和の迎賓館

かの名店・京都岡崎の「つる家」さんに行ってきました。
国際観光日本レストラン協会の尾川会長が最近退任されたので、その慰労会です。全国から協会の関係者が大勢参加して盛況でした。
さて岡崎「つる家」さんは、そもそもが迎賓館です。
昭和3年(1928年)、京都御所で行われた昭和天皇の即位の礼に際して入洛して来る、貴族院議員・衆議院議員たちの宿泊・食事の世話をするために、大阪北浜で明治41年(1908年)に既に開業していた「つる家」さんが、この地に開店させました。
以来、格式ある「和の迎賓館」として、今日に至っています。歴代の客にはエリザベス女王、ブッシュ大統領といった人々がいたそうな。
大広間には五月ということで立派な武者人形が飾ってあり、スケール感が違いますね。
お庭や竹林は当然結構。東山の夕暮れを眺めながらの宴会です。
すべてのお料理が美味しかったですが、私が感心しましたので、
鮎の塩焼きに付いていた、蓼酢。
鮎の塩焼きは好物なので、結構な頻度で食べますが、蓼酢が残念なことが多いです。
しかしこちらは出汁との調和がバッチリ。人生これまでで最も美味しいレベルの蓼酢と思い、使い終わった後も全部舐めました(笑い)
御馳走様でした。

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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ちんや川柳包装紙2018

今年も三社祭にタイミングをあわせて、
「ちんや川柳包装紙2018」を創りました。来週末にはデビューさせます。
ここに印刷されている川柳は、昨年の秋に「すき焼き川柳コンクール」で募集したものです。
その節は多数の応募をありがとうございました。
悩みに悩み、厳選させていただきまして、入選句をこの包装紙に刷り込みました。
そう、このコンクールは、単に川柳のコンクールをするだけでなく、入選すると、店で本当に使う包装紙にその川柳が刷り込まれるのです。それが特徴です。
この出来上がった包装紙は、
「おもいを包む」包装紙として、多くの方々に喜んでいただけると思っています。
だいたいですね、ギフトというものは相手の方に対して、なんらかの
「気づかい」や
「思いやり」を届けるものです。
お世話になった、恩師・上司・先輩がご高齢であれば、肉と贈るというのは我ながら良い考えだと思います。
今年はもう気温が30℃を超える日があり、夏が早くいですね。
肉で養生なさってください!
という想いを包んで贈ってはいかがでしょうか。
今回の入選句はこちら↓です。(敬称は略させていただきました。)

<超ウケ賞(1句)>
合格祝い 我が子ほめずに 肉ほめる(ごんた)(練馬区、41歳)
<大ウケ賞(3句)>
すき焼を 囲んで笑顔 七福神(菊間清二)(新宿区、78歳)
もみじ狩り まずは鍋の 紅葉を(モテキ)(群馬県前橋市、40歳)
あまいタレ お支払いも あまくして(ひろむし)(神奈川県横浜市、48歳)
<ややウケ賞(5句)>
湯気立ちて 牛鍋囲みて 暑気払い(はじめ)(千葉県市原市、83歳)
わが夫は すき焼きもてなす 好好爺(糟糠の妻)(目黒区、82歳)
誕生日 すき焼き食べて 更に長生き(大島政次)(群馬県太田市、68歳)
歯もボロボロ 食べときゃよかった ちんやの牛鍋(眼もボロボロ)(台東区、68歳)
すき鍋に 煮込む家族の 祝い事(多芸岡)(足立区、79歳)

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被害者責任

被害者責任
って言葉があるのか存じませんが、被害者にも落ち度があるかのようにネットに書かれてしまうのって、酷い話しだなあと思います。さしあたっては、
事務次官の「言葉遊び」事件、
ジャニーズ・トップ・スターの泥酔強制わいせつ事件
被害者は、そういう有名な人はそういうことをしないだろうと想像して会いに行き、被害に遭っているわけですが、被害者にも落ち度があるかのようにネットに書かれていますね。
最近ネットで頻繁に見かける飲食店のドタキャン事件・ノーショー事件についても、被害店舗に落ち度があるかのように書かれることがあります。
確認が甘かったんではないか、とかね。
そういう側面があったかもしれません。
が、そもそも飲食店をやるような人は、「人が好き」「人と接するのが好き」というタイプの人間ですから、相手を疑うところからは入りません。お客様は、酷いことはしないだろうと思うから、確認を入れないんですよ。
被害者責任論をネットに書く人のように性悪説で動いている人の方が一見利口に見えますが、仕事の拡がり・人生の拡がりはないと思います、やはり性善説に立たないと。
で、そこから先はジレンマのみですねえ。
南観世音菩薩。

