やはり年始に②
この話しは昨日から続いています。
電力需要を抑え込むことより、もっと難しいのは、地方に産業を造ることかもしれません。
グローバル化で一番安いモノを世界中から調達するようになった結果、それより高いものは全然売れなくなりました。
地方の物品が、地元ですら売れなくなりました。
ごく一部の、ブランド化に成功した商品は売れますが、それは地方で売れるのではなく、東京で売れます。それに、ブランド化に成功するのは簡単ではありませんから、成功例は多くなく経済全体への貢献が小さいです。
先月岩手県を訪ねた時に伺った話しですが、地元の浜に上がった魚を売る、普通の街の魚屋さんが亡くなってしまい、皆が巨大スーパーで、どこの海のものか良くわからない魚を買っている、そういう実態があるそうです。かなり残念ですね。
要するにですが、今、「フード・マイレージ」は勿論、「エネルギー・マイレージ」も、それだけでなく「全てのモノとコト・マイレージ」をも見直すべきだと思います。
平たく申せば、地元の人が育てたり、作ったりしたモノを買おうよ、外国のモノより少し高いけど買おうよ、ということです。
そうすれば、あなたが使ったお金を受け取った人は、きっとやっぱり地元でお金を使うから、まわりまわって、結局あなたの懐が潤うよ、だから最初に少し高く買っても、元はとれるんだよ、ということです。
思えば、私の地元・台東区の地場産業も、海外との価格競争に勝てず、生産現場を縮小させ続けています。地元にはデザインと検品部門だけを残し、現場は中国、という会社が多くなりました。
以前は浅草の飲食店の、メインの御得意さんは、近隣の現場の職人さん達でした。職人さんは作りの良しあしが分かるので、店が良い仕事をすれば食べてもらえました。その「客の目利き」が街の、全ての基礎になっていました。
ところが職人さんの姿を見ることはだんだん減って行き、今時は、遠方からの御観光の方々がとって代わりました。それで浅草経済は縮小を免れていますが、その立場に安住してはいけないのは当然のことです。
遠来のお客様からお金を頂戴したお金を使って、浅草の商店主は地元に残った職人さんからモノを買わないといけません。そうすれば、まわりまわって、結局自分の懐が潤うからです、勿論。
浅草は浅草なので、そういうことができますが、地方ではこうは行かないかもしれません。
その難しさは勿論分かります。だいたい、この発想は、グルーバル市場経済主義に逆らう発想だから大変なことです。無謀と言えるかもしれません。
でも、この国がこのままで良いと思う人は少ないでしょう。
経済を、経済として存在させるだけでなく、それに何か、絆のようなものを合わせ持たせないといけません。
今、この状況でも「原発再稼働を希望する地元」がある、ということを軽く見てはいけないと思います。
皆が傍観者であり続ければ、状況は良くなりません。
私達が100円ショップでモノを買えば買うほど、外食チェーンでメシを食えば食うほど、日本のどこかで誰かが売り上げを落とします。その皺寄せを受けた過疎地が、また原発誘致の誘惑に駆られないとは限りません。
このままで良いと思う人は少ないでしょう。
私もそう思うので書きました。
やはり年始に書かないと、先に進めませんから。
今さらですが、皆様、良い御年をお迎え下さい。
本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて674日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。
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