代替地です。

 内山区長の英断で費用は支出され、また土地も現在地が使用できることになって、「奏楽堂」は上野公園の中に残りました。この問題は紆余曲折もあって簡単ではなく、あやうく(?)「奏楽堂」が隅田公園に来る話しなりかけたそうなのですが、最終的には上野公園に残りました。

 そうした緊迫した相談がなされたのが「ちんや」の部屋でした。

 当時中学生だった私に、その話しの趣旨が分かるわけもありませんが、芥川先生・黛先生にサインをいただきに行った記憶があります。

 これでようやく、「奏楽堂」と「ちんや」の関係が見えて来たかと思います。

 こうした経緯がありますので、その後、弊社は「奏楽堂」で台東区が演奏会を主催する時には、協賛をするようにしています。

 協賛を続けて来た期間には、リーマン・ショックやら今回の大震災やら「経費を削りたいなあ」と深刻に思うこともしばしばありましたが、続けてきました。

 この協賛を続けて来たことで、後に私は「台東区アート・アドバイザー」に起用されるのですが、そうした一個人のことよりもっと嬉しいのは、弊店のお客様が「奏楽堂」のお客様になり、「奏楽堂」のお客様が弊店のお客様になったことです。

 昨日のブログに書きました、クリスマスイブの日のことが、とても嬉しかった理由は、そこです。

 「これから奏楽堂の、クリスマス・コンサートに行きます」というお客様が2組、同時に弊店で食事をされたことも奇遇ですが、さらに同時に「ちんやメンバーズ・カード」に入会されたのも奇遇で、驚きました。

 驚き、そしてまた協賛を続けて来たことが報われたような気がしました。

 御縁を大切にすること、それを継続すること。

 それが大事と思います。

 報われる日が来ました。メリー・クリスマス!

追伸

 1/7に浅草7丁目の「待乳山聖天」で「大根祭​り」が開催されます。

 御本尊の聖天様にお供えされた大根が、フロふき大根に調理されて、御神酒と共に参詣客に振るまわれます。毎年1/7の恒例行事です。

 また今回は、近くの​聖天公園でフリーマーケットもあります。福​島県や宮城県の被災地物産展が開催されますので、是非皆さ​ん、お出かけ下さい。

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奏楽堂

 クリスマスイブの日のことですが、嬉しいことがありました。

 夕飯にしては早めの時間に「これから奏楽堂の、クリスマス・コンサートに行きます」というお客様が2組、同時に弊店で食事をされ、さらに同時にそれぞれ「ちんやメンバーズ・カード」に入会されたのです。同じ用向きの方が同時に見えたのも奇遇ですが、さらに2組とも入会されたので、少し驚き、嬉しく思いました。

 まず「奏楽堂」について、ご説明しないといけませんね。

 正確には「旧東京音楽学校奏楽堂」と言います。東京芸術大学にも「奏楽堂」がありますが、「旧」の方は台東区が管理しています。

 芸大の方が新式のホールであるのに対して、台東区の方はと言うと、明治23年に建造された、日本最古の木造のホールで、昭和63年には重要文化財に指定されています。

 かつて滝廉太郎がピアノを弾き、山田耕筰が歌曲を披露し、三浦環が日本人による初のオペラ公演をした由緒あるホールです。ここで有名・無名の多くの音楽家が初舞台を踏みました。

 この「旧」の方の「奏楽堂」が「ちんや」とどういう関係なのか、それをお分かりいただくためには、台東区がこのホールを管理するようになった経緯を知っていただかないといけません。

 さて台東区に移管される前、このホールは芸大のもので芸大の敷地内にあったのですが、新しい現代的な建物を建設するに当たって邪魔になり、「明治村」への移築が決まりました。