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オススメのイタリアン

六本木のイタリアン「ラ・スフォリーナ」さんに行ってきました。
料飲三田会の杉田數祐さんのオススメのイタリアンだからです。
去年の夏に料飲三田会は、やはり杉田さんオススメのイタリアン「カッパス」さんで例会を開催し好評でしたが、その杉田さんの次なるオススメの店ですから、楽しみにして行きました。
お店は、六本木にありながら、一軒家です。クスノキの見えるテラス席があります。「くつろげる空間でゆっくり味わえる」がお店のコンセプトだそうですが、思わず長居してしまいそうですね。
パスタの種類が多いので、パスタずきにはバッチリと思います。
御馳走様でした。

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入社4日目で退社したわけ

5月病の季節ですね。
ネットで「入社4日目で退社した新社会人の言い分」という記事を見つけて、なるほど、テレマ電話の向こう側はそうなっていたのか!と、先方の事情が分かりました。
その新社会人が辞めた会社は不動産関連の会社でした。
富裕層に賃貸運営を勧める仕事で、ひたすら「テレマ」をかけます。
「税金を取り戻しませんか」とか営業用の原稿があって、それをひたすら電話で読み上げる仕事を、入社3日目からやらされたとか。
電話をかけても当然すぐ切られ、精神的にどんどんすり減って行ったそうな。で、
「午前中に電話をかけ終えて、昼休みに辞めようと考えました。」
弊社にも毎日テレマの電話がかかって来ます。多いのは、ネット関係、電話料金、インバウンド関連ですかね。不動産も多いです。
予約電話がかかってくる回線めがけてテレマするのですから迷惑千万ですが、そのテレマの声が、この時季、妙にフレッシュです。新人さんなのでしょうか。
そんな仕事を一生懸命やらないで!!
と心の中では思いますが、もちろん、そんな気持ちは押し殺して、相手にしません。
はい、主人(=私のこと)は出張に出ておりまして、戻ったら電話させますから、番号を言っていただけますか?(で、電話はかけない)
今年の新社会人は、小中高を通してゆとり教育を受けた「究極ゆとり世代」で、就職に関する意識が甘く、記事の新人さんは就活に出遅れて、空いている会社をみつけて入ったら、こうなってしまったと書かれていました。
記事は、そのゆとり世代に合わせて「企業に変化が求められている」と結ばれていましたが、果たしてそうでしょうか?
ゆとり世代に合わせる方法とかが問題なのではなくて、
企業の在り方そのものが問題のような気がします。
フレッシュなテレマの声を聞くたびに、
そんな仕事を一生懸命やらないで!!
その会社、今すぐお辞めなさい!!
と言いたくなります。五月病の季節。

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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親子丼

雑誌『一燈照隅』に軍鶏鍋「玉ひで」さんが親子丼を値上げした時の話しが書いてあって、面白く拝読しました。
「玉ひで」の当代が若い頃、軍鶏は貴重品でした。 
闘鶏に使う軍鶏は、闘鶏が盛んに行われていた時代は確保できていましたが、戦後闘鶏が禁止になってから数が激減してしまいました。いったん途絶しかかったのを、1977年ごろから「玉ひで」の先代と農水省などが復活させたのですが、そういう次第でしたから、一時は貴重品でした。
ちょうどその頃、「玉ひで」さんで売れていたのが親子丼でした。
600円という安価な値段で出していましたから連日長蛇の行列が出来ていましたが、並んでいる人は軍鶏の親子丼と勘違いしていたかもしれません。
が、実は違いました。先代は、軍鶏は高級なものだから親子丼には使わないと決めていたのです。「下町の大衆食堂で良い」とも言っていたそうです。
その仕分けを当代が変えました。
先代の3回忌を待って、親子丼も軍鶏にしたのです。値段も当然上げました。
値上げすれば行列はなくなるかもしれませんから、失敗すれば恥をかいたことでしょう。
しかし、値上げの趣旨を書いた広告を出し、店内も改装・人手も確保してサービスも厚くすることを宣言した結果、値上げ当日以前の倍の人が並んだそうです。
老舗が永く続く間には材料の事情が変わることもあります。
その境目にどう対処するか、当主は見解を問われますね。参考になる記事でした。

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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姥捨伝説

