奏楽堂②

 この話しは、昨日から続いています。

 昭和の終わり頃のことです。

 「旧東京音楽学校奏楽堂」を移築しようとする芸大執行部に異を唱えて対立し、しかし芸大側の強硬姿勢を前に困った故・芥川也寸志先生、故・黛敏郎先生が、内山栄一・台東区長に相談を持ちかけましたが、その場所が弊店「ちんや」でした。

 実は、これは自然の成り行きで、内山先生は元々、株式会社ちんやの顧問税理士さんなのです。今でもお元気で、弊社の税務をお願いしていますが、その税理士さんが区議に出て⇒都議を経て⇒区長になられたわけです。

 その内山先生に、芥川先生・黛先生が、「奏楽堂」の移築をなんとか阻止できないものか、と相談をもちかけたわけです。問題なのは当然、費用と代替地です。

 内山区長の英断で費用は支出され、また土地も現在地が使用できることになって、「奏楽堂」は上野公園の中に残りました。この問題は紆余曲折もあって簡単ではなく、あやうく(?)「奏楽堂」が隅田公園に来る話しなりかけたそうなのですが、最終的には上野公園に残りました。

 そうした緊迫した相談がなされたのが「ちんや」の部屋でした。

 当時中学生だった私に、その話しの趣旨が分かるわけもありませんが、芥川先生・黛先生にサインをいただきに行った記憶があります。

 これでようやく、「奏楽堂」と「ちんや」の関係が見えて来たかと思います。

 こうした経緯がありますので、その後、弊社は「奏楽堂」で台東区が演奏会を主催する時には、協賛をするようにしています。

 協賛を続けて来た期間には、リーマン・ショックやら今回の大震災やら「経費を削りたいなあ」と深刻に思うこともしばしばありましたが、続けてきました。

 この協賛を続けて来たことで、後に私は「台東区アート・アドバイザー」に起用されるのですが、そうした一個人のことよりもっと嬉しいのは、弊店のお客様が「奏楽堂」のお客様になり、「奏楽堂」のお客様が弊店のお客様になったことです。

 昨日のブログに書きました、クリスマスイブの日のことが、とても嬉しかった理由は、そこです。

 「これから奏楽堂の、クリスマス・コンサートに行きます」というお客様が2組、同時に弊店で食事をされたことも奇遇ですが、さらに同時に「ちんやメンバーズ・カード」に入会されたのも奇遇で、驚きました。

 驚き、そしてまた協賛を続けて来たことが報われたような気がしました。

 御縁を大切にすること、それを継続すること。

 それが大事と思います。

 報われる日が来ました。メリー・クリスマス!

追伸

 1/7に浅草7丁目の「待乳山聖天」で「大根祭​り」が開催されます。

 御本尊の聖天様にお供えされた大根が、フロふき大根に調理されて、御神酒と共に参詣客に振るまわれます。毎年1/7の恒例行事です。

 また今回は、近くの​聖天公園でフリーマーケットもあります。福​島県や宮城県の被災地物産展が開催されますので、是非皆さ​ん、お出かけ下さい。

  本日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。御蔭様にて676日連続更新を達成しました。浅草「ちんや」六代目の、住吉史彦でした。

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Filed under: 今日のお客様,憧れの明治時代 — F.Sumiyoshi 12:01 AM  Comments (0)