 ところが、この移築話しに故・芥川也寸志先生、故・黛敏郎先生が異を唱えました。「由緒ある「奏楽堂」は上野の杜にこそ相応しい。移築は反対だ。」と。

 対する芸大執行部も「移築推進」で強硬だったため、この問題は、ちょっとした紛争になりました。昭和の終わり頃のことです。

 そこに割って入ったのが当時の台東区長・内山栄一先生でした。代替地を上野公園内に用意し、移築費用を区が負担する、と決めたのです。これは英断でした。

 ここで、やっとこの話しに「ちんや」が登場します。

 芸大執行部の強硬姿勢を前に困った芥川先生・黛先生が、内山区長に相談を持ちかけた、その場所が、「ちんや」だったのです・・・

 この話しは、まだ続きますが、長いので今日のところは、これにて。

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やはり年始に②

 この話しは昨日から続いています。

 電力需要を抑え込むことより、もっと難しいのは、地方に産業を造ることかもしれません。

 グローバル化で一番安いモノを世界中から調達するようになった結果、それより高いものは全然売れなくなりました。

 地方の物品が、地元ですら売れなくなりました。

 ごく一部の、ブランド化に成功した商品は売れますが、それは地方で売れるのではなく、東京で売れます。それに、ブランド化に成功するのは簡単ではありませんから、成功例は多くなく経済全体への貢献が小さいです。

 先月岩手県を訪ねた時に伺った話しですが、地元の浜に上がった魚を売る、普通の街の魚屋さんが亡くなってしまい、皆が巨大スーパーで、どこの海のものか良くわからない魚を買っている、そういう実態があるそうです。かなり残念ですね。

 要するにですが、今、「フード・マイレージ」は勿論、「エネルギー・マイレージ」も、それだけでなく「全てのモノとコト・マイレージ」をも見直すべきだと思います。

 平たく申せば、地元の人が育てたり、作ったりしたモノを買おうよ、外国のモノより少し高いけど買おうよ、ということです。

 そうすれば、あなたが使ったお金を受け取った人は、きっとやっぱり地元でお金を使うから、まわりまわって、結局あなたの懐が潤うよ、だから最初に少し高く買っても、元はとれるんだよ、ということです。

 思えば、私の地元・台東区の地場産業も、海外との価格競争に勝てず、生産現場を縮小させ続けています。地元にはデザインと検品部門だけを残し、現場は中国、という会社が多くなりました。

 以前は浅草の飲食店の、メインの御得意さんは、近隣の現場の職人さん達でした。職人さんは作りの良しあしが分かるので、店が良い仕事をすれば食べてもらえました。その「客の目利き」が街の、全ての基礎になっていました。

 ところが職人さんの姿を見ることはだんだん減って行き、今時は、遠方からの御観光の方々がとって代わりました。それで浅草経済は縮小を免れていますが、その立場に安住してはいけないのは当然のことです。

 遠来のお客様からお金を頂戴したお金を使って、浅草の商店主は地元に残った職人さんからモノを買わないといけません。そうすれば、まわりまわって、結局自分の懐が潤うからです、勿論。

 浅草は浅草なので、そういうことができますが、地方ではこうは行かないかもしれません。

 その難しさは勿論分かります。だいたい、この発想は、グルーバル市場経済主義に逆らう発想だから大変なことです。無謀と言えるかもしれません。

 でも、この国がこのままで良いと思う人は少ないでしょう。

 経済を、経済として存在させるだけでなく、それに何か、絆のようなものを合わせ持たせないといけません。

 今、この状況でも「原発再稼働を希望する地元」がある、ということを軽く見てはいけないと思います。

 皆が傍観者であり続ければ、状況は良くなりません。

 私達が100円ショップでモノを買えば買うほど、外食チェーンでメシを食えば食うほど、日本のどこかで誰かが売り上げを落とします。その皺寄せを受けた過疎地が、また原発誘致の誘惑に駆られないとは限りません。

 このままで良いと思う人は少ないでしょう。

 私もそう思うので書きました。

 やはり年始に書かないと、先に進めませんから。

 今さらですが、皆様、良い御年をお迎え下さい。

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やはり年始に

 2012年も3日目ですね。

 弊店も昨日から通常営業いたしております。

 でも2011年を引きずっている方が多いと思います。

 年末年始のテレビの特番も、未来の話しより去年の話しばかりでしたから、そう簡単に心機一転とはいかないでしょうね。

 私も一回位は、去年のことをどう考えているか、どこかで書かなきゃ、と思っていましたので、今日は、この際そういう話し、つまり原発の話しで行ってみようかと思います。

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 さて去年、日本に54基もの原発があることに驚いた人は多かったと思います。私もそうでした。