学校の同期生がGW連休を利用して、信州の、ご親戚の蔵元へ見学に行ったとかで、「蔵開放日限定酒」を贈ってくれました。
恐縮です。ありがとうございます。
酒の銘は「姨捨正宗」。
この蔵元さんのを歴史知らない人は、酒の銘が「おば捨て」とは何たる残酷な名前かと驚いてしまうかと思いますが、詳しく調べますると、むしろ、この名前でこの蔵元さんの歴史の長さが浮かび上がってきます。
「姥捨」は地名です。この地名は飛鳥時代からあったとも言われ、その意味は小川の源流を意味する「お初瀬(おはつせ)」だったと言います。実際、蔵の裏には崖があるそうで、その崖の上は信州一の夜景スポットになっているそうです。
そこに湧く水が酒づくりに利用されました。
一方、「おはつせ」と「うばすて」は発音が似ていたので、姥捨伝説と結びつき、その地は詩歌に詠まれる有名な地になりました。
要するに、それだけ古いという話しです。
現当主は十五代目といいますから気が遠くなりますが、旧習墨守の方ではないらしく、平成19年に「無添加」を達成して、全量純米酒の蔵に成ったそうです。G.J.
大変美味しくいただきました。ありがとうございました。

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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黒豚のすき焼き

毎月29日は「日本一の肉賄い」の日です。
今月の一品は、黒豚のすき焼き!
でしたが、その案を聞いた時私は、
それ、美味く行かないかもよ・・・
と思いました。割り下は「ちんや」のいつもの割り下を使うと聞いたからです。
「ちんや」の割り下は甘辛味が大変強いですが、それに対して豚肉がバランスしないだろう考えたのです。豚肉は、牛に比べて、
そもそも味が淡泊
サシが入っていない
豚はあまり熟成させないのが普通
ですので、割り下の甘辛味に負けるだろうと考えました。吉野家さんがBSEの問題で「豚丼」を出した時も私はあまり感心しませんでしたしね。
が、食べてみると、美味いです、結構。
「ちんや」の売店で普通に売っている豚肉ですが、なかなか力がある肉だったのだなあ!
と再認識しました。
分量が少なかったから、食べ飽きしなかったのかもしれません。
もちろん、一般的にはオススメしません。
豚肉を一度麹に漬けるとかして、旨味を増やしてから→すき焼きにするのをオススメしますね。

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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春かぶ

「変わりザク」が変わりました。
ただ今は「春かぶ」をお出ししています。もちろんすき焼きに入れていただきます。
冬のものというイメージが強いかぶですが、春にも旬があります。春と秋冬の2回旬があるのです。
春に収穫される方は、やわらかいです。
逆に秋冬ものは、春のものよりも肉質が詰まっています。
今回は、そのやわらかい方ですので、生のまますき焼きに入れます。
お試しあれ。

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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再開

台東区芸術文化財団の方が、奏楽堂が今年11月に再開すると言ってこられました。
芽出たいです。
「奏楽堂」とは正確には「旧東京音楽学校奏楽堂」。
東京芸術大学音楽学部の前身・東京音楽学校の校舎として明治23年(1890年)に建造された建物です。かつて瀧廉太郎がピアノを弾き、山田耕筰が歌曲を歌い、三浦環が日本人による初のオペラ公演でデビューを飾った由緒ある舞台です。
その奏楽堂も昭和40年代(1965年~)に入ると、建物の老朽化が目立つようになり、芸大は校舎を都外へ移設する計画をしますが、その時台東区が芸大から、この建物を譲り受けて、保存・活用することとなりました。
昭和62年(1987年)に現在の地へ校舎を移築・復原し、一般への公開を開始しました。日本最古の洋式音楽ホールを擁する校舎として、重要文化財の指定を受けてもいます。
この移築・復元の経緯に「ちんや」は少し関係しています。(詳しくは、こちらをご覧ください。)
以来奏楽堂は、「生きた文化財」として、建物の公開のほか、演奏会や音楽資料の展示を行ってきましたが、、そこからまた30年が経って、耐震補強が必要になりました。また建物の名物であるオルガンの調子が悪いという難点もあって、その為平成25年(2014年)から今年まで工事休館していました。
それが、今年11月に再開と決まったのです。
開館当時のコンサートが再現されるとかで、芽出たい限りです。

■ ちんや臨時営業について
平成30年5月2日(水曜)
営業時間:12:00~15:00、16:30~21:30(昼・夜席とも営業)
地下1階「ちんや亭」も営業いたします(11:30~15:00) 
どうぞ、ご利用下さいませ。

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すき焼き「ちんや」六代目の住吉史彦でした。

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