 こういう状況になった理由としては、

①中央に電力の需要があった。

②地方に産業がなく、原発を誘致してでも雇用の口を確保したかった。

の2点に尽きると思います。

 中央から地方へ原発マネーを入れて⇒金の力で過疎地を痺れさせる、という仕組みを成立させてきたのが、わが国民の実態だったと思います。

 勿論私も、真夏にすき焼き屋を営業することで、この片棒を担ぎました。ほぼ全国民がこの仕組みに参加しています。

 良い塩梅に、原発を過疎地に押しつけるノウハウが出来た結果、なんと54基にまで増えてしまいました。一方、原子力工学をカンペキに理解してる人間なんて、そう大勢いませんから、「人災」が起こる素地は出来ていたと言えましょう。

 そんな中、今、実際問題としては急に電力需要を小さくすることは出来ないかもしれません。しかし「電力需要」と言われているものが、本当に需(もとめ)要(いる)ものであるのかは、この際考えないといけないと思います。

 以前から私には「オール電化厨房」とか「オール電化住宅」とかは、行き過ぎに思えてなりませんでした。エネルギー源を電気に集中させるのではなく、逆に、ガスは勿論、ソーラーとか風力とかも組み合わせて、分散させれば良いのに、とずっと思ってきました。

 でも、そうしたエネルギーは「高いね」の一言で退けられてきました。

 だいたい何百キロも離れた原発から東京へ電気を引く間に、かなりのエネルギー・ロスがあると聞きます。エネルギーを単に「安い・高い」だけで捉えるのでなく、「フード・マイレージ」と同様の「エネルギー・マイレージ」という考え方で捉える必要もあったのではないでしょうか。そういう発想があれば、どこかでストップがかかっていたと思います。

 念のため申しますが、私は原子力開発に着手した、最初の日本人の気持ちが全く分からないわけではありません。アメリカの核兵器で打ちのめされた、当時の日本人が「いつか、この技術の平和利用でアメリカを追い抜いてやる!」と思ったとしても、それは不自然ではないと思います。

 どちらかと言うと、私はそういう青い心が好きです。

 原子力にかかわる全ての人が、その気持ちを持ち続けていてくれたら、「全電源喪失」に備えてくれていたら、と思いますが、今となっては、せんの無いことです。何十年という歳月が流れ、原発もどんどんできる中で、関係者の方々にぬかりが無かったとは言い切れないと思います。

 もう一つの方ですが、地方に産業を造ることはもっと難しいのかもしれません・・・

 え? この話しは随分長いなあ、まだ続くのか、って?

 そうですねえ、一日分としては長いですかね。

 では、また明日。

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絆年賀状

 新年おめでとうございます!

と言って良いものかどうか、議論されているようですね。

 今回の大震災のダメージはあまりに大きく、原発も「収束」とは言い難い状況で、「おめでとう」は不適切、と私も思います。昨日のブログでは、とりあえず避けておきました。 

 今は、先方の今後の幸福を祈念するような表現が良いのだろうと思っています。今の状況が悪くても、いつか良いことがありますように、という感じが適当でしょうね。

 さらに表現も工夫しないといけません。

 御多幸を祈念いたします! じゃあ悪い状況の方に対して、あまりにそっけないですね。

 さてどうしようかな、と思い、ネット検索してみました。そうしましたら・・・

「感謝や絆などを相手に伝え表現する年賀状が販売されているようです。」

なるほど、そういう方向ですか。

「日の丸や日本をモチーフにしたデザインで・・・」

「震災のあった地域に義援金を送る主旨の年賀状・・・」

「誰かの役に立てる年賀状」

「少しでも未来に向けて日本が元気になるように、私もできることをしたい」

ほお、そういう仕組みがあったんですね。

 こういうのを「絆年賀状」と言うのだそうです。

 そう言えばブログも似たようなものです。

 卒業以来会っていない同期生が、このブログを見つけてくれて、毎日更新されているのを見て、

 おお、毎日生きてるなあ〜っていう感じがするよ!

とメールしてきました。

 これを「絆」と言えなくもないですね、大げさですけど。

 そういうことで、皆様との御縁を感謝しつつ、本年も続行してまいります、絆ブログ。

 ご笑覧を!

 なんか今日の話しが元日号みたいだなあ。

追伸

 年始は元日だけお休みをいただき、2日より通常営業いたします。

 本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて673日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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Filed under: ぼやき部屋 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)